誰にでも幸福を

 物語の舞台は、農業と養蚕業を主な産業にしている小国。

 目ぼしいものは無いも等しい。

 地味でつまらない国だが、国民の満足度は大陸一だった。


 何故ならその国には、幸せの青い鳥が存在していたから。


 ある日、一人の旅人が国を訪れた。

 のどかな時が流れる、平和な国。今現在、世界に名を連ねる大国同士が苛烈かれつな戦いを繰り広げて、どこもかしこも悲惨な有様だったが、この国はまるで別世界のように静かで穏やかだった。


 不思議に思いつつも、青年は久し振りの平穏を心から楽しんだ。


 午後を知らせる鐘が鳴る。すると、大勢の人が国の広場へと集まった。

 青年も、人の波に沿って向かってみた。


 国の中央広場にある銀製の鳥籠で飼われている、幸福の青い鳥。

 目が覚めるような青い羽毛。青いくちばし。青くないのは、つぶらな黒い瞳だけ。

 青年は、あまりの美しさに息を呑んだ。


 集まった大勢の人から、一人の女性が鳥籠に近づき、青い鳥を指先で撫でた。

 多くの人が集まっていたものの皆、固唾かたずを呑んでいたので、場は静まり返っていた。だから女性の囁く声が、よく聞こえた。


「私の家が所有している畑では、両親と数多い弟妹達を充分に養えません。

 どうか、私達家族が何の不安もないほど暮らすほどの財産をお与えください」


 言葉が終わると、青い鳥から淡い光が輝き、女性を包み込む。

 光が収まると、周囲からパラパラと拍手がきこえた。それは次第に大きくなって、耳をつんざくまでになった。


 人々の願いを叶える幸福の青い鳥。

 日が暮れるまで人々の言葉を聞き続けた青い鳥。

 旅人の青年は、夜が更けてから宿を抜け出して、一人で広場へ向かった。

 寝付こうとしたが、鳥の事が気になって眠れなかったのだ。

 青い鳥は、夜更けだというのに眠りもせずに静かに佇んでいた。


 鳥籠の前まできた青年は、改めて鳥を見て、美しさに溜息を吐いた。

 鳥は青年の姿を見ると、ゆっくりを頭を横に振った。そして。


「アナタも、ワタシにお願いをしにきたのですか?」


 声がした。

 男とも女とも大人とも子供とも、聞き分けがつかないが、とても優しい声。

 青年は、すぐに青い鳥の声なのだとわかった。


「いや……昼間、遠目から見た君が、とても綺麗だったから。

 一度、間近で見て見たかっただけさ」


 青年が質問に答えると、鳥のつぶらな黒い瞳から、キラリと輝く雫が溢れた。

 青年は、静かに涙を流す青い鳥に驚いた。


「泣いているのか? どうして?」


「ワタシは天界に住まう主が創造なされた、幸せの青い鳥。

 不幸の淵から自力では抜け出せなくなった人間を助ける為、下界へ舞い降りた。

 ワタシがするのは、ほんの手助け。

 ずっと一緒にはいられない。いてはいけなかったのに……」


 青い鳥は大きく羽ばたいた。翼の先が籠に当たる。

 狭い鳥籠に窮屈そうにしながら、青い鳥は無限に広がる空を見上げた。


 青年は、国民の幸福の為に毎日働かせられている青い鳥に同情し、鳥籠の鍵を壊した。開け放たれた出入口を目の前に、青い鳥が目を丸くする。


「幸福は、誰にでも等しく与えられるべきものだ。

 君が此処にいることで、確かにこの国の国民は幸せかもしれない。

 でも、君が不幸せだなんて不公平だ。そんな理不尽な事はあってはならない。

 それに僕の目には、国民の皆が大した努力もしないで、君に頼って生きているようにしか見えない。そんなことでは皆がダメになってしまう。

 君がしていることは偽善だ。上辺だけの優しさは、彼等の為にはならない。

 君は、此処から離れるべきなんだ。そして、もっと他に助けを必要としている人の元へ向かうべきだ。誰にでも平等に幸福を与えるために」


 青年の言葉に後押しされた青い鳥は、ぶるりと身を震わすと大きく両翼を広げ、夜の帳に覆われた空へと飛び立った。

 青年は、良い事をした後の晴れやかな気分のまま、上機嫌に宿屋に戻っていった。


 翌朝、外からの騒々しさに青年は飛び起きた。

 大広場には、空の鳥籠を前に悲しむ多くの人が集っていた。


 子供連れの母親が嘆く。

 夫を戦地に取られ、働いても働いても微々たる額しか稼げない。

 「青い鳥がいたから、子供達にお腹いっぱい食べさせられていたのに!」と絶望を叫ぶ。


 両親を喪った幼い兄妹が嘆く。

 青い鳥の奇跡によって、妹の笑顔を護り続けた優しい兄。

 母が亡くなった時も泣くのを堪えて将来を見据えていた少年は、空になった鳥籠の前で妹と一緒になって目が腫れるまで涙を流し続けた。


 着古した服を身に纏う、やつれた一人の男が嘆く。

 彼の一人娘は、先天性の難病にかかっていた。

 現在の医学では直せない不治の病。噂で聞いた幸せの青い鳥が残された希望。

 娘を連れて、はるばる遠い旅路を経て昨夜、国に到着したのに。

 「最後の希望まで踏みにじるとは神はいないのか!?」

 人目も気にせず泣き喚いた。


 青年は、混乱する国民を遠目から見て、青い鳥が来る前の堅実な生活を取り戻すには、もうしばらく時間が必要になるだろうと思った。

 そして彼等の将来の安定を願いつつ、国を後にした。


 それからわずか一週間後。

 今まで、国土と青い鳥を奪おうと幾度となく戦を仕掛けてきたものの、絶対的な幸福を司る鳥のおかげで、すぐ植民地支配されそうな小国は戦禍の欠片も感じる事は無かった。


 青い鳥の加護を失った小国は、大国同士の戦争に巻き込まれて滅んだ。



 山奥にある、小さな村。

 村の中でも一際大きな地主の屋敷に住む、小柄な少女。

 流行り病で両親と兄弟を失い、天涯孤独になった少女。

 不幸の淵に突き落とされて、もがく気力も奪われた哀れな彼女の元に、幸せの青い鳥が舞い降りて、部屋の窓をくちばしで数回叩いた。

 少女は振り返り、その美しい鳥を瞳に映すやいなや、久方ぶりの笑みを浮かべた。

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深黒御伽噺 月光 美沙 @thukiakari

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