上なる如く、下もまた然り 2

 ジョーンズ、シンロ、そしてカリヤの前にはミニ宇宙の入ったジュラルミンケースと、それに電子的に接続されている一台の携帯電脳があった。いずれもハンニバル博士が遺したものである。三人は電脳のディスプレイに表示されている、『隣接宇宙没入のためのAtoZ』と題されたマニュアルをちょうど読み終わったところであった。

 カリヤは言った。


「使い方はよくある疑似体験デッキと同じみたいね。頭に電極をつけて、姿勢を正して、深呼吸。トイレは忘れずに」


 シンロが言った。


「一度のジャンプの安全限界は一時間か。ミニ宇宙を開発する前の博士に会うって、一体何回ジャンプすればいいんだろうな」


 それに答えてジョーンズが言った。


「いやまあ、その辺はジャンプ先の宇宙で会う博士に聞いてみるよ。なんかワザがあるでしょ、ワザが……多分」

「だといいけどなあ」


 シンロが続けて言った。


「ジョーンズ、くれぐれも気をつけろよ。博士も言っていたが、隣接宇宙で起きたことは少なからずこの宇宙にも影響を……」


 ジョーンズが麻薬パイプを吸いながら言った。


「ま、ま、大丈夫でしょ。やることだけやって、怪我はしないで。金も貰っちゃってることだし、さっさと行ってくるよ……気は進まんけど。オペレートよろしくな、シンロ」

「あいよ。じゃあ行くぞ……設定時間は一時間……準備はいいか……三……二……一……跳躍!」


 そしてシンロが電脳のキーを叩いた瞬間、ジョーンズの意識は暗転し、再び視界に光が戻った時には、既に彼の意識はミニ宇宙の中に、主宇宙から一時間前の隣接宇宙に存在していた。

 隣接宇宙への介入のために、ハンニバル博士はイド置換システムと呼ばれるプログラムを作成していた。これにより、『隣接宇宙における自分そのものではないが自分にとてもよく似た存在』──主宇宙と全く同じものは隣接宇宙には存在しない。目視で相違が見つからなくとも、必ずどこかが違っている──の意識を奪い取り、そしてその肉体を操作することが可能なのである。

 このシステムの開発に伴い、ハンニバル博士の助手のうち一名が自分のことを人間ではなく火星のヤツメエリマキトカゲ(子持ち)だと思いこんで今後の生涯を過ごす羽目になる事故が発生したが、その罪に問われる前に博士は哀れにも死亡してしまった。なおその助手は、火星の某社動植物園で今も健やかに養トカゲに囲まれて余生を過ごしているのだという。

 ジョーンズは周囲を見渡した。そこはインド料理店チャンドラヤーン3000号の内部であり、目の前にはまだ生きているハンニバル博士がいた。

 ジョーンズの様子を見て、ハンニバル博士は言った。


「どうやら、今の君は主宇宙のジョーンズ君のようだな」

「わかりますか」

「わかるとも。君への依頼に備えて、わたしの電子眼にはある存在のイドが主宇宙からどれほど離れているかを計測する器官を追加しておいた。今の君の主宇宙との距離はゼロだ。わたしはそうではない」

「ということは、あなたは自分が隣接宇宙の存在だと……」

「ああ、まあね。まあ、自分が基底現実の存在ではないというのはショックではあったが、すぐに立ち直ったよ。わたしはわたしだ」


 そう言うとハンニバル博士はジュラルミンケースを開き、ミニ宇宙と携帯電脳を取り出して言った。


「さて。今は何回目のダイブかね?」

「初めてです。一時間前設定で」

「なるほど、なるほど……。ま、この宇宙は君が来た主宇宙からは比較的近いし、そうだろうな。次のダイブからは倍加になるから、跳躍時間は二倍……次も最大限で行くんだろう? なら二時間だな」

「二倍? というと?」

「んん? ああ、確かマニュアルには書くヒマがなかったな。何分最近気づいて……いや口頭で説明されなかったか?」

「ええ、まあ……」

「なんとまあ。まあいいだろう。システムの仕様上どうしてもそのようなことになってしまってね。ダイブ先の宇宙からさらに別の宇宙へダイブする時、設定できる跳躍時間が前回の倍になってしまうのだよ。倍になった次のダイブは、さらにその倍、そしてさらにその倍、さらにさらにその倍、となり、主宇宙からの改変具合もそれに従う……。こんなことも伝えていないとは。一体どんな状況だったんだ?」

「まあ、なんといいますか。ずいぶん憔悴してらして、あちらの先生は。自分で自分にとどめを……」

「そうか。ま、このわたしには自殺する気なんてさらさらないがね。くだらない。まあいい。さて、準備は出来たかね?」

「大丈夫です」

「念の為説明しておくが、最大限の跳躍幅で進めていくのであれば、次の次のダイブの幅は四時間だ。その次は八時間、その次は十六時間。幾度か繰り返せば、すぐにミニ宇宙を完成させる前のわたしに出会えるだろう。頑張ってくれたまえ。おお、そうだ。その分だと、主宇宙のわたしは肝心の研究室の場所も教えていないのではないか? そのようだな。教えよう。それはだな」


 そこでハンニバル博士の頭は撃ち抜かれ、言葉は途切れて消えた。銃声のした方向を見る。そこには喧嘩をしていたらしいチャンドラヤーン3000号の店員二人。一人の手には未だオゾン臭をあげている電子銃があった。

 なるほど。主宇宙と隣接宇宙の相互作用とはこういうことか。どうやら博士はおれと出会ってから少しするとどうやってか死ぬ運命にあるようだ。まあいい、研究室の場所については次の博士に聞くとしよう。ジョーンズはこめかみに電極を付け、電脳のキーを叩くと、再び跳躍した。

 目を開けば、そこはハンニバル博士が訪れる前のチャンドラヤーン3000号だった。

 シンロと向い合せになり、なんだかちょっとシンロの耳が心なしか変なかたちをしているな、と思いながら、チャイを飲んで時間を潰す。しばらくするとエアロックが開いた。そこに現れたのは、全身血だらけのハンニバル博士だった。

 不思議なことに、博士の髪型は主宇宙の黒髪オールバックではなく、まだらな金髪のモヒカンになっていたが。


「は、博士! 一体何が」

「説明は後! 後だ! ついてこい!」


 博士はジョーンズの腕を引っ張ると反対側のエアロックへ引きずり込む。備え付けの緊急用の宇宙服を着込むと言った。


「へへ、お前も着るんだよジョーンズ。死ぬぞ、真空で、へへ……マジで」

「いやそりゃ、着ますけど、あんた一体……」

「いいから逃げんだよ今はよ! ついてこい!」


 エアロックから抜け出た二人はスラスターで姿勢制御を行いながら宇宙空間へ出る。振り返ったジョーンズが見たものは、チャンドラヤーン3000号へ向かいつつある太陽系維持管理局の取締船の群れであった。


「これは……」

「あのエリマキトカゲ野郎がよおお、正気づいたみたいでよおおおお……クソくだらねえ、維持管理局にミニ宇宙のことをタレコミやがったのよ。やつらそれを狙ってやがる」


 ハンニバル博士(チンピラバージョン)は手元のリモコンを操作すると隠蔽していた小型宇宙船のクロークを解除する。中にはミニ宇宙と携帯電脳が設置されていた。そこへジョーンズを押し込むと、博士は続けて言った。


「質問がある。主宇宙のおれは死んだか? 今何回目のダイブだ? 何が違う?」

「ええと……死にました。前の宇宙の博士もです。今は二回目のダイブで、違いはあなたの髪型と、あの船隊……」

「二回目でそこまで状況が違うか。この分だと次の倍加ダイブ先はさらに妙なことになってるだろうな。だけどやりとげてもらわにゃいかん。それがおれの望みだからな。行くべき先は知ってるか?」

「いや、まだ教えてもらっては……」

「木星だよ。木星に行け。適当な船で木星に突っ込め。突っ込んだ後はこの座標だ、忘れるなよ、いいな……ああ、船はボロボロになるだろうが、何、どうせ隣接宇宙の出来事だ。へへ、気にすんな……よし! じゃあおれは逃げるからな! 任せたぞ!」


 そう言うとハンニバル博士は背中のスラスターを最大出力で噴射させ、雄叫びとともに虚空へと飛び出していく。

 すぐにそちらへ向けて集中砲火があり、小さな火花が起きて、消えた。

 ジョーンズは跳躍した。


    ◆


「ジョーンズ、うまくやってんのかなあ」

「さあ……大丈夫なんじゃない?」


 主宇宙では、ときおりピクピクと蠢くジョーンズをよそに、狭い船室の中でカリヤとシンロが火星ピーナッツをつまみながら喋っていた。

 カリヤが聞いた。


「ていうかさ、気になってたんだけど」

「何」

「そもそもの話、ジョーンズとシンロ君って、どういう馴れ初めだったわけ?」

「ええ……?」


 シンロは腕組みをすると続けて言った。


「え、それ、聞きたいの……?」

「気になるねえ」

「いやーまあ、大した話でも無いんだけど……」

「いいから」


 カリヤが言った。


「話してよ」

「まあさあ……おれはアレなんだよ、普通の生まれじゃなくてさあ。ちょっとまあ、生まれるときに放射線を浴びすぎちゃって。お母さんのお腹から出たときには、既にすくすく二足歩行してたんだよね」

「ウケる」

「ウケるよな。しかも喋るし」

「え、何。もしかしてあれ?」


 カリヤは人差し指を上に向けると笑いながら言った。


「天上天下唯我独尊……っていうやつ!?」

「いや違う」

「何」

「ちょっとその……トイレの場所を……」

「いいね」

「まそういうわけでさ。結構噂になって、ペットショップから高級ペットショップへ移されて、高級ペットショップから金持ちへ売り飛ばされて、金持ちから金持ちへ譲られて……なんてね。点々と、落ち着かない暮らしをしてたんだよ」

「へえー。でもいい暮らししてたんじゃないの」

「そうでもない。トロフィーみたいなもんで。珍しいからね。開き直ることも出来なかったし。変なことを考えたり、口答えしたりとかしなけりゃ、今でもそういう暮らししてたかもなあ……」


 そこでシンロは水を飲むと言った。


「まとにかく、そういうわけで、生意気だったせいである日そりゃあなついてた飼い主に捨てられたおれは、ちょっと発狂してアナーキスト小惑星帯で野良哲学者やってたんだけど──結構ファンも多かったんだぜ──、そこへ迷い込んできたボロボロのメッタメタの状態のジョーンズと出会って、そんで意気投合して今に至るってわけだな」

「ふうーん。なんか運命的じゃん」

「そう言えばそうなんだろうけどさあ。出会った当初は大変だよもう、お互い頭がおかしかったもんだから……そりゃしっちゃかめっちゃかな暮らしで……」

「その直前の飼い主さんのことはさ、どう思ってんの」


 シンロはため息をつくと言った。


「まあ複雑な感じだよ。おれが悪かったとも言えるし、あの人もどうかと思うし。いや、どうなんだろうな……まあ、おれとしては、もう会いたくは……」

「お邪魔いたしますー」


 エアロックが開く音。快活な声。カリヤは訝しむ。シンロが硬直しているのだ。声の主は言った。


「突然すいませんね。ジョーンズさんに御用があって来たんですが……ああ? 電極? あれですか? もしかして今なんかやってます? まあいいや。わたくし、こういうものでございます」


 男はにこやかな笑顔とともに名刺を胸元から差し出す。そこには、『天ノ川銀河太陽系維持管理局第三室 エガワ・リー』と書かれていた。


「さてそれでは早速ですが……ん……あれ……? お前もしかして……シンロか?」


 エガワの肩に載せたメインクーンが、美しい声でくすくすと笑う。シンロは固まったまま、その声に振り向くことも出来なかった。

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宇宙探偵人食いジョーンズ ズールー @zoolooninja

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