幼き日の友

陽月

幼き日の友

 お盆の夕方とはいえ、まだまだ暑い中、由実ゆみが久しぶりに実家に帰ると、「ただいま」「おかえり」の決まり文句の後に、母から想像していなかった事実が告げられた。

「由実、あんたの部屋、もうないから」

「えっ!?」

 思わず、聞き返していた。


 一番広い部屋が由実の部屋だった。けれども、盆正月にしか帰ってこないのに、その部屋を由実の部屋として残しておくのは、もったいない。

 そこで、由実の部屋に両親が移動し、それまで両親が使っていた部屋を、物置兼由実が泊まる部屋にした。

 ずっと家に居る両親と、年に数日しか居ない由実ならば、両親がより快適な環境を利用するのは、当然のことだった。


「それで、由実の部屋にあった色々な物を、まとめて段ボールに入れてあるから、いらない物はゴミ袋に入れておいて」

「はーい」

 返事をして、鞄とゴミ袋を持って、部屋へと向かう。こういうことは、さっさとやってしまった方がいい。


 部屋は、母が物置と言っていたように、確かにタンスや本棚が置かれていたが、ベッドもあり、数日間だけ主に寝るために使用するならば、充分な状態だった。由実が使っていた勉強机も、一緒に引っ越ししていた。

 言われた段ボール箱はすぐに分かった。入ってすぐ、右手に置かれており、蓋が閉まらないほどの中身が、いくつか頭をのぞかせていた。


 一つずつ、確認しては、基本的にゴミ袋へ入れていく。

 懐かしい物たちではあるが、それでも今となってはもうガラクタと判断できる物がほとんどだった。

 きっと母も、ゴミだと思ったことだろう。けれども、持ち主の確認も取らずに勝手に捨てるのは良くないと、こうしてとりあえず残してくれたに違いない。


 卒業アルバムに、文集。これらは、何に使うのかと問われれば、答えられず、本棚の一角を占拠することは分かっている。けれども、これは記念だ。さすがに捨てることはできない。

 由実は、中を確認したい誘惑に駆られたが、開けることなく、残す方に移動させた。表紙をめくってしまえば、時間が取られることは明白だった。

 終わってから、後で見直せばいい。


 ほとんど使うことのなかった、小学校の裁縫セット。中を開ければ、きちんと揃っている。何かの役に立ちそうだと、持って帰ることにした。

 学校の机の中の半分を、長期間占拠していた算数セット。さすがにこれはいらない。

 そうやって片付けていると、段ボールのそこから、30cmほどの熊のぬいぐるみが出てきた。上に置かれていた物の重みで、少し潰れてしまっている。


 焦げ茶色のボアの中でも短い毛並みのぬいぐるみだ。

 上半身には、青色のベストを着ている。


 小さい頃、よく連れ歩いていたぬいぐるみだった。

 夜、寝る時は一緒。一緒じゃないと眠れないと、旅行にも連れて行った。家族のアルバムには、旅先でこのぬいぐるみと一緒の写真があるはずだ。

 おままごと遊びにも参加してもらった。

 それが、いつの間にか、勉強机の本棚に飾られるだけとなり、家を離れる時にそのままになってしまった。


 両手で持って、目の高さまで上げる。

 懐かしい、そう思ったものの、埃だらけで汚れてしまっているぬいぐるみに、頬ずりする気分にも、一緒に寝る気にもなれなかった。

「洗えば、綺麗になるかな」

 呟いて、残す方に仕分けた。



 翌日、由実は行動に出た。

 簡単に取れる埃は、叩いたり、軽く掃除機で吸い取って取り除く。

 衣服の洗濯が終わった洗濯機に入れ、手洗いモードにして、スタートボタンを押す。

 洗濯終了の音がして、取り出してみて、由実はやってしまったと後悔した。

 手足や耳の小さなパーツはいいものの、頭と胴体がすっかり変形してた。

 手で形を整えてみようとするものの、戻らない。


 どうしようかと考える。この際、これをきっかけに捨ててしまうのも、一つの選択だ。

 けれども、もう少し粘ってみようと考えた。

 物干しの一角に、洗ったぬいぐるみを吊り下げる。まずは、乾燥だ。


「お母さん、商店街の手芸屋さんって、まだやってる?」

「お店はまだやっているけど、今日はお盆でお休みだと思うよ。二つか三つ先の駅前の、大きいお店に行ってみたら?」

 母の答えに、少しばかり記憶を探る。ああ、あそこかと思い出した。

「ちょっと行ってくる」


 由実が鞄と日傘を手に、玄関を出ようとしたところに、母がリビングから顔を出した。

「お父さんに、車出してもらおうか? 暑いし」

「わざわざいいよ。日傘もあるし、一人で行ってくる」

 そう言って、玄関先で日傘を開いてみせる。骨がぐっと曲がった、ドーム型の黒い傘だ。縁には黒いレースがあしらわれている。

「かわいい傘、持ってるね」

「でしょ。洋傘って感じで、気に入ってるんだ」

 クルクルと、少し回して見せる。

「洋傘って、その辺の傘はまず洋傘なのに」

「いいの、気分の問題。じゃ、行ってきます。お昼までには戻るから」


 手芸店で、中綿を買う。ちょうど昨日、裁縫セットを見つけていたこともあり、中綿を入れ替えようと考えたのだ。

 それからと、焦げ茶色の糸も手に取り、レジへ向かう途中で見つけたカットクロスから、青色に黄色い星柄のを二枚。せっかくだから、ベストを作り直そうと考えた。


 家に帰り、まだ乾いていないぬいぐるみから、ベストを脱がせる。

 アイロンをかけて乾かしてから、縫い糸をほどいて分解する。分解した布を、型紙代わりに使おうと考えた。

 布を裁ち、準備完了。母からミシンを借りて、縫う。


 高校の授業以来と言っても過言ではないミシンの操作に戸惑いつつも、どうにかこうにか上糸と下糸の準備をした。

 いつの間にか買い換えられていたミシンは、糸の針を基本的には自動で調節してくれるようで、ほっとした。

 直線部はまだしも、曲線部を勢いよく縫うことができず、もしかしたら手縫いの方が早かったかもと思いつつも、どうにか完成させた。


 翌日、乾いたと判断したぬいぐるみを、由実に用意された部屋の勉強机の上に寝かせた。机の上には、リッパー、鋏、糸、針を用意している。

「それでは、今から手術を始めます」

 由実は自分で言って、自分でそれはなんだと笑った。

 縫い目を開いて、中綿を取り出し、詰め替え、開いた部分を縫い合わせる。ぬいぐるみにとっては、手術のようだと、勉強机はさながら手術台だと思ったのだが、いざ口に出すと、なんだか違った。


 真剣に、縫い目をリッパーで切り開く。長さは 6cmくらい。少なければ作業がしにくいが、広ければそれはそれで詰めた後の作業が大変だ。

 取り出した綿は、まだかすかに湿っていて、ぬいぐるみの中心部まで乾くには、まだ時間が足りなかったことを思い知った。

 形を見ながら、新しい綿を詰める。ふわふわよりも、ぎゅっと詰め気味に。

 最後に、開いた口を手縫いでじていく。毛が短いぬいぐるみでよかったと、この段になって改めて思った。


 最後に、前日作ったベストを着せて、完成だ。ベストの大きさがピッタリで、安心した。

「よし」

 100点満点かと問われれば、そうではない。けれど、充分に満足のいくできだった。


 実家を去る時、由実の荷物は、裁縫セットと熊のぬいぐるみの分、増えていた。

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幼き日の友 陽月 @luceri

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