第2話

 熱は太陽からのメッセージが刻まれた身体のマゾい感覚だ。太陽が憎いという水準への移行にはまだまだ猶予がある。

 歩いている。自宅からの歩行距離は、速度が4キロ・パー・アワーとして、すでに20時間歩いていることを踏まえると80キロに達しているはずだ。

 旅がはじまっている。特に目的地も決めていない俺は、とにかく歩くことにした。これは規模の大きい散歩のようなものにしたい。

 「太陽照らす爽やかなわが町にようこそ!Welcome to our sunny and refleshing town!」なる文言が書いていたらしい町の出入り口に立つ看板は、路上の賢者たちによって完膚なきまでに書き換えられ「わが太陽照らし狂い〜んの再度鞭打ち町our insunnyty and re lashing town」となって久しい。実際のところは狂気も暴力も常識的な町のために、住民たちは誰しも看板の言葉遊びで仄かに溜飲を下げている。この看板をこえて町の外へと俺は出て行った。


 「前進!」、この共産主義的なスローガンは歩行の指針だ。たとえ他人の家や庭だろうと川だろうと、柵や穴だろうと、目の前に立ちはだかる一切を俺は物理的および精神的パルクールと跳躍で華麗に飛び越えて行く。すでに数軒のドゥー・グッターズ[*1]の家を突っ切り(やつらはその善人面を引きつらせていたが、が俺を許した。今頃は俺のことをクサしながらお高いワインで一杯やっているところだろうが)、数棟の犬小屋を破壊し、ささやかな小川一つを渡ったところだ。この先法務省や警察署に突き当たっても可能な限りこの方針は貫いていこう。


 町を出る直前、薬屋の「紳士サム」に会った。紳士サムはペッティングは柔らかだがクンニが冷徹なことで有名だった。

「久しぶりだな。おまえが外を出歩いてるなんて珍しい」

「ああ、久しぶり」

「どこに行くんだ?」

「旅に出るんだ」

「遠く?」

「短くはないね」

「そんなクロックスのパチモンで長旅は辛いんじゃないか」

「嘘だろう」

「本物にはマークがあるんだよ」

「そうなのか。痛み止めを買いたい」

「ちょうど余ってるからやるよ。昨日使ったやつの残りだ」

「ありがとう」

 紳士サムの革製バッグはやけに光沢があり、酢の刺激臭がする。彼は革をマヨネーズでケアしている。売れないマヨネーズ作りを生業としている親戚から定期的に大量の各種フレーバーマヨネーズが送りつけられてくる彼は、食べて消費しきれないために、有効活用の手段にレザー・オイルとしてマヨネーズを使用しているからだ。紳士サムはかつて「オイルとして一番なのはプレーンだ。ガーリックやレモンなどの添加物が入ると革に良くない」と俺に語ってくれた。

 マヨネーズ添加バッグmayonnaising bagから彼は痛み止めのピルをほぼ新品一箱取り出し俺に手渡した。

「旅を楽しんで」

「ありがとう」

 手を振って俺たちは別れた。しかし数分後、便意をもよおしたので俺は急遽出口まで戻り、「太陽照らし狂い〜んinsunnyty」看板脇の公衆便所で用を足した。気張っている最中に勃起したのでマスターベーションをした。便器の淵にスペルマが付着して落ちなかったが、糞は流した。トイレから出ると昼間なのに誰にも出会わなかった。俺は今度こそ町から一人で出発した。


 そろそろ歩行距離が90キロを越すあたりでまた家に突っかかった。全体の色合いは黄ばんだ白色で、手入れされていない庭はやけに広く、ポストには地元の新聞が詰め込まれ、ドアノブはくすみ、ポーチの天井の内にはヴェロッキオ「キリストの洗礼」がデカデカと拙いタッチで模写されていた。ファンダメンタリストのホワイト・トラッシュであろうと予想できる。

 俺は突き進んでいくI go through。しかし鍵がかかっている。蹴ってノブを破壊しようとしたら、家人がドアを開け顔を出した。

「誰だ」

「旅人です。実は、この旅はまっすぐ進むと決めており、どうかお宅を通らせてもらえませんか」

「ああ。よくわからないが、君はキリスト者かね」

「彼のことは嫌いではありません」

「そうか。もエジプトから脱出する際に海を突っ切ったのだからね。通りたまえ」

 モーゼとイエスを言い間違えたのかあるいは誤解しているこのホワイト・トラッシュは50代半ば過ぎと思しき男性で、禿だった。白くなった無精髭が散らされた顔の上半分に青色の鋭い目が埋め込まれていた。よれたジーンズ生地のジャケットとパンツに身を包み、その全体の印象は、思想信条としては真逆だろうが、イギリス労働党党首のジェレミー・コービン風だった。

「ところでだね」

コービン風ホワイト・トラッシュの男性は言った。

「「セスナ」のような響きの、プルとプッシュを繰り返すあれ、なんて言うんだったかね?」

「セックスですね、おそらく」

「スコッチでも飲むかい。バーボンは切らしている」

「ワンショットください」

「盲目な旅を続けているのだろう。ゆっくりしなさい。主の創りたもうた世界に間違いは一つもない。バーボンでないのは残念だが、スコッチも美味しいよ」

「ではぜひ」

俺は家に上がっていった。


*1. ドゥー・グッターズ(Do-Gooders)とは、社会や諸制度の修正を活動の眼目にする改良主義的な良心的リベラルのこと。アンドリュー・カルプ(C, ANDREW)が『ホスティス(Hostis, よそもの、「国家の敵を名指」す言葉)』誌に寄稿した論文「残酷の政治について(A Short Introduction to the Politics of Cruelty)」で詳しい。本文のpdfは以下のwebサイトからアクセス可能。http://incivility.org/2016/03/24/hostis-issue-1-online/

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現実とは筋張ったチンゲンサイの芽吹き(The reality is sprouting of stringy bok choy) 阿佐ヶ谷大観 @bWvlk0BAEjWjZTo

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