第6話 あのときの私は死にました


「私、海外に出ようと思ってます」

「留学、ですか」

 きれいな形だとは思う。

 学業専念、留学のため引退。

 世間は矛をおさめるだろう。

「……では、シンジロウさんの義理の兄弟と接するのは、難しそうですね」

 しかし彼女はかぶりを振った。

「……私は、医者になろうと思います」

 フラッシュバックした映像を、全気力で押さえ込む。

「それは、どうして?」

 シンジロウを病気で亡くしたからだろうか。

 口のなかはからからに乾いていた。

「シンジロウさんのことも理由の1つですが、ミツエさんから言われたことも考えていました。誰かの為に、助けになる。生きてと、生きようとする願いを叶える。誰かの支えになることが、私には負担だった。私ではない私で在り続けないといけなかったから。だから、芸能人として生きることは、私には無理でした。けれど、別の生き方で、同じようにできないか。スポットライトは浴びなくても。大勢でなくても手の届く範囲で、私でありながらできること。身の振り方を相談していたとき、仕事の話をして、候補の1つに入っていました。それが医者です」

「……リョウコさんなら、できますよ」

 そうだ。

 何者にも矯正されず、自らの意思で決めた道。

 きっと困難があっても進み続けるだろう。

「海外で勉強して、そのまま向こうの大学に行ったらいいですよ。うまくいけばそのまま現地で仕事できます」

「そのつもりでいます。学校はろくに通えなかったけれど、ハリウッド進出を目論まれて、外国語だけは叩き込まれました。日常会話は問題ありません」

「……つくづく残念です、シンジロウさんの義理の兄弟は日本語話者じゃないみたいなので」

「……もちろん、直接は会えなくても、その人のこと、私は助けたいと思っています。なにかあったら、いつでも連絡してください」

「……恩に着ます」

 駅が近づいてくる。

 きっと、もう会うことはないだろう。

「……リコさん」

 歩みは止まらない。

「その人はもう死にました」

「僕は、リコに助けられました」

 ペースが遅くなる。

「集いで家のことを話しました。最悪なときに、リコを見ることで、生きようと思った瞬間が何度もありました」

「……いまの私は、そうじゃない」

「これは僕の独りよがりな感謝の気持ちです」

 思い切り息を吸い込む。

「もうリコはどこにもいません。リョウコさんは、リョウコさんの人生を生きてください」

 もう駅は目の前だった。

 彼女は薄く、微笑んだ。

「私は一度は死にました。だから今度は、死ぬまで生きてみようと思います」

 一度は死を願った人間が、生きていこうと前を向くのは、とてもきれいだった。

「元気で」

 眩しかった。

 彼女は背を向ける。

 改札を通り抜け、これからへと続く道を歩き出した。

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The velocity of death 香枝ゆき @yukan-yuki

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