第5話 あなたを置いて、私は進む

「疲れてないですか」

「ええ、大丈夫です」

 思い切り走ったにしては、涼しい顔で息を吐く。

 苦し紛れに息をつく自分とは対照的に。

「……撒けたようです」

「……良かった」

 リョウコはほうと息をついた。

 ラーメン屋に残ったメンバーが記者達を足止めしているようで、こちらに喧騒はない。

「タクシー拾いましょうか?」

「いえ、電車で来たので」

 思わぬ返答を受け、歩道の縁石に足を引っかけそうになる。

 仮にも元、人気絶頂の芸能人だ。

 公共交通機関を使って普通に生活することができるのか。

「……結構バレないものですよ。メイクも変えて、そっくりさんで通します。マイさんがすごく詳しくて、勉強になりました」

 疑問を先読みし、さっぱりと答えられる。

 無理はしていなかった。

 強くなったものだ、と思う。

 元から強かったけれど。

「じゃあ、駅まで送りますよ」

「ありがとうございます。ちょうど私も、話したいことがありました」

 冷たい風が吹き抜けていく。

 名残のように、そこにいるように。

「……シンジロウくんの、ことですか」

「はい。さっきのメッセージに」

「リョウコさんの名前がなかったこと」

 呼吸の仕方を失敗する。

 彼女は不意に足を止めた。

「…………ひどい、ことをしました」

「お見舞いに行けなかったのは、リョウコさんのせいじゃないです」

 リョウコはシンジロウの見舞いに行くことができなかった。

 リコだった期間が鮮烈すぎて。

 リコであることを辞めようと戦うことに時間を取られ。

「マスコミに追われた自分が会いに行くと、病人の身体に障る。真っ当な判断じゃないですか。迷惑だってことも、自分で考えた。なにより、会いに行く物理的、時間的余裕はどうあがいても作れなかった」

 後悔を少しでも軽くできるだろうか。

 今の自分に、できるのは。

「シンジロウさんは、リョウコさんに別にメッセージを残していたんですよ」

 そっと近づき、サトシは薄紅色の封筒を握らせる。

「渡してくださいって、頼まれました」

 リョウコはゆっくりと便箋を広げていった。

「………………」

 そしてまた、丁寧に折り畳む。

 二人は会えなくても、連絡を取り合っていた。

 一往復程度のやりとりを、彼は本当に大切にしていた。

「……後悔のないように、幸せに、生きてと」

「そのメッセージは、リョウコさんだけのものです」

 彼女は手紙を握りしめて泣いた。

 うつむく顔を照らす夕暮れ。

「…………改めて、答えを、聞いても、いいですか」

 涙を流していても、顔を上げた彼女は美しかった。

「シンジロウさんの願いに関する答えを、聞いても、いいですか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る