日本戦記

舞鶴

第一章「植民地」

 1930年、世界恐慌が起き、縮小を進める大国とは逆に公共投資をしていた日本は恐慌の影響を受けずに済んだ。

 日本は1931年にこの好機を逃すまいとアジアの植民地を欧米諸国の圧政から解放するためアジアへの進出をすることを決定。


進出する地域は以下の通りと決定された。


・オランダ植民地のインドネシア

・英国植民地のオーストラリア、ニュージーランド、マラヤ、香港、インド

・中国植民地のチベット、ネパール、ブータン

・ドイツ傀儡国の広西軍閥、雲南


 以上の地域の解放を目的に1931年、いまだ技術が未発展だったが日本軍は動き出した。


 最初の目標は、インドネシアであった。

この頃の日本軍は装備も旧式であったが、インドネシア軍の装備は植民地であったためろくな装備がなくさらに古く旧式であった。

日本軍の高い練度はいかんなく発揮され宣戦布告から僅か半年足らずでオランダ・インドネシアは降伏。

日本の目的は植民地の解放だったので、オランダ本国はそのまま残り、残ったインドネシアは日本国インドネシアとして、無事植民地から解放された。


 次なる目標はドイツの傀儡国家である広西と雲南であったがこの二か国は当時友国だったドイツの管理下だったため、簡単に開放することができた。


 次に日本軍は中国に目を付けた、中国はネパール・ブータン・チベットを植民地にし、新疆を併合し巨大化していた。

 しかし、日本人がウイグルやネパールを訪れた時、現地の状況は悲惨なものであった。当局が圧制を敷き現地民たちを苦しめていたのである。この事を聞いた日本国は植民地に住む人々の解放・生活レベルの向上を目的に、1933年2月25日に中国に宣戦を布告。この頃になると歩兵装備などの量産が簡単にできる装備などは新型に代わっていたため日本軍は連戦連勝で進軍を続けていた。

5月には北京・7月には南京・10月には重慶と次々に中国の主要都市を陥落させた。そして、1935年に開戦から2年がたったある日遂に中国が降伏。日本は中国の植民地などをすべて一つの地域とし日本国亜細亜アジアを樹立した。


 いくつかの月日が流れた1937年。遂に日本国はアジアの英国植民地の為に英国に宣戦を布告した。日本は旧式ではあったが世界に誇れる海軍力を保有しており陸海空共同作戦を実施し瞬く間にアジアの島々に上陸、解放した。

 アジアの英国植民地をすべて開放し終わった1940年3月12日。英国ロンドンに日本国首相舞鶴はいた、講和会議の為である。

日本の要求は植民地の解放。英国側は植民地に大量の資源があるので植民地を手放したくなかったが、日本側が英国にも資源を輸出すると提案し植民地を開放することに成功した。

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