鍋島

安良巻祐介

 

 陰鬱な雨の中、妙に古びたレイン・コートを着込んで、猫背の男は、主のいなくなった段ボール箱を漁っていた。

 箱の前面には「カワイサウナチビ助 声カケテ 拾ツテ下サイ」とたどたどしく走り書きした紙が貼られており、水に濡れたせいか、文字が滲んでいっている。あたかも、すでにこの仮の巣から離れ、死んだか、どこかへ去ったか、いずれ当てどのない場所へ放り出された、小さな寂しい魂の声のように。

 男はそれを見てか見ないでか、片手に提げた数珠をジャラジャラと揉み擦りながら、ぶつぶつと何か言い訳めいた言葉を呟き、段ボール箱の底からようやく黒く汚れた布切れを引っ張り出すと、スンスンと鼻を鳴らしつつ、素早く口元へ巻いた。

 小さな布は男の魁偉なる容貌を覆いかくすにはとても足りなかったが、それでも男は満足そうに、目じりに皺を作った。

 布に沁みついた獣臭のせいか、ごほごほと少し咳き込み、やがて落ち付いて、再びすうと顔を上げた時、男の両の瞳は糸のように細くなっており、眼球はすっかり濁った月の色に染まっていた。

 獣の匂いを胸一杯に呼吸し、笑みを絶やさぬまま、男は一声、ふざけるようにニャオウと啼くと、猫背をさらに丸めて、路地の闇へと静かに歩み去っていく。

 後には、空っぽになった段ボール箱と、ドロドロに流れて残った、赤い「 助  ケ テ  下サイ」の文字。……

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鍋島 安良巻祐介 @aramaki88

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