帰還
勇者は籠手を放り捨て、ガズハから器を受け取る。澄んだあめ色のスープの中に細長いものが沈んでいる。一緒に渡された2本の棒は? ああ、これで掴んで食べるのか。器に顔を近づけるといい香りがする。器に口をつけると、いつの間にか切れていた口の端の傷に染みるのを無視して、2本の棒を使いかきこんだ。清涼な香りが鼻の奥を通り抜ける。続いて、やや甘さを感じるスープの味が口の中に広がっていく。あれ? 俺はこれを食ったことがある。ずっと遠い昔。まだ、俺がガキだった頃。
「ハンノ。ゆっくり食べなさい。慌てなくてもまだたくさんあるんだ」
「うん、父さん」
ハンノ! 俺の名だ。そして、そして、この食べ物を作ってくれたのは父さん。夢中で残りをかきこむうちに両目から涙があふれてくる。涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら食べ、そして失った記憶を取り戻していた。人生で一番幸せだった頃のこと。父・母、そして妹……。あれほど禁じられていたのに一人で舟に乗ってしまい、流されて滝から落ちてしまった小さく愚かな自分。
ガズハは目の前の勇者が食べ始めるなり、涙を流しだしたことに驚いていた。そんなに香辛料効かせたっけな? それともあまりのうまさに感動しているのか? うはは。やはり私はカーシャ作りの天才なのかもしらん。勇者すら味の虜にしてしまうとは自分の才能が怖い。
ハンノが顔を上げると、宙を見上げ、にやにや笑っているガズハの間抜け面が見えた。この顔は……父さん。食事を作って、うまいと言われるたびに見せていた顔だ。記憶の中よりだいぶ年を取っており、シャープさを欠いていたが、父に間違いは無かった。
「父さん……」
あれ? 今、この勇者、とおさんと言った? 通さんって言われてもなあ。あまりのうまさに時が戻っちゃって、まだ戦ってるつもりになってるとか。やだなー。泣きながら、そんなこと言ってもね。もう、武器も無いんだしさ。ね、もうやめよ。そんなに泣いてまるで子供みたいだな。さっきまで無表情だったのに、こうやって感情むき出しにすると、まだガキじゃねえか。
「ごめんなさい。父さん。言いつけを守らなくて。ごめんなさい」
ハンノは15年の時を戻って、泣きながら謝っていた。日が暮れても遊び歩いていたとき、夜遅くまでこっそり起きていたのがバレたとき、手を洗わず食事をしたとき、いつも謝っていると母さんがとりなしてくれた。たった3カ月だったけど充実した子供時代。
異様な雰囲気を感じて、シャーナとドゥボローがガズハの側にやってくる。泣きじゃくりながら謝る勇者とぼんやりとした表情で立つガズハ。
「ハンノなのか?」
ついにその名をガズハが口にする。そのせいでシーリアを失う遠因を作った、3カ月だけ自分の子供だった5歳の男の子。いや、その怒りを向けてはいかん。シーリアと約束したんだ。あの時のシーリアの言葉は守る。もし、あの子が戻ってきたら、叱らずに抱きしめてやってください。私の分まで。
「この馬鹿息子。今まで何をしていたんだ。心配したんだぞ」
「坊ちゃま」
ドゥボローの口から言葉が漏れた。ドゥボローがガズハと暮らし始めたのは、シーリアの死後、シャーナの世話で大変なガズハの手助けをするようになってからだ。だから、ハンノはドゥボローのことを良く覚えていないが、ドゥボローは5歳の男の子のことを良く知っていた。
ハンノって、お兄ちゃん? 自分にはお兄ちゃんが居て、ある日行方が分からなくなったということは、後にミストから聞いていた。その当時はまだ小さくてよく覚えていないが、言われれば兄が居たような気もする。シャーナが聞かされた兄の名がハンノだった。え、うそでしょ。なんでお兄ちゃんが勇者なんてやってるのよ。
ハンノは涙に濡れた目で父に訴える。
「もう一度だけ、僕を迎え入れてくれないか? 家族としてとは言わない。ただ、仲間として迎え入れて欲しいんだ」
「ばーか。何が仲間だよ。お前は今でも俺の子だよ。とんでもねえ放蕩息子だ。15年も顔を見せないな」
一呼吸おいて、ガズハはハンノに言う。
「お帰りハンノ」
うーむ。まさか、こんな展開を迎えるとは。ガズハは、嬉々として残りのカーシャを食べている息子を見ながら考える。まあ、しかし、あれだ。これでハンノが生きてる限りは、新たな勇者は現れんわけだ。以前、星の旅人シンハと交わした会話を思い出す。
「勇者が存在する間に、新たな勇者は覚醒するのかな?」
「どうだろうね」
「頼むよ。はぐらかさないでくれ」
「僕にも正確なところは分からないのだよ。僕は単なる観察者だからね」
「観測の結果から論理を推察することができると言ったのは君ではないか」
「ハハハ。なら、僕の推論を教えてあげよう。勇者はその死によって直ちに転生する。役目を終えたなら赤子に、そうでなければ成人に。勇者が勇者であり続ける限り新たな勇者は生まれない」
ということで、倒した勇者をどうするかという一番やっかいな問題は解決した。最悪、半殺しにして魔法で生き長らえさせるということも考えていたんだが、そんなことはせずとも済みそうだ。まあ、今後グレたりしたらやっかいだけどな。揉めるとしたら、嫁さん選びとか、ハンノの子供、つまりは俺の孫の教育方針とかか?嫁もおらんのだし、当面は大丈夫だろう。
今度カウォーンに息子つれて乗り込んでみるかな。ピジャの奴、驚愕のあまり死んだりして。けけけ。色々と画策した罰だな。これで俺も寿命全うできそうだし、ビクビクしながら心配する必要もなくなったから、めでたしめでたしだ。まあ、これからも色々と片付けなきゃならんことはあるが、今は考えるのをよそう。
いやあ、良かった良かった。シャーナも兄に再会できてあんなに嬉しそうだし。
ガズハの視線の先で喜びを爆発させているシャーナ。ハンノと自分がガズハのもらわれ子であること、つまり自分とガズハの血のつながりがないことを知っての喜びである。さすがに実の父に恋い焦がれるのは自分でもどうかと思わないでもなかったが、養子ということなら問題ない。いまや恋の障壁は、日光を浴びた朝もやのように消え去った。もはや迷いはない。ただ前進あるのみ!
恋する乙女の熱い思い、知らず知らずのうちに神の力に対抗できる加護を与えるほどの熱烈なシャーナの愛情を、ガズハはまだ知らない。
隠居魔王の成り行き勇者討伐 倒した勇者達が仲間になりたそうにこちらを見ている! 新巻へもん @shakesama
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