最終話 見果てぬ夢の巻
とうとう恵伝学園との二度目の試合の時が来た。九人と、今度は監督の博多も加えて恵伝学園に乗り込んだ。この試合に轟々学園が勝てば、前回恵伝学園生徒にはたらいた紺野の狼藉が不問となる。負ければ問題行動の責任を取り、轟々学園野球部は廃部となることが決まっている。勝っても素晴らしいことが待っているわけではない。しかし負けるわけにはいかない。そのための三ヶ月であった。
既に轟々学園の十人はグラウンドに着いていた。恵伝学園の二十数名の野球部員も来ている。今日はブラスバンドも応援団もいなかった。チアガールなんか入れようものなら、また紺野が祓い串を振り回して大暴れするに決まっている。それは双方望まないことだった。ここにいるのは野球の関係者だけだ。
「ぼっちゃん……」
相手チームをじっと見つめていた博多が、空山に声をかける。
「はい」
「恵伝の最強選手は誰だ?」
「山村漢太郎という二年の選手がいます。守備はそこそこですが、バッティングはプロ級と言われてますね」
「どの選手だ?」
「あそこ、大きいのがいるでしょ。後ろ向いている……あれです」
「むう……」
博多が唸る。
「ただ、スタメンじゃないようです。恐らく代打で、ここぞという時に出てくるんじゃないかと」
「むむむむ……タギってきた」
「タギるなっ!」
「いい腰つきをしている。あれぞまさに胸騒ぎの……」
「野球のこと考えて下さいっ!」
「分かっとるよ。心配するな」
両チームが集まり、挨拶を交わし。いよいよプレーボール。先行は轟々学園。一回表。紺野、板東、林と打席に立ったが、いずれも三振であっけなくスリーアウト。
「恵伝のピッチャーは優秀だ。しかも一人だけじゃないしな……」
博多がぼやく。攻守交代で一回裏。恵伝学園の攻撃。ピッチャーは鳥居。とにかく他にピッチャーはいないので、前のように全力で投げて三回程度で崩れるわけにはいかない。コントロールを生かし、相手に打たせて取る戦法。幸いこの三ヶ月でこちらの守備力は結構増している。前のように暴投や落球を繰り返す状態ではなかった。ただ、二階堂はやはりボールに負けるし、空山がよくトンネルをする。恵伝学園の攻撃も三人で終わった。
「あとは打ってさえくれれば……」
鳥居はそう思うが、何しろ打てない。三振の度に博多監督を見るが、博多は特に心配していない様子だった。
「監督、どうすれば打てるんでしょう?」
鳥居はそう訊くが、博多は腕を組んで、じっとグラウンド内を見つめたままだ。
「鳥居君、心配するな。今に打てるようになる。相手ピッチャーも疲れてくるしな」
ということは自分の方も疲れてくるのだ。早く点を取ってもらって、少しは気が楽になりたい。
ほとんど膠着状態のまま、六回までが終わった。七回表も轟々学園は点が取れない。この辺りで鳥居の心に不安がよぎった。腕に若干の違和感がある。あと三回だ。しかし三回持つのだろうか。鳥居は嫌な予感を振り払う。
七回裏。やはり打たせて取る作戦を取ったが、鳥居の球威がやや落ちていた。そして相手のヒットを許してしまった。ただのヒットならここまででもいくつかあった。ただそれは全て守備のミスで、次で打たせてアウトにしたり、三振を取ったりするのはそう難しくはなかった。今回は違う。レフト方向に打ったボールには勢いがあり、板東の守備も間に合わなかった。動揺が顔に出たのか、尾大が駆け寄ってくる。
「鳥居君、ドンマイっス」
「ちょっと疲れてきたかな……」
腕に違和感があるなどと言うと、尾大も動揺してしまう。
「落ち着いて投げれば大丈夫っス。コントロールは悪くないっスよ」
「うん」
次のバッターではコントロールを心がけて投げたが、さんざんボールを選ばれ、結局また長打気味のライト前ヒットになった。鳥居の息が上がってくる。博多監督の方を見る。博多は相手のベンチをじっと見ている。そうだ、まだ強打者山村漢太郎が出てこない。ここで出てきたら危ない。
しかし、山村は出てこなかった。出るまでもなかった。鳥居は二塁打を浴びて、とうとう相手に二点が入ってしまった。そしてまだノーアウト、ランナーが二塁に一人。この後、アウト一つを取ったが、ヒットを二本許し、さらに一点が追加。鳥居は渾身の力で投げ、どうにか二人を三振に取り、やっとスリーアウト。三対ゼロ。もうこちらも点を取ってもらわないと困る。
八回表。バッターは小泉。小泉は鳥居のところに来た。
「大丈夫。今度こそ本気を出します」
「今まで本気じゃなかったのか」
「そんなことないです。宇宙の力を信じて」
小泉は自称宇宙人だ。バッターボックスに入ったが、まもなく頭を抱えてうずくまった。
「おおおお電波がっ、我が星の母船からの電波がキターっ!」
それを見てさすがに空山が怒る。
「何やってんだ! 電波に気を取られるな。集中しろっ!」
「集中しますうううう!」
どうにか立ち上がったが、集中できるはずもなく三振。鳥居のところに来て頭を下げた。
「面目ないです」
これには紺野が怒る。
「面目ないじゃねえっ! 出すもの出せっ!」
「何を出せと……やおい穴は出しませんよ」
「出すのはいつか? 今だろ!」
「だって出しちゃってこの先試合に集中できますか?」
「うむっ……」
これで紺野は黙ってしまう。次のバッターは二階堂。これには博多が声援を送る。
「タジオーっ、打てーっ!」
前々からタジオとは何なのかと思ってた人も、一度ぐらいは検索したであろう。特に誰もツッコまない。二階堂はうなずきつつバッターボックスに入る。ボールが来るとちゃんとタイミング良くバットを振る。しかしボールに当たることなく、ふらついて空振りを繰り返し、とうとう三振。どうにもおかしい。ベンチに戻って来て苦笑しつつ言う。
「いやあ、バットの空気抵抗でふらついちゃいまして……」
これにはさすがに板東も怒る。
「ひ、ひ、ひががくでき(非科学的)過ぎるどっ!」
博多も顔をしかめている。
「かもしれんが、しかし、これは二階堂君が悪いのではない。二階堂君をとりまく環境が悪いのだ」
「そんだばかな! ごじんのまばり(周り)だけぶづりでいずう(物理定数)がごどなどぅ(異なる)だんでな……」
そう言いつつ二階堂を見るが、二階堂が申し訳なさそうな上目使いで板東を見ていたため、板東もテンションが落ちてしまう。
「……ま、まあしょうがない。二階堂ちゃんはわるぐないよ……」
空山が面白くなさそうに舌打ち。一点も返さないうち、もうツーアウトだ。鳥居は頭を抱える。次のバッターは尾大。尾大は鳥居の肩に手を乗せる。
「大丈夫。ホームラン狙うっス」
「頼む……」
祈るような気持ちだ。せめて一点でも返してほしい。尾大は見事に打ったが、ホームランではなかった。ツーベースヒット。しかし次の打順は鳥居である。代打がいれば出したい。しかし轟々学園野球部は九人しかいないので、鳥居が出るしかない。バットを手に、バッターボックスに入った。ツーアウトでは送りバントもできない。歯を食いしばり、バットを振るも、無念の三振。スリーアウトチェンジ。鳥居はその場に座り込む。空山が駆け寄ってきた。
「鳥居君……」
「……」
「辛いだろうが、がんばってくれ。俺もがんばる」
鳥居はうなずいた。
八回裏の恵伝学園の攻撃。鳥居はもはや投球が優れない。しかし、最初のバッターがショート前のゴロ。ショートは空山。
「まかせろ!」
しかし、またも無念のトンネルで、ボールは後ろに抜けてヒットになった。
「空山部長……一度も捕ってない……」
気力が萎えそうなところ、尾大に慰められ、鳥居は再び投球。次のバッター、二ベースヒット。一点追加。四対ゼロ。重すぎる。次のバッターもヒットで五対ゼロ。鳥居はがっくりを膝をついた。
「もう無理っス!」
尾大が叫んで、ベンチの方を見た。博多はいなかった。
「あれ? 監督は?」
監督不在だが、もう鳥居は無理なので、とにかくどうにかしないといけない。全員がピッチャーマウンドに集まった。
「おーい無理すんなよー。試合放棄しちゃえよー」
恵伝のベンチからそんなヤジが飛んでいる。空山は全員を見渡し、六角と目があった。
「やはり俺ですか」
「頼むぞ」
ピッチャーは六角に交代。早速空山が暗示をかける。
「剛速球のピッチングマシン!」
六角の目つきが変化した。深くうなずき、早速ピッチャーマウンドに立つ。鳥居はセカンドに変わったが、どうにか立っている状態。まさかまた六角がバカみたいなことにならなければいいがと思ったが、それはなかった。速球で次々に相手バッターを三振に打ち取り、あっけなくスリーアウト。
「よかった……これでとりあえず追加点はない」
空山は安堵するが、次はもう九回。こちらが点を取らない限り、このまま負けてしまう。
九回表。空山は博多を探したが、どこにも見えない。
「どうしたんだこんな大事な時に……」
いらだつが、試合を続けないわけにはいかない。五対ゼロ……なんという点差だろうか。ここから逆転なんてほとんど不可能ではないか。最初のバッターは紺野。
「紺野……」
空山が声をかけるが、紺野は舌打ちする。
「分かってるよ部長。絶対打てだろ。そんな深刻な顔すんなよ!」
「頼むぞ」
紺野はバッターボックスに入って叫んだ。
「絶対にぶちかましてやる。今こそ俺の必殺技だ!」
それを聞いた鳥居に嫌な予感がわき上がる。まさか? そう、そのまさかだった。紺野は股間にバットを挟んだ。
「紺野先輩! 冗談やってる場合じゃありません!」
「冗談じゃねえよ。俺は本気だタワシ野郎!」
相手サイドはもちろん爆笑。
「だーっひゃっひゃっひゃっ! まーたやってやがるあのバーカ!」
これには紺野が怒る。
「黙れクズども! 三ヶ月前とは股間のデキが違うんだ!」
鳥居はその場に崩れそうになる。もちろん相手の笑いは収まらない。相手ピッチャーまで腹を抱えて笑っている。紺野は本気で怒鳴る。
「さあ、来いやぁ!」
「あはははは……じゃ、いきますよ」
ピッチャー、気が抜けたボールを放った。その瞬間、紺野はすかさずバットを手に持ち替えた。ピッチャーがしまったという顔になるがもう遅い。紺野はフルスイングでボールを叩き、レフト前に見事に飛ばした。ヒットだ。ノーアウト一塁。でも相手はまだ余裕で、ピッチャーも苦笑して頭などを掻いている。次のバッター、板東。板東は黙ってバッターボックスに入り、黙ってバットを構えた。
ピッチャーが気を取り直して投げた初球を叩く。ライト方向に抜ける。紺野はセカンドへ。ライトが捕る。セカンド間に合わず、ファーストに送る。
「おどりゃどるなあ! 呪われるど! たたられるど! ただりじゃあ!」
「えっ?」
ファースト、一瞬判断が鈍り、キャッチするはずのボールを弾いてしまって、セーフ。捕ったからって祟られるわけはない。ファーストは苦笑。
「ちきしょう……セコい手だな」
ランナー一、二塁。でもまだ点も入っていないし余裕である。次のバッターは林。バッターボックスに入るなり、キャッチャーに声をかける。
「久しぶりだね」
「さっきも会ったでしょ……また謎かけでもやるんですか?」
「やらない。もう早く試合を終わらせたい。君は明日デートか?」
「カノジョなんかいませんよ」
「簡単にカノジョを作る方法、知りたくないか?」
「ええっ? ナンパとかダメっすよ。最近の子、気が強いから」
「君を頼りにし、どこへでも君について従う、従順なカノジョさ」
「えー、教えて下さい」
「次のボール、ストレートど真ん中な」
キャッチャーはバカ正直に、ピッチャーにストレートのサインを出し、ど真ん中に投げさせた。林は思い切り打って三遊間を抜けるヒット。満塁になった。慌てたキャッチャーに、ファーストにいる林から声がかかる。
「あのさあ、犬を飼って、『カノジョ』って名前つけな!」
「ふざけんなーっ!」
満塁になり、五点差とはいえ、相手も焦り始める。ピッチャーマウンドに全員集まって何か打ち合わせている。次のバッターは空山だが、姿が見えない。鳥居の姿もない。二人はグラウンドの倉庫の物陰の、他の人から見えないところにいた。
「何ですか部長、急な話って?」
空山の表情は暗い。
「俺はここまで……何の活躍もできていない」
「でも、みんなを指示してくれてますよ……自信持って下さい」
「指示なんかよりも、俺は力がほしい。ここ一番という時、活躍できる力が。野球ってそんなもんじゃないか?」
「でも……俺に何かできることは……」
「ある……俺を、抱きしめてくれ」
「ええっ!」
鳥居は驚いた。言われたことよりも、今? ここで? ということ。
「で、でもなんでそんな……」
「君への想いが本物なら、そこまでしてくれた君のため、俺は必ず打つ」
鳥居は空山を見つめる。そうやって自分を追い込んでいるのだ。もしかしたら……鳥居の両腕が自然と伸び、空山を抱きしめた。
「ありがとう……」
そして二人はベンチに戻った。二階堂が声をかける。
「どうしたんです? 秘密の作戦会議ですか?」
「ん? まあそんなとこだ」
空山はそう言って、バットを持ち、バッターボックスに入った。満塁。ここで打たなければ、鳥居への想いは本物ではない。ピッチャーが投球。空山は思い切り振ったが空振り。二球目。これも思い切り振って空振り。
「部長、リキみ過ぎっス!」
尾大が声をかける。ダメだ……鳥居は思った。空山は完全に熱くなっている。これでは打てない。その時、周囲がいきなり暗くなった。太陽が雲に隠れたらしい。涼しい風が吹いた。空山は何度か瞬きをする。風が冷静さを呼んだ。三球目。空山は思い切り振って、見事に当たった。ボールは高く上がり、フェンスの外へ。ホームランだ。
「うおおおおおっ!」
空山は腕を高く上げ叫んだ。走者一掃の満塁ホームラン。塁を回ってホームに戻ってきた空山と鳥居の目が合った。空山は微笑みかける。その口がありがとうと言っていた。その瞬間、鳥居の心に何かが灯った。もしや……自分も空山を好きになってしまったのでは……鳥居は自分の顔が火照るのが分かった。ああ自分までこの世界に入ったら、この野球部はBL野球軍ではないか。これでいいのか? これは運命なのか? 鳥居はまたもメタフィクションのようなことを考える。もしも自分が物語の一員であり、これが運命というのなら、この物語のタイトルは『BL野球軍』となっているであろう。
五対四。わずか一点差に詰め寄った。次のバッターは六角。しかし、六角は固まったままベンチから動かない。尾大が声をかける。
「六角先輩、出番っス」
「俺は剛速球マシンだ」
「しまった……」
目が据わっていて、まだピッチャーの暗示のままだった。空山が来て慌てて解除する。
「六角、ストップだ」
六角は緊張を解き、ため息をつく。
「ふう……いや疲れた……いかがでしたか?」
「ピッチングはパーフェクト! ……ちょっと申し訳ないんだが、もう一度別の機械になってくれ。六角、ピッチャーからの投球をかっ飛ばす最強打撃マシン!」
割と具体的なその指示を聞き、六角の目つきが変わった。再び機械モードになる。黙って立ち上がり、バットを持ってバッターボックスへ。
「ぜひ同点弾を頼むっス」
尾大も祈っている。ピッチャーからの初球、六角は最強打撃にてぶっ叩いた。ただし、ボールは真上に上がっていった。全員が上を見ているが、ボールはすぐ見えなくなった。一分近く経ってボールが落ちてきたが、ピッチャーがあっけなく捕った。ピッチャーフライでアウト。ワンナウトだ。
しかし、ほとんどの人は再び上空を見上げ、何かを見続けている。ボールを追って空を見た時に、普通でないものが見えた。それは太陽のあった方向。空山が打席の時に太陽を隠したのは黒い巨大な影。雲かと思われたそれは明らかに雲ではなかった。きれいな円形をしていた。
「何だあれば……」
空山がつぶやく。次のバッターは小泉。バットを持ってバッターボックスへ。その時、黒い影のような円盤が近づき、グラウンドの上空を覆った。辺りはかなり暗くなった。その場の全員がどよめく。しばらくして、黒い円盤の底に、イルミネーションのような光が次々と灯り、何か生物の声のようなものが辺りに響いた。
「×○×※△□×□!」
そして、それに応えたのは小泉だった。上空の円盤に向かって叫ぶ。
「△○×□※×△□、○□×※□!」
しばらくそのやりとりが続き、やがて静かになった。空山が声をかける。
「小泉、何だあれは?」
「私どもの母船です。私を迎えにきました」
「ええっ! じゃあ本当に宇宙人?」
「私は帰らなければなりません」
「ちょっと待てい」
そう叫んだのは紺野だ。
「帰る前にやおい穴見せろ!」
「まだ試合は終わってません。母船にもそう言いました。私は今まで地球人として過ごしてきましたが、せめて地球のスポーツでいい思い出を残していきたい。ここまで一度も打てませんでしたが、最後にもう一度、打ってみたい。私は最後のチャンスがほしい!」
そう言って、バットを構えた。円盤は何の反応もせず見守っている。試合続行。ピッチャーが投球。小泉はバットを振って、それは見事に当たった。レフト方向に高く上がるが、守備は追いつきそうもない。
「やったぞ!」
誰もがそう叫んだその瞬間。円盤から何やら光線が出て、ボールを照射した。ボールはそのまま浮遊し、フェンス外まで誘導された。
「×○△×□※△!」
円盤からのそんな声が響いたが、小泉が腕を振り上げて円盤に抗議する。
「ホームランじゃないですよっ! 何やってんですかっ!」
そして審判のほうを見る。反則でアウトという判断。抗議は覆らない。
「だあああああ!」
小泉が思い切り嘆く。
「△○×※、△○×※、×○○※□」
そんな声がして、円盤が去っていった。
「なんつったんだ?」
空山が小泉に訊く。
「ごめん、ごめん、あとでまた来る、だそうです」
ツーアウトになってしまった。五対四。一点差とはいえ、このまま、あ
とアウト一つ取られたら負けが決定となる。バッターは二階堂。
「ううう……」
空山が呻く。さっきの打席では、空気抵抗にすら負けてボールに当たりもしなかった。期待できない。応援していた博多の姿も見えない。しかし、手を組み合わせ、涙ぐんで見つめている者がいた。板東だった。
「二階堂ちゃん……こごで、こごでがつやくしてほしい。応援じでるよ。ぐい(悔い)のないようにな!」
二階堂はそんな板東に、微笑みを返す。
「分かりました。全力で行きます!」
二階堂はバッターボックスに入って、バットを構えた。ピッチャーからの投球。二階堂は渾身の力でバットを振った。しかしボールは前方十センチぐらいしか飛ばなかった。その代わり二階堂の方が高く飛んでしまった。しかし、飛んだ方向は一塁前。着地するとそのまま走っていった。気がついたキャッチャーが慌ててボールを拾って一塁に送球したがセーフ。ツーアウトランナー一塁。ついに同点のランナーが塁に出た。
「おおーっ!」
板東が喜んで手を叩く。
「ごうなりゃもうひががぐでき(非科学的)でもだんでも(何でも)いいーっ! よぐやっだ!」
空山が苦笑する。
「命長らえたな」
次のバッターは尾大。
「ごっつあんです!」
バッターボックスに入る。四点取られた上、今の二階堂の出塁で、相手ピッチャーはかなり動揺していた。投球が甘くなる。それを見逃す尾大ではなかった。
「もらったっス!」
尾大の打撃は高く上がり、フェンスを越えた。文句なしの逆転二ランホームラン。五対六。相手ピッチャーは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
それから相手ピッチャーの交代が告げられたが。次のバッターは鳥居。投球で疲れ果てた鳥居はバットを持っているのがやっとで、振ることもできず三振に倒れた。スリーアウトチェンジ。残すは九回裏。これを無失点で守り切れば、轟々学園は悲願の勝利となる。しかし二点入ればサヨナラ負け。一点入って同点でも、延長になれば、もう体力は残っていない。
九回裏。ピッチャーは六角……のはずだったがベンチから動かない。
「俺は最強打撃マシンだ」
「そうだった。六角、ストップだ」
そう言うと六角は緊張が解け、ベンチの上にくたばった。
「はあー……いかがでしたか?」
「お疲れのところ申し訳ないが、もう一度だけ」
「ええっ?」
「部長……もう六角先輩疲れてるっス。何かかわいそうっス」
尾大がそう言うが、空山は顔をしかめる。
「そうも言ってられないだろ。この回さえ守れば勝てるんだ。あと一回だけだ! 六角、再び剛速球のピッチングマシン!」
六角の目つきが変わり、黙って立ち上がった。そのままピッチャーマウンドに向かっていく。鳥居の心に不安がよぎる。いくら暗示が強力でも体力的に相当無理をしている。この回を守りきれるだろうか。
ピッチャー六角、一人目のバッターは速球で三振にしとめた。二人目のバッターも速球で三振。しかし、球威が落ちているのがセカンドにいる鳥居には分かった。
「まずい……」
他の人は気づいていないのだろうか。空山を始め、みんな素直に喜んでいる。
「やったーツーアウトツーアウト! あと一人だーっ!」
尾大の表情は、キャッチャーマスクの向こうでよく見えないが、多分気づいているはずだ。三人目のバッター、初級の尾大の投球指示は外角高め。球威が落ちた分、コントロールで何とかしようとしている。しかし、六角は指示には従わず、ひたすら自分が剛速球と思える球を前方に投げるだけだった。もちろん打たれる。二本のヒットを浴び、同点のランナーと逆転のランナーを出してしまった。次のバッターには、打たれることはなかった。球威どころか、コントロールも落ちていて、フォアボールを出してしまった。ツーアウト、満塁。
「もう無理っス!」
尾大がキャッチャーマスクを取って叫ぶ。同時に、六角の足がふらつき、その場に倒れそうになる。尾大が慌てて駆け寄り、ひざが折れて地面に倒れる寸前で抱き取った。
「六角先輩! 六角先輩!」
尾大は半泣きだった。全員がピッチャーマウンドに駆け寄る。空山が声をかけた。
「もういい。六角、ストップだ」
尾大の腕の中で、六角の目に光が戻る。
「ああ、えらい疲れました……いかがでしたか?」
「もういい、あとアウト一つだが、よくやった。もういいんだ」
その時、代打が告げられた。代打、恵伝学園の最強打者、山村漢太郎。山村はバットを二、三本まとめて振り回しつつバッターボックスに入ってきて、一本を残して投げ捨てた。ピッチャーの方を見て、にやにや笑っている。
「おい、もうピッチャーできるヤツいないんだろ? まあ、ここまでよくやったな」
全員、黙って山村をにらむ。
「もう試合放棄しちゃえよ。俺はどんな球でも打てる。無理すんなよ。負けたら廃部だっけ? 気の毒だけどもう終わりだな。いろいろ面白いことやってくれたがよ、狂気の野球部もここで終わりってもんだ」
空山が立ち上がり、山村に指を突きつける。
「いいかよく聞け、俺達は、試合に勝つためにここに来ている。この試合に勝つことが、俺達のあるべき姿だ。狂気の野球部だと? ふざけるな! 俺達は確かに狂気の野球部かもしれない。しかし、本当にどうしようもない狂気とは、あるべき姿のために戦わないことだ!」
鳥居はそれを聞いて驚く。なんとカッコイイ空山部長。何という名セリフ! しかし、山村は鼻で笑った。
「そのセリフ、パクリだろ。俺もそのミュージカル見たよ」
「うるせーなっ! パクリだって何だっていーじゃねーかっ!」
そして空山は叫んだ。
「ピッチャー、二階堂!」
「ええーっ!」
二階堂本人を含め全員が驚く。鳥居には意図が分かった。でも、これは賭けだ。
「本当に、俺でいいんですか?」
「いつも通り投げればいい」
山村も困惑している。
「投げられるのか、そいつ」
そして二階堂がピッチャーマウンドに。六角はセカンドに戻るも、ふらつきつつどうにか立っているだけで、守備は恐らくできない。鳥居もセンターに入ったが、ボールが来ても捕ることができるか分からない。
二階堂、第一球。投げて少しして、山村はバットを思い切り振ったが、まだボールはキャッチャーまでの半分も来ていない。
「え、ええ? ……嘘だろ?」
山村は超スローボールのタイミングでバットを振ったつもりなのだが、二階堂の投げた球はさらにそれ以下で、重力を無視してゆっくりと浮遊しつつキャッチャーに向かってくる。山村は指さして抗議する。
「何だよあれは! なんであのボール落ちないんだ!」
二階堂が苦笑しつつ、頭を掻きながら言う。
「俺、力ないからボールのスピード遅いんです」
「いや、そういうことじゃなくて……」
ボールがキャッチャーミットに収まった。振ってしまったのでワンストライク。
「そのボール、調べさせろ!」
山村は尾大からボールを奪って調べたが、異常はなかった。念のためボールを替えた。
「よく見て行け!」
恵伝学園のベンチから声がかかる。
「分かってるよ」
山村はバットを構えた。二階堂からの二球目。同じようにゆっくりと浮遊して迫ってきた。あまりに遅い。緊張を持続させるのが難しい。しかしじっくり引きつけ、ここぞと言うところで思い切り振った。しかし、ボールのすぐ下をバットが通過し空振り。ツーストライク。
「くそっ!」
山村は後ろを向いて考え込んだ。どうしても重力の法則でボールが下に落ちるものと思ってしまい、やや下を狙ってしまう。
「よし、分かったぞ!」
山村は自分でうなずきつつ言った。山村は相当なバッターだ。同じボール三度は通用しないだろうと鳥居は思った。次はきっと打たれる。
「いいぞー! あとストライク一つだ!」
「二階堂ちゃんがんばでー!」
「勝手にバット振って勝ってしまおうぜーいやもう大変なんすからー」
鳥居は祈るしかなかった。二階堂、三球目。同じような重力無視のスローボール。山村は微笑していた。これはまずい……鳥居は思った。
「打たれます! 気をつけて!」
鳥居は叫んだ。せっぱ詰まった声なので、さすがに全員に緊張が走った。山村、じっくり待って、今度はボールと同じ高さを思い切り叩いた。強い金属音が響く。タイミングとしてはやや待ち過ぎ、ボールはファーストの紺野の方向にまっすぐ飛んでいった。ライナーだ。低い。そして抜けたら終わりだ。しかし、抜けることはなかった。ファーストミットで捕球しているわけでもなかった。紺野は股間で捕球していた。かなりの衝撃を受け、脂汗を垂らして真っ赤だったが、顔は笑っていた。
「だから言ったろ……三ヶ月前とはデキが違うってな!」
山村は呆然としてた。スリーアウト、試合終了。轟々学園、悲願の勝利であった。
「やったーっ!」
空山が腕を高く上げて叫ぶ。全員が集まっていた。まるで大会に優勝したかのように、涙を流している者もいた。恵伝学園のベンチは、ほとんどなぜ負けたのか分からないという顔をしている。しかし、負けは負けなのである。
ベンチに戻り、帰り支度をしていると、前と同じように相手のキャプテンが手紙を持ってやってってきた。
「そちらが勝ちましたので、お約束通り、紺野選手の狼藉は不問といたします。しかし……」
しかし? ……空山は嫌な予感がして、手紙を開いてみる。今回の試合途中より、轟々学園監督の博多氏が、校舎内に無断で侵入。男子生徒十数名を追いかけ回したあげく、数名に抱きつき、数名にキスをし、数名に卑猥な言葉を浴びせ、その行いはとうてい容認し難い。即刻訴えたいが、ここはまた両校野球部の発展を願い。再び三ヶ月後に野球の試合によって決定するものとする。今度は恵伝学園も本気を出すので、覚悟されたい……空山は開いた口がふさがらない。見ると、いつの間にか博多が戻ってきた。満面の笑みであった。
「勝ったんだってな。おめでとう! いやーしかし、恵伝学園の男子生徒はメンコイ子ばかりじゃのうハッハッハ」
空山は立ち上がり、帽子を思い切り地面に叩きつけた。
「ふっざけんじゃねーよっ!」
かくして、また三ヶ月後に向けて走るしかなくなったのである。
(終わり)
BL野球軍 またはルールすらおぼつかない野球部員たちによる死闘のようなもの 紀ノ川 つかさ @tsukasa_kinokawa
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