エロマンガを電子書籍で買う派

成井露丸

エロマンガを電子書籍で買う派

 ――私はエロマンガを電子書籍で買う派だ。


 あなたは問うだろう「推しているのか、電子書籍を?」と。否、此れは自らの購買行動の告白であり、それ以上の意図は無い。

 私がエロマンガを購入する時、平たいまな板のようなiPad Proの艶やかな画面の上を、私の人差し指が滑る。滑る。滑る。滑る。そして、押す。ブラウザ上に現れた仮想的な突起物たるそれは、私の右手人差し指に押され、その表情を変える。クリック。そう、クリック。その赤色の突起物は、私の右指先でコリコリと転がされる。いや、転がらない。なぜならその突起物もやはり仮想的な存在だからだ。


 いいではないか。電子書籍。それは仮想的なものだ。それを購入する行為もまた、仮想的であって何が悪いのか。私が押したその仮想的な突起物は、再び仮想的な買い物かごに、その私が求めるエロマンガを挿入していく。挿入していくのだ。

 しかし、ここでも、私は、気付いてしまう。その買い物かごへの「存在」の移行さえもやはり、仮想的な移行に過ぎないのだと。

 DMM.co.jpと書かれたURL。おっと、最近、このサイトは名称を変えたのだっけな。まぁ、あまり、名称は重要ではなかろう。我々が情報を消費するサイトの名称に意味はない。私の躰を流れる情報が不変であれば、WEBサイトの名前など、蜃気楼のようなものなのだ。

 つまり、そのURLの右上の買い物かごの画像の上に数字の1が立ち、2が立つ。結局は、それだけのこと。数字の変化なのだ。書籍という実在の移動はそこには伴われない。


 我々は情報に踊らされる猿として、この世界の礎石をなしているのだ。礎石ならばまだよいかもしれない。我々の存在など、社会の歯車ですらなく、息子が夏の自由研究の工作で作るボートの模型に載せる、タミヤのギヤボックスキットに入れられた歯車の上に塗布されるグリス程度の存在なのかもしれない。猿グリス。そんな犠牲サクリファイス


 しかし、私は紙の書籍が好きだ。紙の書籍は良い。単行本も文庫本もだ。

 アマチュアWEB作家は書籍化を志す。私の独自の妄想に基づく調査によると、アマチュアWEB作家が「私も作品を書籍化したいです」と言う時、その優に95%が自らの書いた物語が紙媒体の書籍になることを望んでいるのだ。電子書籍ではない。物質は仮想を超える。原子は電子を超える。

 その気持ちは分かる。電子書籍では味気ない。紙の書籍だからこそ感じられる重みがある。

 斯くいう私も、普通の漫画、文芸作品、ライトノベル、雑誌、専門書、学術書、などなど、ありとあらゆる作品を紙の書籍で買う。一部、洋書のように海外から取り寄せ難いものに関しては、Kindleを使って電子書籍を買うが、それは私にとって極めて例外的な購買行動だ。


 紙の書籍は良い。神々しいじゃないか。

 まぁ、紙だけにね。まぁ、神だけにね。

 幸魂奇魂さきみたま くしみたま守給幸給まもりたまえ さきはえたまえ

 書籍化というのは、ある種の神格化を含む。そして、神になった瞬間、それは殺戮の対象にもなる。神殺しだ。十拳剣とつかのつるぎを持って、読者はやってくる。アマチュアWEB作家には優しくても、書籍化作家にはあからさまな羨望と、あからさまな嫉妬が襲いかかる。神は父に喩えられる。それならば、エディプスコンプレックスにも繋がるのかもしれない。そう、だから、僕は、エロマンガを電子書籍で買うのだ。そして、文芸作品は手に馴染む紙の書籍を求めるのだ。


 僕は手元の文庫本を手にとってパラパラと捲る。川上未映子の文章には独特の重さがある。吉本ばななの文章には独特の軽快さがある。村上春樹の文章には独特の羊がいる。村上龍の文章は限りなく透明に近いブルーだ。そういえば、村上龍が訳した「イリュージョン」は良かった。高校生くらいの時に読んだ訳書の中で、ほぼ唯一、僕の心臓に突き刺さった作品だったと思う。それが幻影イリュージョンでなければ。

 しかし、どうだろう。考えてみてほしい。想像してみて欲しい。これら味わい深い文芸作品の数々が、その文章が、電子書籍として、代わり映えのしないフォントで、人生の機微たる凹凸すら感じさせない、真っ平らなiPad Proの上に現れた瞬間を。

 なんなら、Kindleで一回購入してみてほしい。Kindleが嫌ならBook Liveでも構わない。どうだい? 電子書籍で名作を読んでみる。そうすると、その内容すら、文章すら変わって見えるのではないだろうか?

 ないだろうか? いや、ないな。流石に文章は一緒だわ。

 ということは、まぁ、電子書籍で読んでも、そんなに内容は変わらないわけだわ。まぁ、そういうわけで、本は電子書籍で読んでもあんまり変わらないわけだ。でも、なんだ。僕は普通の本は紙の書籍で買う。ただし、エロマンガは電子書籍で買うんだ。便利だからね。


 エロマンガを電子書籍で買う時。僕たちは羞恥心を捨てる。僕たちは世間体を捨てる。そこにあるのは無人のWEBストア。人格を持つ店員の居ない、無人のWEBストアなんだ。もちろん、僕はWEBサービス運営に割かれる労働力を軽視しているわけではない。WEBサービスのメンテや、お客様問い合わせ窓口、その他モロモロに多くの労働力が割かれていることは理解している。しかし、それはあくまでもバックヤードでの出来事。僕が今、この瞬間、こうやってiPad Pro越しに向き合っているアダルトコンテンツ配信サイトは無人なのだ。無人という存在なのだ。君はデータ。

 ただ一枚の白いまな板のiPad Pro。「うーわ、あの店員さん、胸無いな〜。まな板、まな板」などと男子中学生のように、少年犯罪ぎりぎりのセクハラ発言を書店員さんの女子学生アルバイトにする自由度も無く、ただ、私の目の前に存在するのは白いまな板のiPad Pro。それを私の指先は擦る。

 これが、電子の世界への入り口なのだ。


 私がエロマンガを電子書籍として買う時、決済情報がネットワークを駆け抜ける。そこは電子の海、インターネット。

 混信してはならない。NTR本を買ったはずだったのに、BL本であったり、百合本を買ったはずだったのに、人妻モノであったりしてはいけないのだ。

 その通信はまた傍受されてはならない。読書とは高度に個人的で、精神的な営みである。その行為における、読書内容の秘密は最高レベルの機密性で守られなければならない。戦後、日本図書館協会が定めた「図書館の自由に関する宣言」を開いてみよう。その中にも「第3 図書館は利用者の秘密を守る」というものがあるではないか。そう、通信の傍受は、読書の秘密を脅かす。サイトのURLが「http」ではなく「https」であることを確認して、そして前へと進むのだ。

 

 世界は無限に広がっている。この世界の多くが既に電子だ。私達は電子の海に抱かれた魚だ。電子化された世界で電子化された情報を喰らい、僕たちは無限の幻影イリュージョンの中を彷徨うのだ。

 言うのを忘れていた。これから私達が、さらなる深層へと潜っていくためには、私もあなたに伝えておくべきだろう。私が買う、エロマンガの多くはNTRものだ。いわゆる、寝取られものだ。そのことは共有しておきたい。

 何故、私が此れほどまでに偏って、NTRものを購入しているのか、それは私にも分からない。分からないのだ。世界がそう仕向けているとしか言いようが無いのだろう。しかし、きっとこれは偶然では無いのだ。

 第三者機関調査に拠れば、統計的情報がエロマンガとNTRの切っても切れない関係を示唆している。よく見るがよい。特に、同人作家の作品だ。いわゆるアダルトビデオにおける各ジャンルの作品数分布に比べ、同人作家のエロマンガにおいてNTRものの比率が極端に高くなっている事がわかるだろう。

 「これが世界の終わりを表しているのだ」或いは「これがオタクが犯罪者になりやすい傾向を示しているのだ」などと、そう言って地上波のテレビは嘲笑うだろう。そして、その単純な思考をTwitter上の中途半端に意識の高い民衆は嘲笑い返すのだろう。

 しかし、私が問題とするのは、そこではないのだ。では、何かと尋ねられたら、私はそっと右手を掲げるだろう。天を貫くように。気付けば私の右手には天叢雲剣あまのむらくものつるぎが握られていた。この天叢雲剣はApple Pencil の代わりとしても使えるようだ。便利。

 私は天叢雲剣で画面をタップして、クレジットカードのCVCを入力し、決済を完了する。私は、NTRモノのエロマンガを購入したのだ。購入できたのだ。天叢雲剣で!


 画面をタップすると、専用アプリが立ち上がる。そのアプリはWi-Fi接続を介して、物凄い勢いで、今、私が購入したエロマンガをダウンロードしていく。

 これは、エロマンガ。聖書ではない。「このエロマンガが俺の聖書なんだ」ってアイツは言っていた。でも、教えてやる。聖書ではない。このエロマンガには唯一神の導きはない。ただ、あるのは、優れた作家による、物語の中に居る女子高生か、人妻への導きだけだ。


 ――ドキュメント! オープンッ!


 右手の天叢雲剣が唸りを上げる。その剣先がiPad Proに触れた瞬間、それまで単色だった画面は、極彩色の輝きを放つ。そう。タブレットは自発光デバイス。Kindle Paperwhiteとは違うのだ。

 甘い声が君の耳元で囁く。「君は、Kindle Paperwhite なんかで、エロマンガを読もうと思うかい?」答えは否だ。断じて否だ。もし、君がKindle Paperwhiteでエロマンガを読んでいるなら、田舎に帰れ。出直してこい。この決定に例外はない。……って、偉い人が言っていた。

 一般に、僕達が自然界で目にするほとんどの光は反射光だ。森の樹々、美しいあの女性、凸凹の街並み、長く長く続く道程。それら全てが太陽の光を一部吸収し、その残りを跳ね返すことで色合いを見せる反射光なのだ。Kindle Paperwhite の使う電子ペーパーは反射光だ。

 これに対して、自ら光る輝きを自発光という。つい最近まで、私達が見ることが出来る自発光は。そして、太陽の光は神の光り。神は自発光であったのだ。自発光イコール神。神イコール自発光。

 それをテレビは変えたのだ。自発光で映像を見せる脅威のデバイス。そして、現代の神が生まれた。マスメディアという名の神が。八つのチャンネルを持つ、巨大な蛇。TV権力。しかし、インターネットの時代は、放送と通信を融合させ、新しいデバイスとそれを携えた群衆は八つの首を持つ大蛇を斬り殺す。天叢雲剣で。キンキンキンキーン!


 パソコンとインターネットが普及し、YouTube、ニコニコ動画が広がり、みんなが踊ってみて、歌ってみて、YouTuberが生まれて、VTuberが生まれて、神は草の根に広がって。そして、神はどこにでも存在するようになった。

 この国に「オギャー、オギャー」と産声を上げる神の子、――神絵師たち。彼ら、彼女らは自らの剣を筆に変えて、液晶タブレットに向かい合う。もちろんiPad Proだって液晶タブレットの代わりに使える。天叢雲剣が、十拳剣が、彼ら、彼女らの手には握られていた。彼ら、彼女らが生み出す、少女のイラストが、若者たちを従える。ツイートと共に画像を流せば、万単位のリツイートとファボが待っている。電子の網で接続された若者たちが「神だ! 神がやってきた!」と奉る。そして、そのうち一部は、「尊すぎる……」といって死んでいく。いわゆる、尊死だ。


 これが、いま、この国で起きていることなのである。


 そんな、尊い、神絵師の一人のツイッターアカウントをフォローしてみよう。夏が近付く。コミケの季節だ。彼はサークルに所属し、このコミケでも作品を出している。その、作品内容を見て、私たちは知るのだ。「あぁ、それ、R18じゃないか」と。そして知るのだ、神は同人誌にエロマンガを書いていたと。


 神絵師の多くがエロい絵を書く。エロい絵を書いて彼らは神絵師へと育っていく。

 それは練習の時もあれば、本番の時もある。


 iPad Proをスワイプする。私がエロマンガを1ページ捲る時、iPad Proの中を情報が駆け巡る。全ては電子の計算なのだ。夥しい量のビット情報が、そのiPad Pro内部の中央演算装置によって処理されていく。ユーザを待たせる事は出来ない、遅延は許されない。電子達は走り出し、CPUのARMv8-Aは僕のスワイプに応えようと、必死に白いまな板の上に演算結果を吐き出していく。白いまな板というのはあくまでiPad Proを形容しているのであって、決してエロマンガの中の女性キャラクターの胸の形を形容しているのではない。それは、巨乳だ。ただし、私は巨乳に興味はない。私が興味を示すのはクビレだ。

 ARMv8-Aが激しく情報を処理している間、私の脳神経系のニューラルネットワークも激しく情報処理を実行する。主人公に押し倒された上司の娘の驚いた顔を、私の虹彩が捉え、その情報を一次視覚野、そして高次視覚野へと送っていく。それは、記憶に貯蔵された触覚情報、嗅覚情報、聴覚情報と統合され、ある種のクオリアへと昇華されるのだ。しかし、多感覚マルチモーダル統合を通した認知だけで、私達はNTRに欲情はしない。それは、高度に社会的、そして、文脈的要素を孕んだ、記号的解釈だ。私達が下す高次判断なのである。性欲という低次の欲求、社会的関係性という高次の欲求、それに法概念も組み合わさり、私のニュラールネットワーク、いや、ニューロサーキットは再帰的な演算を繰り返し、――踊る。


 そして、また、忘れてはいけない。その主人公に押し倒された上司の娘の驚いた顔も自発光なのである。つまり、神なのである。

 紙媒体としてのエロマンガを超えて、電子書籍のエロマンガは自発光により私達の眼前に降臨する。一般のマンガや文芸が紙に印刷されることで神になったように、エロマンガはタブレットの自発光を得て神になったのだ。


 私達の目の前には未来がある。


 あなたが抜くのは天叢雲剣か? 十拳剣か?


 今もう一度、私は、敢えて言おう。


 ――私はエロマンガを電子書籍で買う派だ。

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