第4話: そして僕達は出逢う
タイムスリップしたはいいが、今までとは何かが違うことは容易に分かった。いつもならベッドで目を覚ますはずなのに、僕は空中に浮かんでいるのだ。そしてふと右の方に目をやると、彼女と"目"が合った。正確には、向こうからは僕が見えておらず、授業中に窓の外を見ている彼女の視線の延長線上に僕がいた、ということだが。
確か僕がここに来る前に、僕の前に現れたアイツは「真実を見せてあげよう」と言っていたはずた。でもそう言われても僕には何も心当たりがなかった。何か心に引っかかっている、そんな感覚は確かにあるのに……。
窓の外をボーッと見る彼女の表情は、どこか悲しげで儚く、今にも泣き出してしまいそうだった。僕はそんな彼女を見ていられず目を逸らす。僕が来たのは、彼女の制服は夏服でリボンが赤色だったので恐らく僕達が高校二年生だった頃だ。つまり、丁度僕と彼女が破局したくらいの頃だろう。
暫く辺りを見回していると、周りの景色が一変し、目の前にはトイレの手洗い場スリッパを洗う僕がいた。今度も向こうからは僕が見えておらず、触ろうとするとその手は空を切った。やはり僕はアイツに過去の出来事を見せられているのだ、そういう結論に僕は至った。
向こうの僕が洗っているスリッパをよく見てみると、暴言や汚い言葉がペンで乱雑に書かれていて、スリッパの裏側に画鋲が刺さっているのが分かった。
全身が総毛立ち、足が小刻みに震えている。血の気がサッと引き、頭が痛く、胸が苦しくなる。僕は一体何を見ている。アレは何だ。向こうの僕は何をしているんだ。そう自問自答を繰り返し、そうして何かを考えていなければ僕は狂ってしまう。頭はもうパニックに陥っていたが、それだけはハッキリと分かった。
見てはいけない、見てしまったら今まで必死に守ってきたものが壊れてしまう。そう脳から必死に命令されているはずの僕の視線はまるで誰かに操られているかのように、ゆっくりと、向こうの僕の顔に合わせられた。
僕の顔は、酷く歪んでいた。目には涙を浮かべ、必死になってスリッパに書かれているものを手で洗っていた。頭痛が酷くなってきて、僕は頭を抑え目にグッと力を込めて瞑る。まるで金属バットでがんがんと殴られているような、そんな痛みだ。
また場面が変わる。酷い頭痛に襲われている中、今度は何を見せられるのだろう。それを確かめる為に目をゆっくりと開いた。
結論として、あのスリッパと似たような惨状の机がそこにはあった。そして僕はその机に向かって座っている。これだけ見せつけられれば僕にだって分かる。僕がいじめられていたことくらい。そうだ。僕は高校に上がってすぐにいじめられるようになったんだ。大して何かクラスの空気を壊すようなことをした訳でもなく、突然それは始まったのだ。
だが、それがどうした。僕がいじめられていた事実を僕自身の中で忘れてしまいたい、消してしまいたいと心の奥底に隠していた。それの何が悪い。もっと言えばそう思うのはいじめの被害者であるならば当然のことだ。アイツが言っていた見せたい真実とはこれなのだろうか。もしそうなら余計なお世話だ。僕は段々と腹が立ってきた。
誰もいない夕暮れ時の教室。グラウンドではサッカー部が後片付けと整備をしていた。僕はイスから立ち上がりクラスの教卓の方に移動した。確か教卓にはクラスの座席表が貼ってある。ふと、気になったて見ることにした。本当にふと、気になっただけだった。
座席表には、覚えのないクラスメイト達の名前が書いてあり、挙句の果てには担任の名前まで違った。まさか、と思い二年三組と表記されているはずの場所を見て僕は気付いた。それと同時だった。"教室の扉が開いたのは"。
そういうことか。アイツが見せたい真実ってそういう事だったのか。あぁ、なるほど、なるほどね。受け入れたくない、"本物の過去"が僕の頭の中で走馬灯のように蘇り、駆け巡る。
彼女は先程まで僕が座っていた机の前に立っていた。長い髪のせいで彼女の顔は見えない。が、恐らく彼女の目から零れ落ちた涙が机の上に小さな、小さな水溜まりを作っていた。
彼女もまた、被害者の一人だった。彼女は、"僕"の被害者だ。僕と付き合ったことで、いじめの標的にされてしまった最悪のパターン。最も理不尽で、残酷な形だ。
もしかしたら、とは思っていた。でも彼女はそんな素振りは一切見せなかった。そこまで考えて、一番愚かなのは僕だったことに気付く。
見せるはずがない。あんなに素敵で、優しい子が。僕を好きでいてくれたあの子が「君のせいでいじめられている」だなんて言うはずがないんだ。僕の前では気丈に振る舞って、僕の前では仮面をはめて、"いつもの自分"を演じていた。笑顔がとても似合う、僕の彼女を作り出していたのだ。それに気付いて、見抜いて、その仮面を外して、本当の彼女を見てあげるべきなのは僕だったんだ。なんて、なんて僕は馬鹿なんだろう。
『やっと思い出したみたいだね』
いつの間にか、僕は黒い華とアイツの前に座っていた。
『それが真実だよ。君は君自身で大事なものを手放したんだ。一番大切な存在を守れるのは君しかいないのに、君は見て見ぬ振りをして、目を背けた』
訳の分からない彼の言葉も、今は全てすんなりと頭の中に入って、響く。
『君はこれからどうするべきだと思ってるんだい?』
アイツは空中で足を組んで、僕に問う。僕がすべき事、そんなのたった一つしか、ない。
「僕を元の時代に、戻してくれ」
『それで、いいんだね?』
「何を今更言うんだ。お前は最初からこうなることが分かっていた。そうだろう?」
そう訊くと、アイツはさあどうだか、と鼻で笑った。一々癪に障るやつだ。
「でも、お前は確か僕がまた小さい頃に神社で会った男の子に似てるな……」
『その子で合ってるよ。僕は君と一度会ったことがある。そして、君に助けられたことがある』
そういえばその時、怪我していたその男の子を助けた気がする。
「つまり、その御礼、ということなのか? ていうかお前は誰だ?」
僕がそう聞くと、ははっ、とアイツは嬉しそうに笑い、空高く飛び上がった。そして空中でグルグル回り、急降下してきて僕の耳元でこう囁いた。
『神様だよ』と。
目が覚めると、やっぱり自室のベッドで眠っていた。ただ、起き上がって姿見を見ると、過去の僕ではなく、現在の僕が映っていた。イヤフォンをはめたまま眠っていたので耳が少し痛い。
今思えば、神様にお前なんて言っていたのか、僕は。なんて罰当たりなことをしていたんだ。僕は少しだけクスッと笑ってしまった。
最後に神様とやらに問われたあの言葉、今僕がすべき事。
僕は、そっとスマートフォンを手に取った。電源を入れて彼女とのやり取りの履歴を開く。真実を知ってからは、この一言だけの「さよなら」がとても虚しく見える。救えるのは、僕だけだ。
そして、僕は大胆にも通話のボタンを押す。一切の、躊躇なく。出ないだろうと思っていた彼女は、三コール目で出てくれた。
『もしもし……』
彼女の声だ。僕は覚悟を決めて口を開く。もう絶対に、逃げたりしない。
「もしもし。あのね、実は──」
そして夏に殺される こしあんみつ @koshianmitsu
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