第3話:そして僕は嗤う

 なんとなく、そんな気はしていた。都合よく物事が進むことなんて早々ないことは僕だって知っている。でも、今回だけはそれが覆って欲しかった。僕をあの頃に留まらせたまま、願わくばずっとあの頃の僕のままでいたかった。


 それなのに。神様はなんて残酷なんだろう。僕が二度目のタイムスリップで来たのは恐らく中学生二年生ぐらいの僕だ。この頃から僕の人生が少しずつ破滅の方へと進んでいったのだ。親に勧められて、自分の意見を言えずに言われるがまま進んでしまった進学校。この学校には僕の知り合いはいなくて、地元の子達は皆地元の中学に進むことが多く、僕は完全に孤立していた。


 一年生の頃は友達作りに見事に失敗し、クラスの輪から外れて何も楽しくない学校生活では勉強をひたすらにやるしかなかった。二年生に上がってもそれは変わらず、僕は教室の隅っこで本を一人読むことが多かった。


 そして、一番の最悪なことは、"彼女"との出会いだ。二年生になって同じ図書委員になった僕と彼女はそこから少しずつ仲良くなっていって、彼女に惚れた僕は彼女に告白するのだ。晴れて付き合うことになった僕達は見事同じ高校に受かって……。


 そこまで思い出して、僕は胸が苦しくなりその場にうずくまった。そして同時に、満たされていた心の光が微かに黒く汚れた気がした。


『ケイ〜! 起きなさ〜い!』


 母さんが下から僕を呼ぶ。正直、学校になんて行きたくなかった。またあんな思いをしなければならない、傷付いてしまうことが分かっているからこそ僕の両足はまるで鉛のように重くなる。


『まだ起きてないの〜?』


 母さんが階段を上がってくる音がする。僕は何とか明るい自分を取り繕う。作られた笑顔の仮面を顔にはめ、母さんと対峙する。


「おはよう母さん! もうちょっと待っててくれない? まだ準備が終わってないんだ」


「あら、そうなの? 早くしちゃいなさいよ?」


 確か僕はこの頃よく遅刻したり休んでいたはずだ。それが分かったのは母さんが僕の部屋に来た時、とても不安な顔をしていたからだ。僕が学校に行くと分かって安心したのだろう。母さんはそれ以上何も言わずにそのまま下へと降りていった。


 さて、どうしたものか。色々と手段を考え、悩みに悩んだ結果、とりあえず行くだけ行くことにした。キツくなったら保健室にでも行って休めばいいしなんなら早退だって出来る。少しだけ心に余裕が持てた僕は、壁にハンバーによってかかっている制服を手に取りそれに着替える。そして通学カバンを持ち階段を下りた。


 母さんは既に家を出ていた。家の鍵をリビングのテーブルから取り玄関に向かって靴を履く。少し汚れているその靴を履いた時、何か紛れ込んでいたのだろうか、違和感があった。僕は靴を脱いで中から"それ"を取り出した。


 間違いない。僕が彼女の誕生日にプレゼントしたネックレスだった。僕はそれを見た瞬間に息が乱れ、体は硬直し、少しの目眩さえした。


「なんで……なんでこれが……」


 まだこの頃の僕は彼女とは付き合っているかもしれないがこのネックレスはここにはないはずだ。これは僕が高校二年生の時、誕生日プレゼントとして贈ったものだ。ましてや僕の靴に紛れ込んでいるだなんて……。


 今度ははっきりと分かった。心が黒く染まっていくこの感覚。僕の中の奥底で黒いモノが芽生え始めている。僕の心の闇を喰らい成長していくソレをどうすることも出来ない。頭が……痛い。


『また捨てるの?』


 完全に堕ちてしまうその瞬間、頭に響いたあの時と同じ声。少し前までは何も分からなかったのに、今では少しだけだけど、分かる。この声の主は僕がまだ幼い頃に神社で出会った──。


『君はここに来てはいけない』


 そう声の主が発したのと同時に、また強い衝撃が僕を襲った。


 頬に、何か温かいものを感じて目が覚めた。目を開くとまたベッドの上で眠っていたらしくて、一つ、違うとするなら、彼女が僕の顔を覗き込んでいて、僕の頬に手を添えていたことだった。僕は口をあわあわさせてしまう。何かを言おうとして、でも言えなくて。


「どうしたの? 大丈夫?」


 大丈夫……だと?この女は僕を振ったんだ。何の前触れもなく、人の気持ちを踏み躙り、僕の前から消えたのだ。それなのに……それなのに……!!


 ダメだ。その先を、その線を超えたら僕はもう完全に戻れなくなる。人じゃなくなってしまう。そう直感的に感じて踏みとどまる。相も変わらず彼女は小首をかしげて僕を見つめている。なんて、憎たらしい。


「どうして君がここにいるの?」


 この変な空気を打ち破るべく単純に聞きたかった質問を彼女に投げかけた。すると彼女は信じられないという顔をした。


「え? 今日は一緒にお祭りに行こうって……約束したよね? それでいつまで経ってもケイが来ないから私が来たんだよ……?」


 そう彼女から聞いて僕は戦慄した。よりにもよってこの日に飛ばすのか。彼女と初めての夏祭りに行った高二の夏の日を僕は思い出した。僕はあの声の主を恨めしく思いながら彼女の機嫌を取らなくてはと話を続ける。


「え、あ、そうだったね! 寝ぼけてたよ、ごめん」


 そう言うと彼女はすぐに笑顔に戻った。単純な女だ。


「じゃあ、早く支度しないと!私先に下で待ってるから」


 それだけ僕に告げて彼女は僕の部屋から出ていく。そして、彼女の、その後ろ姿を僕は何故か切なく思った、想ってしまった。トークの履歴も消せない時点でお察しの通り、まだ未練がタラタラの僕を、僕は呪った。


 僕は支度を済ませ彼女と合流する。一緒に神社へ行く途中、何度か彼女と話している時に何度か頭痛がしたのは、恐らく、もう時間が無いということだろう。


 神社に着くと、案の定人で溢れていた。普段は静かでどこか神聖な空気が満ちているこの場所も、沢山の人の活気に満ち満ちている。彼女は僕の少し先を歩いて、僕の手を引く。


「こっちこっち! あ!ほら見てみて

 !」


 彼女は心の底から楽しそうに、僕はそれに付き合わされるような形で屋台と人との隙間を縫って歩く。疑心暗鬼に陥っている僕には彼女の笑顔が、まるで縫い付けられた仮面のようにしか見えない。どうせその仮面の下には本性が隠されているのだ。そう疑ってしようがなかった。


 一時間かけて食べ物などを買った僕達は少し先にある階段を登り、人が少ない場所に移動した。僕の記憶が正しければ、ここで花火を見るはずだ。


「ねぇ、今日様子が変だよ? さっきもだったけどいつものケイじゃない」


 そう言われて、しまったと思った。どうにか"彼女と付き合っていた頃のケイ"を取り繕っていたと思っていたがボロが出てしまっていたらしい。


「そうかな? 普通だと思うけど」


「なんか……底が見えない……黒い感じ」


 そう聞いた時には素直に彼女を凄いと思った。それも超能力でも持っているのかと疑ってしまうくらいに。


「僕はいつもの僕だよ? そんなことより! もうすぐ花火も始まるよ!」


「そうだね! 花火楽しみ!」


 なんとか誤魔化せたようだ。暫くしてドン、という音と共に花火が打ち上がる。ユラユラと線を描きながら上がっていく花火は、やがて真っ黒な夜空のキャンバスに数多の星々と綺麗な華を咲かせる。彼女は隣でそれらを指差し僕に笑いかける。その時だけは、僕も少しだけ、笑った。


 花火も終盤に差しかかった頃、僕は思い出してしまった。そして偶然なのか、彼女は口を開いて、僕に言った。


「また、来年も来ようね」


 僕の目の前には黒々しい華が咲いていた。これが、僕の心の中でずっと根を張り、僕を喰い殺したモノの正体だった。実際は黒より深く、暗い、言葉に形容しがたいものだった。僕はそれの前で膝を抱えるようにして座り込んだ。そして、僕は僕自身に、嗤った。


『どうして戻ってきたんだ』


 またあの声だ。忌々しい声を僕は聞こえないように、かき消すように嗤う声を大きくした。


『そうやっていつも逃げてきたんだろう? 真実から目を背け、大切なものにさえも君は気づけなかった』


「うるさい……うるさい!!」


『君は、本当は知っているんだ。受け入れることが怖いんだろう?』


 そう言うと、声の主は黒い華と僕を遮るようにして僕の前に現れた。


「……き、君は──」


 僕が言い終わる前に、声の主は飛び上がり僕を見下す形で手を空にかざした。


『これで最後だ。君に真実を見せてあげよう』


 そして、僕にとって最後のタイムスリップが訪れた。







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