第54話

 コンクリートを滑るタイヤのグリップ音が市中にこだまし風を切る! 英雄ヒロの操作する青いスープラRZは青き流星となり公道を自己申請でアウトバーンにしていた!


「ちょっと! 英雄さん! 赤! 今信号赤ですよ!?」


「そうか! 赤は勝者の色なれば勇猛果敢に征かねばな!」


 猪突猛進に踏み抜かれるアクセルは限界値を超え外の景色を置いていく。道路交通法をまったく無視した全速前進にて危険運転仕る英雄のドライビングは一級品であったが倫理道徳危機意識は薬物常習者と変わらぬ破綻具合を呈しており、信号車線対向車など御構い無しにぶっちぎる為勇者は何度か死を意識した。多少の荒事は覚悟していたが、よもやここまで無茶苦茶をするとは想定外である。


「そ、そんなに急ぐ必要なくないですか!? ヤサは割れてるんですよね!?」


「知らないのかロト君! シンデレラは12時に魔法が解けてしまうんだ! 日付けが変わるまでもう幾ばくもないんだ!」


 英雄は訳の分からぬ妄言を吐きながら更にスピードを加速していく。目まぐるしく過ぎていく風景は走馬灯のようについては消えついては消えを繰り返し、勇者を幻惑と混迷のプロムナードへと誘うのであった。


 き、気持ち悪い……


 前代未聞の破天荒運転を続けられ勇者の三半規管はデンジャラス。臓腑に溜まった内容物が胃液と共に破茶滅茶に押し寄せご無礼レインボー待った無しの状態となっている。このまま狂気の超危険運転が続けば車内に粗相は免れぬ。それはあまりに失礼。あまりに無様。かといって窓を開けて吐瀉物を自然に帰す事もできない。この異常なラディカルグッドスピードの最中に首を外に出すは自殺行為に等しい。苦しむ間も無いセルフギロチンでデッドエンドは確実だろう。勇者はエンジュへの告白に命を賭けていたが、斯様な所で絶命するはまさに犬死である。

 生き恥を晒すか名を残さずして死ぬか。答えは決まっている。勇者は口を押さえていた手を離し、決意のリバースを敢行しようとした。その時。


 ……マジかよ。


 精神的衝撃により悪心の症状は治まる。しかし、その代わりに訪れたのは恐怖と焦りであった。リアガラス越しに見える迫り来る赤光。突如響くけたたましい警告音。それがなんであるのかは一目の瞭然。気づいた瞬間顔面蒼白。勇者の不安はこの瞬間頂点に達した。


「そこの車! 止まれ! 何考えてんだ!」




 無線から響く怒号が勇者達に向けられている事は明白である。警察のガチギレも無理はない。英雄がやらかした道路交通法違反は正直洒落になっていない。捕まれば実刑も免れぬだろう。巻き込まれた勇者は迷惑千万。ゆっくり安全運転ではなぜ駄目なのか。シンデレラの魔法などとくだらぬ茶の濁され方では到底承服できぬ案件である。


「はっはっは! 予定より遅いお出ましだな! これでは市民の平和は守れんぞ! 後でクレームを出してやろう!」


 なんて奴だ!


 後悔真っ只中の勇者であるがもはや後戻りはできない! やはり英雄は普通じゃない! 既知の外に生きる外法者だ! 他に手段がないとはいえこれは下手を打ったと勇者はそう考えずにはいられなかった! このままでは御用お縄で豚箱投獄! エンジュに会う手段も絶たれてしまう! 


 どうしてこうなった!


 ガタガタと揺れながら勇者は己の無力を恨んだ。この状況で何もできない、動けない自分が悔しかった。困難を打開できない己が未熟さに涙を流した。


 俺はどうして何をやっても駄目なんだ……!


 成す術のない窮地において勇者の脳裏には過去の恥辱が浮かび上がる。赤点の並ぶ試験。最下位の徒競走。組み倒される柔道の授業。要努力と書かれ晒された絵画。ミミズと揶揄された筆跡。習熟が遅かった四則計算。貧相な体躯を小馬鹿にされる身体検査。何をやっても上手くいかない。どうしたって嘲笑される。絶望の淵において思い出されるは現実での失態ばかり。自分の人生から逃げモラトリアムに浸り怠惰の限りを尽くしてきた半生が急に重くのししかかる。結局俺は、何もなし得ずこのまま生きて死んでいくのかと、ネガティブ直下な将来設計までし始める始末。


「勇者君」


「……?」


 奈落の底へ落ちんとする勇者に、英雄は言った。


「信じろ!」


 ごく短い端的な言葉であった。しかし、その一言に込められた想いの強さを、勇者は感じた。


 ……そうだ……信じろ……俺は……俺はエンジュに会う!


 垂れていた首が持ち上がる。背筋を伸ばし見つめるは前。ただ前。真っ直ぐに向ける視線の先に映るはヘッドライトに照らされた林道。勇者はいつの間にか街を抜けている事に気がつく。



「このまま歩道を上がれば彼女のいる別荘だ! 走れ! 勇者君!」


 サイドブレーキを聞かせドリフト気味に無理やり車を止めた英雄。助手席側のドアを開けると目の前には小さな道がある。英雄はこれを渡れと言っているのだろう。


「はい!」


 返答と同時に駆ける勇者。背後からはパトカーのサイレン。英雄はどうなるのか。自身も追われ逮捕されるのではないか。チラと思う勇者であったが、立ち止まり振り返っている場合ではない。ひたすらに進む勇者の目は明かりのついた一軒の家屋を捉える。


 あそこだ!


 息は上がり足も思ったように動かない。しかし、勇者は走った。吸い込む空気が肺を締め上げ、喉が破れそうになりながらも走るのを止めなかった。そうして今、勇者は家屋の前にいたのだった。


「エンジュ! 俺だ! 来たぞ!」


 扉を叩きエンジュの名を呼ぶ勇者! まさに必死! 魂の鳴動! 引かぬ汗をそのままに! 喉が擦り切れてもなお勇者はエンジュの名を叫び続ける!


「ちょ、何よ! 誰よ! 何時だと……!」


 扉が開いた! 不機嫌全開のエンジュが酒気を帯びて顔を見せる!


 !


 エンジュは開けた扉を再び閉めた! 面会謝絶! けんもほろろ!


「ちょ、なぜだ! なんで閉める!」


「帰って! 私は貴方に会う資格がないの!」


「なんだ資格がないって! 俺が会いたいんだよ! 資格なんざいるか!」


「駄目! 貴方がそんなに優しいから私は甘えてしまう! そしてまた嫌われてしまうの! なにより私は貴方を傷付けてしまった! 今更会えるわけないじゃない!」


 面倒くせぇなぁ!


 エンジュの乙女ハートが勇者を拒絶する!


「私はもう駄目なの! 変な夢を見ずに暴力に塗れて生きて死ねばよかった! 女の子になんてなれない! 分かってたのに貴方に恋をしてしまった! 可愛いドレスも小さな靴も赤いリボンも私は身に付けられないのに私は貴方を好きになってしまったの! もしもう一度貴方に会ったらまた同じ夢を見てしまう! だからもう帰って! 私を苦しめないで!」


 その泣き声は勇者がかつて聞いた事のない嗚咽であった。心の底から響く悲嘆。目指すものと真逆の存在として生まれてしまった悲運。その苦心を誰にも言えなかった悲壮。全ての悲劇がエンジュの口から吐かれる。その声は小さく儚く、弱者が救済を請うようで、哀れであった。

 勇者は暮れる弱音に拳を握ると、手から赤い鮮血が滴り落ちた。扉を叩いた際、皮が破れ、肉が潰れたのである。しかし、なおも勇者は扉に一撃叩き込む。波紋状に、血の波紋が彩られた。


「なら会わなくていい! だが、これだけは聞いてくれ! エンジュ! 俺はお前の想いには応えられない! だが、お前が大切なのは確かなんだ! お前と会って! 話して! 同じ時間を過ごして! 俺はお前を! 一人の人間として好きになったんだ! お前だけは! 俺を認めてくれたんだ! お前とゲームをしている時が! 俺は一番楽しいんだ! だからエンジュ! お前はお前のままでいてくれ! ドレスが着れなくてもいい! 靴もリボンもなくてもいい! だけどお前は女なんだ! それでいいんだ! お前は俺にとってエンジュでしかないんだ!」



 勇者は叫びながら扉を叩き続けた。血の波紋が黒くなるにつれ扉が軋んでいた。その音は、勇者の意思に呼応するように、次第に深く、大きく響き始めた。


「エンジュ! 俺はお前がいなきゃ駄目なんだ!」


 !


「ロト……!」


 扉が破壊された。蝶番が根本からえぐれ、部屋の奥に倒れた。

 勇者とエンジュの目線が、一つになった。


「ロト……ロト!」


 エンジュは勇者を抱きしめ、勇者もまた、エンジュを抱きしめた。それは色恋の交わらぬ抱擁であった。しかし、そこには確かに、愛が存在していた。人を認め、許容し、許し合う愛が。


 時間は0時を迎えた。部屋の中でつけたままになっているラジオからは、愛、おぼえていますかが、二人を祝福するように流れていた……

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