第53話

 英雄ヒロは夜風を纏い、律儀に靴を脱いでリビングへ進出してくる。勇者ロトに向かって一直線。真直ぐ向けるまなこの奥には、確固たる意志が宿っている事が見てとれる。


「勇者君。僕は今から君を殴る」


「え、ちょ……」


 一閃! 聞き返す間もなく吹き飛ぶ勇者! 右頬に刺さったストレートは利き腕ではないだろうが人一人が宙に浮く程の凄まじい威力である!


「俺は君に玄ちゃんを託した! それがなんだこのざまは! 恥ずかしくないのか!?」


 もだえる勇者にそう言い放つ英雄は一筋の雫を落とした。どうやら情緒が不安定な様子。これは危険だ。


「と、突然何を……」


「白ばくれるなロッテリア君! 事情は全て知っているんだロッテンマイアー君! 彼女を傷付け泣かせただろうローレンス君! 僕は玄ちゃんを裏切った君を修正しなければならないのだローゼンクロイツ君!」


 激情し我を忘れている英雄は勇者の名すら混濁とした意識の中で霧中となっているようだった。激情に燃えた英雄の拳は熱い。狂乱の拳は勇者の肉体だけではなく精神にさえダメージを与えた。


「あの時君は言った! 想いが固まってもいないのに好きだのなんだのほざくなと! 君はそう言ったんだよ! それがなんだこのザマは! キスの一つや二つで狼狽えるとは情けない! これならまだ俺の方が彼女を愛していると断言できるぞ! ふざけるなよ!?」


 けおけおと発せられる怒号。随分と独りよがりな宣言である。


 ふざけるな? どの口が言った? 


 勇者はそのナルシシズムとエゴイズムに塗れた言葉に拳を握った。目覚めたる感情は怒り。話の通じぬ理不尽な暴力に対して抱く、灼熱の激怒である。


 ふざけやがって。勝手な事を言うなストーカー野郎。わざわざ高層階のバルコニーまで上ってきて吐く台詞がそれか? 人を馬鹿にするのも大概にしろよクソッタレめ。


 床に身体を預けながら戦慄わななく。純然たる負の衝動によって勇者の神経は制御不能となり、発作のように全身が痙攣するのであった。その様子を見守る上々一郎は流石に慌て始め、「大丈夫か?」と声をかけるも、そんなわけあるか。と、八つ当たり気味の悪態を心中で述べるのであった。ゲージはMAX。みなぎるパワーは無限大。爆発寸前。勇者は今、怒りによって、全てのしがらみを捨て力を解放せんとしていた。


 うんざりだ! 俺がいったい何をした! 怒って当然! 縁切りも止むなしの所業を水に流してもいいとここまできたんだぞ! それをなんだいきなり! 同性からの求愛などそう簡単に受け入れられるわけないだろ! それは何度も説明したではないか! 聞く耳も持たず勝手に幻滅しやがって! いいだろう! そこまで言うなら今一度教えてやる! 俺はエンジュを! 俺は……!



 頭の中で罵詈雑言の限りを尽くし、いざ物申してやろうと勇者は立ち上がった。だが……


「……っ」


 肝心の言葉が出てこない。勇者は立ち竦んだまま俯く。たった一言が酷く重く、毒を呑むように苦しく、口に出すのをはばかられる


「ロト君……」


 上々一郎が勇者に視線を合わせる。その眼には身を案ずる父性が宿っていた。


 ……嘘はつけんな。


 勇者は冷静になっていた。そして、エンジュへの想いが怒りを鎮め、上々一郎の慈愛により導かれ、とうとう彼女へ抱いていた感情がなんであるのか、結論が出たのである。


「英雄さんの言う通りです。俺は、エンジュを、玄一郎さんを裏切りました。いえ、ずっと裏切り続けていたんです」


 勇者の語りは静寂を呼んだ。魂の入った声は、人の耳を傾けさせる。


「俺は、彼女を愛していません」


 それは出会った時から終始変わらぬ、勇者の気持ちであった。

 だが、これだけではない。

 勇者はより真摯に、深く、エンジュと向き合いたいと願っている。


「ですが、離れたくはない。俺は一人の人間として、あいつが好きです」


 エンジュと共にした時間は、勇者にとってかけがえのないものだった。リアルでもバーチャルでも、勇者がかつてこれほど信頼した人間は他にいない。それを失うのは何よりも辛く、苦しく、耐え難かった。オカマだろうがゲイだろうが、男だろうが女だろうが、強かろうが弱かろうが関係なく、勇者は、人としてエンジュと向き合い、人として惹かれたのだ。


「……ロト君」


 その意図を悟ったのか、上々一郎は涙を浮かべ勇者を見た。自身で「人間扱いされていなかった」と評した我が子に、これほどまで厚い信愛の情を寄せる人間がここにいたのだ。親として、これほど喜ばしい事はないだろう。


「……完敗だな。やはり玄ちゃんには、君が相応しいよ、勇者君」


 英雄は合点したように遮二無二頭を振り続けそう呟いた。正気に戻り勇者の名も鮮明となったようだが、やはりどこかずれているというか、妄想を巡らせている様子である。(指摘するのも面倒だと勇者は黙っていた)。


 

 万事解決! これはめでたい!

 勇者のもやとした懐中はこれにて晴れた! 一件落着!


 と、いうわけにはいかなかった。


 気持ちは固まった。しかし、本人に伝えない事にはどうしようも……


 答えが出たはいいが問題は解決していない。話し合うべきエンジュが行方知れずなのだ。それに、伝えたところでエンジュが納得するとも限らない。恋人にはなれないが良き友人としてコンゴトモヨロシクと、勇者にとって実に都合のいい交友関係を提示するのである。言われた当人にしてみれば、ざけんなぶちころまた来世な無礼極まる失言となりかねないであろう。仮に会えたとして、死ぬ覚悟を持って伝えられるのか。どの面下げて左様な戯言を吐けばいいのか。考えれば考えるほど沼にハマる感覚に、先までの覚悟が霞む勇者。思考が回り、理性が先立つ。恐怖の鎖が勇者を縛る。


 臆病風に吹かれてしまったな……


 勇者はここまできて八方が塞がれ弱腰となった。勢いのバフはこれにて終了。今は元のもやしボーイである。これまで、1人でゲームしかやってこなかった男の素の根性は、まぁ、こんなものであろう。


 しかしだ。


 勇者は1人ではない。


 運命を共にする仲間がいる。


「勇者君」


 爽やかな声で勇者の名を呼ぶは英雄である。そこには勇者を殴り倒した時の剣呑はない。清く潔いのよい美声で、果たして何を語るか。


「行くぞ……玄ちゃんの元へ!」


「は?」


「玄ちゃんは今、長野の別荘で酒浸りの生活をしているそうだ。今から飛ばせば日付が変わる前に到着できる」


「え、ちょ……」


 唐突なる怒涛の展開。おっかなびっくりジェットコースターである。いやいやさすがに今からはちょっとと尻込みする勇者であったが……


 ……馬鹿か。今行かねばいつ行くというのだ!


 男はどれほど小人であっても事に挑めば傑物となり得るが、小人は小人故に大事を恐れ挑まない。孤独の檻に囚われた人間は尚のこと。一歩踏み出す勇気が至難。

 だが、どのようなゲームであれ、勇者ゆうしゃは仲間と共に困難を乗り越えるのである。


 仲間とは、恐れを勇気に変える存在の事!


 行かねばなるまい。エンジュの元へ!


 スバル! 英雄! 上々一郎! そしてエンジュ。


 勇者の周りには仲間がいた! 仲間が勇者に勇気を与えた!

 電話をかけさせたのはスバル! 向き合うきっかけを与えたのは上々一郎! 迷いを断ち切らせたのは英雄! そして! 勇者を成長させたのがエンジュである! 数々の葛藤を経て勇者は今檻から飛び出したのだ!


「……行きましょう! 英雄さん!」


 勇者の意気はよし! 覇気に満ちたその表情はまさしく男であった! 


「あぁ!」


 二人の男が手を取り合った!

 時が来たりて向かうは長野! 命を賭して夜空を駆ける! 勇者の想いは伝わるか!

 





「ところで英雄さん」


「なんだい?」


「なんで事情を全部知っていたんですか?」


「……」


「……」


「勇者君」


「はい」


「いいんだよ細かい事は!」


「……はい」

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