閑話:東部兵糧争奪戦 後

 姿を現したデルトリクスの無謀な突撃によって、集積地の守備隊は多少浮足立ったものの直ぐに態勢を立て直した。王都の憲兵団とは比較にならないほどの練度と統率力に、ヒルは素直に感心していた。


「アレは罠だ。明らかに誘っているな、深追いはさせるなよ」


 この敵と正面から対峙すれば厄介なことこの上ないだろうが、彼らに弱点が無いわけではない。


「派遣されていた少数の憲兵が、すでに追撃に出ていますが?」

「……捨て置け」

「レイトン家の兵も追撃を主張していて、門の前で騒いでいます」

「あの家は外様だからな、手柄をあげるのに必死なのだろう」


 統率している指揮官は優秀そうであったが、貴族の私兵はそれぞれに主君が異なる。忠誠心の高い騎士連中に至っては、己が家の武功と名誉を優先する始末だ。そこに憲兵団も加われば、まさに悪夢のような利権争いの坩堝と化していた。


 兵力だけで言えばアリサの派遣した部隊を上回っているように見えるが、互いの連携はずさんで、まさに烏合の衆と言える状況だった。


「裏手の様子はどうか?」

「心配しなくても、誰も来やしませんって」

「全出入り口に見張りを立てろと厳命したはずだ」

「そう言われましても、ここの裏手は魔物の蔓延る深い森ですよ」


 集積地の裏手には堅牢な門が設置されていたのだが、それは森からの魔物の侵入を防ぐためのものだ。深い森と魔物が天然の要害として立ちはだかるこの方面は、警備も手薄であった。


「それでもだ。兵をまわせ」

「そこまで言われるのでしたら。おい、そこの!」

「ハッ!」

「何人か連れて、裏手の門に向かえ」


 それだけ告げて、指揮官たちは正面門のいざこざを解決するために去っていった。


「これはこれは、願ってもないことで……」


 警備を依頼した兵士の正体が、基地内に潜入したヒルだとも知らずに。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「やっぱり追ってこなかったな! 腰抜け共め!」

「全力で追ってこられたら、全滅してたの私たちの方なんだけどね……」


 敵地への突撃から戻ってくるなり元気に息巻くデルトリクスと対照的に、命からがら生還した思いのリタはゲッソリしていた。


 何せ、集積地奪還に差し向けられた部隊の半数が別動隊として既に出発している。突撃に触発されて敵の本隊が向かってくれば、潰されていたのはこちらの方だった。


「少数ですが、追手が掛ったようです。憲兵の連中ですね」

「おやおや、そういう馬鹿な連中も嫌いじゃねぇけどな。んじゃ、ちょっと可愛がってやるか!」 


 デルトリクスが嬉しそうな笑みを浮かべて出迎えに向かうのを見て、リタの疲労はさらに増していた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


――翌早朝


 突如現れた敵からの奇襲に見舞われた集積地では、敵の夜襲に備えて夜通しの警備が行われていたのだが、その気配は全く無く、見張りに張り付いていた兵士たちからは肩透かしの疲労感が感じ取れる。


 そんな静かな朝は、唐突に覆された。


「か、火事だ! 荷馬車から火が出ているぞ!」

「こ、こっちもだ! 野営のテントから」

「おい! 馬の手綱が外されているぞ!」


 敷地内のいたる所で発生する火の手に、手綱を外されて興奮した馬たちが暴れ回る。だが、指揮官はそれでも冷静だった。


「落ち着け! そんなに大きな火事じゃない。慌てずに対応しろ」


 こそこそと動き回って準備を進める以上、せいぜいボヤ騒ぎを起こすくらいの火種を用意するのが精一杯であった。


「さぁ、来るぞ! 正面の防備を固めろ!」


 そして、その言葉を証明するように正面門には、デルトリクスの率いるが軍勢が姿を現す。


 予想通りの登場。しかも、ボヤ騒ぎで浮足立っていた兵たちも、騒動の直後にも係わらず迎撃態勢を整えていた。


「……本気で落とす気があるのか?」


 指揮官は現れた軍勢が予想より少ないことに疑問を持った。確かに昨日の奇襲とは違い、歩兵の姿も見えるが守備の兵力の半分以下だ。あの戦力であれば、正面門に集めた兵力を少し押し出すだけで簡単に潰せてしまう戦力だった。


「誘っているのでしょうか?」

「……何を企んでいる」


 全員の目が正面門の前に釘付けになっていた時だ。


「て、敵襲!!」

「騒ぎ立てずとも分かっている!」

「い、いえ! 敵は正面門ではなく……」

「まさか!?」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ほい、ご苦労さん」


 集積地の裏門。完全に手薄な状態で放置されていたこの入口。ヒルと数人の仲間たちはいとも簡単に門を開け放ち、味方の兵を引き入れることに成功した。

 深い森を抜けて姿を現した兵士は、正面門の前に対峙している兵力とほぼ同じだ。敵地に侵入したと同時に兵たちは一気に集積地へと襲い掛かった。


「正直、ダメかと思ったぜ」

「シャルさんとウルがいなかったら、絶対無理っスからね」


 夜通しで深い森の中を行軍する危険で命知らずな作戦。しかも、接近を悟られないために松明すら使用できない状態でだ。並の兵士であれば無事にたどり着くことさえできない。

 だが、森の中での夜目が利くシャルと、魔物を寄せ付けないウルの力を借りれば話は別だ。それでも大部隊を移動させるために、森の中に目印を作るなど冒険者グループによる念入りな準備工作もあってのうえだが。

 どの要素が欠けても成功しえない、離れ業の奇襲であった。


「決まったな。これで落ちたも同然だ」

「そうね。正面門の馬鹿が余計な事しないと良いけど」


 ウルを抱きかかえながら不穏なことを呟くシャルに、ヒルたち冒険者パーティーは顔を見合わせた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「押っ始めやがったか!」

「ええ。奇襲部隊は予定通りに到着したみたいね」


 リタは安堵した。仮に奇襲部隊が作戦に失敗した場合、倍以上という圧倒的な戦力差の敵を前にするこの本隊の方が危ういのだから、まさに綱渡りの作戦だった。


「そんじゃ、俺たちも行くか!」

「いい、お願いだから、余計なことしないでよね」

「あぁ? 俺がいつ余計なことしたよ?」


 その言葉を聞いて、リタは嫌な予感がした。


「歩兵隊は任せる。獲物は残しといてやるから、ゆっくり来いよ!」

「承知しました。ご武運を」

「ちょ、ちょっと! 普通に進軍すれば……」

「んじゃ! 突撃!!」

「なんで、こうなんのよぉー!!」


 そんなリタの悲鳴など届くはずもなく、デルトリクスたち騎兵が敵正面へと突撃を開始した。今度は見せかけではなく、本気のぶつかり合いのために。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ダメです! 既に内部の奥深くまで敵の侵入を許しています!」

「正面の敵が突撃を敢行! 凄い勢いです! 押しとどめられません!」

「……絵に描いたような負け戦だな」


 負けを悟った指揮官は、最後の決断を迫られていた。


 敵の手に落ちる前に、この基地に火を放ってすべてを焼き尽くすこと。それが、彼に与えられた最後の命令である。だが、そんなことをすれば、敵はおろか味方おも炎に巻き込むことになる。

 それに、この地の物資は王国にとっての生命線でもある。そんな大切な品をあろうことか帝国ではなく、同じ王国の人間で奪いあった上に焼失させるなど、正気の沙汰ではない。


 指揮官は優秀な人であった。優秀であるが故に、彼は命令に従いきれずに葛藤していた。


「正面、支え切れません! 既に敗走や逃走する家の者も出ています!」

「突破は可能か?」

「既に前後を完全に挟まれています。撤退は不可能です」


 周りに集まった者たちの覚悟と絶望の顔を見て、指揮官の腹は決まった。


「……降伏せよ」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 戦闘が始まって半時も経たずして、集積地は王女の軍勢に降伏した。


「つまり、アンタの命と引き換えに兵を解放しろと?」

「……」


 指揮官は己の命と引き換えに兵の開放を望んだ。そんな指揮官の姿に敵の将兵のみならず、デルトリクス配下の将兵も舌を巻いていた。


 敗北した軍の武装を解いて、整然と部隊を整列させた手腕もさることながら、実際に戦ったデルトリクスたちはこの指揮官の実力は認めるところなのだ。


「はい。どうか、温情を」

「そうは言ってもよ……」


 デルトリクスたちの前に膝をつく指揮官は、どう見ても少女にしか見えなかった。


「私であれば好きにしていただいて結構。お望みであればこの身も……」

「やめてくれ! ウチのお嬢はそういうのが一ッ番嫌いなんだ!」

「では、どうすれば?」

「お前さん、名前は?」

「リオーネ・アルストと申します」

「分かった。リオーネ、兵の開放を許す。元々、俺たちの目的はここの奪取であって、アンタたちの殲滅じゃないしな」


 アリサの了承も得ず、これはデルトリクスの独断であった。だが、わざわざお伺いを立てずとも、彼女であれば同じことをするだろう。現に、シャルをはじめ古参の騎士たちからも異論は一切出なかった。


「それで、リオーネ。お前さんも望むなら帰ってもらって構わないんだが」

「それは出来ません。戻ったところで、敗戦の責任を問われて死罪は免れない」

「それならここで死を望むか。そんなら、いっそ提案があんだけどよ?」


 デルトリクスからの提案に、リオーネはしばらく考えた末に首を縦に振った。


※※※※※※※※※※


 商会の男と会話をしているうちに、この集積地の荷物を積み込み終えた馬車たちの出発する準備が整った。


「では、我々は東部へ向かいますがシャル様はどうされますか?」

「私たちは王都に戻る」

「愚問でしたな。どうかご武運を」

「ええ。貴方たちも気を付けて」


 シャルは東部に向かう商人たちと別れ、王都へ運ぶための最後の馬車へと歩みを進める。まるで死地へと向かうような緊張感の御者がこの先の困難を物語っている。


「私たちも行きましょう。主のもとに」


 シャルの呼びかけに答えて、ウルは大きく吠えるのだった。

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まがいもの軍師の国取物語 田辺千丸 @senmaru

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