第7話 過去への助奏(後)

 知ることを全てとする魔女がいた。

 未知を既知に変える。その為だけに魔女としての力を、彼女は振りまき生きてきた。

 知識は有限であり、必ず果てがあると信じて――。

 けれど、知識とは無限だ。一を知り、一歩を踏み出せば世界が変わる。また新たな未知が限りなく自分の周りに広がっていく。

 魔女は、最後までそれをことなく死んだ。

 それが彼女にとって幸福であったのか、それとも哀れな不幸であったのか、それこそ知る術はないだろう。

 どこか柔らかな人情を持ち合わせた彼女は、魔女として在り魔女として死んだ。

 その様を笑うことの出来るは、果たしてどれほどいるだろうか。

 少なくとも、アリシアという十六歳の少女は笑わないだろう。

 彼女は今身をもって、知を求める姿勢と、それを得た先になにが沸き起こるのかを実感しているところなのだから。


 知らなければ、どうとでも生きれた。

 けれど、アリシアは知ってしまった。

 誕生日に、自分の無くしていたもののことを知った。父の愛情を知った。魔女の恐ろしさと得体のしれなさを知った。

 まだ、自分が知らないこと、知らなければならないことがあると、知った――。



「魔女……」


 わざわざ考えるまでもないことだが、アリシアの事件に関わっている魔女と、今アリシアに関わろうとしている魔女は全くの別人だ。二人に縁もゆかりも無い。

 けれど――


「ナルベル……」


 知識としてしか知らないその名前を、呟く。

 アッカの読みが正しければ、ナルベルは更に詳しいことを知っているということになる。

 魔女に利用された被害者ではなく、明確な加害者という立場で――。


 浮かんだ考えを、アリシアは咄嗟に振り払った。

 自ら会いに行こうだなんて、安易で危険な考えは、持つだけで損をする。

 自分が出来ることはここまでだと、アリシアは自分に言い聞かせる。

 渦巻く矛盾は、なにをしても晴れる気配がない。

 アッカの仕事上、今まで危険が伴うようなことは何度もあった。その度に、いつもケロッとした顔で、時にはお土産片手に帰ってきたものだ。

 しかも今回は、アリシア自身のことに関わることで、そうなった時のアッカは父として、衛兵として、鬼と化す。

 無関係とわかった以上、魔女が父に牙を向く可能性も、今のところないはずだ。

 冷静に、つとめて冷静に、もう何度目かわからない考えをアリシアは巡らせる。


「結局、こうやって気を紛らわせてるのが一番なのかも……」


 自嘲気味に呟く。

 事が解決したらどうしよう。次あの魔女がやって来たらどうすればいいんだろう。あ、占い師さんところに謝りに行かなきゃ。


 乱雑なことばかり考えて、時間が溶けていく。

 だが、これで正しいのだ。

 アリシアに今降り掛かっていることは、本人にはどうしようもないことで、こうしてじっと待っていれば自ずとなるようになるだろう。


 ――だが、それはこれまでのこと全てが、アリシアの身に降りかかるただの不幸であった場合の話だ。

 それが明確に、誰かの意思でアリシアに向けて放たれたであるならば、話は変わってくる。

 アリシアがどんな選択をしようと、それは明確に彼女を狙い、既に放たれたものなのだから。


「……外は大丈夫なのかな」


 放たれたものがいつか届くのは必然で、その場合、否が応でもアリシア、自分自身の力で対処しなければならない。そして、力が伴っていない場合はそこで終わり。ただそれだけの単純な話だ。

 悪意を持ったもの、悪意を持たれたものの双方の視界の外にいるような、偶然でも降ってこない限りは――。



「あの人……」


 何か変わったことは起きていないだろうか、あの魔女がまた来ていないだろうか。そういう確認をするために、軽く窓の外を覗いた。

 けれど、直ぐにやめておけばよかったと後悔した。

 坊主頭の男が一人、ぬったりとした気味の悪い動きで辺りを見回していた。そして、上も下も橙一色の服。

 ――あれは、囚人服だ。


「――?!」


 そう気がついた時には、もう遅かった。目が合ってしまったのだ。

 囚人服の男は、始めからアリシアを探していた――。そう確信出来る笑みを、囚人服の男は浮かべた。

 男の口が四回動きを見せて、そのまま亡霊のように身体が揺れる。

 その男がアリシアの視界に写ったのはそれまでだった。


 寒気に侵食された身体を守るように腕で抱いて、床にへたり混んだ。


 間違いない――アイツだ。あの男がお父さんの言っていた――。


 怖い。歯の奥がカタカタと音をたてている。立ち上がれない。

 なぜだろうか。魔女と対面した時でさえ、こんな恐怖は感じなかったのに――。


「……鍵、閉めなきゃ……」


 それでも、何とか立ち上がる。確かに、あの男はアリシアと目が合ったあと動き始めた。確実に、この家にくるだろう。

 その前に何とかしなければと、急いで階段を降りる。


「きゃっ――?!」


 混乱のせいか、最後の一段を踏み外し体勢が崩れた。急いで、階段前の壁に手をつく。

 息は荒いが、止まっている暇はない。

 まだ玄関が開けられる様子はない。けれど、あの男は二階の窓から見て、しっかりとその様相を確認出来るほど近くにいた。ここまで来るのにもそう時間はかからない。

 だから、一秒も無駄に出来ない。

 跳ねるように身体を動かして、アリシアは玄関の鍵に手をかける。

 そして、閉めた。

 だがひとまずの安堵すらする暇なく、大きな破裂音が鳴り響いた。

 混乱の最中にいたアリシアは、それが窓を割る音だと即座に判断出来なかった。


 狙いが家の中にいるのなら、玄関の鍵をかけることは明白で、はなから囚人服の男は窓を割って入るつもりだった。ただそれだけのこと。

 狂気的に、冷静に、男は――ナルベルは、アリシアに狙いを定めていた。

 だからこそ、動きも迅速だ。

 アリシアが鍵を開けて外に出る間に充分に距離を詰める。そこから混乱で足の絡まったアリシアに追いつくなど、容易でしかなかった。


「――うっ、がぁ……!」


 ざっと家から三歩ほど出たところで、後ろからアリシアは飛びかかられて、そのまま組み伏せられる。

 馬乗りになったナルベルを見て、アリシアは思う。

 なぜこの男にあんなに――魔女以上の恐怖を感じたのか。

 それは、殺意だ。あの魔女にはなかった明確な殺すという意思が、この男には宿っている。

 そして、こうして組み伏せられた以上、それはいつ実行に映されてもおかしくない。


「あなたっ……なんのつもりよ……!」


 魔女の時と同じ。強気な言葉は、せめてもの抗いだった。

 恐怖心を隠すための、精一杯の虚勢だった。


「ああ、ああ、ああん? ナルベルだよ。美人になったねえアリシアちゃん。歌姫だってねえ、凄いじゃない。やっぱり僕ってば、スカウトマンの才能は上の上だったみたいだよ」


 男が喋る。


「いや、ほんと。ほんと。ほんと。でもこれだけ上り詰められるんなら、大人しく君を僕がスターにしておけばよかったかもね。そうすれば、あんな魔女に邪魔されず僕は平和な世界でたくさんいい思いが出来たのにさあ、ねえ!!」


 張り上げられる声。けれど、どこかうわずっており、愉快そうにも聞こえる。

 その目すら、どこを見ているのかわからない。目が合っているようで、合っていない。


 単純だ。ナルベルという男は、とっくに壊れている。かつて魔女に利用され少女を拐かし、その企みをまた別の魔女に阻止され、何もかもを失って投獄された。

 元々、利益と栄光を求め続けていた男だ。その夢が頭の中からボロボロと崩れて、正気を思っていられるはずがなかった。

 せめて全てあの魔女のせいにしてしまえと、そんな薄っぺらな理性だけは残ったまま、ボロボロと崩れる心。それはやがて彼を、人の形をした狂気に変えた。


がさあ……好きにやれって言うんだよ。僕のやりたいことをしろってさあ……。でもさあ、無理じゃない? もう僕のやりたいことなんて……こうして出られてもさあ、出られた後のサポートとかなんにもしてくれないわけよ。じゃあもう無理じゃない? 捕まっちゃうじゃない。あの強そーで怖そーな衛兵さん達にさあ……だから僕……一つだけ考えたんだ……せっかくだから君と一緒に死のうって」


 ナルベルの口からヨダレがたれて、アリシアの頬に落ちた。

 気味の悪さも、話の通じなさもなにもかも――。対話は不可能だと判断したアリシアは、その感想を思わず口にする。


「……魔女の方がマシね」


 けれど、それすらも、もうナルベルの耳には届かない。

 彼の頭の中にあるのは、ただ自分の未来を潰したものと一緒に汚れて朽ちることだけ。


「大丈夫だよ……アリシア……知ってるよ僕は人を見る目があるからね……。君、記憶が全部無くなっちゃったんだろう?? それでも断言するよ、僕が君に見出した輝きは、何一つ損なわれてないって――」


 暴れようとするアリシアを片手で押さえつけて、もう片方はまるでなにかをもぐような手つきで、ゆっくりと、アリシアの目に迫っていく。


「ああ、それは――美しくない――」

「え……あ……アリシア……なぜ逃げるんだ!!」


 叫ぶナルベルの身体が、ゆっくりと中に浮いていく。のしかかる重みがなくなっただけで、アリシアはまだ潰れるように地面に倒れ込んでいた。


「美しくない美しくない美しくない美しくない美しくない美しくない!!」


 怒りに震えるようにそう叫びながら、ナルベルを影のようなもので釣り上げて、優雅にアリシアの前に降り立つ男。

 それは、この状況を知る全員の視界の外にいた、偶然の存在。


「ベルカント……」

「おお、そうだ。ボクだ。ボクがベルカントだ。互いの名を知ることは初めの一歩だと本に書いてあった」


 思わず呼んだ名に、魔女は――ベルカントははしゃいでいた。

 衣服に身につけたアクセサリーがガシャガシャと音を建てるぐらいには。

 そして直ぐに、魔女の狂気を見に纏わせる。


「醜悪だ。非常に醜悪だ。見た目が醜悪だ。心が醜悪だ。美しいものを害そうとすることが実に醜悪だ。――なあ、美しいアリシア。コイツをどうしようか?」

「えぇ……えっと……」


 急に話を振られても、アリシアにその答えは直ぐに出せない。けれど、放っておいたら影に吊るされた男はそのまま影に身体を引きちぎられてしまいそうだ。ギチギチという音と、呻き声がその証拠だ。


「とりあえず、動けなくしてくれれば後は衛兵の人達が」

「わかった」


「ぎみぃえ?!?!」


 人間とは思えない悲鳴が轟いて、ナルベルは地面に落ちる。泡を吹いてビクビクと痙攣している。

 確かに動かなくはなったが、意味がちょっと違うと、アリシアはベルカントを見る。

 ベルカントはやけに上機嫌に、そして親しげにアリシアに語りかけてきた。


「あの時言っただろう。なぜボクが、ただのお前を見ただけで美しいと感じてしまうのか。それを調べに行くと」

「調べるって……なにをどうやって……」


 助けられた――のだろう。けれど、アリシアにとってベルカントは未だ脅威の一つでしかない。先のナルベルとは別種の狂気をまとった彼が、まともな方法で調べ物をするとは思えない。

 ベルカントは、何ら悪びれることもなく、さらりと答える


「図書館に行った」


 まともな方法だった。


「そして一つわかったアリシア――」


 そう言ってベルカントは、アリシアに手を伸ばす。その手を掴むのを躊躇したアリシアだが、さらに伸ばされた手にあえなく掴まれて、そのまま引き上げられた。

 謎の影に支えられて、緩やかに立つ。そのまま急いで手を振り払って、ベルカントと距離を取る。

 すると、ベルカントが一歩近づいてくる。だから、また一歩離れた。するとまたベルカントが一歩近づいてきて、また一歩離れたところで、背が家の壁とひっついてしまった。

 そんなアリシアを追い詰めるでもなく、ベルカントはただ距離を詰めて、その手を取り改めて言った。


「アリシア――。ボクはお前に、恋をした」

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魔女な私はかく語る 林きつね @kitanaimtona

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