第6話 過去への助奏(中)

 アリシアが目を覚まして初めに行ったことは、調べることだった。

 一眠りしても、窓越しにわけのわからないことを言う魔女の存在は、どうしもうなく現実で、これからも身に降りかかってくる脅威でしかない。

 頭をふるっても、その体験はまだ新しい強烈な記憶として脳に残っている。

 その中で、繰り返し頭の中で響く言葉がある。


『……調べるか』


 魔女――ベルカントはそう呟いて、一旦は姿を消した。何を求めどこでどう調べるのかアリシアには検討もつかないが、その言葉にはアリシアを動かすに足るものだ。

 アリシアが外に出てできることはない。家にいるのが現状、一番だ。

 そんな中でも、出来ることが一つだけあった。それが、調べることだ。

 仕事に関係する資料は、アッカが保管しており、度々アリシアも、保管場所の周りは触らないようにと釘を刺されていた。

 けれど、釘を刺されていただけで、厳重に施錠されているというわけでもない。

 わざわざ見る理由もなかったので、アリシアはこれまでその資料に触ることもなかった。

 けれど、例えばそう、六年前の――アリシアに関わる事件に関する資料もその中にあるかもしれないと、アリシアの脳裏によぎった。


 自分に関する事件のことを、アリシアは知らない。なにせ、その辺の事情を教えられたのがつい先日のことだ。

 記憶を掘り起こそうにも、その記憶がアリシアの頭の中にはない。

 別に事件のことだけではない。アリシアは、あまりにもアリシアのことを知らない。

 怒涛のように押し寄せてくる出来事の中で、感じる間もなかった焦燥が、じわじわと迫ってくる。

 それは、父に打ち明けられるよりずっと前から考えていたことだ。いつか、自分の知らない自分に向き合わなければならない――と。

 最初は、ただ生きていくだけで必死だった。その最中に、才を見出され、今度はその才を輝かせることに邁進する日々だった。

 結局、何か大きなきっかけがくるまで、それはただただ先延ばしになっていたという話であって。


 きっかけは、嫌というほどあった。

 何も出来ないという苛立ちもあり、なんの躊躇もなく、アリシアは父の部屋に足を踏み入れた。

 見かけに似合わず、ありとあらゆるものが綺麗に整頓されたその部屋で、仕事に関する資料を見つけるのは簡単だった。

 部屋の左右にわけられた棚。

 左側には、アリシアがいつか父へ描いた下手くそな似顔絵。アリシアに関する賞状などが綺麗に飾られていた。

 右を見る。そこには、丁寧に年代別に分けられた資料がびっしりと詰め込まれている。

 部屋に敷き詰められた、父であり、衛兵でもあるアッカの愛と頑張り。

 鼻の奥が、ツンと痛くなった。


「ごめんね、お父さん」


 言いつけを破ることを詫びて、アリシアは一つの資料を手に取る。今からおよそ六年前の資料。他の資料と区別が付きやすいようになのか、そこだけ色が濃かった。


 ドクンドクンと、心臓が胸を打つ。緊張しているのだ。

 いくら待っても、その音が収まらないのは明白で、アリシアは、ゆっくりと紙をめくる。

 すると、一枚の便箋が揺れながら床に落ちていった。

 その便箋が気になったアリシアは、一旦綺麗な机の上に資料を置き、腰を曲げて便箋を拾い上げる。

 それは、アッカからアリシアに宛てた手紙で、最初の一文目にはこう書かれてあった。


『お前がこれを読んでいるということは、俺はもうお前の傍にいないということだろう』


 それは、もしも自分の身に何かあった時のために、アッカが残した手紙だった。


『お前はもう薄々気がついているかもしれないが、俺とお前は実の父娘じゃない。そして――』


 その後は、誕生日の時にアッカがアリシアに語ったものとほぼ同じ内容が書き連ねられていた。

 十歳までの記憶が一切ない本当の理由。その理由でもある、事件についてのこと。

 そしてその後は、残されたアリシアに対してのめいいっぱいの謝罪と、激励の言葉。

 作りやすい、栄養のある料理のレシピや、掃除のノウハウも記されてあった。

 この手紙は、まだ起こっていないもしものためのものでしかないけれど、それでも、目頭が熱くなった。

 疑ったことのない父からの愛情は、自分が知るよりずっと大きいのだとわかった。

 当初の目的も忘れて、何度も、何度も、アリシアはその手紙を読み返していた。

 そして、唇を強く結んで、見て見ぬふりをすることに決める。

 便箋を綺麗に折りたたんで、それを慈しむようにしばらく眺める。

 だがそれはそれこれはこれ――! と、横にのけていた事件に関する資料を手に取った。


 難しい言葉の羅列をなんとかかき分けて、使えそうな情報を探す。

 複数枚にわかれたそれらを、ペラペラとめくっていく。どこを見ても、頭を使わねば理解出来ないようなことばかりが書いてある。時間を書ければ読み解けないことはないが、集中すると周りが見えなくなる自分の性質をよく理解しているため、そうこうしているうちにアッカが帰って来てしまうかもしれない。

 こっそり部屋に持ち帰ってもバレないだろうかと悩みながら、アリシアは紙をめくり続けて、ついに最後の一枚へとたどり着いた。

 それを見て、アリシアは静止する。そして、父への感謝の念をこめて大きく微笑んだ。

 それは、事件の大まかなことをアッカが自主的にまとめていたものだったからだ。

 これならば、特に苦労もせずアリシアにも理解することができる。

 一枚ならば、バレる心配も薄いだろうと、散らかしたものを全て綺麗に片付けてから、その資料を自室まで持ち込んだ。


 ゆっくりと、ベッドに背を預けてアリシアは持ってきた一枚の資料を取り出し、綺麗な字で書かれたそれをゆっくりと頭から読んでいく。


『こんなことを書くのも腹ただしいことだが、身寄りのない子供が黒い組織に売られていくことはこの国ではそう珍しいことではない。

 今回のアリシアの件もその一つだろう。

 そして、そういった事件があると必ず噂されるのが、"魔女"の存在だ。

 怪しげな術を使う奴らの尻尾を掴むことは我々でも難しい。だから、その噂の真偽の程は俺にはわからない。

 けれど、今回の事件においては、魔女が堂々と表に出てきた。

 その魔女についてここに記すのは、いささか私情が挟まりすぎるため控える。

 我々はまんまとその魔女にいいようにやられ、取り逃してしまった。けれど、売られ悲惨な運命を辿るはずだった少女は救われた。その事実だけを記そうと思う』


 そのまま読み進めても、大まかなことは、誕生日の時にアッカがアリシアに語ったたものと同じような内容だった。

 そして、魔女の介入により、様々なことがわからなった旨も記されていた。

 まず、被害者であるアリシアの記憶が綺麗さっぱり消えてしまったこと。

 そして、人間の犯行入である、アリシアの所属するサルジーア・カンパニーの元スカウトマン ナルベルも、事件に関しては、重要な部分は全て黙秘を貫いている。

 これに関しては、彼も魔女に操られていたのではないかという意見もあったようだが、アッカは魔女とナルベルは共謀関係にあったが、ナルベルが魔女に罪を全て擦り付けるために黙秘をしているのではいかと考えているようだった。


 そんな風に、アリシアが既に聞いたこと、知らない情報もせいぜいその補完程度のものだった。


 それでも、アリシアは読み進める。何かあるかもしれないと。

 そしてそれは、最後にあった。

 そこに書いてあることは、アリシアの目を見開かせるのには充分過ぎた。

 誕生日のあの日、父はそんなこと一言も言わなかった。いや、言ったところでどうなるわけでもない。言わなかったことに意見するのはおかしい。それはアリシアにも理解出来る。

 まるで、何かが根底からひっくり返されてしまうような予感があった。


『一つ、この事件で奇妙なことがある』


 最後の文章は、その一文から始まった。


『すんでのところで、我々は駆けつけることが出来た。相手が魔女だということも理解していた。ならば、直ぐに殺してしまうべきだったのだ。

 けれど、そう出来ない理由があった。

 アリシアが魔女を庇ったのだ。酷く怯えた様子で、けれども強い決意を持って、我々から魔女を庇っていた。

「そうするように魔女に操られていたんだろう」と周りは言う。そして、そう結論付けられ、きっとそれは正しいことなのだろうと、俺も思う。

 けれど、胸の引っ掛かりは、ずっと取れないままだ。

 この仕事をして、数え切れないほどの善人と悪人を見てきた。だからなんだ、というわけではない。なんの根拠があるわけでもない。言葉にすることも出来ない。

 だから、ここにだけ記そうと思う。もし、俺以外の誰かがこれを読んでいるのなら、ここから先はもう読まないでほしい。もし読んでしまったのなら、冗談として笑って忘れて欲しい。


 ふと疑問に思う。本当にあの事件は魔女とスカウトマンの男との共謀だったか? と

 あの魔女はもしかすると――――』


 そこから先は、ペンで塗りつぶされていた。

 後から自分で読み直して、馬鹿なことを書いたと消したのだろう。

 それでも、ここまで書かれれば、アッカがどういう考えに至ったかを予想することは容易い。

 瞬きをするのも忘れて、アリシアは資料の締めくくりを読む。


 もどかしい気持ちを払拭させるために漁った一枚の資料。

 そこに書かれていたことは、一つの真実と――


『俺は自分のことを優秀な人間だと言うつもりはない。

 けれど、か弱い女の子の叫びが、心からのものであるかどうかぐらいは、わかっているつもりだ』


 父の言葉だった。

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