第5話 過去への助奏(前)
アッカは街の衛兵であり、その見た目の通り腕も立つ。度胸もある。
数多の悪人をその腕をふるい、抑えつけ、捕まえ、騒ぎの種には事欠かないドルムトの平和を守ってきた。
つまりそういう人物であるからこそ、当然、怒るとものすごく怖い。
仕事上、険しい顔をしていることが多いが、その実とても優しい人物で、不必要に怒ることはまずない。が、だからこそ怒ると怖い。
彼が本気で怒る時は、大抵誰かのためを思う時だ。そして、そんなアッカが今一番大切なのは、誰の目から見ても明らかだ。
六年前のとある事件で、記憶をなくし、身寄りもわからない一人の少女を引き取って育てることにした。
いつか、彼女が本当の家族に出会えるその時まで、自分は傍にいよう。そんなことを思っていた。
その時まで、その時までと、小さな時間を積み重ねていたら、いつの間にか十歳の少女十六歳になっていた。
眠る才能を存分に花開かせ、どこに行っても誇れるような、そんな存在になっていた。
いつかくるかもしれない別れを忘れたことは無い。けれど、アッカにとってアリシアは本当の娘だったし、アリシアもアッカを本当の父のように慕ってくれた。
アリシアは、聡く、強い。
六年間も黙っていた事実に、ある程度はきっと気がついていたはずだ。それでも、アリシアはアッカに何も言わなかった。
アリシアにとって、なにがあってもアッカは自分を育ててくれた大切な父なのだから。
その想いは、伝わっている。余すことなく、アッカもそれをわかっている。
けれど、怖かった。真実を言って、今までの日々に、わずかでもヒビがはいってしまうことが。
十六歳になる彼女に、もう『お前のためを思って黙っていた』なんて言い訳は通用しない。
アリシアの十六歳の誕生日、アッカは全てを打ち明けた。
実の父娘ではないこと。事件のこと。
自分の感情を悟られないように、毅然とした態度で、ただ事実を話しているだけだというように。
結局、アリシアは取り乱すでもなく、いくらか質問をした後に、「そうだったんだ」と、部屋に戻っていった。
部屋へ続く階段の上から顔をのぞかせて、
「わたし、ずっとお父さんの娘だよ」
と言った言葉に、嘘はないだろう。気を使っているわけでもない。ただの真っ直ぐな本心。
ホッとしても、いいのだろうか。そう自分に問いかけながら水を一杯飲む。
安堵と不安が抑えきれず、そのまま椅子に腰掛けてボーッとしていた。
それから、どれくらい時間が経ったのだろう。
いつの間にか降りてきていたアリシアが、
「少し歩いてくるね」
と言って出ていった。
その瞬間、不安が安堵を塗りつぶしたのは言うまでもない。
やはりなにか思うところがあるのだろうか。いや、ないはずがないだろうが、けれどなにかあるのなら自分に言ってほしい。もしかして気を使っているのだろうか。さっきの言葉ももしかして――。
考えれば考えるほど、ドツボにハマる。
実際アリシアが出ていった理由は、年相応のくだらない感傷だったわけだが、それを察せるほどその時のアッカは冷静ではなかった。
意味もなく部屋の中をうろつき続け、椅子に腰掛けて頭を抱え――。
そんな行為を何回か繰り返した頃、ある報せが入ってきた。
その報せは、決していいものではなく、アッカの不安をさらに増幅されるものであったが、少なくとも感情は一つにまとまった。
あの子を、守らないと――。
急いで来てくれと言う部下を追い払い、アリシアが帰ってくるのを待った。
探しに行こうかとも思ったが、どこへ行ったのかもわからない。入れ違いになってしまう可能性の方が高い。
ひとまず出かける準備だけして、待とう。もうすぐすれば、痺れを切らした部下がもう一度来るだろう。その時にアリシアのことも頼もう。
そう思っていた頃だった。
「ただいま……」
家の扉が開いて、アリシアが帰ってきた。疲れているようだが、無事らしい。
心底安堵し、泣き崩れたい衝動に駆られたが、そんなことをしている暇はない。アリシアが帰ってきた以上、自分も急いで行かなければならない。
簡潔に、状況の説明だけをして、足早に家を出る。
本当はずっと傍にいて守ってやりたい。けれど、娘に牙を剥くかもしれない危機が街のどこかに潜んでいるならば、それを排除しなければならない。
混乱させてばかりすまない。
そんな一言も言えず、アッカがは足早に家を出る。
気の合う同僚二人と、精一杯仕事に励んでいた一時は、楽しかった。辛い仕事のあと、くだならい話をしながら飲む酒が、人生の全てだった。
しかしいつの間にか、その全てが一人の少女に塗り替えられていた。
アッカは何よりも、誰よりも、娘の安全と幸せを願っている。
自らの夢を叶え、今もなお進み続けるその背中は、本当に誇らしい。
自分にできることは、その背中をおしつづけること。そして、いざと言う時は盾となって守ること。
アッカという父親にとって、アリシアという娘は全てだ。
どうか、どうか、何事もなく全て終わってくれ。もうあの子から、なにも奪わないでくれ――。
そう、切に願い、そのために全力を尽くす。
そんな父親の、空いた時間ようやく家に帰ると娘はおらず、得体の知れない怪しい男のところにいると判明したという時の心境は想像にかたくない。
つまるところ、家にまで引きずり連れ帰られたアリシアは、ものっすごく怒られたのである。
「うぅ……」
思わず出た涙をゴシゴシと袖で拭い、アリシアはベッドの上に乱暴に転がる。
暴力こそ振るわれなかったものの、一生忘れられないような怒られ方をした。それが心からの心配からくる怒りであると理解出来る分、余計に刺さる。
心からの心配からくる怒りを受けてすぐの今、もう一度外へ行こうとはさすがに思えない。
けれど結局、アッカにはなにも言えずじまいだ。ものすごい剣幕だったこと、そして、本当に合間を縫って様子を見に来てくれていたのだろう。
またすぐに出ていってしまった。
「なんとか……しなきゃ……」
魔女のことと、脱獄事件のことは関係がない可能性が高い。
となると、かつてアリシアを売り渡そうとした男の件については、父に任せておくのがいいだろう。
けれど、魔女のことだ――。それを今知るのはアリシアと、占いの屋敷の二人だけ。
巻き込んでしまったという自責と、結局一人ではどうすることもできないという諦観が、怒られ冷えた頭の中で巡る。
「はぁ……」
ふと、窓を開けて外を見る。青空が見えるそこに、アリシアは景色を夢想する。
なんだかとてもキラキラしたようなイケメンが、窓の外にいる。そして、甘い声で囁きながら、手を伸ばしてくるのだ。
『お嬢さん、キミの力になろう』
誰ともわからないそのイケメンは、常に自分を守ってくれる。数々の戦いの中、二人の絆は深まり、イケメンが自分を守ってくれる理由も判明し、やがて二人は――
恥ずかしい妄想はその辺で終わった。
この歳にもなってなお、好きな人のために創った曲を、その人に聞かせてあげたいだなんて夢を真面目に持っているアリシアだ。この程度の妄想ぐらい、たまにする。
周りを危険に合わせたくない、自分一人で出来ることなら解決したいと覚悟を決めていたはずのアリシアだが、それはそれ、これはこれだ。
妄想の中のイケメンにはどんな都合のいいことを期待しても許される。
けれど、いくら妄想をしたところで目の前の現実は一歩たりとも進んではくれない。いや、進んではいるかもしれない。
取り返しのつかない方向に、だが。
「あー……どうしよう……」
気のない言葉ばかりが溢れ出る。
アリシアの力は歌だ。歌に出来ることなら、なんだって出来る。してみせる。けれど、歌が及ばない状況では、あまりにも無力だ。
「歌姫……か」
自虐するように、呟く。その肩書きを誇りには思っているけれど、だからといって、本当のお姫様のようにこのままじっとしているしかないのだろうか。
頭を回しているつもりでも、アリシアはだらしなくベッドの上に寝そべっているだけで、まだ高い陽が体を心地よく照らしてくれていた。
一度、休もう。
そう思った時、アリシアを照らす陽が遮られた。そして、聞こえた――。
「見つけた――」
聞き覚えのある声。
慌てて身体を起こし、声の聞こえた方向――窓を見る。
その男は、陽の光遮るように、開いた窓の縁に佇んでいた。
もちろん、アリシアが空想したようなイケメンではない。
いや、確かに顔はイケメンではあるかもしれない。やたらと取り付けられた装飾品で、キラキラもしている。
けれど、その男はアリシアに救いの手を差し伸べる存在などではなく、むしろ真逆――。
魔女だ。
その魔女の名前はベルカント。美しいを求める魔女。
アリシアの歌に惚れ、その歌を自分のものにしようとした歪んだ精神の持ち主。アリシアを取り巻く問題の一つ。
見つかった――家を知られた――逃げなきゃ――殺される――。
思考がまるでアリシアを押しつぶすように、その場から動けなくさせる。
魔女は、ベルカントはしっかりとアリシアを見据えている。
あまりにも、対応が遅れてしまった。今逃げ出そうとすればきっと、またあの影のようなものがアリシアにまとわりつくだろう。
せめてもの抵抗で、初めて襲われた時のように強くにらむ。
「――歌えよ」
「嫌」
そんな視線を意に返さず、ベルカントは要求する。
そして、それに対する答えは、考える時間も必要ない。それだけは、譲れない。
「くっひははははは!!」
ベルカントは笑う。なにがおかしいのか、アリシアには理解出来ない。ただ目の前で肩を震わせる男が、あまりにも奇怪だった。
「…………お前、今、歌ってないよな?」
今度は、その質問の意味がわからなかった。だから、なにも答えずアリシアはベルカントを見据えたまま。
理解の範疇の外にいる魔女は、ただ身勝手に言葉を続ける。
「あー、いや、わかってる。お前は今歌ってない。ボクをバカと思ってるか? だとしたら間違いだ。ボクにはそれぐらいわかる」
軽く頭をかきながら、ベルカントはそのまましばらく唸った。何かを考えているようだ。
何度か声をもらして、苛立たしげに足を鳴らし、そしてまた口を動かし始めた。
「ボクはお前の――アリシアの歌が美しいと思ったんだ。だからそれが欲しくて、お前のことをこうして探し回っていた。けれどなんだ、もう一度お前を見てみると、なんだ……美しいじゃないか、アリシア。お前はただの人だろう? なのになぜ、ボクは今のお前を美しいと思っている。……その理由がわかるか?」
「……わからないわよ」
何もかも全部だ。質問の答えはもちろん。何を言っているのかすら。
毅然とした態度を崩さないことだけで精一杯のアリシアは、ベルカントがなにかに困惑していることすら、いまいちわかっていない。
ベルカントもベルカントで、アリシアの今の状態に意識を向けることもなく、ただただ自分の言いたいことだけを言い続けている。
「そうか、わからないのか。てっきりあの臭い球に妙なものでも入れたのかと思ったけど違うのか。そうか……困った……どうすればいいんだこういう時は」
頭を抱え始めるベルカント。
何が何だかさっぱりだが、この隙に逃げれるんじゃないかと、アリシアはゆっくりと後ろに下がる。
「――ひっ」
けれど直ぐに、ベルカントは顔を上げた。
攻撃されるのではないかと、アリシアは身構えたが、ベルカントは何をしてくるわけでもなく、ぼーっと空中を見ている。
そして――
「……調べるか」
一言、そう残してベルカントは消えた。今までのことは全て夢ではないかと思うほど、忽然と消えた。
ただそこには、開け放されたままの窓が、風に揺られているだけだった。
アリシアは呆然とそこを見つめて、もう一度倒れ込む。
「なんなの……」
そのままアリシアは、一切理解できなかった状態に対してそう吐きすててから、ゆっくりと意識を失っていった。
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