クロノスサイドー11

 澄んだ月明りが、世界を満遍なく照らしていた。風はどこまでも冷たく、雲があれば雪でも降っていただろう。

 リチャードの妹の通う学園は、山を切り開いて建てられている。大金持ちの別荘を思わせた。学園は金色に塗装された槍がいくつも重なりあうようなデザインの柵に囲まれている。入り口には守衛が立っているが、入り口を抜けるとそこは庭園になっていて、種類豊富な花々や彫刻に飾られた噴水が目を引く。

 刻也とアルはそんな学園の様子を望遠鏡で監視しながら、今この世界で起こっていることの詳細を話していた。

「それじゃあつまり、リチャードを逃がしたのはわざとなのか? 上の命令を無視してまで?」

「無視はしていないわ。軍人としてそんなことできないもの。そういう場を作って、失敗したように装ったってこと。あの場ではリチャードの上司しか知らないことだけれど、リチャードの身体には発信機が組み込まれていて、上司はいつでもリチャードを追跡できる。だから彼らを二人を泳がせて、タイムマシンの在りかを掴もうとしているの」

 ユニは学園から目を離すことなく、刻也に詳しい状況を説明していく。刻也は出撃ぎりぎりまで眠っていた為、ブリーフィングをする時間がなかったからだ。起こしてくれれば良かったのにと刻也は言ったが、彼の寝顔があまりにも穏やかだったから躊躇ったなどと、ユニには言えなかった。

「それで、俺たちがここにいるのは?」

「リチャードの妹さんが在学しているのよ。全寮制で、寮も同じ敷地にあるわ」

 残念ながら、二人の位置からはその寮を視認することはできなかった。

「博士の両親みたく、彼女も攫おうって話か?」

「その通り。リチャードが博士を助けるのを迷ったのは、ここにいる妹さんが原因なのよ。自分が裏切った時、彼女がどんな目に合うか分からないもの」

「だったら、最初から妹さんを連れ出してしまえばよかったんじゃないのか? わざわざ一年も待たなくても」

 刻也は双眼鏡を覗いたまま、思ったことを口にする。

「妹さんには監視が付いているのよ。もし突然いなくなったりしたら、リチャードが疑われるでしょう? 本人も行方を知らないのだから、妹さんを探しに向かって博士を放置してしまうかもしれない。下手をすると運命が悪い方に変わる可能性もある」

 二人は話している間も、学園の監視は怠らなかった。警備の人間はどこにいるのか。また、リチャードの妹を監視している帝国の兵士がどこにいるのかを探る。しかしほとんど索敵はオクタのスキャンの結果を待つ時間となっていた。

 ふと話が途切れて、静寂が二人を包む。静かになると、刻也の心にせり上がってくる不安が鎌首をもたげる。手のひらはじっとりと汗で濡れ、落ち着きなくそわそわと身体を動かし、息も知らず浅くなっていく。また、戦場に赴かなければならない。一度修羅場を抜け人に銃を向ける覚悟ができても、死への恐怖は沸々と湧いてくる。

 ユニはそんな刻也の心情を察して、落ち着かせるようゆっくりと背中をさすった。

「そんなに気負う必要はないわ。前回は軍の基地だったから大変だったけれど、今回は相手にする人数も彼らが扱う武器も大したことないから」

 せいぜい不審者撃退用の装備に何人か学園が雇った兵士くらいのものだと。問題は別のところにあった。

「監視装置の数がすごく多いのよ。下手をすると、軍基地よりも多いわね」

 人の眼ではなく、機械の眼が無数にある。ユニは人の位置よりそういった装置の場所を把握しようとしていた。あまりにも数が多すぎて、死角を探すのも馬鹿らしいと思い始めた頃。

「ユニ姉さん、お待たせしました。スキャンの結果を送ります」

 ユニはオクタの報告を受け取り腕時計を起動する。学園全体のARが空中に浮き出てきた。

「警備の人数はそれほど多くありません。人の少ない館には三人ずつ。執務室に一人、巡回している人が二人。教師や生徒の眠っている寮には多くの警備兵が割かれていますが、それも十人程度のものです」

「やっぱり問題なのは、監視装置のほうね……。この場にいる警備だけならどうにでもなるけれど、不審者を認めた途端応援が呼ばれるなんてことになったら、それこそ大変なことになる」

 この先の苦労を想像してため息をつきながら、ユニはこれしかないと結論をだした。

「妹さんのいる場所から最も近い場所から侵入して、迅速にことを終わらせましょう。応援がやってくるまでが勝負。強行突破も辞さないわ」

 ユニは双眼鏡をしまって、代わりにエネルギーブラスターを引き抜いた。

「オクタ、最短距離のルート案内をよろしく。仕掛けるのに時間をかけると、リチャードの上司の仲間が妹さんを確保するために動く可能性があるから、そちらの監視も忘れずにね」

『了解しました。ルート案内、開始します』

 ユニと刻也の片眼鏡を通して、地面にルートが示される。二人はそれに沿って移動しながら、中の様子を探っていった。高い柵を乗り越えるような時間はない。そもそも柵に近づいただけでも監視装置に見つかってしまう。

 ユニは柵から離れた木々の中からエネルギーブラスターの引き金を連続して引き絞る。放たれた紅い球は柵に触れた瞬間に柵諸共消滅する。それがいくつも飛んできて、柵を円形にくり抜いた。ユニは助走を付け、一気に加速してくり抜いた部分に体当たりする。金属の柵は喧しい音を立てて地面に転がった。同時に警報装置が発動する。学園中に異変を知らせる警報が鳴り響いた。

「行くわよ!」

 ユニは体当たりした後も素早く起き上がり走り出している。刻也も遅れまいと必死に走った。もはや見つかることなど構わない。堂々と中庭を走り、リチャードの妹の下への最短距離を駆け抜ける。

「いたぞ!」

 その声と同時に、刻也とユニは眩しい光に包まれる。怪盗を照らすようなライトが、二人の行く先を追う。二人を仕留めようと闇の中で銃が火を噴き、二人の周囲に金属音を響かせる。刻也は頬を掠める銃弾に恐怖しながらも、足を止めることはなかった。ユニの背中だけを見つめて、撃たれる恐怖を頭から追い出そうとしている。

 リチャードの妹の住んでいる寮が、二人の目の前に現れる。飛び込むように建物に入ると、銃弾は飛んでこなくなった。万が一生徒に弾が当たる可能性がある以上、建物の中に向けて銃を撃つことはできないようだった。

「さあ、はやくいきましょう。ぐずぐずしてられないわ」

『目標は四階、手前の階段を登って右手、三番目の部屋にいます』

「了解!」

 息をつく間もなく、二人は階段を段飛ばしで駆けあがる。ユニの動きは、そのスピードに対してどこか異様に緩やかで、軽やかだった。彼女の長髪は暗闇に柔らかく舞い、窓から洩れる月明りに照らされると人を惑わせる妖しい輝きを見せる。刻也は何時撃たれるかもわからない状況の中でさえ、足を止めて見入ってしまいそうになる。

 見回りにきた警備はユニがリボルバーで気絶させた。一秒を惜しみ、踏み出す足を止めることはなかった。

 生徒の寝泊まりしている四階のフロアは、建物の外見に負けず美しかった。壁も柱も床も、手の込んだ彫刻や華やかな絵画、上質な絨毯で飾られている。どれもが主張しすぎない、落ち着いた場所を演出している。

 二人はフロアの廊下の中程のドアを前にして、ようやく立ち止まった。

 アイコンタクトの後、ユニがドアをノックした。

「……どなたでしょうか」

 やや時間をおいて、返事が返ってくる。銃声の響く中で目覚めてしまったのだろう。状況がわからない恐怖や戸惑いが滲んだ声だ。

「私たちはあなたの兄、リチャードの友人です。あなたの兄は濡れ衣を着せられ、帝国から追われる立場になってしまいました」

「兄が?」

 ドア越しでさえ感じ取れるほど、彼女の声に含まれる感情がはっきりと切り替わった。自らの恐怖より兄の身を案じた彼女の声は力強く、一刻も早く話を聞きたいという気持ちが顕著になっている。

「ここで詳しく事情を話している時間はありません。あなたの身も狙われる可能性があります。一緒に逃げ出しましょう」

「わかりました。すぐにドアを――」

 部屋の中でドアに近づく足音がしたのと、彼女の言葉が不自然にくぐもり、途切れたのは同時だった。まるで、何かで口を塞がれたかのように。

 中で彼女の身に何かが起きたことは明白だった。刻也はドアから離れ助走をつけ、ドアに向かって激突する。ドアの鍵は一気に壊れ、ドアの板は部屋の中へと開いた。

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クロノスの気のままに 涼成犬子 @075195

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