第9話 花を踏んでは惜しむ
二人のよもやま話を中断させたのは、華やかな神気の前触れであった。唯一といっていい友人が近づいてくるのを目に留める。
黒一色の軍衣は近衛府に属する証。帯刀した軍刀の拵と彼の瞳の黄金色がきらきらしい。伸びた背筋で迷いなく歩いてきたのは。
「ラディ」
「リク。近くに来たからついでに寄ったんだ。順調か?」
「概ね問題ありませんよ。ああ、紹介します。舞の相方である衝羽根殿です。衝羽根殿、こちらは私の幼馴染で、」
「右近衛少将だろ、知ってる」
「よろしく」
険のある鳴兎の言い方に、おやと疑問を抱く。彼はぶっきらぼうな言葉の割に静かな喋りをする。が、今回は感情を乗せているように思われた。幼馴染はそんなものを全て受け流して微笑みすらしたが。
「お知り合いでしたか?」
「いや、顔を見たことくらいはあるが話すのはほとんど初めてだな」
「少将殿が俺を知ってるなんて意外だな」
「人の顔を覚えるのは得意なんだ。図書寮にいなかったか?」
「……ああ。図書寮大属だ」
「図書寮というと、蔵書の管理をしているところですね。あとは歴史書の編纂でしたか。それに伴い紙などの記録媒体の製造も担っていますね」
「俺は外国書の翻訳や研究をやってるから、その辺りの仕事は専門外だ」
「それは大学寮の所轄ではないのですか?」
六白の疑問はもっともだった。
大学寮は帝の元に勤めることを志す者達への教育機関だ。教育者はその道に明るい研究者が多く、研究機関としての役割も自然と担っていた。
「大学で教えてないあらゆる雑多なことをやってるからってのもあるし、ちょうど大学寮に席の空きがなかったからそれっぽい図書寮に入れられたってわけ」
「多くの言語に精通されているんですね。素晴らしい」
六白の他意のない賞賛に、鳴兎は口を引き結ぶ。視線を下に向けて六白の言葉を否定した。
「優秀なんかじゃない。衝羽根ではな」
「どういう意味ですか?」
「……なんでもない。忘れてくれ」
なんと声をかけるべきか思案していたところで、節くれだった指が伸びてきて髪を梳く。目で問えば、幼馴染が掌を開いて見せた。
「桜の花弁ですか?」
「ああ、頭に付いていた。そのままでもいいと思うけど一応取った。桜からしたら地面に落ちて踏み潰されるより、リクを飾る方が幸せだろうけど」
「私の頭を飾るより、舞い散り多くの人の目を楽しませる方が本懐でしょう」
「リクの頭でも多くの人の目は楽しませられるとは思うけど、一枚だけで人の頭に落ち着くってのも寂しいかもな」
ラディが花びらを息で吹き飛ばす。思いがけず空高く上がって行き、頭上から数多の桜が舞い散ってきた。
「花を散らす幻術ですね?」
「どうせ散るなら派手な方がいいだろ。一枚だけ落ちていくのも寂しいかなって。ーー
「私たちを少年というのはいささか無理があるのでは?」
「衝羽根大属なら相応しいんじゃないか?」
「気障すぎて無理」
一枚の花びらの弔いに多くの花びらを幻術で映し出した上に、花を踏みしめて青春を惜しもうと言われて感傷と雅の大盤振る舞いに、鳴兎は胸焼けがしそうだった。
花を美しいと思う心はある。しかし大袈裟に楽しむ感覚はない。無風流と言われようとも。
鳴兎の考えを知らない二人は、そのまま花やかな幻術を楽しんでいた。
そしてその二人を見て楽しむ女官達を、鳴兎は見つける。少々独特な思考に偏った彼女達から見て、目の前の二人は最高に似合いの一対なのだと容易に察せられた。
さて、二人に見られていることを教えるべきかと考えたところで、女官の手鏡が光を反射して一瞬光る。
常に周囲の警戒を怠らない軍人である近衛少将が、素早く六白を彼の身で隠した。
撮られていると気づいた瞬間に庇うのは良い。だが、その行動は彼女達の美味しい餌にしかならない。
案の定、吹き抜けの廊下の方から興奮した声が聞こえてくるのにため息をつく。
「大属」
「はいはい」
追い払ってくれと暗に頼まれて、了承する。こちらとしても盗撮に巻き込まれるのはゴメンだった。素早く女官の集団に近づき警告した。
「現在、俺たちは旬宴の準備中だ。年中行事に関して撮影は図書寮と雅楽寮のみに許されている。お前達の行いはルール違反だ。撮影したものを即時に消去し速やかに立ち去れ」
「そんな〜見ていただけです」
「なら見せろ。……あるじゃないか、消せ」
「休憩してるところじゃない。そのくらいいいでしょ」
「ダメだ」
「忙しさで荒む心を潤したいんです〜!」
「そうよ、そうよ〜! ケチ〜」と野次が飛ぶ。
「ルールに従って心を潤せ。遠いところお越し頂いた伊吹守に不快な思いをさせるのがお前たちのやるべきことか?」
相手にしていてはキリがないと、手ずから手鏡を操作する。
手鏡の中に映し出された、あれやこれやの盗撮写真や動画を見て再度ため息をついた。この短時間にどれだけ撮っているのか。執念すら感じる。
一通り消したことを確認すると、抗議の声を完成に無視して素気無く追い払った。
「ラディ、衝羽根殿。一体どうしたというのですか?」
幼馴染の盾が解除されたところで、唯一事態を把握していなかった六白が戸惑いがちに質問した。
「あんた達が盗撮されてたから、追い払ったんだよ」
「盗撮ですか? 何故? そもそも撮影機材は高価なもののはず。そんな貴重なものを私達を撮るために使うなんて想像できません」
「残念ながら盗撮は日常なんだよ、リク。一応、帝の座す御所の中心ではその危険が少ないからすっかり気を抜いてた。ここは豊灯院だから、女官も多いし狙われやすいわけだよな」
「すみませんが、どう言うことなのか説明してもらえますか」
「外出もままならない女官たちは己の娯楽の為に藍晶宮で健気に働く男どもの鑑賞をしてた。けどそれだけじゃ飽き足らず、映像やら写真やらを撮って仲間内で見て遊んでるってわけだ。特に見た目がいいやつとか目立つやつは狙われやすい。流石に帝の周辺でそういう不敬な真似は謹んでるみたいだけどな」
「ラディは普段は帝の近くに控えることが多いからあまり被害に合わなかったけど、今日はたまたま遠出したから狙われたと」
信じられない顔をする六白に鳴兎は追い討ちをかける。
「あいつらが持ってる手鏡で写真やら映像が撮れるんだが、映像は質が良くないが写真はそこそこだから容赦なく構えてくる。しかもあんたは希少価値が高いからな、追い回されることも覚悟した方がいい」
希少な獣を追いかける密猟者の絵面が一瞬頭に浮かぶ。密猟者が欲するのは美しい毛皮ではなく娯楽の提供だ。どちらにせよ無粋であることに変わりないが、力で制することのできる密猟者の方がよほどマシだった。
「私はやはり珍獣なんですね……! じっくり見られるだけでも気に触るというのに盗撮なんて耐えられません。一体諸悪の元凶はどなたですか」
「分かんねえ。女官みんなが持ってるわけでもないし、誰が手鏡をばら撒いたのかも不明だ。こういう時の女の結束力は高いから中々明るみに出ないしな」
「そもそも、宮中の撮影及び掲示は許可を得たものしか許されないはずです。重大な規律違反では?」
ラディが唸る。
「うーん、そこが難しいところでな。外部の団体や機関には撮影が認められてないってのは正しい。年中行事や政務関係の撮影は一部の寮にだけ許可が下りているし、原則外部への持ち出しも禁止。だが、私的な撮影になると機密を含まず外への流出がなければ暗黙のうちに許されているのが現状だな」
「ちなみにあいつらの主張としては、友人同士で撮影してたら、たまたま他の人が写り込んできたから仕方ないよね、ってやつらしい」
「よくもそんなことぬけぬけと言えますね……。ラディの悪質親衛隊然り、なんだか治安が悪くありませんか?」
「ここ最近は大きな問題もなかったし、暇を持て余しているんじゃないかな。俺たちも多少の噂話なら慣れているから気にしないでいられるけど。まあ最近はいきすぎてるかもな」
「単体で眺めるだけじゃなく、男同士を組み合わせて遊んでるしな」
衝撃的な鳴兎の言葉に、六白は驚愕に息を詰め、その六白を気の毒そうにラディが見やる。
「組み合わせるって……つまりは事実とは関係なく男性が二人いれば恋仲だと想像しているということですね?」
「そ。男が仲よさそうにしてようものなら、すぐに頭の中でそういう風に変換される。近衛少将なんかそういう女どもに人気があるぞ」
「他人の性的嗜好に関わらずその様な妄想を繰り広げて楽しむなんて醜悪としか言えません」
「むごいよな〜」
「むごいよな、じゃありません。ラディ。貴方は一体どれだけの人の情念と妄想の餌食になっているんですか。気の毒にも程があります」
陽気な幼馴染の職場環境が予想以上に酷いことを知り、不快感と同情心に声も鋭くなる。
「気にするなよ。放っておけば何もしてこないから」
「いいえ。貴方の気の良さにつけ込んでやりたい放題するというのは許されることではありません。それに、いつもラディには良くしてもらっているのに私はこんなことになっていることに気づかず……申し訳なく思います」
「リク。お前が気に病む必要なんて本当にないんだって。まあ確かに嬉しくはないけど、今のところ酷い目にはあってないわけだし、仕事の邪魔をされるってこともそうそう無いし」
「無理してないですか?」
「してないよ」
「はいはい、そこまで〜。二人とも仲がいいのはいいことだけど、こんな人の目があるところでイチャイチャしてたらまた狙われる」
「イチャイチャしてません!」
「あんたがなんと言おうと手鏡の女官たちからしたら、そう見えるから。美形の幼馴染なんて美味しいおかずにしかならねーよ」
「おか……ず……」
「衝羽根大属、そのくらいにしといてくれ。リクには刺激が強すぎる」
「ラディ、子ども扱いはやめてください」
「あ〜〜〜〜わかった。あんたら幼馴染に巻き込まれるのはゴメンだからな。俺はもう行く。今日の続きは明日でいいか、伊吹守」
「はい。同じくらいの時間でよろしいですか?」
「ああ、またここで」
挨拶もそこそこに鳴兎は去って行く。その背をしばらく見送って、六白はラディに向き合った。
「ところで、ラディ。貴方はお仕事は?」
「ん? ああ、書類仕事をしに執務室に戻ろうかな」
「急ぎですか?」
「そうでもないけど、なんで?」
「件の手鏡を見てみたいと思いまして」
「へ!? なんで!? 美男が見たいのか?」
「そんなわけないでしょう。貴方が美味しいおかずにされてしまっている現状を把握しておきたいのです。もしかしたら私も既に撮られているかもしれませんし」
「あ〜〜。見たら多分引くぞ?」
「既に引いています」
「これ以上は回復不能な精神衝撃になるからやめといた方がいい」
「回復力には自信があります。ダメですか?」
「……わかった。でも俺は持ってないから持ってそうなやつのところに行く。それでいいか?」
「はい。ありがとうございます」
六白のお願いを無碍に断ることの出来ない幼馴染には申し訳ないが、被害状況の把握は必要不可欠だった。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
神さまの愛と痛覚 じゅん @jyuntmt
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