nightmare

 空気の壁が質量をもって体を打ち付ける。

 嵐のような気流が長い髪をなぶる。

 点在するライトの明かりが、流線となって消えていく。


「ああああああ!!!」


 アスファルトを素足が蹴り飛ばす度に、体がぐんぐんと加速していく。

 顎を強く引いて。

 腕を振る。


 前へ、前へ。

 速く、速く。


 走れ。

 走れ!

 走れ!!


 途中、何台かの車を追い越している。

 しかし、そのドライバーたちが自分の姿を捉えていたかどうか、口裂け女は既に気にしなくなっていた。


 やがて大きく緩やかなカーブを曲がると、視線の先に、おぞましきものども・・・・の姿が表れた。


 駆けるもの。

 這うもの。

 飛ぶもの。

 跳ねるもの。

 歌うもの。

 笑うもの。

 なにやら、わけのわからないものたち。


 叫び声を上げていた口裂け女の、その文字通りに耳まで裂けた口が、にい、っと笑みを作った。


 前方から聞こえてくる賑やかな喧騒の中に、時折人間の悲鳴が混じる。

 どうやら彼らの姿は見えているらしい。


 けれど。

 そんなことはもう、どうでもいいのだ。


 口裂け女は、よりいっそう力強くアスファルトを蹴ると、おぞましき怪異の群れへと突っ込んだ。


「きゃははははは」

「だああああああ」

「ひひひひひひひ」

「おおおおおおん」


 サラリーマンが自転車のペダルを漕ぐ音が。

 女子高生の跨がるミサイルの爆音が。

 リズミカルなステップが。

 人間たちの悲鳴をアクセントに、口裂け女の全身を包み込んだ。


 一つ、また一つと、爆走する怪異を追い越していく。

 前を行く影が少なくなっていく。


 今前方を行くのは、紫の着物と、黒のライダースーツ。

 一踏み毎に、一秒毎に、その差が縮まっていく。


 もっとだ。

 もっと速く。


 やがて音が消え。

 景色が消え。

 ただ自分と同じ速度で走る二人の影だけが視界に映る。


 光は眩く、眼を焼いて。

 呼吸は忘れ去られ、体の感覚もなくなっていく。


 もっと速く。


 ただ、その念だけが意味を持って、世界を塗り替えていく。


 ああ。


 この時が、永遠に続けばいいのに。


 やがて女の振るう腕がバイクのライトを追い越して、前方に影が出来た。


 その瞬間、光と音の洪水が口裂け女を包み込み、女の意識が白く染まった。






「あっはははははは。サプラーイズ! どうどう、面白かったでし……いったぁ!!」

「サプラーイズじゃないわよ、ばか」

「ぶった! さっきーがぶった!」

「さっきーって言わないで」


 夜の闇に煌々と灯るサービスエリアの明かりを背景に、口裂け女とフランス人形のような姿の少女は並んで座っていた。

 車止めに腰掛けて座る女が回りを見渡せば、そこここに人間に混じった怪異たちが笑いあって屯していた。


 紫の着物の老婆はタオルを首に巻いてスポーツドリンクを飲み、ミサイルに腰掛けた女子高生に顎を擦られた人面犬はだらしなく顔を緩ませている。

 身長2メートルはあろうかという巨大な女や、くねくねと揺れる奇妙な何か。

 蒼白い顔の子供たち。


 時折人間たちが背筋を震わせて背後を顧みるが、今の彼らの姿は見えない様子であった。


「酷いよ、裂きちゃんが悩んでるみたいだったから、私がみんなに声かけてあげたのに」

「言ってよ、最初から。ホントびっくりしたんだから」

「だって~。わざわざ人間たち使って『口裂け女が高速道路に出る』なんて噂流すの、けっこう大変だったんだよ? ちょっとくらい遊ばせてくれたっていいでしょ?」

「あれはあんたの仕業か!」


 数分前、口裂け女が首なしライダーを追い抜いた瞬間、前方に巨大な光が弾けたかと思うと、道路の両脇に様々な怪異が待ち構え、ゴールテープを用意していたのだ。


 高らかに響いた轟音に口裂け女が目を白黒させていると、怪異の群れの中から、彼女のよく見知った少女――電話機の中に潜む怪異が、満面の笑みで表れたのだった。


 事情を説明され、がっくりと肩を落とした口裂け女の元に、頭部を脇に抱えた首なしの男が歩み寄ってきた。

「ごめんね、裂き子さん。驚かせちゃって」

「あ、いいのいいの。それより、こっちこそ頭ほったらかしちゃってごめんなさい」

「あはは。大丈夫だよ。すぐ呼び戻せたから」


 和やかに笑う(顔はないが)ライダースーツの男に、場違いなワンピース姿の少女が抱きついて言った。

「首夫くんに感謝してよね。『なら、いっそ全力で走ってみたらいいんじゃないかな』って、首夫くんが発案者なんだから」

「そうだったんだ」


「まあ、僕らも気分がくさくさすることだってあるしさ。今日は楽しかったよ。みんなも喜んで参加してくれたし」

「そうね。たまには気分転換もいいわよね」

「それより、裂き子さん、ホントに足速いんだね。びっくりしたよ」

「うふふ。……あ、そういえば」

「うん?」


 口裂け女は立ち上がると、首なしライダーから1歩下がって、上目遣いに問いかけた。


「ねぇ、最初に声かけた時のやり取りは、演技だったんだよね?」

「え? うん、そうだけど……」


 口裂け女は「そっか」と含み笑いを溢して、マスクをしたまま体の前で手を組んだ。

 困惑するライダーに、にっこりと微笑んで。


「ねえ、私キレイ?」


「うん。キレイだよ」


「こ れ で も ?」


「あ、それはやっぱり怖いかな」

「こいつ!」

「あはは」

「あはははは」


 夜の駐車場に、誰にも聞こえない笑い声が満ち。

 その見えざる宴は、夜明けまで続いたのであった。




「ねえ、知ってる、夜の高速道路に百鬼夜行が出るって話」

「知ってるー。あれでしょ、首なしライダーにターボばあちゃんに人面犬に……」

「口裂け女!」

「やばいよね」

「なんか、みんな時速150㎞以上で爆走してて、それに追い抜かれると車の中で死んじゃうんだって」

「そりゃ死ぬよ!」

「なんでも、スピード自慢のお化けが覇権を争って……」

「……」

「…………」



 怪異は、人の噂話のなかに潜んでいる。



「またやる、さっきー?」

「勘弁して」

「……本当に?」

「…………まあ、年イチなら」

「いしし」



 あなたは、こんな話、聞いたことありますか?




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走れ、裂き子さん lager @lager

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