第二話
馬車に揺られ三十分、ギルは国軍基地から都市の中心部にある国立図書館へと向かっていた。
国軍基地も同じ都市内とはいえ、五角形の広大な面積を有す国軍基地は都市の外れにあり、対して国立図書館は人口が特に密集する城下街のシンボルとなっている。
地面ごと一段高く作られた王城が目立つのは勿論だが、その次に街のシンボルとして上げられるのは間違いなくこの図書館であろう。
理由は単純。たかが図書館とは思えない程に巨大で荘厳。蔵書数も近隣国の国立図書館と比べても頭一つ飛び抜けて、約五七〇〇万冊と膨大。古今東西、あらゆる本が揃っていると言われている。中には当然、魔術書も。
「そろそろ到着でございます」
「どうも。ありがとうございます」
御者が仕切りのカーテンを開けてギルにそう呼びかける。取り付けられた窓の外を覗くと、数十ヤード先に目的地の図書館が見えた。
最早、塔と呼ばれても不思議で無いほどに高く天へ向かい建てられたそれは、やはり嫌という程に目を惹いた。
暫くして、馬車は図書館の正面に停まった。ついに到着しちゃったか……と、ギルは重い腰を上げて、時間をかけてゆっくりと馬車から降りる。
「ふぅ。着いたか! っと、うーん…………でかいな!」
何度も見たことのある風景だが、普段とは状況や気の持ちようが違うためか、より大きく見えた。
気持ちを切り替え、気合いを入れ直す為に朝日を浴び、冷たい空気を胸に吸い込む。
確かな爽快感を感じ、目もハッキリと覚めた。
西の空は未だ夜の暗さを残し、東の空では朝焼けがたなびく雲を赤く染めている。そんな早朝のため、日中は雑踏で溢れる街も今は人通りは疎らだ。
この時間を指定したのも図書館の魔術使いらしい。図書館が開いて人が混み合う時間と重なるのを避ける為だろうか。
「よし、行きますか!」
図書館の入り口、門と呼んでも差し支えない程に巨大な扉の前にギルが立つと、タイミングよく扉が開いた。
扉が全開していくところを、おお〜と声を漏らしながら眺めていると、図書館内から一人の女性が進んで来た。
僅かにウェーブのかかった、暖かみを感じる淡黄のロング。二重でパッチリとした瞳に、整った鼻梁。図書館の制服だろうか、青漆のゆったりとした服装に露出は少ないが、その服を押し上げている双丘の豊かさはかなりのものだ。
「お待ちしておりました。国軍警務部少尉、ギル=ロンド様でございますね?」
イメージ通りの柔らかな声音。彼女の周囲が一瞬で花畑に変わったようにギルには見えた。
正直に言えば、彼女はギルの異性のタイプど真ん中であった。
「…………………」
彼女に見惚れ呆然としたギルは、彼女の問い掛けに対し口を開いたまま言葉を失っていた。
「あ、あの? ギル=ロンド様ですよね? あれ? もしや私、人間違いしてます?!」
想定していた返事がない為に、彼女は困り顔で慌て始めた。
そんな姿も可愛い! と内心で歓喜に打ち震えていたギルだが、はっと我に返り頭を振る。
直ぐに敬礼の姿勢を取ると、この第一印象で彼女に好印象を抱かせて見せる! と高らかに心の友のレオクリフへ宣言を送り──
「ギル=ロンドであります! 一九歳です! フリーです! 末永くよろしくお願いします!」
確実に要らない情報を付け加えた上に、一体何を末永くお願いするのか。訳の分からない返事をしてしまった。
「あ、え? はぁ……? お願いします?」
困惑、というか早速引き気味になっていらっしゃる!
失敗した……と涙をチラつかせ、ギルは肩を落とした。
が、こんな事で挫けてはいけない。ただで転ぶんじゃない、この失敗をネタに笑いや同情を引けばいいのだ!
「あ、あははー! すいません、いきなり。ビックリしましたよね? 緊張のしすぎで気合い入っちゃって……えーと、そうだ!お名前を伺ってもよろしいですか?」
「申し遅れました。私、この国立図書館で司書長を務めております、ユーリ=フォルンです」
自然に名前を聞き出せた事を自画自賛しつつ、ギルは心のメモ帳に「ユーリ=フォルンさん」と書いて赤で何度も下線を引いた。
深々とした優雅な礼から顔を上げたユーリは、「では、」と仕切り直す。
「館長がお待ちになられております。館内を案内しつつ行きましょう」
館長、すなわち図書館の魔術使いである。再び緊張を取り戻したギルは、仕事モードの面持ちに変わる。
「はい。お願いします」
そしてギルは図書館へと足を踏み入れた。
ユーリの後に続いて歩く事数分。
ギルとてヴィクトラ国民、幾度か図書館へ訪れた事はある。
そしてその度に抱く感想であるが、とにかく広い。さらに、どこを見ても本ばかりな為、変わり映えしない景色で迷いやすいことこの上ない。
ギルはやや辟易としつつ、館長室のある上階へ向かう。
ひたすらに階段を上る最中、ギルが飽きないように気を遣ってか、適宜ユーリが図書館の説明を挟む。
その途中でギルが気付いた事がある。上階に行けば行くほど貯蔵されている本の保管が厳重になっているのだ。
最初の内は持ち出し自由の本が壁一面に並べられ、読書用の机椅子がいくつも用意されたスペースもあった。
しかしある階から、本が鎖で繋がれ持ち出せないようにされていた。ユーリ曰く、鎖付図書と言うらしい。
さらには扉付きの書架に仕舞われ、扉ごと鎖で何重にも固められたものまであった。
ギルがそれらを指差して、
「もしかして、あの中に魔術書が仕舞われていたりするんですか?」
と、問うとユーリは笑顔で答えた。
「ええ、力の弱い魔術書ならばいくつかあります。ただ、強力なものに関してはこれより余程厳重に、目に付く事のない場所にありますよ。そうでなければ危険ですから」
「そう、なのですか……」
ギルはそれを聞いて背筋に悪寒を感じた。
もし今回のミイラ事件に魔術書が関わるとすれば、人を殺すほどだ、強力な類に違いない。自分がどれだけ危険なものを追おうとしているのか再認識させられたのだ。
そんなやり取りもしつつ、目的地に辿り着いた。
「さて、着きました。ここが館長室です」
ユーリは二度軽く扉を叩くと、返事を待たずに静かに扉を開けて、ギルに中に入るよう促した。
そこは館長室というよりは、広めの書斎のようだった。
三方の壁は書架で埋められ、天井付近に取り付けられた明かり窓から朝日が差し込み、部屋を照らしている。
その中央にはシックな机が置かれ、机上の書見台に開かれた本に、真摯な表情を向けて黙読する
そう、少女である。明らかにこの場の誰よりも若く、十四歳、いやそれ以下かもしれない、そんな幼い少女の姿だ。
「えっと………」
この少女が館長、あの図書館の魔術使いなのか? と信じられない気持ちをギルは隠せなかった。
もちろん国民の誰もが、この図書館館長が魔術使いである事を知っている。しかし、その魔術使いの姿を実際に見て、知るものは殆どいない。当然ギルも図書館の魔術使いがどんな人物か知らなかった。
しかし、誰がその魔術使いを少女だと信じるだろうか。偏見を除けば、ただの可愛らしく幼気な少女だ。
きめ細かく白磁のように白い肌、それとは対照的な艶やかな黒髪。細い手足や首筋は人形のようで、ツンとした目元は少女の性格を表しているようだった。
「館長、ギル=ロンド様がお越しですよ」
ユーリが少女に向かってそう声を掛ける。やはりこの少女が図書館の魔術使いのようだ。
しかし少女はこちらの声が聞こえない程に夢中になっているのか、チラリとも目線を上げようとしない。
ユーリは仕方がないという笑みを浮かべると、ギルに向き直って申し訳なさそうに口を開いた。
「申し訳ありません。館長は一度集中なさると中々周りに気が向かず……もう暫くで読み終わると思いますので、それまでここでお待ち頂けますか?」
「わ、分かりました……」
ギルの驚きは抜けない。だからこそ、この間はありがたくもあった。冷静になる時間が与えられるからだ。
その時は想像より早かった。ギルが焦る脳内の情報を整理していると、パタリという本を閉じる音が部屋に響いた。
「館長……」という静かなユーリの呼び掛けに、図書館の魔術使いは正面のギルに向けて目線をくれて、軽薄な笑みを浮かべて告げた。
「初めまして、ギル=ロンド少尉。待っていたよ。さて、先ずは何から話そうか」
クリムの魔術書と図書館分室 南砺遥 @nantoharu
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