クリムの魔術書と図書館分室

南砺遥

第一話


「またか? ミイラ事件」


 ギル=ロンド少尉は口に詰めたライ麦のパンをスープで流し込んで、そう尋ねた。

 栗毛の短髪に碧眼。筋肉量は然程だが、余分な肉も付いていない、それなりに引き締まった体躯だ。目立った特徴も無いが、だからこそ顔立ちは整った方と言える。ギルはそんな青年だ。


「あぁ、今度は西部地区で一人。これで六人目だよ」


 ギルの同僚、レオクリフが眉を顰めて嘆息すると、ギルも同様に疲れた表情を見せた。


 大陸は北西、ヴィクトラ王国の都市ナチェタ。そこに構えるは、五角形の塀で囲まれた国軍基地。その共同宿舎一階にある食堂は昼時を迎えた今、訓練兵を含めた軍人達で混雑している。

 ギルとレオクリフは、そんな賑わいを見せる食堂の片隅で話を交えていた。


「にしてもあり得るか? 年齢も性別もバラバラな六人が干からびたミイラ化して発見。しかもその全員が数日前に目撃情報があると来た」


 二人が所属する国軍警務部は今、数週間前から起きたミイラ事件の捜査に追われ、連日休みなく働かされていた。

 二人が目にクッキリとした隈を携えているのもそのせいである。


「その目撃情報確かだろうな? 人がミイラ化するのに、数日じゃ信じられん」


 捜査が難航しているのは、ミイラ化した被害者達が、数日前までピンピンしていた所を目撃されている事が原因だ。さらに被害者らに共通点がない以上新種の病気という線は考えにくい。

 この事件に関わる者は、疑っていると言うより、信じたく無いという思いを抱える者が大半だろう。


 結果人々は都合のいい捌け口に事件の真相を押し付け始めた。


 レオクリフはスプーンに掬ったスープの口に含むと、スプーンの先をギルに向けてクルクルと回す。


「全くだ。となると、やっぱ………魔術使いの仕業じゃないかって説が濃厚じゃないか?」


 スプーンの先が固定され、無意識にスプーンを追いかけていたギルの視線が止まる。

 ギルは魔術使いという言葉に一瞬鼻白んだようにして、直ぐに苦笑した。


「魔術使いねぇ……隠居中のジジイに、国家戦力という名で幽閉中の女。西の街で孤児院してるマザー。それから図書館の魔術使いか……………」


 それはこの国に住んでる人間なら誰でも知ってる常識。魔術が遠い昔の奇跡として廃れた時代において、未だ現存する四人の魔術使いである。

 魔術使いは、魔術というその不鮮明で理論的ではない力を使う者だと認識されており、多くの国民から数奇の目で見られ、忌避する者までいる。


 それは国軍内部でも同じことであり、特に今回のミイラ事件のような厄介な事件を魔術使いのせいと決めつける者は多い。


 ギルやレオクリフは少なくとも理由無く忌み嫌う事はしないが、良い印象を持つ事も無かった。


「考えられない事は無いが、全員に監視役が付いてるはずだ………決めつけるには早計だろう」


 ギルはレオクリフをたしなめるように、はたまた自分自身に言い聞かせるように呟く。


「まぁそうだな……」


 会話が途切れ沈黙の時間が流れる。雑踏の中無音になる事は無いが、疲労の所為もあり、やけに重苦しい空気が漂った。


 ギルは器に残ったスープを一気に呷って、仕切り直す。


「こう暗くなっても仕方ない。さ、行こうか」


「あぁ、お前のその暗い雰囲気に耐えられない性格、嫌いじゃないよ。全く」


 レオクリフが苦笑しながらも僅かに羨望の目を向けると、ギルは小さく咳払いで恥ずかしさを誤魔化した。


 出口が混み合う前に颯と食堂を抜け出ると、二人は意外な人物に出会った。


 硬い床と革靴が鳴らす独特な響き。足音でその人の体格、性格を判断できる人もいると言うが、この足音は誰もが無意識に姿勢が伸びるような厳格さを感じさせるものだ。


 この足音の正体を知らない者はいないだろう。


 二人は廊下の端に寄ると、一糸乱れぬ敬礼でその人物を迎える。


「やあ、ギル少尉にレオクリフ少尉。警務部に寄ると食堂にいると聞いたのでね」


 重いバスの効いた声が二人へ向けられる。

 その人物はヴィクトルナハト大佐。

 筋骨隆々な肉体は、ピシリと着こなした軍服からはち切れんばかりで、切れ長な目と首筋の火傷痕が彼の気迫に拍車をかけていた。


 まさか声をかけられると思わなかった二人はやや慌て、言葉に詰まりながら答える。


「こ、これは御足労をおかけして申し訳ありません、ヴィクトルナハト大佐!」


「よい。そう畏まるな。楽にしていい」


「「はっ!」」


 素早く手を腰の辺りで組み半歩開く、休めの姿勢を取る。

 大佐は一歩ギルに向けて近づき、目を合わせた。

 大佐の鋭い眼光は本人にその気が無くとも威圧感を与え、まさに蛇か鷹のようだ。さしずめ今のギルは睨まれた蛙というところだろうか。


「さて、ギル少尉。君のことを中将がお呼びだ。二十分後、中将の元へ行くように」


「っ……中将が、ですか?」


 ギルは自分の耳を疑った。中将が、将官といえど最下位の少尉を名指しで呼び出す事などあるだろうか。少なくともこれまでそんな話は耳にしたことが無い。


 困惑と緊張で脳内が埋まる。レオクリフも戸惑いつつ、心配する目線をギルに送っていた。


「そうだ。遅れるなよ。……それでは俺は行く」


 ヴィクトルナハト大佐はギルへ忠告を告げると、踵を返して去って行った。


 呆然として、挨拶も出来ないまま敬礼で見送ったギルは、大佐の背が見えなくなったところで、呼吸を忘れていた事に気付いた。


「何やったんだ? お前……」


「し、知らないよ。中将に呼ばれるような覚えは無いんだが……」


「でもよ………まあ、何であろうと骨くらいは拾ってやるよ」


「はっ、笑えないよ……」


「こればっかりはお前でも明るくなれねぇってか?」


 レオクリフの表情は徐々に心配から野次馬精神の笑いに変わり始めた。

 対してギルは持ち前の明るさも活かせぬまま、頬を引きつらせたぎこちない笑みで自嘲するのであった。



 ダークブラウンの重厚な扉を前にしてギルは生唾を飲み込んだ。

 ここに来るまでの間、散々心を落ち着かせる方法を試したが結局どれも意味を成さず、不安による焦燥と現実逃避が脳内で繰り返されていた。


 ギルは襟を正すと、扉を叩き、一息に声を上げた。


「ギル=ロンド少尉です! 失礼いたします!」


 扉を開けると空気が変わったのを感じた。

 それは偏に部屋の中央、頬杖をついて構える、ブルメルグ中将が放つオーラの所為であろう。


 浅黒く日焼けした肌に、白髪交じりのオールバック、体格は中肉中背。ヴィクトルナハト大佐はもちろん、ギルよりも体格面では劣るかもしれない。


 それでも纏う凄味は、隣に控える大佐を霞ませるほどだった。かつての大戦時、敵陣の制圧の為に味方の犠牲を諸共せず進撃を続けた、不死の闘牛と呼ばれた男。肉体は衰えても、内に秘める闘志は健在のようだ。


 この中において一体自分はどれほど矮小なものかと一瞬にしてギルは考えさせられた。


「まあ入りたまえ、ギル=ロンド君」


 中将が口を開くと酒の匂いが漂った。声も酒焼けして嗄れている。よく見ればデスクの上にウイスキーがワンショット置かれている。


「はっ、失礼いたします」


 後手に扉を静かに閉め、背筋を伸ばして言葉を待つ。


「君の事は特に大佐から噂に聞いてるよ、ギル=ロンド君」


 どんな噂ですか? と聞きたいような、聞きたくないような。嫌な汗がギルの背筋を伝った。


「早速で悪いが君に話がある。君にとって嫌な話かも知れないが聞いてもらう」


 中将はウイスキーの入ったグラスで口を湿らせた。

 ギルは逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、硬直した足に救われ、微動だにせず、ジッと中将を見つめる。


「君たち警務部が今担当しているミイラ事件。知っているな」


「はい」


「軍上層部もこの事件を深刻に見ていてな。諜報部隊を遣ったところ、あるものが事件に関わっていると分かった」


 ここで中将は一拍置いた。目付きがギロリと獲物を狙うものに変わる。まるで銃口を向けられているような緊張感だった。


「魔術書というのを知っているか?」


 魔術書、という言葉なら知っている。詳しい内容や原理を知っている訳ではない。そもそも魔術使いでもない自分が原理を理解できるはずも無いが。


「魔術使いがその力を持って、本に魔術を記し封じたもの、でしょうか? 確か魔術に通じていない者にも影響を与えると。詳しくは知りませんが、聞いたことならばあります。それが今回の事件に関わりが?」


 ギルが尋ねると、中将では無くヴィクトルナハト大佐が返答した。


「あくまで可能性だが、魔術書が事件の鍵である確率は現状極めて高いと言える。被害者の全員がとある同じ本を読んでいた事が調べによって判明した」


「なるほど……」


 レオクリフが言っていた、魔術使いの仕業というのは間違いでは無かったのかもしれない。そうギルは思ったが、まだ断定するには早いと頭を小さく振る。


 それにこの事を知らせる為に、自分だけをわざわざ呼んだとは考え難い。そう考えギルは口を結んだ。


「さて、そこで本題なのだが」


 中将はウイスキーを一気に呷ると、何かに怒っているかのような表情を見せて口を開いた。

 決して酒に酔って怒り上戸になっている訳では無い。


「君にはこの魔術書の線を探るため、国立図書館へ異動してもらう」


この言葉にギルは動揺を隠せなかった。


「図書館へ? ですか?」


「あぁ……そこには我らよりこの類において詳しい奴がいるからな……」


 中将の声にはやはり若干の苛立ちが含まれていた。

 魔術書、図書館、と聞きギルも連想し思い至った。


「………図書館の魔術使い、ですか」


「その通りだ。君にはそこで、この事件の捜査に当たってもらう」


 なるほど、中将の怒りの原因も分かる。かつて不死の闘牛と恐れられた中将は、とある魔術使いにその進撃を阻まれ、ついに撤退を余儀無くされたという悔恨の思いがあるのだ。


 その事から、中将は国軍内で魔術使い嫌いの筆頭格とも知られている。


「あの人外の手を借りるなど癪に触るが、魔術が関わるとなれば奴の専門だ。国の為に働いてもらおうではないか」


 中将は忌々しげに鼻を鳴らして、不機嫌そうに言葉を吐き出した。


「ふん、そもそも魔術が原因の事件ならば、魔術使いが同志のケツを拭くべきなのだ。魔に囚われた人外め、心すら売り払ったに違いあるまいて……」


 ギルの心中もまた穏やかでは無かった。中将の皮肉な台詞にどんな表情を浮かべるべきかというのも悩みであるが、一番は魔術使いの元で働く事への不安だ。


 魔術使いについて良い噂は聞かないが、どれも手前勝手な罵倒や事実ともつかない文句であったため、ギルは今までまともに考える事も無かった。しかし、いざ自分が魔術使いと関わりを持つ立場となると気にせずにはいられない。


 それに中将がこれ程に嫌う魔術使いの元へ向かわせるというのは、自分に厄介事を押し付けられたという事に…….いや、実は自分はお払い箱で投げ出されただけかもしれない。


 そんな負の連鎖思考を断ち切るため、ギルは思い切って尋ねる事にした。


「一つ、聞いてもよろしいですか? なぜ………その派遣対象に自分が選ばれたのでしょうか?」


「理由か……二つある。一つは推薦だ。図書館の魔術使い本人からと、軍の一部からのな。最初に言ったように君はよく噂になる人物なのだよ。………安心していい、悪い噂では無い」


 ギルが訝しげな顔をすると、中将はそう付け加えた。

 その言葉に安堵の息を漏らす。と、同時に前者からの推薦、即ち図書館の魔術使いが自分を指名した事に疑問を抱いた。


 その事を直ぐに聞こうとしたが、中将の魔術使い嫌いを考えて止めた。これ以上魔術使いに関して掘り下げると中将の機嫌がどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。


(後で大佐にでも聞いておこう……)


 ちらりとギルが大佐へと目を向けると、大佐は片眉を上げて、困ったような微笑を浮かべた。どうやらギルの考えは見透かされているようだった。


 因みに大佐は魔術使いの扱いに対して中立派、むしろ協力関係を結ぼうと考えている節がある。対して軍上層部には魔術使い嫌いが多い。彼の実力に比べ階級が大佐で止まっているのは、上の人間と反りが合わないせいだろう。

 もちろん魔術使い嫌いでありながら、大佐自身の人材としての優秀さを買っている人間もいるが……例えば目の前の中将のように。


「そしてもう一つの理由だが、これは君に与えられる裏の任務に関わる事だ」


 中将は両肘を机につき、口元で手を組んで、視線でギルに近づくように命じた。

 そして部屋の隅々をジロリと見渡すと、何を恐れてか声を押し殺して囁く。


「図書館の魔術使いを見張れ。この事件の捜査協力の依頼先であると同時に、奴は容疑者の一人だ。その真偽を確かめる為にも、実直で優秀な人材を送る事にした。それがもう一つの理由だ」


 ギルは目を見開き、息を飲んだ。この任務はつまり、独りでスパイとしてあの魔術使いの元へ潜り込めと言うものだ。


 もし本当に図書館の魔術使いが犯人だとして、スパイがバレればどうなるだろう。

 それをバレないようにする為の優秀な人材か、それともバレても足切りして問題無い捨て駒か。どう思われて、使われようとこの際構わない。とにかく任務を遂行する事に注力しようと決めた。


 だってバレたら怖いし? だったら全力尽くしてやったろうじゃ無いかっ!


 まあそもそも? 図書館の魔術使いが犯人って決まった訳じゃないし? 大丈夫大丈夫! 何とかなるなる、してみせる!


 背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、無理矢理ポジティブな考えで鬱を捩じ伏せた。


「了解しました」


 脳内の独り言などおくびにも出さず、短い言葉と共に頷いた。逆に口を開き過ぎると何が出て来るのか、ギル自身分からなかった為に短く承知を示した。


「任務についてから報告は定期、週に二度行ってもらう。元々付けている、魔術使いの見張りとのすり合わせもするのでそのつもりで。緊急時や大きな進展があった場合は直ぐに報告に来るよう」


「はっ」


 言い終わると中将はすくと立ち上がり、締め括りの言葉を告げる。


「それではギル=ロンド少尉。任務に尽力せよ。………見事解決した暁には、昇級後のポストを用意しておこう」


「人知を尽くして、任務に当たります!」


 ギルはこれまでで一番姿勢が良いと自負出来る程完璧な敬礼と共にそう宣言した。



 退出後、荷物を纏めるために寮へ行く道すがら、ギルは中将の言葉を思い出して呟いた。


「最後のはちょ〜っと死亡フラグ臭くて嫌だったかなぁ……」


 巷で流行りの小説で良くあるソレと重ね合わせて苦笑を漏らした。



 ギルが退出した後、中将と大佐は互いに一言も交わさずに、中将は酒を嗜み、大佐はその酌をとっていた。


 長い沈黙の均衡を破ったのは中将だった。


「どうなんだ? ギル少尉は本当に魔術使いに対抗し得るのだろうな?」


 ギルを図書館の魔術使いの元へ遣わそうと、そう強く推したのは他でも無くヴィクトルナハト大佐その人であった。


「えぇ。むしろ魔術使いと正面を切って挑み、且つ破る可能性を持つのは彼だけでしょう。いえ、彼なら或いは………」


 そう続けた言葉は誰にも継がれる事なく、中空へ酒の匂いと共に溶けていった。

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