離れてはいけない。

宇部 松清

座敷大人

「座敷わらしっているじゃん」


 騒がしい居酒屋の、ギリ個室とも呼べなくない空間で、向かいに座る彼女はそう言った。

 彼女は柏原茉莉絵。あだ名は『カシコ』。雰囲気がちょっと古くさい……じゃなかった、落ち着いてるから、「が付きそうだよね」って誰かが言ったのだ。それだけで、その日から彼女は『カシコ』になった。カシコは「子の付く名前に憧れてた」なんて言って、にこにこと笑っていた。大学生の時のことだ。


 私はカシコとその大学で知り合った。就職でバラバラになったが、彼女がこの県に戻ってきたのを機に、またこうして会って飲むようになった。


 そして今日、私は彼女に、ある事実を突きつけようとしている。


「座敷わらしがどうしたの?」


 彼女との付き合いは10年以上になるけれども、まぁ特別仲が良いというわけではない。たまに遊んで、たまに飲んで。恋バナに花を咲かせたこともあるし、それでお互いに泣いたりもしたけど。その程度。


「座敷わらしみたいな人っているんだよ。いや、『座敷大人』かな」

「はぁ?」

「まぁ、聞いてよ」


 彼女の話はこうだ。


 その――ここではAと呼ぶことにする――が、近くにいるうちは、まぁそこそこ人生が上手く運ぶ。とはいっても、『まぁそこそこ』レベルなので、大金が転がり込んでくるとか、そういうことはない。ただただ悪いことが起こらない。後になって、「あの時が一番幸せだったかな」と思い返すような、そんなレベル。


 けれど、Aが自らの意思でその人の前からいなくなってしまうと――良くないことが起こる。

 もちろん、Aの方からその場を離れざるを得ない場合もあるのだが、その場合は割と被害は軽く済むのだとか。


「まっさかぁ、都市伝説でしょ。嘘っぽい」


 私は軽く笑い飛ばして、カシオレを飲んだ。カシコは「だよね」と返して笑っている。彼女はカンパリソーダだ。


「でもね、あながち嘘でもないっていうかさ……」


 そんな前置きをして、カシコは声を一段低くした。


 かったるい。


 正直、そう思った。これがラストオーダーだ。これを飲み終える前に、伝えないといけないことがある。閉店まであと30分。もう彼は駅にいるはずだ。


 そんな神妙な顔付きでどんな話をするかと思えば。


 浮気をした彼と別れたら、その男が友人の連帯保証人になってしまい、借金地獄になった。


 勤めていたところがブラック過ぎたので退職したら、その次の日にそこの支社の閉鎖が決まった。


 担当美容師にカットを失敗されたので、行き付けから外したら、その元担当が鬱になって家から出られなくなった。


 Aがファンを辞めたバンドは、ヴォーカルが覚醒剤所持で逮捕され、解散を余儀なくされた。


 陰でこそこそAの容姿を笑っていた友人は僻地に飛ばされ、先輩は婚カツが上手くいかず、上司はハゲが進行したのだという。


 まぁ、それくらいなら……。


 しかしそれ以外にも、


 Aが以前住んでいたアパートは、住民のモラルがいまいちだったようで、ペット不可にも拘らず、こっそり猫を飼っているおばさんや、壁が薄いのに夜な夜な彼氏を連れ込むOL、ミュージシャンを志す若者は真夜中でもギターをかき鳴らしていたらしい。で、間取りや立地、家賃についても申し分ない物件だったが、Aは泣く泣く引っ越した。

 そしてその一週間後、そのアパートは全焼した。


 幸い、住人は無事だったのだが、おばさんの猫と、若者がコツコツとバイトをしてやっと買ったギターは駄目だった。OLは軽いやけどで済んだものの、そもそもの出火原因がその彼氏の寝タバコによるものだった。


 その他にも、様々な理由でAの『行きつけリスト』から外された飲食店はことごとく潰れた。決してAが良くない噂を流したわけではない。そもそも、口コミサイトなんていうのも全く利用しない人なのだそうだ。


 そしてA自身はそれを望んでいるわけでもない。そのどれもが後になって第三者から知らされるらしく、自分が「座敷わらしのようだ」と言われていることを知ったのもごく最近なんだとか。


 なぜか、背中がぞくりと冷えた。

 客を早く帰らせるために冷房をきつめにしているのかもしれない。

 カシオレの氷はとっくに小さくなっていて、味も薄まっている。


 早く帰りたい。何なの、この店。


 無性に腹が立った。

 客を追い出そうとするこの店にも、

 こんな時間に訳のわからない話をするカシコにも。


 だからほとんど無意識というか、勢いというか、口が滑った感じだった。


「私、カシコの彼と寝ちゃった。ていうか、彼もあたしに乗り換えるって。いまも駅で私のこと待ってる」


 早口でそう捲し立てると、カシコは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。


 それを見届けてから、ポケットに入れていた鍵をテーブルの上に置く。


「合鍵預かって来た。カシコに会うなら返しといてって」


 カシコは無言で鍵を回収した。ずっとポケットの中に入っていたから、私の体温で温まっているはずだ。


「何か言うことないの」


 お釣りはいらないからとも付け加えて、万札を置いて立ち上がる。カシコは悲しそうな顔をしているだけだった。


 何もないなら、それで良い。

 きっともう会わない。いや、会えない。


 そう思うと寂しいような気もしたが、私だって良い年なのだ。やっと見つけた超優良物件。絶対に逃すものか。女の友情なんて、そんなもんよ。


 ぺらり、と暖簾をめくる。個室といってもこんなもので仕切ってるだけだ。


「――知ってた」


 背後から、カシコの声がして、振り向く。


「――は?」

公暁きみあきが千恵と浮気してるの知ってた」

「……そう」

「さっきのね、Aって私のこと」

「――え? 何いきなり。冗談でしょ。止めて」

「信じなくても良いけど別に」


 待って。

 止めて。

 

 何でよ。何でそんな悲しい顔するの。

 

身を引くね」

「ま、待って……。そんな……」



 と――良くないことが起こるのだ。



 止めてよ。

 彼とは結婚の約束までしてるのよ。


 どうにか――どうにかしないと。


 気付けば私はカシコのその細い首に手をかけていた。彼女の呻き声は酔客の喧騒に紛れていく。


 苦しそうに顔を歪めていたカシコは――、



 笑った。

 口の端をめいっぱい上げて。



 そして一言、


「地獄に落ちろ」


 とだけ言って、目を閉じた。


 

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離れてはいけない。 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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