星屑

キノ猫

海と、空と、君と、僕と。

 星屑に願い事なんて、馬鹿らしい、無意味なことだ。

 きっと僕は彼女に出会わなければそう言っていただろう。

 今でも多少はふざけているなと思うが、何処か昔とは違う。きっとこれも彼女の所為だ。


 静かな町並みが印象的な所に来た。電車から降りると、目一杯に広がった海に、振り返れば山々がそびえ立つ。ここは、町というより自然の中な気がした。

 僕の目的地は、駅から数十分歩いた先にある宿泊施設。お手伝いをする約束だ。

 部屋へ案内してもらい、適当に荷物を置いて、バルコニーへ出た。潮風の心地いいそこは、水平線の彼方まで見えるような気がする。

 海沿いに、黒く長い髪をなびかせ、白いワンピースを翻しながら歩いている女の人が見えた。

 興味本位で海岸まで降りてみると、その人は、僕に気付いたみたいで、手を振ってくれた。僕が小さく頭を下げると、彼女は嬉しそうにこちらへ駆けてくる。

「初めまして。私君と昔会ったこと、ある?」

「……新手のナンパかなんかですか、こんにちは」

 僕が言うと、にゃひひと特徴的な笑い方をした彼女。「かもしれないね」と、付け加えながら。

「え?色々突っ込みたいんだけど」

「そんなこと言わずに。ここは便利な所とかあまり無いけれど、楽しんでね。じゃあまた会えたら」

 彼女は腕時計を見た後、そう言って去って行ってしまった。

 僕はしばらくの間、海を見つめていた。

 僕が宿泊施設に戻った頃には、日が沈んだ後だった。

 僕はすっかり暗くなってしまった海を眺めながら女の子を思い出す。今日出会った女の子を、うみちゃんと呼ぶことにした。


 うみちゃんと出会った次の日。

 海辺を見ながらご飯を食べていると、うみちゃんが砂浜に蹲っているのが見える。僕は残りのご飯を口一杯に詰め込んで、部屋を飛び出した。


 砂浜に足を取られながら彼女の元まで走る。

「……大丈夫?」

 僕は恐る恐る声を掛けてみた。

 うみちゃんはゆっくり顔を上げたかと思ったら、嬉しそうにくしゃりと笑った。

「みっけた!」

 球状のシーグラスを手にして。

 彼女に何もなく、安堵の息が漏れたのを見かねてか、

「あ、もしかして私がしんどそうに見えた?」

 にゃひひ、と特徴的すぎる笑い声付きで聞いてきたので、「アホか」と言っておいた。

 うみちゃんは頬を膨らました後、彼女の後ろにある麦わら帽子の中身を僕に見せた。それにはシーグラスから始まり、淡い色をした貝殻や、珊瑚の欠片らしきものも入っている。

「可愛いでしょ?」

「僕はそういうのに鈍いから解らないけど、いいと思う」

「素直に可愛いって言えばいいのに」

 彼女はシーグラスを一つ手に取って、太陽にかざしながら言った。

「私ね、シーグラスって星屑みたいだなあって思うの。星の欠片が落ちてきたみたいでしょ?」

 僕はシーグラスを見つめる彼女が絵になっているな、なんて思っていると、携帯がけたたましく音を立てた。自分で掛けておいたアラームだった。

「じゃあ僕はここで」

「ええ、また会える時に」

 挨拶を交わして、僕は宿泊施設へ小走りで向かった。


 薄い雲と夕焼けが空を覆う。空のグラデーションもあり、海が神秘的に見えた。

 今日は昨日より早く上がらせてもらえた。

 僕はうみちゃんが居ないかどこか期待しながら海辺を見た。すると、座っているうみちゃんが見える。

 僕は足取りが軽くなっているのを感じながら海へ向かった。

 うみちゃんの隣に腰を掛けて彼女を見た。そして、僕は息を呑んだ。

 彼女の頬に、透明な輝く雫が滴って、落ちた。幾つも、幾つも。

 僕はポケットのハンカチを差し出しながら、聞いた。

「どうしたの?」

 うみちゃんは遠くを見つめながら小さく口を開いた。消え入りそうな声で言う。

「お母さんと喧嘩をしたの」

「そっか、喧嘩しちゃったんだ」

 彼女は小さく頷いた。

「大きな喧嘩なの。もしかしたら外出を禁止されるかもしれないわ」

 うみちゃんの口から嗚咽が漏れた。

 僕は泣いている女の子に掛ける気の利いた言葉とか、涙を止める術なんて持ち合わせていない。だから、側に居てあげることしか出来なかった。

 彼女は遂に膝を抱えていた手で目を覆って泣いた。

 夕陽が海の青を優しく溶かした。


 うみちゃんが言った通り、翌日海辺にうみちゃんの姿は無かった。お昼や夕方に海へ目を向けたが、彼女の影は見当たらなかった。

 僕の心にぽっかり穴が開いたみたいだった。その次の日も、うみちゃんは海辺に居なかった。

 いつになく時間が経っていくのがとても長く、憂鬱に感じた。そして、海がしらけて見えた。


 この町に居られる日が残り二日になり、夕暮れが終わってしまった。僕はバルコニーへ出た。磯の香りを運ぶ夜風に当たれるのも今日で最後なので、堪能しようと思ったのだ。

 水面に浮かぶ欠けた月を眺めていると、浜辺から僕を呼ぶ声が聞こえた。僕が聞きたかった声。

 必死に声の主を探した。居た、うみちゃんだ。

 僕は全速力で彼女がいる所に向かった。胸が弾んで仕方が無かった。

「にゃひひ、お久しぶりだね」

「本当、僕が居なくなるまで顔を出さないのかなって思ったくらいだよ」

 うみちゃんは両手を後ろに組んで微笑んだ。風が彼女の紺色をしたワンピースで遊んだ。

「お母さんとは仲直り出来たの?」

「ええ、外出禁止令はあと三日位残ってるんだけど」

 特徴的な笑い声を漏らして続ける。

「今日は内緒で出てきたの。ずっとお家じゃつまんない」

「僕に逢いに来た訳じゃ無いんだ」

 冗談で言ったつもりが、僕の声色は本気の色を帯びていた。反射的に彼女を困らせてしまったと思った。だが、修正の言葉が口から出てこない。

 うみちゃんは驚いた顔をしたが、少しして、

「実は八割くらいかな」

 と笑みを浮かべながら言った。心なしか彼女の頬は赤みを帯びている気がする。僕はそんな彼女に感化されてだろうか、顔が熱くなってきた。そして、気付かれたくない一心で、空を仰いだ。

「星、綺麗だね」

「お月様が出てなかったらもっと見えてるのよ」

「うみちゃんはよくここで星を見てるの?」

「嫌なことがあればね。その『うみちゃん』って、私のあだ名?」

 僕は「まあね」なんて素っ気なく返した。

「にゃひひ、素敵なあだ名。嫌いじゃないわ。じゃあ君はそら君、とかかなあ」

「それまたどうして?」

 僕が聞くと、夜空を眺めながら答えてくれる。

「空って、色んな顔を持ってるでしょ?明るかったり陰ってたり」

 うみちゃんは夜空に手を伸ばしながら小さく何かを言ったような気がした。


「……なーんて。そうだ私星空を見るときにやることがあるの」

 沈黙を破ったうみちゃんが、鞄から瓶を取り出した。それに入っているシーグラスを僕の手の上に乗せた。

「これ、どうするの」

 手のひら一杯のシーグラスを見つめる。

「一つお願い事を思い浮かべながらシーグラスを空に向かって投げるの。小さい頃からやってて楽しいし、お願いが叶いそうな気がするの」

「楽しいかは分からないけど、僕にもその権利をくれたと」

 特徴的な笑い声の後に、頷いて「せーので投げようよ」と言ったうみちゃん。「ガキかよ」なんてぼやきながらも、彼女の合図を待つ。

「なーんて言いながらも付き合ってくれるのがそら君だよね」

「悪かったね、素直じゃなくて」

「ほんとだよ」

「ふうん、じゃあ付き合ってやんない」

「あああ、ごめんって〜」

 彼女が俯いて、目を瞑った。きっと願い事を唱えているのだろう。僕も見様見真似でそうしてみる。

「もう願い事は決まった?」

 訊いてくれた彼女に僕はイエスの意思表示をする。

「じゃあいくよ、せーのっ」

 二人で空いっぱいにシーグラスを投げた。シーグラスが輝いて星に還っていくみたいだ。一度地面に落ちた星屑を星に戻す感覚。

 僕らしくないな、なんて思いながらも自然と頬が緩んだ。


「イテッ」

 投げた所まではよかったが、重力に従って落ちてくる『星屑』。僕の額に当たった。

「にゃひひっ、いたあっ」

 うみちゃんは人の事を笑った癖に自分にも当たっている。

 そして二人で顔を見合わせてお腹がよじれる程笑った。兎に角おかしかった。

 残り一日しか無いのに、こんな時間が永遠に続きそうな気がして、いつも以上に子供っぽい自分が可笑しくて、それでも楽しくて。一緒に居たくて。彼女が好きで。

 僕の目に涙が滲んだ気がしたが、きっと笑いすぎでだろう。きっとそうだ。


 最終日、荷造りを終えた後、机に封筒が置かれていた。綺麗で、この一週間を象徴し、詰め込んだ様な青い色。

 付箋が貼られており、「彼女から」と書かれていた。

「……友達っすよ」

 僕は『友達』と言い切る事を少しだけ躊躇した自分を不快に思った。事実を口にするだけでいいのに。一瞬だけ、嘘を吐いてもいいの思った、僕の中の何処かに棲んでいる何かに制裁を下したい。

 封を開けてみると、手紙とペンダントが入っていた。

 ペンダントには、うみちゃんが嬉々とし、太陽にかざしていた球状のシーグラスが付いている。

「……お別れの言葉なしでこれだけ渡しに来たとか馬鹿なんじゃないの」

 小さく呟いて首に付けた。

 そして、僕はお礼を言って宿泊施設を後にした。


 僕が駅に着くとすぐに電車が来た。

 座席に着いて、濃かった数日間に思いを馳せながら、海を眺める。こんな一週間は初めてだった。

 太陽が雲から顔を出し、反射して水面が輝いた時だ。

 ふと、彼女を思い出した。

 あんなに海の似合う女の人なんて僕は知らない。

 限りない海原を背に立つ、白いワンピースの女の人。僕には分かる、うみちゃんだ。一瞬だったけど、彼女は笑顔で彼女の首元を指して口を動かしていた。

 きっとペンダントのことだろう、ただ、何を言っているのかは分からなかった。でも、これで会う理由が出来た気がする。


 シーグラスを星屑に見立て、空へ還すなんて、したことがなかったし、それにお願いなんて尚更ない。

 彼女に出逢わなければ、そんなことしなかっただろう。

 でも今は、これが年に一度の恒例行事となっている。

 きっとこれも彼女の影響だ。


 本当、嬉しいことも、不思議な感情も、全て彼女の所為だ。

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星屑 キノ猫 @kinoneko

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