日輪の姫
いつもに比べて、粘りつくような、闇の濃い夜。
こんなにも不気味に感じてしまうのは、きっと街を包む陰気な魔力のせいだ。
緋乃の通う、桜聖学園を中心として半径2kmに展開された人祓いと幻惑の結界。
学園を起点にしていることから、術者は間違いなくオースレイだろう。
結界によって人が外を出歩く事はなく、派手な戦闘を行っても誰も知覚できなくなっている。
「行くぞ」
「はい!」
自宅の玄関で準備を済ませた緋乃達は、オースレイの待つ学園に向かう。
避けられないであろう戦闘に合わせ、二人もそれぞれ衣装を特殊な物へと変えていた。
緋乃は黒いシャツにベストとループタイ、上に短い外套を羽織るスタイルで、これらは所謂、魔術礼装と呼ばれる服だ。
防弾防刃は勿論、特殊な素材から作られているため魔術に対する高い抵抗力がある。
対して魔術礼装を持たないセリアは、学校を休んで今朝買った服に緋乃が魔術を付与することで、簡易的ながらもそれなりに強力な礼装を作ることができた。
初めは連れていくつもりは無かったが、どうしてもと言うセリアの頑固さに、結局は緋乃が折れる形となったのである。
「静か、ですね」
ポツリと、不安を零すようにセリアが呟いた。
闇が覆う夜の街は、生命の気配がなく静寂のみが存在していた。
深夜という時間が作り出したものではなく、魔術によって生み出された不自然な無音の世界。
人も鳥も猫も、結界によって存在を弾き出され、緋乃とセリア以外の何者も街に踏み入る事が許されない。
「人祓いってのは、ただ人を寄せ付けなくする魔術じゃない。結界外の生命を弾き、内側にある生命の気配を無理矢理に押さえ、無くすものだ。」
結界の内側に存在する人間を含めたあらゆる動物は、無意識に行動を強制させられる。
神秘の秘匿を第一とする魔術師達が編み出した、ポピュラーでありながらも最も重要な魔術の一つだ。
古今東西の魔術師達が代を重ね、より強力な物へと極められた今の人祓い結界は、言うなれば高度な意識操作の魔術と化している。
「けどだからこそ、この魔術によって生み出される不自然な静寂は、物凄く気持ち悪い」
「わかります。私も静かなのは好きですが、これは嫌いです」
綺羅と輝く星々と月明かりの道を、会話をしながら進んでいく。
一歩、また一歩と学園に近づいて行く度に、オースレイの淀んだ魔力が濃くなっている。
深く底のない沼のような、踏みいれば体が呑まれてしまいそうな、そんな陰鬱な魔力。
道中を注意深く進むと、数分もしないうちに学園に着いた。
感じる気配を辿って屋外のグラウンドへ足を向かわせると、軽薄な笑みを貼り付けたオースレイが中央に立っていた。
セリアを庇うように、半歩前へ出る。
「やあ、こんばんは。待ってたよ」
直後、真空の刃が二人を囲い降り注いだ。
「……っ!」
音速で飛来してくる鋼鉄をも容易く両断する真空の刃を、瞬間的に右腕に顕現させた陽光の輝きを放つ剣を使い、一つも撃ち漏らすことなく斬り裂く。
行き場を失った魔力の束は、霧散し砂塵を巻き上げる風となって形を消した。
詠唱を必要としなかった事から、今の魔術はあらかじめ術式を一帯に組んでいたのだろう。
並の魔術師ならば今の不意打ちにやられ、早々にこの世から退場していた。
「ちっ、これだから貴様は信用ならないんだよ」
「あっはは、やるぅ」
直撃すれば即死は確実の攻撃。
と言ってもオースレイからすれば、友人に手を振る感じの挨拶代わりだ。
緋乃はいつでも反応できるように、剣を構え直す。
「
自身に向けられた魔剣を、目を開いて見定める。
かの太陽神が所有していた
“
緋乃の持つ最強の切り札にして、最高峰の武器。
「施設跡に捜索隊を出しても見つかんなかったから、もしかしてとは思ってたけどね。本当に持ち出してたんだ」
オースレイは笑う。
緋乃が、その剣を持っているとはとんだ皮肉だと。
「使えるものは何だって使う主義なんでね」
「うんうん。それには同感だよ、僕らって気が合うね」
「は、誰がだ!」
瞬間――大地を踏み砕き、瞬きをする間もなく、緋乃は高速で間を詰めた。
踏み込みと同時に横薙ぎに放たれる一線。
魔術で身体性能が強化された速さは、常人では視覚に捉えることが難しい。
だが、オースレイは構えた六つのナイフを器用に使い、難なく緋乃の一撃を受け流した。
敵を仕留めることができなかった斬撃を、緋乃は威力を殺すこと無く続く第二の連撃に繋げる。
両者の間に咲き誇る無数の火花は、攻防の苛烈さを物語る。
しかし、いくら斬撃の雨を降らそうが、オースレイに有効打が決まることは無い。
「……わお!」
埒が明かないと舌打ちをした緋乃は、力任せにオースレイを吹き飛ばす。
「予想外だなぁ。まさかヒノがここまで剣を扱えるなんて」
驚いた表情を浮かべ、ヘラヘラと口角をあげるオースレイ。
だが、予想外だったのは緋乃も同じだった。
(強いとは分かっていたが、こうも押し切れねぇとはな……)
どんなに緩急を使い剣を撓らせようとも、手数を増やそうとも、全てが紙一重でいなされてしまう。
流石は協会の幹部だけあって強い。
「そうだ! 少し趣向を変えてみようか!」
ポンと閃いたようにオースレイが手を叩き、パチンと指を鳴らした。
すると、オースレイの周辺の地面が盛り上がり、おびただしい数の腕が突き出てきた。
姿を現したのは、様々な姿の
腐敗した者もいれば、四肢を失った者や獣の一部を体に取り込まれた者もいる。
彼らは全員オースレイの人体実験によって、姿を変えられ道具にされてしまった死兵だった。
「────失せろ」
刹那、グラウンドを埋め尽くしていた死兵が消滅した。
「魔眼……!」
緋乃から渡された護身用の腕輪を掴みながら、距離を取っていたセリアは息を呑んだ。
赤い。鮮血のように赤黒く、見るのも全てを魅了する妖しい輝き。
緋乃の左眼は、魔眼を使った影響によって人の領域を逸脱していた。
「あは! それが魔神バロールの死眼か!」
いつもの軽薄で胡散臭い笑いとは違う、狂気を帯びた研究者としての歓笑。
全てを失い始まったあの日。
復讐を誓った緋乃は、神を殺す為に神の力を求めた。
降臨した二柱の神。その片割れ、緋乃に力を与えた神――魔神バロール。
ケルト神話に名高い、巨人族の主にして魔眼の王。
緋乃はバロールの神格を身に宿すことによって、人の身でありながら、彼の魔神の権能全てを手に入れた。
その一つが魔眼である。
オースレイの死兵を一瞬で殺したのも、死滅と言う能力の魔眼だ。
「うんうん! 実に強力無比な力だけど、最初っから使わなかった事を考えると、条件があるみたいだね」
オースレイの言う通り、いつでも権能を発動できる訳では無い。
魔眼の一つ一つに発動条件があるのだ。
例えば、今発動した死滅の魔眼は、大多数の標的か、自身より格下のみにしか発動できない。だが裏を返せば、条件さえ満たせれば魔眼は発動する。
それはルールの穴と呼べるもの。例え相手が格下でなくても“大多数”という条件の内に含まれていれば、魔眼を発動できるように。
解釈と柔軟な思考を持って、緋乃は魔神の力を行使している。
だからこそ、緋乃は目の前の光景に文字通り眼を疑った。
「何故、死んでいない?」
再び踏み込んで、剣を振るう。
オースレイも緋乃の魔眼の“大多数”という発動条件の対象に含まれていた、しかしオースレイは死んでいない。
「それはね、これのおかげ」
緋乃の攻撃を容易に弾きながら、見せつけたのは三つの宝石が嵌められた首飾り。首飾りは三つの内、一つが砕け光を失っている。
「魔眼殺しの首飾りだよ。それなりに高いランクの道具だぜ。まあ、魔眼を無効化できるのは3回までなんだけどね」
魔神の権能である魔眼を弾く道具となれば、恐らく神代に作られた道具だろう。
神代は人と神とが寄り添っていた時代だ。
昔の“魔法使い”達になら、神の力を一時的に凌ぐ道具ぐらい作るのは困難なことではない。
オースレイの話を聞きながらも、緋乃は攻撃を続けていた。
だが、相も変わらず勝負を左右する決定打がない。
このまましばらく、不変に攻防が続くかと思われた時だった。
「──飽きちゃった」
そんなオースレイの声と共に、緋乃の体を無数の杭が貫いた。
「……ゴフッ!」
「緋乃さん!?」
いきなり何が起きたのか分からず、思考が白紙になる。
セリアの呼びかける声が聞こえるが、そんなのを気にしている暇がない。
一旦距離を取って体を確かめると、外套の裏側に魔術陣が描かれた紙が貼り付けられていた。
剥がした紙の術式から読み取るに、相当高位の魔術だ。
いつの間に、と自身に治癒の魔術を掛けながらオースレイを睨む。
「そんなに睨まないでよ、怖いなぁ!」
今度はオースレイが手をかざすと、全身に焼けるような痛みが走った。
「あっが! アアアアア!!」
熱い熱い熱い。叫んで、叫んで、叫び、歯を食いしばってこらえる。
痛みは段々と強くなっていき、手放したくなる意識を緋乃は何とか気合いで保っていた。
激痛が増す。
緋乃の体に蛇に似た文様が浮かび上がり、侵食するように徐々に広がっていく。
「あはは! どう、辛いでしょ? ヒュドラの毒になるべく近付けた呪毒の魔術だよ」
声が遠い、オースレイが口を動かし何かを言っているみたいだが、緋乃がそれを聞き取ることは叶わない。
死ぬのか。そんな思いを抱き諦めかけた時、脳裏に笑う
(……死ね、るかァっ!)
眩しい姉の笑顔が、手放しかけた意識を繋ぎ止めた。
「じゃあ名残惜しいけど、とどめ……なんのつもりだい?」
手を振りあげたオースレイの前に、セリアが腕を広げ立ちふさがる。
「緋乃さんはやらせません!」
震える声で、気丈に緋乃を守らんとするセリア。
彼女を心底つまらなそうな瞳で、路傍の石でも見るかのように、オースレイは手をかざす。
検体として欲しかったが、楽しい時間に割り込むなら話は別だ。少々もったいない気もするが……仕方ない、諸共殺す。
言葉にしなくとも、そう考えているのが分かるほどに、オースレイはつまらない表情を浮かべていた。
「そう、ならしん……ガッ!?」
オースレイの意識がセリアに向いた一瞬の隙をついて、必殺の魔剣がオースレイの胸を抉りとる。
見れば緋乃は体を抑えながらも、剣を振りぬいていた。
オースレイも直前で気配に気付き咄嗟に動いたが、緋乃の執念が上回る。
完全な不意打ちに反応するオースレイも尋常ではないが、死に体でありながら、一撃を与えるほどの剣閃を振るった緋乃も流石と言えよう。
「緋乃さん!」
目に涙を貯め、セリアは駆け寄る。
「このままじゃ緋乃さんが……! 嫌、それは駄目! ……お願い!」
虚ろな瞳で、倒れそうになる緋乃を抱きしめた時だった。
日輪に似た光が二人を包み、次第に緋乃の傷を癒し呪毒を打ち消していく。
少しずつではあるが、意識がはっきりとしていくことに緋乃は目を見開いた。
「セリア、お前は……」
口を出そうになった緋乃の疑問は、オースレイによって遮られた。
「は……はは! 流石は日輪の姫だ、僕の呪毒を打ち消すなんてね」
「日輪の姫?」
「なん……だ、知らなかったのかい。コフッ……そこの女は、日輪の姫と言われていてね、君の家族を殺した太陽神ルーの娘だよ」
「……なん……っ!」
今、なんといった。
セリアが、あの神の娘だと?
底知れぬ殺意と憎悪が溢れ出し、剣を握る手に力が入る。
緋乃は目を見開きセリアを見ると、同様にセリアも驚愕に顔を染めていた。
「う、嘘。お父さんが、緋乃さんの家族を……」
これまで見たことのない顔で狼狽するセリアに、緋乃はどうすればいいのか分からなくなる。
あの日、ルーの全てを殺すと決めた。
だが、何故だろうか。剣を振り上げることができない。
たった数日一緒にいただけの関係でしかないのに。たったそれだけの存在なのに。憎悪を向けるべき対象の一つであるはずで、そうでなければいけないのに。
激情を、憎しみを抱くことができない。
感情が複雑に混乱する中、ふとまた温かさを感じた。
「……なさい。ごめんなさい。私知りませんでした、お父さんが緋乃さんに、そんな事をしていたなんて」
抱きしめられていた、初めて帰った時と一緒だ。
一つ違うのは、抱きしめる手が震えているとこと。
セリアの涙が、緋乃の頬を伝った。泣いている、魔術師に襲われ傷を負おうと、祖母を攫われようと、決して涙を見せなかった気丈な彼女が。
緋乃の痛みを思い、自身の父の行動を憂い、泣いている。
それがなんとなく、嫌だと思った。
……理由は分からない。姉に似ているからなのか、この数日間で絆されたからなのか、あるいはもっと別の感情から来ているのか。
知らないし自分でも理解できないが、それでも泣いてほしくないと、そう思ってしまった。
たとえ、殺したい神の娘であろうとも。
セリアはルー本人ではない。彼女もまた、
そう思った時、緋乃はセリアを抱きしめ、守る為に剣を構えて息を荒らげるオースレイを見据えた。
「ああ、キツいなぁ。まったく、日輪の姫さえ余計な事をしなければ、僕の勝ちだったのに」
そんなことを言って、口から血を吐き出しなおも笑う。
「仕方ないか……。今回は僕の負けだよ、ヒノ。だから、バイバイ」
緋乃に手を振りながら、オースレイは姿を霧散させた。
同時に、張られていた人祓いの結界が消失する。
「……セリア」
この場に残された緋乃は、セリアを見据える。
「俺は、ルーへの復讐の為に生きてきた。そして、それはこれからも変わらない」
「……はい」
緋乃の言葉に、ぎゅっとセリアは手を握る。
「だが、お前は守りたい。……それでも、いいか?」
揺らぐ緋乃の瞳を見つめ返し、今度はセリアが言葉を紡ぐ。
「私は、昔姿を消した父を探しています。私は優しかった父が好きです。きっと緋乃さんの復讐を邪魔してしまいます。それでもいいですか?」
凛としたセリアの言葉に、緋乃は迷って、迷って、迷い抜いて――頷いた。
「……! これから、よろしくお願いします緋乃さん!」
こうして、魔眼の王と日輪の姫は出会いを果たす。
二人の未来に、きっと平穏などは雀の涙ほどしかないのだろう。
だが、それでもそれが彼らの選択で、歩むと決めた道であった。
魔眼の王と日輪の姫 桃原悠璃 @ryuu04
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