無慈悲な生物

彩雲

視界に入ったら死刑

人は無慈悲な生き物だ。

そんな自覚すら持てない生き物だ。




私は風呂から出て、いつもの如く部屋の端の椅子に腰掛けた。

特に何をするわけでもなく、目の前のスマートフォンを手に取り、ただただ時間を浪費していた。エアコンの風音と時計の秒針の揺れる音が部屋中に響いていた。


しばらくすると、スマホの外をを小さな黒い影が現れた。視界の中を出たり入ったりしている。


それは他の何でもなく"ハエ"だった。

学術的な名前なんてものは知らないが、紛れもなくそいつは"ハエ"だった。


私は凝り固まった体を遂に動かし、目の前のティッシュペーパーの箱を徐につかみ、思いっきり叩いた。黒い影は潰れ、体液が漏れている。

慣れた手つきでティッシュペーパーで潰れた黒い影を拭き取り、それをゴミ箱へ投げる。

それを、見つけ、認識して、殺して、棄てる。その時まで、私に一切の感情はなかった。


考えてみればおかしな話だ。

私は間違いなくその瞬間ひとつの命の終わりを勝手な都合で決めたのだ。

それに対して正当な理由があるならまだいいものの、理由なんてある訳もなく感情すらなかったのだ。

強いて挙げるとしても、'邪魔だったから'とかいう理由に過ぎない。生命維持の為、泣く泣く。なんてことは微塵も考えてない。

そんな状況の中、ひとつの命を終わらせた。


私は紛れもなく生物を殺めたが、これを公にしたところで、きっと責められることもないし、ましては捕まるなんてことはこのご時世有り得ない。


それは「殺めた相手が"ハエ"であったから」


という理由だけで解決されてしまう軽薄なものなんだろう。


私という物体が人間として奇矯なものだからではない。人間がそういう物体であり生き物なのだ。法律がおかしいとか、命は平等だ、とかそんな綺麗事を吐くつもりはない。

でもこんなに残酷なことがあっていいのか。

そんな単純なことに気づくのにすら、こんなにも時間を要してしまった。




ある日突然、自分なんかじゃ比べ物にならない大きな生物が

「お前は視界に入ったから死刑」

なんてことを言われて、その瞬間潰されたらどう思うだろう。恐怖だろうか。諦めだろうか。呆れだろうか。そんなことは理解に及ばない。人には難題過ぎる話だ。

しかし"ハエ"はそんな忠告すら受けず、考えることも無く潰されるのだ。


その間なんの感情も注がれぬまま


「ハエだから殺していい」

こんな考えを持った生き物が命の尊さについて語るのは無理があるように感じた今夜である。

こんな私もこれから布団に入り、目が覚めたらこの夜のことなんて忘れ、何気ない日常を繰り返す。そしてまた潰すのだろう。



それが"日常"の一部なのだから



人は無慈悲な生き物だ。


ひょっとしたら、そんな美しいものですらないのかもしれない。









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無慈悲な生物 彩雲 @konitan024

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