第3話 楽しいバイト《前編》

「久しぶりだなぁ、ここ来んの」


 『OFFblackオフブラック』とシックな看板が掲げられている大きなお店。白い煉瓦と黒で統一された西洋風の装飾が施された外装が高級レストランのような雰囲気を醸し出しているが、意外にも、九十九町の故郷の味と、町中の人が自慢する店なのだ。


「あれ、ちょっとまた店大きくなってねえか? 隣のおうちがなくなってっぞ?」


 店の裏手にあるスタッフルームに向かいながら、兄さんが言う。ああ、そういえば去年は正月だけ帰ってきたんだったか。


「去年の春にリニューアルしたんだよ。ほら、九ノ島に行く観光客がこの店に来て、長蛇の列が連日出来ただろ?」

「ああ、それで…。隣の人、よく土地を譲ったよな」

「そこの人、キヌユーさんに惚れていたからな。ほら、見晴みはら小百合っていう…」


 兄さんは思い出したらしく「ああっ」と声を上げた。


「キヌユーさんに惚れて九ノ島からこの町に引っ越したっていう人か! お隣さんだったとはなぁ…」

「店を大きくしようかと相談したキヌユーさんに『この町は観光客が増えたけど、人口が少なくなっていってるから、土地なんて幾らでもあるわ。気にしないで』って言って、翌週家を壊してから土地をキヌユーさんに譲ったらしい」


「ハアー↑」と兄さんは感心したような驚いたような声を上げる。


「愛の力ってやつかぁ? 惚れた相手に解体費を背負って土地を譲るなんて、普通するかぁ? てか出来たのがすごいわ」

「俺もそう思った。余程片想いを拗らせるんだろうな」

「余程じゃねえ、かなりだろ」


 だね、と同感して、店の裏手にある従業員入り口に着くと、反対側から人が歩いて来ていた。暗くてよく見えなかったが、窓から漏れる店の光に当たって顔がはっきりと見えるようになる。


「あ、ぶちケン」

「あっ、ふゆっきーとなっちゃん兄さんじゃないですか!」


 こちらに気づいて駆け寄ってくる。彼は銛縁健也もりぶち けんや。中学校からの付き合いで何故か毎年同じクラスになる。ノリがよくムードメーカーでクラスの中心人物である。みんなが憧れるこの店のレギュラー店員てことでも有名で、ぶちケンがバイトになってから集客力が上がったという。これ以上人気になってどうすんだって思うんだが。


「なっちゃん兄さんお久しぶりです!」


 ぶちケンは、ピシッと背筋をしゃんと伸ばしてお辞儀をする。随分と綺麗なお辞儀になったものだ。キヌユーさんの指導の良さがよく分かる。


「おう、久しぶり。なんだ、お前もこの店に働き出したのか」

「はい! 唯一親からオーケー貰ったところですからね。頑張ってますよー! シフト変えても人材余っているから怒られないし」

「キヌユーさん、そういうところは寛容的だからなぁ」

「しかも仕入れの仕方とか、お店を経営するのに必要な契約とか教えていただいて本当に色々勉強になっています」

「あ、じゃあ仕入れとかやったんだな」


 兄さんがそういうと、ぶちケンが「あー」と目をそらす。


「はい…そうっすね」

「お、その様子だと仕入れでなんかやらかしたな」

「え、なんで分かったんすか!」

「俺も怒られたからだ」


 ドヤ顔で言うことか。


「ワインの仕入れ数、間違えた」

「はぁー!」


 バシン!と二人の手が強く叩かれた。


「「イエイ!」」

「早く店入ろうぜ」

「「ういっす」」


 入り口からスタッフルームに行くと、数名程が帰宅か準備に取りかかっている。挨拶しながら、自分たちも準備にする。

 ここは一階がレストラン、二階がバーで、同じ人間によって経営されている。その為、どちらにも対応できるようなシンプルな制服が準備されている。但し使ったら、近くのコインランドリーで洗うことが原則だ。


「この服着るの久しぶりだなぁ」

「なんか懐かしいっすね。ふゆっきーも久しぶりだよね? その姿」

「ああ、そうだな」

「いつからだっけ? ふゆっきーがここでピアノ弾くようになったの」

「中学生の頃だな」


 キヌユーさんと交友関係のある父とこの店に来たとき、父の勧めで弾かさせてもらったのだ。満員の店内に響いた拍手の雨はとても気持ち良かったため、来る度にもう一回、もう一回とねだっていたら正式に雇用させてもらえることになったのだ。


「久しぶりだなー、ふゆっきーの演奏」

「今日は何を弾くんだ?」

「んー、それはまだ決まってなくて…」

「なら、ショパンのバラード一番ト短調を弾いてもらおうかな」


 後ろから声がして振り返ってみると、老紳士という言葉がよく似合う、『OFFblackオフブラック』 のオーナー兼バーテンダーのキヌユーさんこと鬼怒川優一さんが立っていた。

 キヌユーさんに気づいた兄さんが笑みを向ける。


「キヌユーさん! お久しぶりです!」

「お久しぶりです、キヌユーさん」

「うん、久しぶり。冬輝くん、夏輝くん。健也くんは昨日ぶりだね。毎日ここにきて大丈夫なの?」

「はい、お母さんとお父さんに許可を貰ってますし」

「僕が心配してるのは、そっちじゃないんだけどね」


 キヌユーさんは少し困った笑みを見せる。キヌユーさんのことだ。ぶちケンはまだ遊んではしゃぐような年頃だというのに、バイト漬けになっては折角の高校生活が台無しとでも思っているのだろう。


「二人は今年の夏休みはどう過ごしたんだい?」

「俺はバイトと釣りとランデブーの毎日でしたね。たまに親父の船に乗せてもらって漁をやらせて貰ってます。でもまあ、お小遣いのようなもんなんで、やっぱりこっちの方がいいですけどね」

「俺はまあ、普通ですよ。お祭り行ったり、花火大会行ったり…宿題の数が中学の時より多くなってちょっと大変でしたけど」

「えっ、ふゆっきーもう終わったの?」

「終わってるけど」

「いつの間に? 僕一個も終わってないよ」

「えっ、マジか? 登校日まで一週間もねえぞ」


 ぶちケンはスーっと顔色が青ざめていった。


「…冬ちゃん! 宿題見せて!」

「友達の宿題を写すのはいけないよ」

「ううっ、そうですけど…」


 キヌユーさんの言葉で小さくなっていくぶちケン。恐らく宿題を放っておいて、バイトをしていたのだろう。俺に縋るぶちケンに、ため息を一つ吐く。


「宿題手伝ってやるから、落ち着けよ」

「えっ、ホント?」

「ホントホント」

「よっしゃ! ありがとう、ふゆっきー!」


 満面の笑みを見せるぶちケンは同い年には思えない。


「…じゃあ、健也くんは宿題終わるまでバイト休みね」

「えー!」

「えー!じゃない。君は学生なんだから、学校の課題の方が大事なんだ。宿題をサボってまで、バイトをする必要はないですよ」

「…はぁい」


 キヌユーさんの言葉に口を尖らせて頷くぶちケン。子供っぽい仕草に兄さんと目を合わせて、肩を竦めた。

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I'm hungry 紫檀田紫苑 @tumekusa203

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