最終話  死より重き罰




 西沢さんに、あの免許証のコピーを見せられた数日後、光一は悠月には内緒で、一人、成希園へと訪れた。

 職員室の戸を開けると、そこにいた職員たちは皆、怪訝そうに光一を見つめたが、西沢さんだけは、すぐに事情を察知したようで、デスクを離れ、光一の元へ駆け寄った。

「ごめんなさいね。今ちょっとたてこんでるから、談話室の方で待っていてくれる?」

 その言葉に従って、先日も訪れた談話室のパイプ椅子に座って待っていると、西沢さんはそう経たない内に現れ、光一とは机を挟んで反対側の椅子に腰かけた。

「今日は、あなただけ?」

「はい」

「ここに来たってことは、つまり……」

「はい。詳しく、説明してもらおうと思って」

 光一は、表面上は冷静を装っていたが、内心では、藁にも縋る思いだった。

「悠月ちゃんのご両親の写真は、見たわよね?」

 西沢さんは、穏やかながらも、どこか険しい、鋭い目で、光一をとらえた。

「はい。あれは……あれは間違いなく、僕の両親でした」

 偶然の同姓同名も、あり得なくはない。しかし、名前だけではなかった。顔も、生年月日も、間違いなく、光一の両親のものだったのだ。

「そう。やっぱり、あなたが、そうだったのね……」

 西沢さんは悲しげな顔を浮かべ、悲哀に満ちた声を光一にかけた。

「詳しく……説明してもらえますか?」

 光一はそう言うものの、もう半分、真実を受け入れていた。なぜならば、自分と悠月が兄妹、それがしっくりとくる心当たりがあったからだ。

しかし、何かの間違いではないかという、僅かな可能性を求めて、ここを訪れたのだ。

 

西沢さんも、その光一の覚悟に応えるように、腹を決めたようだった。

「率直に言うわ。朝霧光一くん、きみは間違いなく、悠月ちゃんのお兄さんよ」


 鉛よりも重く、光一の心臓にのしかかるような、はっきりとした言葉だった。

 そしてそれには、有無を言わせぬ強い説得力があり、覚悟を決めてはいたものの、やはり胸を引き裂かれるようなショックは隠せなかった。

 しかしそれでも光一は、ほんのわずかな希望を捨てきれなかった。

「た、例えばですよ、母には、父の前にも男がいて、その人とできた子であるというのは? その因果もあって、悠月だけを施設に預けたとか」

 例え異父兄弟や異母兄弟でも、兄弟であり、法律的に結婚が不可能なことに変わりはない。しかし、少しでも、悠月とは違う血が流れていてほしいという思いがあった。

少しでも違えば、例え法や倫理に背く行為だとしても、俺は悠月を愛せるし、悠月もきっと、俺を愛してくれるはずだ。結婚という戸籍上の形になど、こだわりはしない。

 最後の希望をもって、手に汗を握りながら西沢さんに問いかけたが、非常にも、西沢さんは表情を変えずに、首を横に振る。

 ……そして、驚愕の事実を告げた。

「それはありえないわ。なぜなら、あなたたちはただの兄弟じゃない……双子なのよ!」

 


――双子!


 

 その言葉が、雷鳴のように光一の頭に響き、何度も反芻した。

 それと同時に、深い絶望に覆われる。

……これで、これでもう、救いはない。しかし、皮肉にも、納得できるような思いはあった。

 もし……もし、この世に、悠月の兄妹が存在するのだとしたら、それは、それは、自分でしかありえない。その確信が、光一にはあった。

 悠月とは、初めて会った時から、心が通じ合っているような、一種のテレパシーのようなものを、感じることが多々あった。だからこそ、自分と悠月が兄妹という可能性を知った時に、絶対にありえないと、否定することができなかった。

いや、むしろ、長年の謎が解けたような、無性にしっくりとくるものさえあった。

 

――光一の瞳に、ある光景がフラッシュバックする。


 それは文野学園で初めて、悠月と出会ったあの日のこと。

悠月と目が合った瞬間に体に走った、雷のような衝撃。あれは、一目ぼれなどではなかったのだ。運命に引き裂かれた双子の、天文学的数値の可能性をもってして再開した奇跡に、血が共鳴したのだ。

「あなた方のご両親は、経済的に苦しくて、とても子供二人を育てる余裕なんてなかった。だから、本人たちも、一人しか生むつもりはなかったらしいの。けれど、そうね、こんな言い方は不謹慎だけれど、双子で生まれてきてしまった……。だから、悩みに悩んだ末、あなたより少し後に生まれた悠月ちゃんの方を、ここに預けることにしたらしいの。預かる時、ご家庭の経済状況や家族構成のことをちゃんと聞いて、資料として残すから、間違いないわ。悠月ちゃんには、双子のお兄さんがいる。そして名前は、光一くん。きみだった。ちゃんと、資料にも残ってる」

「で、でも、苗字が……」

 光一は、無駄と分かりつつも、まだ食い下がる。

「それはね、その……あなたの御両親たちはいわゆる、できちゃった婚なの。それで悠月ちゃんを預かるときは、まだ籍を入れてなかったから、横山という苗字になったのよ」

 深い喪失感と共に、自らの愚かさを責めたくなるような気持ちが広がった。

横山という苗字は……光一の母親の旧姓なのだ。あの時の免許証でも、母の苗字は横山だった。

 光一は頭を抱え、崩れ落ちるように、机に突っ伏した。

 


そして、遠い過去を思い出す。



……一度だけ、たった一度だけ、文野学園にいた時の、一年生の頃だったろうか、ふと、何のきっかけもなく、もしかしたら、自分と悠月は兄妹だったりして。なんてことを、思い浮かべたことがある。

 そんなバカなことがあるかと、自分でその考えを嘲りながらすぐに否定し、数分も経った頃には忘れ、今の今まで、思い出すこともなかった。

きっと俺は、薄々ながら、心のどこかで感じ取っていたのだろう。


「朝霧くん。お気持ちは……お察しするわ。きっと、すごく辛いのでしょうね。でも、私はむしろ、この世でたった一人の兄妹に出会えたことを、喜ぶべきだと思うの。もう、恋人ではいられないかもしれないけど、きっと、あなたも悠月ちゃんも、またいい人を見つけられるわよ」

 ショックを受けている光一を見かねてか、西沢さんは暖かい声をかけて慰めたが、光一にとってそれは何の意味もなさなかった。

 俺の悠月に対する気持ちは、そんなものでは片づけられないのだ。

 悠月もそうだ。あいつにとっても、俺以外の存在などありえない。

 俺にとっては悠月がこの世の全て、そして生きる意味であり、悠月にとっても俺が全てなのだ。

 もう、兄妹として超えてはならない境界を超えてしまっている。

その後も、西沢さんの慰めの言葉など、何一つとして耳に入らなかった。そして西沢さんの言葉途中に、光一は無言で立ち上がり、成希園を後にした。



アパートに帰った光一は、その後もずっと、抜け殻のようになっていた。

悠月も光一の様子がおかしい事にはすぐに気づき、あえて触れないでいたが、食事中も、シャワーを浴びた後もずっと、その状態が続いたため、布団にもぐった時は、さすがに気になって聞いた。

「ねえ。今日どこに行ってたの?」

 そう聞いても光一は何も答えず、相変わらず目は虚ろなままだった。まるで本当に、心を失ったみたいに。

 寝る直前、光一がいつもあの日の事を思い出し、苦痛に悶えることは悠月ももちろん知っていたが、今日は明らかに、今までのそれとは様子が違った。

 どんなことがあったのかは分からないが、こういう時にこそ慰めるのが、自分の役目だと、悠月は自分を戒めた。

 悠月はゆっくり光一に寄り添うと、寝間着に手をかけ、そっと脱がそうとしたが、はっと顔をあげた。

 光一の手が、脱がそうとする悠月の手を止めたのだ。

 悠月は不思議に思い、光一の顔を見つめた。

 電灯を消していたため、部屋は真っ暗だったが、それでも、光一の表情に大きな決意の様子が現れたのを、悠月は感じ取った。

「悠月」

「……なに?」

 しばらく返事がなかった。真っ暗な狭い部屋の中で、二人だけが、互いにはっきり見えない顔を、真正面から見つめていた。

「大事な……話があるんだ」 



 絵に描いたような雲一つない快晴に、涼しい風が頬を撫でる。ここから見える海は、今までに見たどんな景色よりも、美しかった。

「うわー綺麗。いいとこだねー」

 なびく風、それに運ばれる海の匂いに、悠月は心躍らせているようだった。

 光一たちの遥か前に続く、断崖絶壁の奥には、無限に続く大海原が見える。

どこまでもそれは続き、決して終わりなどないのだ。

全ての生命は、海から生まれた。ここから見える景色はまさに、そのことを示しているようだった。

 光一は大地に寝そべって、眩しい陽の光に目をつぶりながら、日差しと風の心地よさを堪能した。

 しばらくはしゃいで走り回っていた悠月も、光一の隣に来て寝そべり、寄り添った。

 そこでしばらく、この空間と時間を、二人で過ごした。周りには誰もおらず、波打つ音と、鳥の飛ぶ音だけが聞こえるだけだった。

ああ。なんと心地が良いのだろう。

 太陽が暖かく、風は涼しい。無数の鳥たちは空を飛び、旅を続ける。

 それだけで、こんなにも幸福を実感できるとは、初めての発見だった。

この世界は今、永遠であり、二人だけのものなのだ。

目を閉じて、このえも言えぬ解放感を味わっていると、突然、光一の体に顔をうずめていた、悠月の顔が、少しだけ揺れた。

首を動かして、その顔を覗くと、どうやら、涙を流しているようだった。

 光一はそっと手の平で、優しく頭を撫でてやった。そうすると、段々落ち着いたようで、大丈夫という合図のように、悠月は光一の手を握った。

 こうして手を握ると、ああ、やっぱり俺たちは、同じ命から生まれてきたんだなと実感する。

どちらのものか分からない、短い呼吸の音が聞こえた後、悠月が腰を上げた。

「いこっか」

「もういいのか?」

「うん」

 光一も立ち上がって、ゆっくりと、手をつないで、崖の方へ進んだ。

 逆らう風と、それに運ばれる海の匂いが二人を優しく包んだ。それを味わいながら一歩ずつ進み、崖の縁が訪れた。

 

 崖から覗くと、はるか下には大波が岩を激しく打ちつけ、音を鳴らしていた。



「……怖いか?」



「ううん。一緒だもん」



 悠月は笑ってそう言うと、顔を寄せて、最後のキスをしてきた。それは今までで、最も長いものだった。

 

 そっと顔を離すと、二人で真っすぐ、海の向こうを見る。

 生まれ故郷へ帰るとは、こんな気持ちなのか。

 悠月の手を握る力が少し強くなった。

 体内を流れる血が、繋がって行く。そんな気がした。


 光一も、ぎゅっと強く、握り返す。



そのまま二人で、海へと身を投げた。



                了


 


ご精読、大変ありがとうございます。長い話だったと思います。

最後まで読んでいただいた方々に、言葉にはならない程の感謝の念を抱いております。

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重罰 セザール @sezar

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