ごめん、好き

仲咲香里

ごめん、好き

 三月一日、午後十一時五十分。


 今日、初めて入った彼の部屋で私たちは二人、ソファに座っていた。

 ご飯も食べ終わってゲームもして、映画もテレビも見飽きて、刻々と迫る時間に緊張で口数も減ってきてる。

 ……のは、私だけかもしれないけど。


 後もう少しで、堂々と……。


 そう思うと、思わず膝の上のクッションを抱きしめる私の手に力が入る。

 嬉しいような恥ずかしいような、とにかく緊張してちらりと隣を窺うと彼と目が合った。


 私より五歳も年上の彼はいつもと変わりなくて、むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ思う。

 やっぱり大人の余裕ってやつかな。


 その彼が自分の膝に肘をつきながら私を見る。


「……もう、いいんじゃないでしょうか?」


「卒業するまでだめって言ったのは先生の方ですよ?」


「確かにそう言いましたけど、今朝、無事に卒業式は終えたわけですし」


「それもっ。『家に帰るまでが卒業式です』って、遠足の最後に校長先生が言うみたいなこと言ったのは先生の方ですっ」


「ですから今はこうして僕の部屋に帰って来てる訳ですし……って、とりあえず敬語使うのはやめてもいいよな?」


「……だね」


 先生とみんなには内緒で付き合い始めて、来月で一年になる。

 先生となんてって思われるかもしれないけど、でも、しょうがないじゃないっ。


「ねぇ、莉子りこはオレのこといつから好きだった?」


「いつからって……分かんない。気が付いたら好きだったんだもん」


 私がそう言うと、先生がふっと声を出さずに笑う。


「な、何? だってホントのことだしっ」


「いや、可愛いくてこのまま帰したくなくなるなって思って」


 私は反射的に、持っていたクッションを先生に投げ付けた。

 先生はそれを驚きながらも見事にキャッチした。


「またそうやってすぐからかうんだから! 十二時になったら即帰るからね!」


「どっかの灰かぶり姫みたいなこと言うなよ」


「うるさいっ。ていうか、そこは素直にシンデレラって言われた方が嬉しいんですけど」


「あははっ。自分でシンデレラって言う? 心配しなくても、日付が変わったら家まで送るよ。白馬じゃなくて車で良ければ」


 白馬じゃなくて馬車でしょって突っ込みたいけど、あまりにも動揺し過ぎて私は自分を立て直すので精一杯だった。


 付き合う前は先生がこんな人だなんて思いもしなかったのに。

 先生の第一印象は、とにかく笑顔の似合う優しい人だった。


「コンビニで初めて出会った時は?」


「えっ? あれは、まあ、嬉しかったけど……」


 急に話を戻す先生にまだ動揺を残しつつ、私は当時のことを思い出す。




 高校三年生になる直前の春休み。

 参考書を買い終わった私が書店の外に出ると雨が降っていた。家を出る前は晴れてたから傘なんて持ってなくて、けど、全然止みそうにもなくて。

 仕方ないから近くのコンビニで傘を買って帰ろうと思い立ち、雨の中、私はコンビニまで走った。


 いったん入り口で立ち止まって、髪や服をハンカチで拭いていると同じように走って来た人がいた。

 その人は、ぱぱっと髪についた水滴を払っただけでコンビニに入る。

 私と同じタイミングで。


「あっ、すみません」


 二人同時にそう言い、道を譲ると、


「どうぞ」


 彼がドアを開けて私を先に入れてくれた。


 その時初めて会ったのが、大学を卒業したばかりの先生だった。


 そんなクラスの男子なんて絶対にしないような大人の対応に、私はドキドキしたのを今でも覚えてる。


「あ、ありがとう、ございます」


 緊張しながらお礼を言った私に、彼はにこっと人懐こい笑顔で返してくれた。

 私は真っ赤になって急いで店内に入り傘を探す。

 傘は入り口に入ってすぐの所にあった。

 残り一本。


 私が傘を取ろうと手を伸ばすと、同じタイミングで違う手が伸びてくる。


「あっ」


 さっきの彼だった。

 どうしようと私が思う間も無く、


「どうぞ」


 と、また彼が譲ってくれる。


「あのっ、でも……」


「大丈夫。オレは急いでないしもう少し待ってみるよ。そしたら止むかもしれないし」


「でも止まなかったら?」


「うーん、その時は走って行こうかな」


「それじゃ風邪引いちゃいますよっ」


「あははっ。ありがとう。じゃあ、友だちに迎えに来てもらうから大丈夫」


 そう言って笑った彼の顔が眩しくて、私はさらにドキドキした。

 またお礼を言って傘を持ち、私はレジへと向かう。


 でも、すぐにドリンクコーナーに向かっていた彼の元へと駆け戻った。


「えっ、どうしたの?」


 驚く彼に、私は俯いたまま無言で傘を差し出す。


「いや、遠慮せずにそれは君が……」


「お財布、無いんです……」


「えっ?」


「たぶん、書店に忘れて来たか途中で落としたみたいで……」


 私は、恥ずかしさと情け無さとで顔を上げられず、涙も滲んでいた。

 少し間を置いて彼が無言で傘を受け取り、その場を去る。


 きっと内心笑われてるんだろうな。


 そう思って私はそのまま店外に出て、雨の道を書店方向へと歩き出した。

 さっきよりも雨足は強くなってる。


 最悪。

 何だろう、なんかすごく泣きたい気分。


「待って!」


 不意に腕を掴まれて振り向くと、傘を差した彼がいた。


「えっ、あの、私のことなら大丈夫ですから……」


「大丈夫じゃないよ。書店ってすぐそこの書店でいいの? あとこれ、タオル、使って」


「え? えと、あの……」


「だから遠慮しないで。これじゃオレじゃなくて君が風邪引く」


 買ったばかりの真新しいフェイスタオルはなかなか雨粒を吸ってはくれなかったけど、私は彼が拭いてくれる先から熱くなって、さっきまで感じてた雨の冷たさなんて忘れてた。


 その後、お財布は無事書店で見つかって、「良かったね」って安心したように笑う彼を見た時には、私はもう恋に落ちていたのかもしれない。


 だってその直後に、


「あっ、やばっ、待ち合わせ!」


 って、腕時計を見ながら駆け出した、お礼も言えなかった彼にまた逢いたくてあれから毎日、コンビニに通ってたんだから。

 晴れた日も、曇りの日も、彼が忘れていった傘を持って。






「あの時のオレ、結構かっこ良くなかった?」


「うん、自分で言わなきゃね。ねぇ、和真かずまさんはいつ私のこと好きになってくれたの?」


 気が付くと時刻は十一時五十五分になっていた。


 後、五分。


 それで私と和真さんは完全に生徒と先生じゃなくなる。

 ただその瞬間を一緒に迎えたくて、今日は先生も一緒に少し遅くまでお別れ会があるって親には言ってきた。

 帰りはちゃんと先生が送ってくれるからって。

 こんな時「あら、そうなの?」って素直に親に信じて貰える位、私はいい子でいて良かったって思う。



「オレ? オレは……莉子が告白してくれた時かな。まだお互い名前も知らないのに好きですって言ってくれたの。あれ、すっごく可愛かったなー」


「嘘。あの時、和真さん、私のことフったくせに」




 私がコンビニで和真さんのことを待ち続けて一週間。

 あの時の待ち合わせってやっぱり彼女だったのかな、とか、もう私ただのストーカーだよって自分で自分に突っ込んで、今日で最後にしようとコンビニの前を何往復かした時だった。


 そこに和真さんが現れた。


 焦がれ続けた和真さんの姿を見つけた時にはもう気持ちが溢れていて、気付いたら駆け寄って、私は泣きながら、


「好きです」


 って、伝えてたんだ。







「フったって人聞き悪いなー。嬉しいけど、そういう大事なことはちゃんと相手のこと知ってから言おうねって言う位、大人として当然でしょ。莉子、明らかに未成年に見えたし。もしかしたらオレ、すっごく悪い人だったかもしれないよ?」


 そんな人じゃないのは初めて会った日に十分、分かってた。

 それが証拠に、その後、絶対にお礼がしたいって言い張る私に嫌な顔一つせず、カフェで時間の許す限り付き合ってくれたんだから。


 あの時はすごく話が弾んで、もしかしたらこのまま和真さんと付き合えたりしてって本気で思ってた。


 なのに。




 まさか次の日、私の通ってる高校に和真さんが新任教師として着任して来るなんてそんなの聞いてない!


 でも、ということは今日から毎日、和真さんに会えるんだ!

 という思いと、

 いやでも、相手は先生だよ? この恋はやっぱり諦めなきゃいけないのかな?

 という二つの思いが私の中でせめぎ合う。


 好きになった時はまだ先生じゃなくて、はっきり恋を自覚してから先生だって分かるなんて。

 和真さんはやっぱり、私のこと一生徒としてしか見ないよね。


 そう思いながら歩いていると、廊下の向こうから来る和真さんに私が先に気が付いた。

 見慣れないスーツ姿に私の胸が痛い位に反応する。


 和真さん、私はここにいるよ。

 今日からは和真さんのこと、先生って呼ばなくちゃだめですか?

 私のこと、莉子ちゃんじゃなくて名字で呼ぶんですか?


 それが当たり前でも常識でも、私は嫌です。


 お互いが手を伸ばせばぎりぎり届く距離にまで来た時、和真さんが私に気が付いた。

 和真さんは一瞬動揺した表情を見せた後、


「初めまして莉子さん。今日からよろしくお願いしますね」


 って、一応笑顔で違和感しか感じない挨拶をしてくれて、その場に居合わせた女子全員に私は質問責めにあった。

 何とか適当にごまかしたけど。

 今思えばたぶん、和真さんも相当気が動転していたに違いない。







「和真さんが本当に悪い人だったら、あんな余裕の無い告白できないと思う……」


「……余裕が無いは余計でしょ。オレだってもっとスマートに言いたかったよ。でも、莉子のこと田中に取られるのかと思ったら、つい……」






 学校での私たちは、さすがに先生って肩書きと名字で呼び合って、特別に二人きりで話すようなこともなかった。

 というより、私が話し掛けに行くと、和真さんの方から「学校ではあまり馴れ馴れしくしないように」って言われて避けられるようになったからだ。


 たまに和真さんの方から話し掛けてくれたと思ったら、階段を降りてる途中で、

「スカート丈短くないですか」

 とか、男子も交えて気晴らしにカラオケでもって話してたら、

「遊ぶ時間があったらその分勉強しましょう」

 って、先生として注意されることだけだったし。


 連絡先も交換してない私たちは放課後に会うこともなくて、本当にただの先生と生徒としてこの一年を過ごすんだろうなって、私は半ば諦めつつあった。


 そんな、ある日。


 その夜、予備校からの帰り道、私がたまたま一緒に帰っていた同じ予備校の田中君と別れた後ふと前方を見ると、あのコンビニの前で少し不機嫌そうな様子の和真さんが立っていた。


 私の胸が、だめだって分かっててもドキンと弾む。

 久し振りに見る『和真さん』だ。


 胸の前で組んだ腕にはコンビニの袋が提げられている。

 何か買いに来たのかな。

 完全プライベートだけど、話し掛けたいけど、やっぱりだめって言われるよね。


 それとも「帰りが遅い」とかって怒られるんだろうかと迷った挙句、私がペコリと頭を下げて行こうとすると和真さんの方から声を掛けてきた。


「さっきの、彼氏ですか?」


「えっ、まさか、違いますよ! 田中君とは予備校が同じで途中まで帰り道が一緒だっただけで……」


「へー。その割には楽しそうに見えましたけど」


「えっ? いえ、今度、模試で分からなかったところを教えてもらう約束しただけで楽しいって言うのとは……」


「それは僕が教えるんじゃ頼りないって意味ですか?」


「だって、教えてもらおうにも先生の周りにはいつも女子がいっぱいいて大変そうだし」


「じゃあ、僕のことはもう諦めたんですか?」


「え?」


「好きって言ってくれたのは、嘘だったんですか? 前はあんなに嬉しそうな顔で話してたのに、最近は近寄っても来ないじゃないですか」


「それは先生が馴れ馴れしくしないようにって言ったから。それに避けられてたのは、むしろ私の方で……」


「それは学校内での話です。どうして僕が莉子ちゃんに会えるかなってコンビニに通って、やっと会えたと思ったら田中君と二人で楽しそうにしてるとこ見なきゃいけないんですか?」


「先、生……?」


「そうですよね。先生なんかより、同級生とかさっきの田中君とお付き合いした方が堂々と一緒に帰ったり、人前で手とか繋いだり色々できちゃいますもんね」


「先生」


「莉子ちゃんはもう、先生の僕のことなんて興味無いですよね」


「先生っ! それって、ヤキモチ、ですか?」


「……っ、それ以外にこんな気持ち、何があるんですか? 莉子ちゃんのせいですよ。こんな筈じゃなかったのに」


「あの、じゃあ、先生も、私のこと……」


「責任取って、僕と付き合ってくれる覚悟はありますかっ?」


 その時の和真さんの顔が耳まで真っ赤になってて、初めて子どもみたいに幼く見えて、私は思わず吹き出してた。


「どうなんですかっ?」


 和真さんの必死な顔に、


「あります!」


 私はもちろん泣き笑いで即答してた。







「でも、和真さんが本当はこんないじわるな人だなんて思わなかったなぁ。あっ、そっか。それで相手のことよく知ってからって言ってたんだ?」


「え、何、莉子。オレと付き合ったこと後悔してるの?」


「してないよ。ただ、よく考えたらあの告白の時からちょっと片鱗は見えてたんだよね」


「やっぱり後悔してるじゃん。何? もっと優しい男の方が良かった? それとも、堂々とデートしたりできないのが不満だった? オレはそれでも、できる範囲で莉子のこと大事にしてきたつもりだけど、やっぱり田中君と付き合えば良かったとか思ってる?」


「思ってないよ! むしろ逆だよ! 私は和真さんと付き合えて良かったなって思ってるよ? 他の人が知らない和真さんを知れて、私を大事にしてくれる優しい和真さんをもっと好きになって。だから今日が来るのがすごく楽しみだったんだよ? こうなったらもう、三百六十度、一ミリの隙もなく堂々と和真さんと付き合ってますって、和真さんが大好きですって胸を張って言いたいからっ。だから一年もデートしたいの我慢して、学校以外では電話とメールだけで、一生懸命先生を頑張ってる和真さんの迷惑にならないようにって。

そ、そりゃちょっとだけ、教室のカーテンに隠れて手繋いでみたりしたことあったけど、でも、それくらいなら……っ」


「あっ、ごめん莉子、オレも好き」


「っ!」


 その一秒後に、目の前のテーブルに置いた二台のスマホのアラームが同時に鳴った。

 私は慌てて、和真さんを押し返す。


「……先生っ、今のキスはフライングじゃないんですかっ?」


 上目遣いで、昨日まで先生だった和真さんのことを軽く睨むと、


「大丈夫。誤差の範囲内でしょう」


 って、やっぱり和真さんは余裕の笑顔……かと思ったら、和真さんも私と同じ位真っ赤になってた。


 三月二日。

 今日からは堂々と彼氏彼女って言ってもいいんだよね?


「あ、やっぱり莉子ちゃん、念には念を入れて三十一日までは……」


「えっ? やだっ!」

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