『はるかかなた』なんて言葉遊びをしている内は、出会った頃の雨音さんの散文詩的な独特の世界観かと思っていた。
ところがどっこい、際どい、でもけして下品ではない、綺麗事では片付けられない愛の世界が描かれる。
主人公が18歳という、少女と女性の中間にある年齢で、迎合することを良しとしない性格なのが、この物語の肝のように思える。
つまびらかになっていく、『普通』とは言えない愛の形。
情景に『海』が強く感じられ、何だかセンチメンタルな気分になる。
愛の形はけして美しいとは言えないが、情景によって美しい物語に仕上がっている。
女子高生、歌姫、写真家。青に彩られた3人の関係の深まり、もつれ。
作者である六月さんの言葉の選び方や文章の紡ぎ方、独特で詩的でオンリーワンだなといつも仰ぎみているが、今回の作品は、その節回しは健在のまま、短く畳みかけるようなモノローグでもって、少女の硬質で、もろそうで、強靭そうでもある内面が描かれる。彼女の、一点を凝視したかと思えば、性愛のただなかにあってもどこかふうっと遠くを見ているような眼差しが印象的。
青色の光と水のイメージが、読む私の心をひりひり、ちりちりと刺し、容赦なく照らし、翻弄する。
六月さんの作り出す小説世界、まだまだ奥がありそうで、これからも楽しみにしています。
ずーっと潮の香りがしてました。
俺に読んで欲しいって、意味がすっごい解った。
エロい描写だけじゃなくってね。笑
すっごい水色。
においも空気も。
まるで、毎晩、中学高校ん頃にみんなで夜な夜な集まって、星を見上げながら一晩中話してた、しまなみのあの防波堤にいるようで、嬉しくなりました♪
はるかは、泡になっちゃったんだね。
六月さんが作中に書いているように、泡となって消えてしまうのではなくて、いっぱい考えてたくさん見つめてきた自分の行き先。
こんな時期、あったんだよね。
誰もが、たぶん。
漂っているようで、オールで激しくあがいて、飛び出そうとしてる。目的地なんて見えてない。誰にも。
すべてを泡に変える、その青さ、その結果。
それらの想いが、見事な六月節モノローグで綴られていて、大変美味しゅうございました。
「雨音が痛い夜」とかもうたまんない。
やっぱり、あなたのお話に恋をしたまんまなんだなぁ
って、再確認しましたけど、いいですか?笑
女性ならではの繊細な感性によって書かれた傑作だと思います。
「自分を薄めたかった。私にはどうやったら友達ができるのかわからない」。18歳の遥果は、人の悪意ある視線に晒されることを疎み、教室では透明になろうとしている。
「いつも1人でいる女。それが私」
「次はもっと遠いところに行こう。新しい自分になれるかも知れない」
そんな遥果には、放課後、別の顔がある。憧れの女性シンガー「夕映」のライブに通ううちに知り合った人気カメラマンの「奏多」。遥果はモデルとして奏多に写真を撮られ、また、抱かれるようになる。彼が夕映の恋人であることを知りながら……。
全体を通して、性的な描写がたくさん出てくる作品ですが、そこに(良い意味で)いやらしさがなく、読んでいて、遥果の哀しさ、切なさが胸に迫ってくる感じでした。
奏多に、夕映に、人形のように愛される遥果。
心と身体、食べることと生きること、愛すること、愛されること。
短い物語の中で、たくさんのことを考えさせられる作品でもありました。