6話 炎の聖騎士

街は熱気に満ち溢れていた。

比喩ではない。冷たい海域を越えた先の異国は、ヴェンタスではまず考えられないだろう砂の塊の国だった。遥か先に揺れる陽炎が、その熱風を街へと運んでくる。心なしか、ティッドの動きも鈍いように見えた。そんな中だというのに、人々は軽やかな声で往来を弾ませていた。

デゼレラ国、首都ネーグル。港から広がるバザールは、各地の特産物で賑わっている。ここまで彼らを乗せた漁師のレイフは山ほどのヴィランテールを抱え、市場へと消えていった。彼らが向かうべき場所とは反対。レイフを見送り、オルグロは熱気に揺れる先の王城を見上げる。


「あっ…… つぅぅ……」


後ろでシスターは項垂れていた。割いたローブを捲り上げ、足の間に風を通している。聖職者らしからぬ下品な仕草だが、たしかにあの黒装束は暑さを助長するだろう。オルグロとてそれは同じだが。


「この暑さが、デゼレラの活気の象徴なんだよ」


顎に伝う汗を拭い、カリトは笑う。そうしていつもならば物珍しげに辺りを見回すだろう男を振り返れば、その顔をぎょっとひそめた。


「ア、アイータ!? すごい汗だよ!?」


見れば男は異常な程に、滝のような汗を滴らせていた。


「俺は雪国出身だからね。こんな暑さは滅多に体験できない。人間はこんな中でも生きていくことができるんだ。これはじっくり観察して記録しなければならないね」


口早に言って高らかに笑っていたが、その笑顔すらも異常だった。今にも倒れてしまいそうに、青白い。


「お、おれ、水買ってくる!」

「とりあえず日陰に入っておきましょ。こら、白衣は脱いじゃあダメよ。日除けになるんだから」

「ありがとう、レガット」

「……重症ね」


旧時代の雪国。この男はもしやフロスドットと縁があるのか。いや、あの地は人間の楽園だ。何も今更疑問に思うこともなかった。しかしあまりにふらつきの多い男に、少年も仕方なくとひさしの下で足を止める。よほど暑さに弱いのだろう。火の魔術を用いるというのに、おかしなものだ。周囲に目を走らせれば、何やら街人たちがまとう衣装に目を奪われた。こんなにも陽が照っているというのに、女は頭から布を被り、肌色は目元でしか確認できない。男は男で、スカートのような布を腰に巻いていた。


「デゼレラはね、身分がはっきりしているの。白が一般市民、黄色が漁師、だいだいは商人……だったかしら。特に女性は、素顔を明かしてはいけない決まりなんですって」


それに対して、外国からの旅行客はそのしきたりには習わないでいる。なるほど、それで部外者の位置を明確にするのだ。


「身分の証明ねぇ。ウチみたいな宗教家だったら…… うわ、黒色か……暑苦しいな」

「この国では濃い色ほど神聖とされるのよ。宗教家は別格ね。王家は褐色で、次いで紅色」

「貴様はデゼレラ出身か」


いつもながら、あまりに詳しすぎる。言えば、彼女は呆れたように首を振ってみせた。


「カリトのお節介から得た知識よ」


ということはギルドの関係か。そういえばと、水を買いに走ったはずのカリトを探した。街道の脇に構える店、その出店の店主だろうか、若い男と話し込んでいる。若く浅黒い肌の男だ。


「おーい、水はどうしたんだよー! って、何してんだ、アンタの相棒は」

「……ああ、あの子は……」


言ったオロファの視線に気付いたのは、カリトではない。若い店主は彼女に手を振れば、彼を置いてこちらへと駆けてきた。


「オロファさん! お久し振りッス! お変わりなく美しく……」

「はいはい、どうも。あなたも相変わらず無駄に元気そうね、ハミル」


ハミルと呼ばれた青年は、頬を赤らめ頭を掻く。単純そうな男だ。少年の隣で、リベラは顔を顰めていた。


「なんだぁ、こいつ……魔女を口説いてるぞ。どういう光景だ、これ」


耳打ちに、喉から息を押し出した。どこにいても、連中は騒がしい。


「水が手に入ったのならば行くぞ」

「カリト、置いていかれるわよ」


少年が歩き出せば、オロファは肩を竦めて相棒を呼ぶ。慌てて辺りを見回し、手近な籠に金を入れてから水を手にする様は、まるで使いっ走りのようだ。取り残されたハミルは、店をそのままに彼女のあとを続いていた。


「オロファさん、オロファさん。今回はこの国に何の用で?」

「王様に話があるのよ」


部外者に話を漏らすな。目で訴えれば、少女は目を瞬いてから卑しい笑みを浮かべた。


「あら、あなたハミルのこと知らないのね」

「陛下に用? いくらオロファさんでも、陛下への謁見は順番待ちッスからね……早くても明後日くらいになるッスよ?」

「……ハミル、あなたも彼のことを知らないのね」


含みのある言葉。言われた男の顔をまじまじと見れば、その腰布に目が止まった。


「まさか……デゼレラの……」


オロファに名を呼ばれるたび、だらしなく破顔する男はとてもそうには見えない。しかし、その腰布は紛れもない、デゼレラの身分を表す紅色。国王の次の権力者。


「お? バレちまいましたか! デゼレラ国が聖騎士せいきし、ハミル・エリモスとはオレのことッス! よそのかわいこちゃんにも知られてるなんて、聖騎士になった甲斐があるってもんッスね!」


またか。もう何度目だ。頭を抱えた後ろで、暑さに耐えきれず、とうとう男は目を回した。




「いやあ、迷惑をかけたね」


オロファの生み出した氷のつぶてを頭に乗せ、アイータはいつもの調子で涼しげな笑みを浮かべていた。反してカリトは止まることを知らない汗を必死に拭い、隣の聖騎士ハミルと柔らかなタオルを奪い合っている。彼らがこの優男をここまで運んだのだ。細身といえども男は男。自分たちと同じほどの身体を運ぶには、この地は苦行だった。


「エリモス。汗は引いたか」


若い男の声。長い腰巻を床にはべらせ、細身の男がデゼレラ聖騎士の肩を叩く。


「うおっ、陛下! もう、ビックリさせないでよぉ〜!」


彼らは王城へと辿り着いていた。市民が列を成す中、アイータを引きずり運ぶ自国の聖騎士を見て、彼らは目を丸めていたか。しかし今度は少年らが目を丸める番だ。陛下と呼んでいるが、その言葉はあまりに親しみを帯びている。フランクな言葉を投げ掛けられたデゼレラの王は、ハミルと近い年頃にも見えた。


「オレと陛下は幼馴染なんスよ〜!」


空気を感じ取り、男は笑う。幼馴染か、彼らの後ろでアイータが呟いていた。

デゼレラ国王、リーガル・メジル・デゼレラ。目の当たりにするのは初めてであったが、少年も噂には聞いていた。若く華奢な印象とは裏腹に、その手腕は他の国の王をも凌ぐ采配に優れている、と。ハミルを聖騎士としたところは、その采配を疑いたいがしかし、人は見掛けによらないのだろうか。


「ヴェンタスが王、スヴァルト・スキル・ヴェンティに代わり馳せ参じた。聖騎士オルグロだ。デゼレラ国、王陛下との謁見を願う」


片膝を床に、頭をそれと並行に垂れる。そうしてかしこまれば、何故だかカリトが真似していた。それに噴き出す男が一人。


「そんな固くなんなくていいッスよ〜! てか、かわいこちゃん聖騎士だったんスか!? ん……? 確かヴェンタスの聖騎士は史上最年少の少年だって…… え!? 男!?」


一人で騒がしい男だ。額の青筋をままに、国王を見上げれば、彼もくつくつと笑っていた。


「公的要件か。良いだろう。ここではなんだ、応接間へ案内しよう。エリモス」

「は、はーい! うおぉ、まだ心臓がびっくりしてらぁ……」


少年の行く先々は、どうしてこうも騒がしくなるのか。王の御前だ、苛立つな。連れられた先の質素な部屋でも、それは同じだった。


「ヴェンタスとは城内の雰囲気も違うんだね」


カリトが言う。確かにそれは少年も感じたが、今はそんな世間話がしたいわけではない。


「早速だが、我が陛下のお言葉を伝える」


敵対組織グズルーンのこと、ノールクォーツのこと、それを封印すること、それらを全て余すことなく事細かに明示した。ヴェンタスの誠意を理解させるために。

国王リーガルは腕を組み、瞳を伏せている。二教の争いはここ最近で急速に発達した。確かデゼレラはどちらの信仰にも明確には属していないはずだ。そうならば、オルグロが任とするこの対策を受け入れるとは思えたが――


「……私はどちらも信用ならない」


リーガルの言葉は予想外だった。


「なんだと」


思わぬ返答に、少年の眉間に皺が寄る。中立とはいえ、こちらは下手に出ているというのに、それでは足りないのか。


「まあまあ、そう目くじらたてないでよ。ヴェンタス聖騎士のオルグロちゃん」


対してデゼレラの聖騎士は柔和な笑みを浮かべていた。国王の隣へ並べば、少年の背後の少女に片目を伏せる。


「オロファさんには世話になったし、オレたちとしても協力はしたいんスよ」

「あれ? おれは?」

「はいはい、カリトにも世話になったッスよー。けど、陛下の考えはこうッス。両教会のどちらかに肩入れすれば、我が国もその争いに巻き込まれかねないッスよね? そうなると、愛すべき国民に被害が及ぶ可能性も否定出来ない。だから、オルグロちゃんたちは勝手にすればいいんスよ」


男の言うことはもっともだった。ジグルドとグズルーンの拮抗状態。これはどちらにも加勢がなく、現状を維持したままの睨み合いであるからだ。しかし万が一デゼレラがジグルドへ肩入れしたと知れれば、それこそグズルーンのノール使用は早まるかもしれない。今のグズルーンがどういった状況かもわからない中、この国王と聖騎士の判断は的確だ。


「勝手に、ねえ。つまりは私たちがこの国のノールを封じようと、あなたたちは知ったことではないってことね」

「そういうことッス」


少年へ視線が移された。オロファとハミル、そして国王リーガルは同じことを考えついたらしく、その口角を持ち上げている。


「ヴェンタス国王が聖騎士オルグロよ。新米聖騎士としての貴公の腕を試させてもらう。場所は我が国の宝玉が安置された至聖所で行うが、決してその宝玉には触れるな。決して、だ」


なるほどやはり、デゼレラ王は切れ者だ。この質素倹約な王城も、彼が争いを好まないという表れなのだろう。途端に手にした金紙へ引け目を感じた。きっとこの王は、勅諚ちょくじょうであろうとも再生紙なのだろう。


「……わかった。受けて立つ。ヴェンタスが国王陛下の名に掛けて」



・・・



灼熱の砂漠の中心で、それは口を開けていた。一足踏み込めば、砂嵐を忘れさせる巨大な風穴。これもノールクォーツの力なのだろうか。やけに涼し気なここ、至聖所ティルヴもまた、天使の遺産だ。ジグルドに信奉せずとも、人々の歴史に天使は欠かせない。その最高にして最恐の宝玉は、どの国も畏怖か崇拝か、慎重に管理しているのだ。


「ここの一番奥に、ノールは安置されてるッス」

「やけに寒いなココ……」

「ああ、ノールから冷気が零れてるんスよ。砂漠でオレらが生きてられんのも、ノールの力あってこそなんス」


しゃくッスけど、とハミルは零す。リベラが身震いするほどに、涼しさは増していた。薄暗く霞む通路から、薄青のティッドが瞬いている。道中また目を回していた雪国出身の男も、ここでは機嫌が良さそうで、視線を忙しくしていた。


「ここはもしかしてギムレーの国だったのかな。火神の紋様が散りばめられてる。でも石は冷気を放って……つまりは霜属性か。なんだかアンバランスな配置だね」


また独り言か。壁に手を添え何かを確かめながら、ブツブツと続ける様は、科学者を自称していたことを思い出させる。やはりこの男の興味は底知れない。


「なんかよくわかんねえこと言ってるッスけど、別にオレらが動かしたわけじゃないッスよ? もともとこの地から産出したんッス」

「この地から……? それこそ不可解だね」


不可解はお前の行動だ、言ってやりたくて口を噤んだ。しかし確かに、この至聖所と呼ばれる洞窟の作りは謎めいていた。どこか天使の墓と似ている。たしかあそこは、ジグルドの管理下にありながら、人間側の遺物と言っていたか。ここも同じであるとすらば、デゼレラの保有するノールクォーツは、人間の遺物である可能性を秘めている。


(……確かに、不可解だ)


見上げた洞窟の天井にも、レリーフは刻まれていた。天使を象徴する羽と、人間を象徴する剣を携えて。


「さて、オレの案内はここまでッスね。あとはオルグロちゃんたちで頑張れッス!」


言って、ハミルは壁を叩くと、オルグロの腕を引いた。そのままの拍子で、身体を壁に叩き付けられる。衝撃に目を閉じた。と、思った。


「なんだ……ここは」


壁の感触がなかった。淡いティッドの光に照らされた空間で、少年の声がこだまする。中央には燭台。火はない。あるのは、内部に針が閃光めいて走る、時の宝玉。


「ここが……」

「な、なにすんだ!って……あれ?」


次いで訪れたリベラとアイータ。二人も驚きに目を丸め、笑い、その空間を見回していた。


「なるほどね……見えざる扉か、もしくは時空移動? 後者であれば、時詠みの力を彷彿とさせるね」


最後に転がるように飛び込んできたのはカリトだ。相棒に手を握られたまま、肩で息をしている。


「こらバカリト! 気安くオロファさんの手を握ってんじゃねーッスよ!」

「あれ? ハミルは……どこに?」


男に言われて奇妙がこみ上げた。自分たちが抜けた道はたしかに壁で、今しがたカリトが転がってきたそれを触れてみても、先のように抜けられはしなかった。しかし、ハミルの声はこの先から聞こえる。


「言ったッスよね、聖騎士としての腕を試すって! 普通に叩いても触っても、この通り道は使えないッスよ。せっかくノールを回収しても、ここを抜けられなきゃあオルグロちゃんは聖騎士失格ッスね〜。まあ、オロファさんがいれば大丈夫とは思うッスけど…… ま、ともかく頑張れッス!」

「貴様……!」


壁を殴った。拳をじわりと包み込む衝撃。壁の向こうで、男の足音が遠ざかるのを感じ、余計に苛立ちがこみ上げてきた。しかし殴れども、閉じられた扉は開こうとはしない。


「……ノールを回収する」

「まあ、まずはそうするしかないでしょうね」


ハミルにより絶対的な信頼を置かれている彼女も、未だ正解は導き出せていないらしい。少年の拳が打ち付けられた壁をまじまじと観察すれば、立ち去った聖騎士のようにそこを叩いている。その隣では、自称科学者が首を捻っていた。あちらは、二人に任せればいいだろう。

さて、これをどうするか。先の氷の剣を思い出し、少年の手は竦む。


(前回は……何故拒絶されたんだ)


未だにその明確な回答は得られていない。魔女曰く、あれは人間の残留遺物だから、天使信仰者には扱えない。しかし、少年は天使信仰者ではない。つもりだ。


(母の刷り込みが、ここに来て邪魔立てするのか)


悲嘆が口を突き、思わず息を吐き出す。隣では、呑気な男と女がノールを覗き込んでいた。


「これがノールクォーツ? 初めて見たけど、なんでこれを封印するんだ?」

「はあ? バカか、何も理解せずにここまで着いてきてたのかよ……」

「だって魔物とかいっぱいだと思ったから!」

「魔物いっぱいって、…… え?」


悪態づく女は、ふと天井を見上げた。見れば、彼女の癖毛が露に濡れている。彼女を真似て上を仰げば、やはり自分の悲運に舌打ちを落とした。


「バカリト! アンタがそんなこと言うから! 本当に出やがっただろ!」

「おれのせい!? っていうかハミルの真似しないでよぉ!」


ああ、煩わしい。天井から降り注ぐ魔虫の群れに、不快感は最高潮だ。


「む、虫ィ!? な、なんか…… かっこいいな!?」


魔虫を眺め、リベラは目を輝かせる。分厚い装甲のアーマードアンドは、口らしきものの下でナイフのように尖った足を動かしている。あれのどこが格好いいというのか。喚く女は興奮のままに銃を乱射した。ノールに被弾しそうになり、少年は怒号と共に剣で弾く。


「足でまといは下がれ! 共倒れさせる気か!」

「虫……ねぇ」

「まさか貴様は虫が不得手か」

「あのね、女はみんな虫が苦手なのよ。誰かさんは女じゃないみたいだけど」

「ああ!? かっこいいだろうが!!」

「……まあ、凍らせればなんてことはないわ」


拳を打ち付け、頬に文様が浮かぶ。いつも通りの水色だ。ティッドの明滅、魔術の前触れ。殲滅すべき、強固な甲羅を背負った虫のティッドは──


「青と黄……? なんだ、あれは……」

「複合属性持ちか。厄介な昆虫だね」

「……ふん、そういうことなら試してやるわよ」


青に緑が混ざる。二つの唐草は交わり、少女の頬を覆っていく。瞬間、辺りの冷気が彼女へと集い、徐々にその姿を構築していった。


夏虫疑氷かちゅうぎひょう……消え去りなさい――」


唐草が放たれる。少女の手のひらを起点として、そこから一つ、二つ、三つ、四つ。幾多もの氷の柱が弾け、尖り、まるで弓矢のようにして、狙う獲物を囲い込み、冷たい煙塵と共に撃たれた。あれはどこかで見たことがある。立ち上る煙、そこから放たれる見えない牙。あれは、


「ガルムの塵旋風じんせんぷうじゃないか!」

「真似てみたわ」


さらりと言い退ける女には肝が冷える。竜巻、塵をも巻き込む暴風の氷柱。青と緑、両ティッドが合わさった、複合魔術。船の上で、アイータが見せたものと同じ原理だ。


「お見事」


当の男は笑った。腰の剣を抜くこともせずに、こちらを眺めて。絶たれた退路のほうが、彼の関心を誘っているのだ。部屋の中心のノールに視線を投げ、そのまま辺りの壁を見回す。少年は、心の内でまた舌打ちした。

撃たれた虫らは、その場に転がり、忙しなく宙を蹴っていた。剥き出しにされた腹には装甲はない。好機だ。


「シスター! バカ! 奴の腹を狙え!」

「またバカって……」

「バカリトだもんな!」


嘆きながらも、剣を握れば男の目つきは変わる。雄叫びと共に、氷の剣は水を得た魚のように鼓動を始める。霜のノールクォーツ。あれがおそらく、剣に力を注いでいるのだ。今回もまた、氷か。


「うぉらあぁあああ!!」


リベラの銃弾により、ひび割れる腹。そうしてそこに突き立てられる氷剣。その咆哮ほうこうに、オルグロは魔虫を蹴り飛ばした。


「おい、出口は見つかったのか」


呑気に観戦する男を睨みつける。


「うん、というか、最初からわかってたよ」


ならば先に言え。詰め寄りたい衝動を堪え、魔虫に背を向け、ノールを見る。攻略がわかれば、虫も、この空間も、どうということはない。問題はこれだ。


「時を……ティッドをその身に宿し」


ノールの周りを漂う埃。青白い光が、この宝玉のティッドだ。


「これを、取り込めばいいのか……?」


数日前に、男にいわれた言葉が蘇る。


「思念に犯されてしまうよ」

「それでも」


今度こそ他に渡しはしない。鍵なき今、これは自分の手の中に収めてみせる。

オルグロは、ティッドに触れた。




街は燃え盛る炎に包まれていた。

人々は何かから怯え、その身を寄せて剣を握る。

やがて陽炎から女が現れた。

漆黒の髪を揺らし、赤い瞳を光らせて、雄叫びを上げる。

人々は絶望した。


「この国は、今日で終わる」


人々は歓喜した。


「ようやく火の国から解放される」


街は沈み、黄金に輝く山々が聳えた。

女は笑う。


「私とともに、歩みなさい」


そう言った彼女の背中には、漆黒の闇が迫っていた。

あれは畏怖、そして憎悪、そして寵愛。

歪んだ愛情は彼女を飲み込む。街を飲み込む。

黄金の館は彼女を手招いた。

女は拒絶した。

街は燃え盛る炎に包まれていた。




「ヴッ……」


せり上がる胃の躍動に、耐えられなかった。

呻き声を吐露し、その場にうずくまる少年に、皆が駆け寄る。視界がボヤけ、涙が滲む。

これが、思念。

光を失った宝玉を誰かが取り上げた。それは僕のものだ、言いたくても声にならず、オルグロは意識を手放した。

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女神の審判 高城 真言 @kR_at

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