出会い

 

「おーい、無事かー?」



 収音マイクの拾った、眼下から聞こえてくる男の声に、朦朧としていたスフィアの意識が引き戻された。


「もし無事なのであれば、もうすぐ日が落ちます、こちらで休息にしませんか?」

「そうだぜ、シートに座りっぱなしも大変だろう、どうだ?」


 日が落ちる。その言葉に、意外と時間が経過していた事に驚きながら顔を上げて外を見回すと、西の空がもう大分赤く染まっている。


 気が付けば、すぐ傍に、タイヤをキャタピラへと変えて装甲を纏ったバスのような乗り物が横付けされていた。

 そして先程の援護射撃はこの機体の物であろう、身の丈はありそうな長大なライフルを携えた、ヴィエルジュと比較するとややがっしりした体形の、二本の大型アンテナと二つのカメラアイを有する精悍な顔つきをした……おそらくは、イドラらしき機体が一機、座り込んでいる。


 周囲に転がっている襲撃者の機体は全てハッチをこじ開け、あるいは解放され、乗っていた男達の姿はすでに見えなかった。バスのような乗り物に、何か頑丈そうな、金属の箱のような被牽引車両……おそらくは檻……が後部に接続されているので、おそらくあの中であろうとスフィアはあたりを付ける。


「……降りて来ませんね、もしかして気を失っていたりとか……」

「ああ、怪我して動けなくなっていたりしなければ良いんだが……」


 深刻な表情で、二人の間の男性が、足元でヴィエルジュの様子を伺っていた。


 一人は、さらっとした柔らかそうな金髪を短めに整えた貴公子風の容貌の青年で、肌にフィットするようなパイロットスーツの上に、同色のジャケットを纏っている。きっと、先程の援護射撃は彼だろう。

 もう一人は、不精髭を蓄えた、中年くらいの痩せぎすな男性だ。こちらは砂漠用に露出をなくし、ゆったりとした白い服を纏っていた。


「だ、大丈夫です、今降りますので!」


 心配を掛けてしまっている事に気が付き、慌てて返事をする。

 機体を屈ませて膝をつき、高度を下げると、ハッチを開けてその縁に足を掛けた。


「ちょ、馬鹿、何を……っ!」


 足元から年長の方の男性が、驚愕の声を上げている。しかし、スフィアはそれを気にせずに、オリジンコア接続中のS.I.Bから一つのソフトウェアを呼び出す。


≪Call.万有引力定数制御≫


 脳内に……S.I.B内にメッセージが表示されるのを確認したスフィアは、躊躇いなく宙に身を躍らせた。

 いくら屈んでいるとはいえ、その高さは十メートル近くある。どう見ても頑強に見えない少女がその高さから落下などすれば、ひとたまりも無く大怪我をしてしまいかねない。


 そう考えて顔を青くした壮年の男性と、咄嗟に抱きとめようと一歩踏み出そうとした青年だが……


 その眼前で、ふわりと少女の体が滞空し、ゆっくりと降下する。

 落下に合わせ、ひらひらと朧げな白い羽のような光を纏い、宙を舞わせながら。


 ――重力制御。

 ヴィエルジュのオリジンコアに接続されたスフィアのS.I.Bが、その演算能力を借り受けて現実世界に干渉し、自身に加わる万有引力定数を書き換え、重力加速度を月と同じ六分の一に落としているせいだが……そうと知らないふたりは、呆然としてその神秘的な光景を、舞い降りる少女を見上げていた。


 もっとも、その時スフィアの方はというと……


『ちょっと、ユニオス、何このエフェクト!?』

『マスターに少しでも魅力を感じて欲情……訂正、興味を持っていただけるように、細工をいたしました。お気に召してもらえましたか?』

『全然! 全然お気に召してませんからね!? というか今欲情って言いかけましたよね!?』


 そんな、脳内通信による応酬が繰り広げられていたのだが。




 とっ……と、落下した高さの割に小さな足音を残して、スフィアが軽やかに地面へと降りる。

 ゲーム時に作成した人格データに元付き、可憐で嫋やかな所作でスーツのスカート部分を摘まみ……


「ん……こほん。この度は、助けていただいて本当にありがとうございました。私、スフィア・ユースティアと申します」


 そう名乗りつつ軽く頭を下げ、若干首をかしげ、にこりと笑顔で礼を言うスフィア。

 その表情に、若い方の男性が硬直し、年上の方の男性は人の良さそうな笑みを浮かべる。


「ほう、こいつぁ……将来、別嬪さんになるのは間違いないな。ところで、さっきの羽根は……」

「忘れてください」

「いや、しかしな」

「忘れてください」


 貼り付けた笑顔でゴリ押すと、彼は、諦めたように嘆息した。


「……まぁいいか。それで、嬢ちゃんは一人か? 他に一緒に乗っている大人は……」


 男性が、キョロキョロと周囲を見回す。

 なんせ、機体から出て来たのがまだ幼げな少女一人なのだ、保護者の存在を探すのも無理はないだろう。が、当然ながら、そこには他に誰もいない。


「まさか、嬢ちゃん一人でアレに?」

「そうですが、どうかなさいましたか?」

「はぁ……凄い女の子も居たもんだな……っと、名乗ってなかったな。俺はライオス。ここからずっと西にある『アスタ』って街で、砂漠の案内人や猟師なんかをやっている」

「あ……私も地図データで見かけたそこへ向かっていたのですけれど」

「おっと、それじゃ、一緒に行くか?」

「はい、ご迷惑でなければ、案内をお願いします」


 何せ未知の世界の初めての街だ。何も知らずに一人うろつくよりはずっと良さそうだ。

 眼前の彼からは、少なくともスフィアが見た感じでは悪意なども見られず、信用していい気がした。


「おう、任せろ。それでこっちが……おい、兄さん、兄さんよ。いつまでも見とれてるんじゃねぇよ」

「……はっ!?」


 肘でつつかれて我に返った青年が、慌てて居住まいを正すと、ようやく口を開いた。


「し、失礼しました! 私の名はアルク……アルク・トゥルスと申します。こちらの機体は『ヴォーティス』、わが国で発掘されたイドラのうちの一機です」


 そう、胸に手を当て、どこかの貴族のように挨拶をする彼……アルク。その育ちの良さそうな所作に、スフィアはぱちぱちと目を瞬かせる。


「あー、この兄さんは、中央から来た騎士様でな。このあたりでおかしな動きをしている一団の調査に来たってんで、仕事で色々案内していたんだが」

「はい。そのような中で貴女のような可憐な女性を助けることが出来て……何事も無くて、本当に良かった」


 その後、流れるような仕草でスフィアの手を取った。あまりに自然なその行為に反応できずにいると、膝を着いた彼の口が、その手の甲にが寄せられ――


「――っっっ!?」


 ばっと、我に返ってその手を振り払い、距離を取る。

 青年の唇が触れた……正確には、触れる寸前まで寄せられただけだが……手を抱え、ついでに胸を抱くようにして、スフィアは真っ赤になって睨みつけた。


「な、ななな、何を……っ!」

「あ……申し訳ありません、つい癖で……!」


 つい癖でこんなことするって何、イケメンですか、王子様ですかあなたは!?

 実際、下心はなかったらしく、慌てた様子で必死に弁明しようとしている彼だが……今ので良く分かった、この人は、天然のタラシだ。

 そう、スフィアは眼前の彼の名前を脳内の警戒リストに最高危険度で記し、攻略なんかされてたまるものですか、と心に刻み込んだ。


 容姿に性格、それに、優男に見えて実はかなり鍛えられているらしい引き締まった体。男として……今はもう女だが……完膚なきまでに負けている悔しさに、思わずジト目で睨みつけて(いるつもりで)いると、青年はすぐに所在なさげに周囲を見回す。


「す、すみません……私はもう少し、他の賊が居ないか見て回りますので、ライオスさんはこの少女をお願いします」

「あいよ、任せな」


 そう、そそくさと立ち去ろうとしている青年に、ふと、我に返った。


 ――私、助けてもらったのに、この態度は無い。


「……あ、あの!」


 それは駄目だ、スフィアの信条にもとる。そう考えて思わず声をかける。


「助けてくださって……ありがとうございます」


 何とかそう絞り出すと、青年は、まるで少年のように嬉しそうな顔で一つスフィアに向けて笑いかけると、すぐに自分の機体に駆けて行ってしまった。




 そんな青年が、乗り込んだ自機の、折り畳まれていた背部のウィングパーツとブースターを展開し、飛び去って行ってしまう。

 ……いいなぁ、私も早く空を飛ばしたい。スフィアがそんな想いで彼方へ飛び去って行くヴォーティスを見送っていると……ふと、横から視線を感じた。


「……どうかなさいましたか?」

「ん、いや、何でもないさ。いやぁ、若いっていいねぇ」

「……?」


 その言葉に、スフィアが首を傾げる。しかしすぐに、こうしている場合ではないと思い返った。


「では、私もそろそろ出立したいのですが……」

「いや、今からはやめておいた方がいい。そろそろ日が落ちる」


 再度ヴィエルジュに乗り込み出立しようとするスフィアを、彼……ライオスが遮った。


「日が落ちると、何かまずいんですか?」


 日本で見た文献では、むしろ砂漠の移動は夜が基本だと言われていたけれど……そう、スフィアが疑問符を浮かべる。


「嬢ちゃん、そんな事も知らずにこの砂漠に……いや、まあ、なんだ。夜になるとな、太陽光が苦手で、普段は地中に居るサンドワームって言うバケモノが砂上に出てくるんだよ。そんな中で派手な音なんか立てて走っていてみろ……いきなり、下からバクン! ってなるぜ?」

「……イドラを、ですか?」


 イドラは平均して、全高およそ十五メートルはあるのだ、そんなバカなと笑い飛ばそうとしたが。


「ああ、なんでも、過去最もデカかったやつは、全長五百メルテ近くあったらしいからな」

「うわぁ……」


 ちなみに、一メルテはだいたい両腕を左右に軽く広げた程度の長さで、メートル法ととそれほど大きくは変わらないらしい。

 それが五百メルテ……しかも、ミミズの仲間。想像するだけで、スフィアはスーツの下に鳥肌が立っていくのを背中に走る悪寒と共に感じた。


「だから、悪いこたぁ言わねえ、中で休んで行きな?」


 そう言って、ライオスが、自分の乗ってきたバス……砂上航行車デューン・クロウラーと言うらしい……を指差す。


「………………そうですね、それでは、お言葉に甘えて」

「あいよ、寝心地はあまり保証しねぇが、一応体を伸ばせるソファくらいはあるからな」


 ライオスがドアハッチの取っ手を捻ると、気密仕様のスライドドアがぷしゅっと音を立てて開く。案内されるままにその内部に足を踏み入れる。


「わぁ……」


 中に入ると、そこは簡易的なリビングみたいな空間となっていた。据付のテーブルに椅子。壁際には横になれるようなソファもある。

 映像記録で見たキャンピングカーに似ている……いや、それよりもかなり広い。

 スフィアが興味津々であちこちパタパタと歩き回り、その内装を確かめていると。


「嬢ちゃん、水は居るか?」

「あ、いえ……大丈夫です」


 ――ちなみに、スフィアの着ているパイロットスーツには、体から発散されたり大気中に漂っている水蒸気を吸収し、蒸留した上で浸透圧を操作し体内に循環還元する機能があり、水分補給が最低限で済むほかに、排泄物を尿意すら自覚する前に処理してしまう機能があるのだが……スフィア自身はその事に気がついてはいなかった。


「そう言わずに、少しは飲んどけ。ほら、遠慮すんな」

「は、はぁ……では」


 そう言うと、ライオスはサーバーからカップへ水を注ぐと、ソフィアに手渡してきた。

 おそるおそる、一口そっと口に含む。


 ……正直、あまり美味しくないな……日本で飲んだミネラルウォーターの味を思い出しながら、スフィアは思った。

 なのに……何故か喉が必死に動く。気が付いたら、あっというまにカップを空にしてしまっていた。


「……なぁ嬢ちゃん。水分補給、どうしてた?」

「……え? 水分……補給……?」

「いや……いい。お代わり、いるかい?」

「…………お願いします」


 そっと、カップを差し出す。

 なんだか、ずっと世話になってばかりだ。もっと、一人で何でもできると思っていた、もっと……戦えると思っていたのに。


 お客様扱いでソファに座らされ……やる事もなくなり、人心地着いたせいか、気分が沈み始めてしまっている。そんなスフィアの眼前に、中ほどまで水を継ぎ足されたカップが差し出される。


「……酷い顔だな。折角の可愛い顔が台無しだ」

「……そんな、酷い顔してますか?」

「ああ、それはもう。こんな風になってるな」


 そう言って、ライオスが、自分の眉間に深い皺を作って見せる。その顔が面白くて、スフィアはぷっと噴き出してしまった。

 その様子に満足げに一つ頷いたライオスは、だがすぐに真面目な表情に戻る。


「で、どうかしたのか?」

「…………はい。ただ、自分が情けなくて。ランキングマッチ……いえ、シミュレーターでの成績はずっと一番で、実際の戦闘になってもきっとうまくやれるって思ってたんですが……」


 危うく人を殺めかけた……ユニオスが、AIが気を利かせてくれなければ実際にこの手は血に染まっていただろう。それに……


 ――その機体から引きずり出して、滅茶苦茶に犯してやる


 そう凄まれた時の濁声が頭の中で再生され、カップを持つ手が今になってカタカタと震える。

 何故かこの世界に来てからはステータスを開けず、妊娠拒否設定にできない。

 今……もし本当にヴィエルジュのコックピットから引きずりおろされていたら、その果てにスフィアに待っているのは耐えがたい結末だ。


 ――結局のところ、退屈だ、刺激が欲しい……そう思っていたこと自体、怠惰で平和なあの日本での生活の中で醸成されてきた、平和ボケだったのだ。


「……いざ、実際に人を殺しそうになったら、怖くて……悪意を向けられたら、体が竦んで……本当に、思い上がっていた自分が情けない……です……」


 スフィアが、先程の戦闘で澱の様にたまった想いをたまらずに吐き出す。

 じわ……と目に滲んできた水滴を、ぐしぐしと手で拭う。この体は、涙もろくて駄目だなと思いながら。

 スフィアの人格データこそ有効にしたが、それでも男の意地として泣くまいと思ってもうまくいかず……すん、すんと、小さな鼻をすする音だけが暫く室内に響き渡っていた。


 そのままぐずっていると……スフィアの頭に、ぽん、と大きな……その小さな頭を全て覆いかぶせてしまうような、大きな手が乗せられた。


「……あー、別に良いんじゃねぇか? 殺す覚悟なんて、無くて済むならその方がずっといい。特に、嬢ちゃんみてぇな子供が持つような物じゃないと俺は思うが」

「……え?」

「俺はな……ガキの頃、まぁなんだ、嬢ちゃんにはとても聞かせられないような位にはロクな育ちをしていなくてな。悪い大人に使われて日銭を稼いでいるうちに、いつの間にかズブズブと、そんな世界に足を踏み込んでいたからな」

「……とてもそうは見えません」

「はは、ありがとな。だけど事実で、気が付いたら、そんな生活から逃げ出した後でさえもあまり変えられなくなっていた。今こうしているまでには色々あったんだが……足を洗ったきっかけは結婚して、子供ができたことでな」

「……奥様と、お子様がいらっしゃったんですか」

「ああ、まぁ、もっとも……」


 ふー……、と、深いため息が室内に響き渡った。

 長い沈黙の後……ぽつりと、その口が開かれる。


「死んじまったよ、二人ともな。十年以上前にあった、北から突然国境を越えて来た、帝国の襲撃でな」

「あ……ごめんなさい……」

「そんな顔すんな、済んだことだし、俺が勝手に話し始めたことだ」


 わしわしと、頭を強く撫でられる。

 髪が崩れて乱れるけれど、スフィアは、今はなすがままにされている事にした。


「……嫁さんも、まだ小さかった娘も、俺が至らなかったばかりに死なせ……殺されちまった。勿論その時は憎悪で頭が一杯だったが……同時にそん時に思ったんだよ……ああ、人を殺すって、こういう事だったんだな……って」

「ライオスさん……」

「だから、嬢ちゃんみたいな子が人殺しなんてするもんじゃねぇ。殺すのが怖い? 結構じゃねぇか。殺さず無力化できるんなら、それで良いじゃねぇか、な?」

「はい……そうですね、仰る通りです」

「ただ……だからって、自分を犠牲にするのは辞めるんだ。そんな事をする位ならまずは逃げろ、いいな?」

「ふふ、はい、分かりました」


 大分気が楽になったスフィアは、軽く微笑んで、いつの間にか隣に座っているライオスへ体重を預けた。

 日本での形式的な、遺伝上の父親ではない。まるで、物語に出てくるようなお父さんみたいだな……そう、温かい物を胸に感じながら。


 そのまま、穏やかな時間にうつらうつらと船を漕いでいると。


「っと、あの兄ちゃんが戻って来たようだな」


 外から、控えめな音を立てて、エンジン音が接近してきていた――……











 すぅ、すぅ、と規則正しい控えめな寝息が聞こえて来る。

 どうやらひどく疲れていたらしい。突如増えた同行者の少女は、アルクが帰還し、クロウラー内に入ってきてほんの少しだけ会話したのち……すぐに目を擦り始めたかと思うと、こてんと寝入ってしまった。

 今は青年の貸した……遠慮している所を無理やり言いくるめて押し付けたシュラフにくるまって、ソファの上で穏やかな寝顔を見せていた。


 その、天使のごとき寝顔を微笑ましく見つめていた二人だが……


「……どう思う?」


 ライオスが、テーブルを挟み、差し向かいで座っている青年へと、疑問を投げかけた。

 この少女……スフィア・ユースティアと名乗った少女は、長く旅をして来たにしては、えらく荷物が少なかった。まるで着の身着のままで機体に飛び込み、飛び出して来たかのように。


「帰る場所はない、と言っていましたよね」

「ああ、それも……あんな悲痛な顔で言われちゃぁな……」


 もし、家が近くならば、悪いことは言わない、さっさと帰るべきだと諭そうとしたライオスだったが……


 ――もう、帰る場所も、帰るつもりもありません。


 暫くの沈黙ののち、絞り出されるように、可愛らしい顔を泣きそうに歪めて告げたあの様子。あれは……


「……もしかしたら、どこか遠くの、何らかの事情で滅んだ良い家の姫君かもしれません」

「……はは、まさかそんな、冗談はやめろ……と言いたいところだが、この容姿だからな、ありえるかもしれん」


 柔らかそうな肌もさらさらの髪もシミやくすみ一つなく、今はスーツの手袋を外しているため外気に晒しているその手は、驚くほどのみずみずしさ、滑らかさを備えていた。例えるならば……生まれたばかりの赤子のような。


 どのような仕事でも、その職業なりの何らかの特徴を備えているものだ。こんな手をしたものなど、傅かれて身の回り一切の世話をされているような、深窓の姫君くらいしかありえない。


 そして、その操縦桿を握ることで皮が厚くなったりもしていない手はすなわち、少女がまだあの機体に乗って間もないことを示してもいる。きっと何かあったのはごく最近なはずだ。


「だが、そうだとしたら一体どこのだ? そんな大事なら、お前さんの耳にも何か騒ぎが入って来るだろう?」


 辺境にへばりついて細々と生活している自分と違い、この国の統治機構の直轄の騎士であり、数少ない高い適性を有し貴重な機体であるイドラを預けられた、高位の騎士の家系の御曹司。そんなアルクであれば、周辺国の噂話は優先的に入ってきているはずだ。


 ――この大陸ではなく、遥か海の先にあるという大陸の出来事か……あるいは、噂すら回ってこないようなごく最近の出来事でさえなければ。


二人とも、おそらくその可能性を同時に脳裏で想い浮かべたのだろう。車内に、沈黙が降りる。


「これは私の予想なのですが……あの、ヴィエルジュと言いましたか、あの機体は相当に能力を制限されていると思います」

「……は? あれだけの動きをしていてか?」

「ええ……というよりは、あれだけの動きをしていたのに、です」


 青年が、先の戦闘の光景を脳裏で思い返す。

 見たところ、彼女の機体は相当なスペックを有していると思われる。先程の戦闘でもその動きは目を見張るものがあったが……あれが底とは到底思えない。何故ならば……


「動きのキレが良すぎます。反応が過敏すぎる。あの程度の出力で使用するにはあまりにも……もっとずっと高機動な戦闘を想定した機体反応速度だと思います」


 あれではあまりにも操作性が悪すぎる。あの反応速度に見合った、それが必要なほどの性能は有しているはずだと、青年は踏んでいる。


「私達の使用するイドラは、空を自在に駆けるはずの機体です。それが何故、地上戦闘に専念していたのか……おそらくは、いずこからか長時間飛行してきたため推進剤が切れたのだという可能性が高いのではないでしょうか」

「はぁ……なるほどなぁ。流石同じイドラ乗り、そんなとこまで分かっちまうのか」

「まぁ、勝手な想像ですので、確証はありませんけどね」


 そして、その予想が当たっているとすれば、先の予想はあり得るものとなってしまう。

 この少女は噂も届かぬ遥か遠くから逃げて来たか、あるいはごく最近不幸に見舞われた可能性が高い。

 もしそうだとしたら、この今は穏やかな寝顔を浮かべている少女は、どれだけの未だ癒えぬ心の傷を抱えているのであろう。


「……よし、決めた。俺は、この嬢ちゃんが今後どうするか決まるまで、面倒を見るぞ」

「ライオスさん……そうですね、あなたであれば、私としても安心して任せられます」


 やる気を見せるライオスに、それを応援するアルク。二人は、硬く握手を交わす。

 お互いの想いは同じ……この可憐な少女に、笑っていてもらいたいというその一心で、二人の心は一つになった。













 ちなみに……青年の予想は、残念ながら外れ。

 彼は非常に頭の回転の速い優秀な青年であるが、なまじ頭が良いせいで深読みした結果……彼の中では完全に、スフィアの存在は「か弱く儚げな薄幸の少女で、守るべき対象」としてインプットされてしまったわけだが……その間違いを訂正できる唯一の存在であるスフィアは、何も知らずに夢の中にいるのであった。


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虹翼のヴィエルジュ ~白の少女は新世界の空を舞う~ @resn

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