七不思議の七番目
東美桜
七不思議の七番目
「先輩!」
明るい声に桐野は振り返った。そこには部活の後輩、笹森と村上の姿。
「今度、俺たち怪談会するんですよ! 一緒にどうですか?」
「今、メンバー集めてるところなんです!」
二人の声に、桐野の眉が曇る。
「……あー……怪談か……」
「え、もしかして桐野先輩、怪談苦手ですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……トラウマが、な」
「え!」
不意に笹森の瞳が輝いた。彼はその笑顔に好奇心を載せ、詰め寄る。
「ちょっとその話、詳しく聞かせてくださいよ!」
「やめろよ笹森。変に聞いてどうするんだよ。あ、桐野先輩。別に無理に話すことは……」
「……いや、一応話しとく」
自分の声に苦々しいものが含まれるのを感じつつ、桐野は二人を見据えた。
「あとさ……怪談、止めたほうがいいぞ」
「え?」
「……俺が一年生のころの話なんだけどさ……」
「桐野ー。きーりーのー」
「うっさいな……何だよ、柏木」
昼休み。熟睡していたところを起こされ、俺は苛立ちながらも友人に視線を合わせる。
蝉の声がうるさい。七月も半ば、高校の夏期講習前の朝。毎日部活で疲れているのに、折角の睡眠時間を邪魔しないでいただきたい。
そんなこととはつゆ知らず、友人――柏木は、ニッと笑って俺を見やった。
「俺さ、すっごい面白いこと考えたんだよな」
「何だよ」
柏木はいつもそう言って、俺を誘う。
「あのさ……夜、学校に忍び込んでみようぜ! んで、七不思議を確かめるんだよ!」
ここ、森屋高校では、なかなかに怪談というものは流行っている。
その一、ひとりでに開かれる図書室の医療関連書籍。
その二、三年五組教室の窓際の一番後ろの席に浮かび上がる血痕。
その三、西階段に響く「助けて」という声。
その四、理科室の血の滴る解剖用メス。
その五、屋上に浮かび上がる血文字。
その六、校庭に転がる、首と腕のない死体。
その七、詳細不明――。
「で、その七を知りたいんだよね。実はもう、目星ついてるんだよな~」
聞いてもいないことをペラペラと話し出す。
「ほら、この高校、何年か前に生徒の自殺事件あったじゃん? 結局原因不明だったやつ。しかも両腕に頭も持ち去られてたっていうし、あれが関係してるんじゃないかな~なんて」
不吉なことを言うな。そんな凄惨な事件を軽い意識で話題にするな。そして腕を取るな。揺するな。
「なあなあなあ、一緒に行こうぜ! ほら、俺だけじゃ信憑性もクソもないしよ、おまえみたいな信頼できるパートナーが必要なんだって!」
「……仕方ないな。嫌な予感したらすぐ帰るからな」
今日も結局、俺は断ることもできずについてゆく。
……あんな結末になるとも知らずに。
その日の夜。
「なぁ、だからって、即日即行は無理あるだろ」
「えー、よくね? さ、行こうぜ!」
「はいはい……」
呆れながらも俺は柏木についていく。
……時刻は午後十一時五十二分。普段なら熟睡している時刻。気を抜けば、眠りの沼に引きずり込まれそうだ。
「えーっと、まずは図書室な……」
防犯カメラをかいくぐり、俺たちは図書室へ。
柏木が持った懐中電灯が前を照らす。その灯りが、「図書室」と書かれた古めかしいプレートを映し出した。
「ここだな。じゃ、開けるぞ」
無駄に声を潜め、柏木は鍵を挿し、回すと、ドアをゆっくりと押した。
ギィィ……ィ……。
不気味な音が一気に俺の意識を恐怖へと引きずり込んだ。
今は七月、真夏のはずだ。なのに何だ、この寒気は……。
「……行くぞ」
いつになく、柏木の声も真剣だ。彼の喉の鳴る音が、やけに大きく聞こえる。
カーペットの敷かれた床をゆっくりと進む。医療関係書籍の棚は一番奥だったはずだ。長い時間をかけて進む――と、鋭敏になった聴覚に、音が。
パラッ――
パラッ――
俺は息を呑んだ。間違いない……紙の捲られる音。
気付くとすぐ近くにいた。全身の震えに耐え、顔を上げる。
白い電灯が、白い何かを映し出していた。
「……マジか」
柏木の呟きが、やけに大きく聞こえる。
――一冊の本が、宙に浮いていた。ぱらぱらと、ごく自然にページが捲られる。
まるで誰かが、本当に本を読んでいるくらいのスピードだ。
そこに不可視の指があるかのように、本は捲られる。
それに釘付けになっていると――不意に、脇腹に人肌の感触を感じた。
――背筋が凍る。
「なっ!?」
思わず叫び、振り返ると――柏木だった。不釣り合いなほど真剣な表情で、囁く。
「とりあえず、一つ目は確認したな。……ここにいても仕方ない、行くぞ」
次の現場は、三年五組の教室。
再び恐る恐る進み、懐中電灯で向こうを照らす。
「――ヒッ」
柏木の息を呑む声が聞こえた。
恐る恐る視線をそちらに向ける。
「――!!」
――紅い、紅い色。
青白い光に照らされ、それは不気味に発光している。
机にこびりついたような色は、まるで何百年も前からそこにあるよう。
生々しく、暗く、光っている。
全身に鳥肌が立つのを感じた。自然と呼吸が早くなる。
乾く口内に貼りつく舌を無理やり剥がし、掠れた声を発する。
「……ま、まだ、二つ目なんだよな」
「ああ……でも、七つ目。確かめないと、気がすまない」
柏木は俺に向き直り、笑ってみせる。
「次……西階段、行くぞ」
だが……声の震えは、隠しきれていなかった。
……帰りたい。
そろそろ十分だ、早く帰りたい。
全身の震えが止まらない。歯がガチガチと噛み合わされる。だが……それは、明らかに気温のせいではない。
西階段にたどり着くと、無意識に下を向いてしまう。
――と、少女の声が耳を打った。
――たすけて。
――たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて……。
「……ッ!!」
俺は思わず背を向け、走り出していた。
「お、おい! 待てよ、桐野!」
柏木の声が追いかけてくるが、待ってなどいられない。一刻も早くこの場を去りたかった。
もつれたような足音が二つ重なる。
それをどこか、他人事のように聴いている自分がいた。
一体どこをどう走ったのかも分からない。
気付くと俺は中央階段を一段飛ばしで昇っていた。階段を蹴る音が高く響く。
桐野、桐野と呼ぶ声だけが、救いだった。
――が。
俺は不意に足を止める。
いや、足がすくみ、止めざるを得なかったのだ。
――理科室の看板。
全身に悪寒が走るのが、感じられた。
固定されたような首を無理やり動かし、理科室の中に目を向ける。
――と、銀光が目を焼いた。実験机の上に放り出された、鋭い刃が。
いや、銀だけではない。先ほど三年五組の教室で見たのと、似たような――いや、全く同じ鈍い色が。
喉元まで悲鳴がせり上がる。
もう限界だった。俺はその場から逃げるように駆け出し、絶叫する。言葉ともいえないような意味不明な咆哮が喉を焼いた。
最早、人外に陥ったような気分だ。
七不思議など、存在しないと思っていた――だがそれを、目の前で次々に見せ付けられて。
世界が、己が、端から崩れていくようだ。
――グッ
不意に片腕を掴まれた。その感触に、再び声帯が震える。無様な声が夜の校舎に響き、弱々しく闇に吸い込まれた。
柏木は俺の腕を掴んだまま、中央階段へ引き返す。
「なに……すんだよ」
「……まだ、三つ残ってる」
「離せよッ!」
俺は柏木の腕を乱暴に振り払った。驚くあいつの目を見据える。
「もう……どうなってるんだよッ!? 七不思議なんて存在しないはずだろ……なんであるんだよ!? 何で何で何で……!!」
「ちょ、桐野、落ち着けよ」
「これで落ち着いてられっか!! なんでこうも……こうなるんだっ」
――そう言ったところで、奴の両腕が俺の肩を掴む。
柏木は、俺をまっすぐに見据えていた。
「それでも……俺は知りたいんだ、七番目を。頼む、付き合ってくれ……!」
――俺は息を呑んだ。
柏木が、頭を下げている。
そしてこいつが頭を下げたときは、彼が本当に追い詰められているときだ。
俺は溜息を吐き、弱々しく頷く。
……どうにも、こいつには負けてしまう。
屋上には鍵がかけられ、普段は封鎖されている。
だが、柏木が拝借した鍵さえあれば、容易に入れる。
風が強い屋上に上がると――予想通りのものがあった。
最早見慣れてしまった血痕……だが、今は別の意味を持っていた。
劈くような悪寒を感じるのは先刻と同じ――だが、先刻とは比べ物にならないほどに。
そこに描かれているのは、明らかな意思であった。
――“私を認めないものには、断罪を”
それが何を意味しているのかは、分からない。
ただ、それが果て無き憎しみの末のものであるとは、理解できた。
――と。
「っ!?」
柏木が声にならない声を上げる。その懐中電灯の先は、校庭に向けられていた。
青白い光の向こうを眺め――思わず、声を上げそうになった。
――生々しい遺体。ところどころが腐敗により変色し、あちこちに血痕がこびりついている。転がされた場所から、ここにまで腐敗臭が漂ってきそうだ。
その遺体には、首が、腕が、なかった。
――これが怪談の六つ目。
それを目撃した今、七つ目が訪れるのは不可避。
「――ようこそ、終焉の刻へ」
――声が、した。
刹那、金縛りにあったように身動きが取れなくなる。指先すらも動かない。
当然、振り返り、声の主を見ることすらも――。
七月の真夏日だというのに、辺りはひどく寒い。
その冷気を閉じ込めたような――愛らしい少女の声が、凛と響く。
強い風の中、彼女の声は明瞭だ。明瞭過ぎると、いってもよいほどに。
「……よくぞいらっしゃいました。私の痕跡を追い、私を見つけた貴方がたには、知る義務があるでしょう」
バッ、と柏木が振り返った。
――そう、柏木が追い求めていた、七不思議の七番目。
それが、彼女だと。
「私は三年前から、ずっとここにいました。そう、三年前に発生した森屋高校自殺死体損壊事件です」
――その言葉そのものは、驚くべきものではなかった。
それは、柏木の予想と合致していたから。
だが――その先に続く言葉までは、予想していなかった。
「――ですが、私の死因は正確には、自殺ではありませんでした」
「……!?」
柏木が息を呑む。俺の首筋を、嫌な汗が伝った。
「私は、同級生に殺されたのです。ここから突き落とされ、首の骨が折れ、私はあっさりと死にました――何を訴える暇もなく、あっさりとね」
少女の言葉はどこか哀しげな響きを纏っていたが――突如、残酷に切り替わる。
「――私を殺したのは、私の友人三名。彼女らは以前、ひょんなことで喧嘩し、それ以来疎遠になっていた……けれど彼女らは、私が勝手に離れていっただけだと言い張り、そして……私を絶対に離れられないようにしようと企んだ。だから、殺し、物言えぬ人形にして……その後、彼女たちは喧嘩になり。誰のもとに人形を置くかなどという、下らないことでね。だから……私を刻んだ。一人は右腕を、一人は左腕を。最後の一人は頭を持ち去った……けれどね。結果的に、それが仇となりました。それがきっかけとして、三人は逮捕された。……けれどね、下らないものです」
急に、その声は嘲笑を帯びる。
「彼女らは殺人罪には問われなかった。ただの死体損壊罪。結局少年院に入り、すぐに出てきた。私は未来のすべてを奪われ、彼女たちは何事もなかったように人生を謳歌できる……ふふ。不条理ですよね。理不尽ですよねっ」
クスクスと笑いが漏れる。ひどく、乾いた嘲笑が夜の闇に拡がった。
「――だからね、私は、彼女らに復讐するため、ここに留まったんですよ。彼女らに怪異を見せ、おびき寄せ……突き落とした。目には目を、歯には歯を――死には死を。当然のことでしょう? ふふっ。案の定、あっけなく死にましたよ。……けれどね、私は止まらない」
――声が、再び冷徹に転ずる。
「あらゆる人を、理不尽な死に追いやらないかぎり。私は満足しません――何故って」
「――ヒッ」
その声が柏木のものだと、俺は一瞬気付かなかった。
一瞬金縛りが解け、振り返った。短い髪が、頬を打つ。
そして――俺はそれを見た。
見て、しまった。
夏服を纏った少女。
その長い髪は、風になびいていない。
腐敗した白い腕が、柏木の背中を押す――。
「や……やめろおおおおおおおおおおっ!!」
声帯がびりびりと震えた。激情が絶叫となって夜の闇を裂く。
だが、それは、強い風にかき乱され――千切れて消えた。
トンッ――
少女の腕と、柏木の背中が、離れる。
そして――友人の背中が、闇の中に溶け消えた。
叫ぶ間もない。最後に俺自身も、あの冷たい手に触れられ――夏の空気に、押し出されて。
「えええ……」
「ちょ、先輩……嘘でしょぉ……」
語り終えると、笹森と村上は涙目で震えていた。桐野はそんな二人を安心させようと微笑む。
「あぁ、すまない、怖がらせすぎたな。だけどこれは実話だ。そういうわけで、怪談はやめておいたほうがいいかもしれないぞ。……じゃ、俺、そろそろ帰んないと。じゃあな」
そう言って、彼はその場を後にする。
数秒後、村上はふと思い出したように呟いた。
「……あれ? さっき先輩、突き落とされたって言ってたよな……そういえば去年にも自殺事件あったような……」
「いやいや、やめろよ……きっと九死に一生を得たってあれじゃ……」
不安げに笑う笹森が振り返り――小さく悲鳴を上げた。
遠ざかる、桐野の背中。
それが、笹森の目の前で不意に掻き消えた。
――彼という存在が、もとから存在しなかったかのように。
七不思議の七番目 東美桜 @Aspel-Girl
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