第8話 Oh, deer!!
先日行った名もない山。私たちは前と同じく高速道路ガード下に自転車を置いて、山頂に向かって鹿田さんがシカを大声で呼び出した。
「キィィッ!」
「あ、来た」
「この前会ったのと同じオスジカだよ」
鹿田さんはハクシカ様に会ってきたからボスのところに案内して欲しい、と伝えた。するとオスジカは後ずさりし、元来たところへ一目散に引き返していったのである。
「『ここで待て』ってさ」
「ということは、ボスと女将が近くにいるんだ!」
やがて、地面がかすかに揺れはじめた。
「鹿田さん何これ、地震?」
「この地方は地震が少ないのに。珍しいね」
しかし地震にしてはおかしい揺れ方だと気づいた。私自身、地震はあまり体験したことがないけれど、少なくともドドンッ、ドドンッと一定のリズムを刻むような揺れ方はしないはずだ。
すぐにその正体がわかった。大量のシカだ。山の斜面に茶色いモノがうごめいて、大量の土埃が舞い上がっている。ここで待てと言われたけれど、あまりにもの光景に足を動かせなかった。
ツノのあるヤツ無いヤツ。全部含めて多分百頭はとうに超えていると思う。その全部が私たちをあっという間に取り囲んでしまった。
「進藤さんやばいよ、みんな殺気立ってる」
「ええー……」
鹿せんべいはもう手元にない。あったとしてもこれだけの大頭数は想定していなかった。
前にいたシカたちが左右にサッ、と分かれた。その間を縫って、オスジカとメスジカがそれぞれ一頭ずつ、のっしのっしと歩み出てきた。
これがボスと女将だ。間違いない。ボスはひときわ大きい体つきをしている。
ボスが唸り声を上げた。その意味を鹿田さんが即時通訳する。
「『貴様ら、俺に用があるらしいな』だって。とても機嫌悪いよ」
しかしもう、説得に成功するしか無事に逃れる方法はないことはわかりきっていた。
「はい。あなたたちが車を壊すのをやめて頂きたくて、ハクシカ様にお願いしてきました」
私はリュックから、ハクシカ様に貰ったツノを取り出した。水戸黄門の印籠のごとくひれ伏すはず。だけどボスと女将は、唸り声で威嚇してきた。
『ウソをつけ! ハクシカ様のものだという証拠がどこにある!』
『どうせその辺のオスジカを捕まえてツノを取ってきたものでしょう! 許せない!』
鹿田さんがそう訳した後、私にしがみついてきた。
「ダメ、聞く耳持ってくれそうにない!」
周りのシカたちも一斉に鳴き出す。訳してもらわなくてもその意味は痛いほどわかりきっていた。
なりふり構っていられない。私は土下座した。
「あなたたちの子どもを死なせたことについて、私が代わりに謝ります。ですからこれ以上、町の人に迷惑をかけないでください!」
だけどシカたちはますます態度を硬化させる。とくにボスと女将の怒りは凄まじい、という一言で片付けられなかった。
『あなたたち人間は子どもを死なせても謝って済まされないわよね? 私たちシカの命は人間の命に比べて軽いということかしら?』
女将がそう言ってきたらしい。何も返す言葉はなかった。
突然、鹿田さんが「無理です!」と声を荒らげた。
『それにあなたたちが殺したわけではないから、あなたたちに罪を償ってもらうわけにいかないわ。我が子を殺した本人をここに連れてきなさい。そうすればやめてあげましょう』
女将が突きつけてきた要求を通訳した鹿田さんの顔色はすっかり青くなっている。仮に犯人の運転手を連れてきたら、シカたちがどういう行動に出るか簡単に想像がつく。
子ジカが人間の子どもだったら、運転手は刑務所に入れられて多額の慰謝料を一生かけて払わなければならない。仕事はもちろんクビになっている。だけど子ジカ相手なら、せいぜい自動車の修理代を払う程度で済んでしまう。女将、ボスから見れば理不尽極まりない。だからといって運転手を連れてきて煮るなり焼くなり好きにしてください、と生け贄にするわけにもいかない。
『できんなら交渉決裂だ。命は助けてやるからさっさと帰れ!』
ボスの恫喝に周りのシカたちが呼応する。もうダメだ、と鹿田さんは嘆いた。そのとき、
「あっ!」
私の手にあったハクシカ様のツノがブルブルと震えて、宙に浮き上がった。シカたちが先ほどとは違う鳴き声を発する。
「鹿田さんこれは……鹿田さん!?」
鹿田さんはマネキン人形のように固まってしまっていた。驚いて気絶している風ではない。その鹿田さんの頭上に、一対のツノが舞い降りた。
するとどうだろう。あのときと同じように、私たちの周りに一陣の風が吹き荒れた。鹿田さんを見てまたぎょっとした。黒々とした髪の毛がたちまち白色に代わっていったからだ。
私は直感した。鹿田さんの体にハクシカ様が乗り移ったのだと。
鹿田さんの目には、青い光が宿っていた。
「お主らか。この辺のシカを束ねておるのは」
鹿田さんは低く威厳のある声色で、ボスと女将に尋ねた。やはり、鹿田さんはハクシカ様と化している。
通訳が途絶えたから、ボスと女将の言葉はわからない。だけど先ほどとは打って変わって、怯えた態度が露骨に現れていた。
「無関係の人間を巻き込んだことは許されることではない。しかし我が子を失った気持ちは我にもわかる。二度と事故を起こさぬよう、心がけをさせねばならぬ。そこのお主」
「は、はいっ」
ハクシカ様と一体化した鹿田さんが振り返って、私は直立不動の姿勢をとった。
「死した子の魂を慰める場所を作り、祈るのだ」
「わっ、わかりました!」
私は神様の使いに、即時返答した。
また突風が起こった。再び目を開けたときには、鹿田さんの頭にあったツノがなくなっていた。髪の毛も黒色に戻っていた。
ボスと女将たちは、足音を立てて山へと一目散に帰っていった。
「あ、あれ?」
「鹿田さん! 気づいたんだ」
「何があったの……?」
「ハクシカ様が助けてくれたんだ。解決方法を教えてくれたし、これでもう大丈夫だよ」
鹿田さんはまだ頭の中が混乱しているようだったけれど、とりあえずは無事だとわかったのか、大きくため息を吐いた。
*
あの日から一ヶ月後のこと。県道の側に建てられた小さな祠で神事が執り行われた。内容は新しく出来た祠の入魂式と、交通事故で亡くなったシカたちの慰霊祭だ。参列者は私たちの他、米沢・入山両地区の鹿島神社の氏子総代に、警察関係者、さらに地元の新聞記者までもがいて物々しい雰囲気になっている。
ハクシカ様に言われたことを実行するため、私は米沢・入山両地区の鹿島神社を統括する神主さんのもとを尋ねて、ダメ元で亡くなったシカたちの慰霊の場を作って欲しいとお願いした。だけど神主さんは神の使いであるシカに対する思い入れが深く、あっさりとOKを出してくれた。こうして祠は完成したが全く珍しい取り組みだったためか、マスコミが聞きつけてやって来るのは全くの想定外だった。それでも私と鹿田さんはインタビューにちゃんと答えた。明日の朝刊の地域面に乗るはずである。
神事が終わると各々解散となったが、私と鹿田さんはまだ祠にいることにした。
「さすがにシカの霊の言葉までは聞くことはできないね」
鹿田さんが鹿せんべいを一枚つまみ上げた。私たちの手作り鹿せんべいは祠の前に大量に備えられていた。もちろんこれからも定期的に作ってお供えし続ける。
「あのときの鹿田さん、今思うとかっこよかったなー」
「そう? 私、ビビっちゃったから情けなかったと思ってるけど」
「ううん。シカの魂を持つ鹿田さんがいなかったら、今頃町から車が消滅していたところだよ」
鹿田さんはじっと鹿せんべいを見つめていたけど、おもむろに口に運んだ。
「うっ……や、やっぱ不味い……」
「何してんのよ」
「私の中にいるシカの魂が喜ぶと思って」
私の大きな笑い声は、大型トラックの走行音にかき消されていった。
シカ娘 藤田大腸 @fdaicyou
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