第7話 ハクシカ様

「ハクシカ様……ですよね」

「いかにもそう呼ばれておる」


 ハクシカ様の声には威厳があり、ズシンとのしかかってくるようだった。要件を伝えなければならないのに、それ以上話しかけることを許されないような雰囲気に私は否応なく気圧されてしまう。


 そんな中、沈黙を破ったのはハクシカ様からだった。


「ふむ。お主、シカの魂が混じっておるな」

「私がですか?」


 鹿田さんは目をぱちくりさせた。私も同じく。


「生きとし生きるものには全て魂が宿っておるが、生を受けて魂が肉体に入る折に複数の魂が混じることが稀に起こるのだ。それが例え種が異なっておってもな」

「……」


 衝撃の事実! 鹿田さんはシカの生まれ変わりだった! ……と茶化すことすら一切許されない厳格な空気が私たちの周りを包んでいる。


「ゆえにお主、シカと話ができるであろう」

「は、はい。おっしゃる通りです」


 鹿田さんは声を震わせつつ答えた。


「ならば、どこぞのシカにそそのかされて我を呼びに来た。そういうところであろう?」

「はい、実は……ねえ進藤さんの口から話してあげて」

「え、私!? 何でいきなり私に振るの!?」

「だって、何だか……」


 鹿田さんの顔にはたくさんの汗が吹き出ている。気分が悪くなった時にかく脂汗のような感じだった。シカと会話できる特技の秘密を知ってショックを受けているのだろうと思ったけれど、別の理由らしい。


「シカたちは我の姿に恐れ慄く。例え人間の姿を取ろうとも、シカの魂を持つのであれば当然のこと。ゆえにそこのお主、何故我を呼び出したのか理由を話せ」

「はっ、はい」


 命令形口調に、シカの魂を持っていない私ですらビビってしまった。私は途中で何をしゃべっているのかわからないぐらい、拙く理由を説明したのだが、ハクシカ様は理解してくださったようだった。


「ふむ。言い分はようわかった。亡くなった子ジカの親の復讐を止めさせよ……ということだな?」

「はい。このままだとシカたちにも危害が及びますので。あっ! もちろんタダでとは言いません。ハクシカ様のために鹿せんべいというお菓子を持って参りました。どうぞ食べてください」


 私は震える手で、タッパーから鹿せんべいを一枚取り出した。するとハクシカ様の眼が燃えるように真っ赤に輝き、その瞬間、鹿せんべいが見えない糸で引っ張られるみたいに私の手からスルッと離れたのである。


 宙に浮いた鹿せんべいは、そのままハクシカ様の口にスッと収まった。


「ふむ! これはなかなかの珍味である」


 ハクシカ様の眼が再び真っ赤に輝くと、今度はタッパーに残っていた鹿せんべいが全て宙に舞い上がり、ハクシカ様のあんぐりと開けた口に吸い込まれていった。私も鹿田さんも、その様子を若干引き気味で見ているだけだった。


 一瞬で食事を終えたハクシカ様は、満足げにおっしゃった。


「わかった。お主の願いを叶えて進ぜよう」

「あ、ありがとうございます!」


 割とあっさりと話が通じて、私は心底ほっとした。鹿せんべいは神様の使いの心すら動かす魔法のお菓子だった。


「とはいえ、我はこの地一帯を鎮護する役割を担っている故、離れることはできぬ。代わりにこれを持っていくが良い」


 ハクシカ様の立派な二本のツノがブルブルと震えると、それはポッキリと折れて浮き上がり、私たちの手にスーッと収まった。ツノを失ったハクシカ様の頭からは一瞬で新しいツノがニョキッと生え変わり、私たちを驚かせた。


「それを親ジカに見せて話をつけよ。すぐに聞き入れるであろう」

「わかりました!」


 再び一陣の強い風が起こり、木々がざわめく。


「鹿せんべいとやらはなかなか美味かったぞ。また必ず持って来い」

「はい、必ず」


 強烈な風に私は顔を腕で覆った。風が止むとハクシカ様はすでにおらず、今まで何もなかったかのような静寂さを取り戻したのだった。


 それでも手元には、確かにハクシカ様の真っ白なツノが残っている。


「あー、怖かった……」


 鹿田さんがため息をついた。


「鹿田さん。大丈夫? いろいろと……」

「うん。シカと話せる理由がわかったからかえってスッキリしたよ。名字が鹿田だけにシカの魂を呼び寄せちゃったのかな?」


 鹿田さんは平然と笑っている。


「さて、私もシカと縁が深い身だと知った以上、何としてでも解決しなきゃね。早速ボスと女将のところに行こう、進藤さん」

「うん!」


 ハクシカ様に申し訳ない罰当たりな表現だけど、私はゲームで攻略アイテムを手に入れた時と同じ気分になった。

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