第6話 アメツチ山

 日曜日。家で鹿せんべいを大量に作ってきた私は鹿田さんと一緒に「アメツチ山」という場所に向かった。


 アメツチ山は清和町の中心地から北西、自転車で半時間少しかけたところ、清和町と白沢市の境に位置している。この麓には白沢市に属している米沢、清和町に属している入山という集落があり、そこでは「白鹿伝説」なるものが伝わっていた。


 日本が戦国の世だった頃、米沢、入山に住まう農民がアメツチ山へ柴刈りに入った。そこで体全身が真っ白のシカを目撃し、これは神様の使いに違いないと農民たちが拝み倒したところ、その年は豊作になり村が潤ったという。これが「白鹿伝説」の序章である。


 その後も度々地元民による白いシカの目撃談が相次いで、拝んだら病気が治ったとか金持ちになったとか、そういう話が伝説として残った。驚くべきことに目撃談は江戸、明治、大正、昭和、平成に渡って続き、最後に白いシカが目撃されたのは平成十五年。米沢集落に住むおばあさんが山菜を取りに山に入ったところ白いシカが現れて、思わず拝んだのだという。すると喧嘩別れして都会に出ていってしまった息子が家に戻ってきたのだとか。


 山に住まう白いシカを拝めば幸せになる。それは両集落の間にのみ伝わってきたお話だったが、これについて大学で民俗学をかじった人が「個人的趣味」として事細かに調べ、研究成果をサイトに載せたことで衆目に触れられることになった。とはいえサイトのカウンターを見たらアクセス数が三桁程度だったので、まだ知る人ぞ知る段階だろう。


 とにかく、「白鹿伝説」に出てくる白いシカがハクシカ様とみて間違いない。


 私たちは途中でコンビニに立ち寄って食事休憩をとることにした。すでに正午に差し掛かっていた。


 私はスマートフォンの地図アプリでアメツチ山周辺を再確認し、鳥居マークを指さした。


「目的地はここ」


 この神社は「鹿島神社」と表記されていた。


「この神社の奥の山道で白い鹿が最後に目撃されたんだよね?」

「そう」


 私は画面軽くスワイプして、アメツチ山近辺には他にも鳥居マークがあることを示した。いずれも「鹿島神社」である。


「うーん、見事に『鹿島神社』だらけだ」


 鹿田さんがうなった。


 鹿島神社は名前の通り、白鹿伝説と関わりがある。この神社は茨城県鹿島神宮の神様を勧請(神様を分霊して神社に移すこと)して建てられたと伝えられる。神様の名前はタケミカヅチというのだが、春日大社が建てられた際に白いシカに乗って一年かけて奈良に向かったという伝説があるのだ。


 アメツチ山にいる白いシカの正体はタケミカヅチを乗せてきたシカであり、山をいたく気に入って住み着いたのだ、と米沢・入山両集落の間で言い伝えられてきたという。奈良からアメツチ山までは相当距離があるのだが……まあ、真偽不明の伝承に突っ込むのは野暮だろう。


 しかし白いシカがいるのは確実と見ていい。実際にシカの証言もあるのだし。


 私たちはコンビニで買ったおにぎりを食べ終えると目的地に向けて再出発した。


 県道三号線に沿って行くこと十分少々。「米沢」という標識が見えた。さらに進むと「清和町入山」の標識があるが、ここから右手に見える山々の中でラクダのコブのように二つてっぺんがあるのがアメツチ山だ。


 私たちは田んぼを挟んだ一車線しかない細い道を通り、鹿島神社に辿り着いた。鳥居の横に若干のスペースがあったのでそこに駐輪して、お作法に則り一礼をしてから鳥居をくぐった。


 境内に続く石段はそんなに段数は無いが、観光地になっている神社のように綺麗に舗装されているわけではない。ところどころ傾いていたり崩落していたり。鹿田さんに足元に気をつけて、と注意を促してゆっくりと上った。


 石段を登り切ったところに小さな社が見えた。こちらは手入れされているようで、周りの草が刈り取られた形跡がある。さわさわ、と木々の葉が風を受けて揺れる音と小鳥のさえずり以外には何も聞こえないけれど、だからこそ神様を祀るには良い場所なのだろう。


「まずお参りしていこうか」

「うん」

 

 私たちは五円玉を出して賽銭箱に入れ、お作法通り二礼二拍手一礼でお参りした。


 ――ハクシカ様、お話したいことがあります。姿を見せてください。


 私はそう祈った。それから裏手に周って道を探していたが、すぐに草木が生えていない箇所を見つけた。


「きっと、ここだ」


 傾斜はきついが登れないことはない。まず私が踏み入り、後から鹿田さんが登る。


「ここらへんで呼びかけてみようか?」


 鹿田さんが提案してきた。


「美味しい鹿せんべいがありますよー、って言ってみて」

「わかった」


 鹿田さんは大きく息を吸い込んで、


「ハクシカさまーーー!! 美味しい鹿せんべいがありますよーーー!! 姿を現してくださーーーい!!」


 バサササッ、と木々に止まっていた鳥が騒がしく飛び立ったが、すぐにいつもの静寂に戻った。


「返事がない」


 鹿田さんは淡々と呟いた。


「ま、すぐ見つかると思ってないけどね」


 私はさらに先に進み始めた。


 その時、一陣の強い風が吹いて木々を大きく揺らした。


「きゃっ!」


 とっさに腕で目を覆う。


「いきなり何よ……」


 風は直ちに止んで、私は腕を下ろした。


 言葉が出ない、という言い回しの通り、私たちは何も声を出せなかった。


 体に一点のシミも見当たらない、真っ白なオスジカが坂の上から私たちを見下ろしていたのだった。


「我を読んだはお主らか」


 ハクシカ様の口から発せられた言葉は、私でもはっきりと聞き取ることが出来た。

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