手紙
手紙
その朝、ムンク鳥が運んできた手紙は二通。
エーデム王セリスは、ベランダで手紙を受け取ると、執務室に急ぐ。
一つは、おおよそ内容がわかっている。
ウーレンの宰相ソリトデューン・モアラからのもので、エーデム王の間者たちが伝えてきたものを、より確かな情報にするものだ。
冷たい剣を握るに似つかわしくない手で丹念に綴られた古代ムテ文字は、密書のやりとりに常に使われている。
案の定、血塗られた戦況を報告する内容だ。
エーデム王の結界の外では、大いなる戦乱の嵐が吹き荒れ、ウーレンはその真っ只中にある。彼らは、日が昇る勢いで進出してくる人間どもを抹殺し、この島のすべてを手にしようとする争いに身を投じた。エーデムはそれを黙認する形で収まっている。
エーデム族の血嫌いを考慮してか、さらりとした内容ではあるが、セリスの手は震える。
しかし、その手は止まった。セリスにも思いもよらなかった一文が、目にとまったからである。
「ウーレン王は、結婚を考えている」
その文字を、セリスはじっと見つめていた。
複雑な想いが胸をよぎった。
次の手紙を開く。
それは、ウーレン王アルヴィラント・ウーレンからの、直々の手紙だった。
エーデム王をたてるつもりなのか、エーデム文字で書かれている。
しかし、汚い。あまりにも汚い字だ。まず、大きい。はみ出すほどだ。さらに太い。大胆な字だ。
つい、彼の双子の兄が繊細な美しい文字だったことを思い出し、セリスは苦笑してしまう。
「伯父上、変わりはありませんか? 母上は元気ですか?」
さりげない文章で始まっている。
伯父上、変わりはありませんか? 母上は元気ですか?
私は、先頃オタールの戦線を抜け、ウーレンに帰国したばかリですが、元気です。近況はいらないですね。書けば書くだけ、気分が悪くなりそうだ。
それよりも、今回手紙を書いたのは、私の決意を義父でもあるあなたに伝えたかったからです。
そこで一枚目が終わっている。
字が大きいので小さな便箋にはそぐわない。
ウーレン王は、密書を書く才能に乏しいと思われる。しかも、字はさらに大きくなり、文面も熱が入って徐々に砕けてくる。
正直、めちゃくちゃだ。
推敲ということをしないらしい。
セリスは二枚目、三枚目へと目を運んだ。
私は結婚しようと思う。相手は、幼なじみでもあり、私の片腕でもあるリラ・ウーレンです。
彼女はウーレン王族であり、多くのウーレンの民が彼女と私の結婚を望んでいる。王族の血を残すためにも、王として彼女と結婚すべきとの進言を、俺は長い間、耳の飾り毛が抜けるほど聞かされてきた。
正直うんざりでした。
でも、結婚しようと思ったのは、その言葉に屈したからではありません。リラを愛している……といえば、正直嘘になります。
私が心より愛を捧げて、妻とした女性は、シリアだけです。
私は、シリアを愛している。
一生愛しつづける。
それは、私が生きていて息をするぐらい当然のことです。俺が生きているのも、シリアのおかげだと思っているし。
それじゃあなぜ? って思われるかもしれません。俺も不思議だ。
たぶん、今の俺には、リラが必要だから……としかいいようがない。生きてそばにいる人が必要だから……としか。
俺は、多くの血を流してきた。そしてこれからもそうするだろう。
シリアは、そんな俺を許せるだろうか? シリアを救いたい一心で戦ってきたけれど、きっと今の俺を、あの人は許せないだろう。震えて泣くだろう……と思うと、俺は救いようもないくらい悲しくなる。
シリアは、俺にとって神聖なんだ。
でも、俺は生きている。俺の生き方は、正しくても間違っていても、俺が生きている事実は変わらない。
リラは、俺がどうであっても俺とともに歩んでくれるだろう。
生きている俺には、ともに歩む人が必要だ。ともに血にまみれても、泥にまみれても、俺たちは生きていく。
そんなことを、あいつの顔見ていたら、ふっと思った。
「一緒になるか?」っていったら「後悔するなよ」といわれたが、俺は後悔しないと思う。
ただ、シリアはどう思うだろうと。
そして、シリアの父であるあなたはどう思うだろうかと……それが気がかりです。
おって正式に案内を出します。
ウーレン王国の威信をかけて、豪華な式になると思います。
この時期だからこそ、そういうことが大切なんだと回りは言うけれど、俺はどうでもいい。
この時節、ウーレンまでは危険なので、参加できなくても一向に構いません。
ですが、この結婚に関しては、私はシリアにもあなたにも許していただきたいと願うばかりです。
母にもよろしくお伝えください。
敬具。
アルヴィラント・ウーレン。
読み終わって、いつもなら火に焼く密書を、セリスは懐に入れ、顔をしかめて小さく呟いた。
「誤字が三つ……」
その日の午後、中庭にてわずかな時間を妹と過ごす。
フロルは、アルヴィの結婚話を複雑な表情で聞いていた。妹は、アルヴィを愛しているが、セルディも愛している。だから、兄を殺しておいて弟だけが幸せになることを、どうしても素直に喜べないのだ。
「私……とてもウーレンには行けません」
妹の言葉を、セリスはいたずらっぽく笑った。顔には行きたいと書いてある。
「それは都合がよい。この時期ではあるが、ウーレンとエーデムの絆の深さを内外に示すため、私はエレナとともに出席するつもりだったから。おまえには留守を頼む」
フロルの顔が困惑に染まっていくのを、セリスはお茶を飲むことで無視した。
「で、で、でも、兄様、兄様は、今まで……」
「今まで、私がウーレンに出向いたことは一度しかない。だからこそ、意味がある。政治的には……」
それに……。
シリアの父と母が、アルヴィの結婚式に参加することは、別な意味もある。彼には救いになるだろう。エレナはシリアを思い出し、泣くかもしれないが。
エーデムリングの彼方から、銀竜の咆哮が耳に響く。帰国後は、彼らにも報告してあげよう。
晴れ渡った青空に、セリスの胸のつかえもゆっくりと融けて透き通っていった。
=手紙/終わり=
戦花=エーデムリング物語外伝= わたなべ りえ @riehime
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