第4話


 丘の上から見る戦場を赤く染めるのは、夕陽だけではない。

 赤々と燃える炎。火葬の炎だ。

 累々と横たわる屍は、本日の戦闘の激しさを物語りつつ、数日後には別の地獄模様に変わってゆく。

 ウーレン族は、一番手っ取り早い戦場の片付け方を知っている。

 アルヴィは、リューマ兵の亡骸を火葬にするように命じたのだった。そこに、トビ・ジュデマの死骸がないことに、眉をひそめながら。


 戦いは勝利だったが、トビを取り逃がしたことは敗北に近い。

 しかし、悔やんでもはじまらない。明日がある。

 明日の糧のために、今日は祝うのだ。


 ウーレンにおいて、死者の魂は丁重に扱われる。しかし、死んだ者はすでに物である。屍はゴミのように積み上げられて、特殊な油を注ぎ、一気に焼いて始末される。

 死者を土葬するリューマ族にとって、この炎は屈辱であろう。

 トビ・ジュデマは、闇にまみれて逃走しながらも、天まで燃やすような炎をどこかで見ていることだろう。

 心を憎しみの炎で焦がしながら。


 あの男を殺さない限り、魔族に真の平和はもたらされない。

 戦いはまだまだ続くこととなる。

 火を映し、アルヴィの目も髪もますます赤く燃え上がる。

 こぶしを強く握りしめ、ウーレンの王として、必ずトビを殺すことを誓う。

 


 赤々と燃える敵兵を眼下に、ウーレン軍は勝利の酒盛をはじめた。


 ウーレン軍の死者に乾杯を。

 そして、敵兵に死の恩恵を。


 デューンとシーラが、そっと宴会の席を抜け出したのが見えた。

 彼女の胸には、もうスミレの花はなかったが、きっと胸の中には、もっと美しい花が咲いていることだろう。

 戦いを乗り越えて生き残った恋人同士に幸あれ……アルヴィは、ゴブレットを傾けた。



 飲んだくれて、酔いつぶれるものも現れる中、アルヴィは一人、闇にまぎれた。

 明日はウーレンに向けて帰ることになる。


 ――未練がましい。


 母への手紙は……諦めよう。

 時間はできたが、言葉は相変わらずない。

 戦いは心を乾かしてしまう。

 高ぶる気持ちは収まってきたが、優しい気持ちにはなれないのだ。


 闇の中に人影があった。

 燃え盛る火ではなく、遠くの闇を見つめて酒も飲んでいない者。


「リラ、見回りか?」


 人影は振り向いた。


「逃した者がいるからな。残党で夜襲をかけてこないとも限らない」


 リラの言葉にアルヴィは笑った。

 それはありえない。

 トビはせっかく残した命を無駄にするような男ではない。充分な勝算を得てからでないと、大きな動きはないだろう。

 とはいえ、アルヴィもバカではない。

 充分に『万が一』を考慮している。リラが見回りしなくても、見張りはちゃんと置いている。


「おまえの慎重さには敬服するが、少しは休めよ」


 リラは、再び闇の中に視線を落とす。


「あたしは休めない」


 雲の隙間から月がのぞく。リラの横顔が青白く見えた。


 リラに再会した月夜を思い出す。

 あの時も、彼女は張り詰めていた。今となっては、顔の傷伝いに流れた涙も、月の光が見せた幻かもしれないと思うほどだ。


「じゃあ、俺も付き合う」


 立ったままのリラの横に、アルヴィは腰を下ろした。リラは不思議そうに目線を落とした。


「アルヴィ、あんた、そんな暇ないだろ?」


「暇? もう酒を飲むか、ここでおまえに付き合うかしか、することは残っていないさ」


「手紙……書こうと思って抜けてきたんだろ?」


 リラが横に膝をつく。一瞬、ふわりと女の香りがする。


「え?」


 アルヴィは一瞬ギクリとした。

 リラが、自分の胸元の紐を片手でほどいていた。

 月の光に照らされて、リラの首筋が白く光った。開かれた胸元にリラは指先を這わせ、そして引き出した。

 差し出された指の間に、か細いものが挟まっていた。


「な、なんだよ?」


 慌てて声を上げたアルヴィに、リラはぎこちなく微笑んだ。


「あんたから預かっていたものだ」


 目の前でちらつくものは、よく見るとスミレの花だった。



 あの激しい戦いの中、シーラのスミレの花は引きちぎられた。

 しかし、リラはアルヴィからもらった花を大事に取っておいたのだ。

 あれだけ邪魔臭がっていたはずなのに……。


「誤解するなよ。預かりものだから、守っただけだ」


「預かったって……それはなんとなくおまえにやったつもりだったんだけど」


 妙に大事にされていたことに、アルヴィは動揺していた。

 リラは少しうつむいた。


「花を贈るってことは気持ちを伝えることだ。なんとなく……じゃ、受け取りがたい。それに、あたしなんかよりも心を伝えたい人が、あんたにはいるだろ?」


 リラはスミレをアルヴィに押し付けると、再び立ち上がり、闇の向こうに目をやった。

 そして、まるでハエでも追い払うように手を振った。


「アルヴィ、あんた、手紙に詰まっていたんだろ? 伝える言葉がなくて困っていたんだろ? こんなところでぼけっとせずに、さっさと手紙の続きを書けよ」


 スミレは少ししおれかけていたが、リラは鎧の下に押し込めて大切にしていたに違いない。命の危険もあっただろうに。

 アルヴィは少し躊躇したが、リラがだんまりで見張りをはじめてしまったので、仕方がなく天幕に戻ることにした。



 再び机に向い、母に手紙を書き始める。

 横にスミレの花を置いたまま。

 言葉は伝えられない。

 かすかに匂いが立つ。スミレの香りか? それともリラの?

 かすかな蝋燭の光に照らされた紫は、なんとも微妙で繊細な色だ。鎧の下に潜んでいたものの、何と優しい色相か……。

 言葉は浮かばない。だから、母にはこの花を贈ろう。

 花を贈るということは、エーデムでも心を贈ることとなる。

 戦争は悲惨だが、戦場に咲く花はけして醜いものだけではない。可憐なスミレの花もある。

 そして、時に戦いに疲れた心を潤してくれる。

 アルヴィは、小さな花を指先でそっとつまみ、くるくると回した。

 紫が踊る――

 目を細め、心を残しながらも、小さな封筒の中に収め、封をした。

 封蝋に、アルヴィラント・ウーレンの印を押す。


 俺の気持ち。そして。

 リラが必死で守ってくれた花。リラがくれた花だ。


 ――花を贈るということは、気持ちを伝えること。 



=戦花/終わり=

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る