追:再幕

追:再幕_encore

 もうすぐ二月が終わる。


 昨日、死ぬ気で挑んだ大学入試を何とかやり遂げて、同じところを受けたふみのりと打ち上げの焼き肉食べ放題に繰り出した。久々にまともに肉を食った。というか、何日ぶりかのまともな食事だった。やっぱ追い込まれたよね。頑張ったゎー、おれ。


 受かればいいな。てか、受かりたいです。お願いします。


 おれと文徳が受けたのは、隣の市にある県立大学。文徳はもっと上のランクでもいけたんだけど、えてここを選んだ。


 ここの県立大学は、学生起業を積極的に支援している。学生のうちからベンチャー企業をぶち上げて社会経験を積めるんだ。おれにとって最適な進路で、このことを文徳に話したら、「おもしろそうだな」って乗ってきた。


 二人で何かやらかしてやろうぜ、って約束。満点で合格できそうな文徳と一緒に突っ走るために、おれはしがみ付いてでも合格しなきゃいけなくて。


 たぶんいけたと思う。いけてたらいいな。落ちてたら立ち直れない。


 何にせよ、とりあえず解放された。瑪都流バァトル内の受験生三人は全員、地元に残るっぽい。そういう身近な人たちの進路の話を文徳から聞きながら、肉を焼いては食い、焼いては食い。


 国立大を受けに行った海牙が帰ってきたら改めてパーティやろうぜって、当の本人に電話したら、海牙のとこの入試は二日間の日程でおこなわれるそうで。明日も試験だからちょっと黙ってろ的なことをニコヤカに言われた。さすがの海牙も気が立ってたらしい。


 一ヶ月ぶりくらいに爆睡していた入試翌日の昼下がり、一本の電話で起こされた。電話してきた相手が相手だったんで、起きざるを得なかったというか。


 スマホのディスプレイに「総統」とか表示されたらビビるでしょ?

 何事かと思ったら、ごくごくフツーの弱ったパパのいじけた愚痴だった。


「この一週間ほど、さよ子が部屋から出てきてくれない。話し掛けても、返事をしてくれない」


 だからどうにかしてくれ、と。おれの入試が終わるまで、電話するのを待ってたらしい。

 何でおれにお鉢が回ってきたかというと、簡単に言えば消去法の結果だ。


 さよ子が引きこもった原因であるあきらと鈴蘭には、当然ながら相談できない。姉貴がチャレンジしたけど、あえなく失敗した。文徳と海牙は入試で忙しかった上に、さよ子の相談役としてはちょっと違うよなって感じだし。


 で、パパの期待を一身に背負わされて、おれがさよ子に連絡したわけ。


 意外にもあっさりと、さよ子はおれの誘いに乗ってきた。駅前のホテルに併設されたカフェで最近話題の「選べるケーキ五種類盛り合わせプレート」でお茶しない? って誘ったんだけど。


 華奢な体型が際立つ緩いシルエットのニットワンピで現れたさよ子は、たっぷり二十分かけて五種類のケーキを選んだ。とりあえず二人でワンプレート。物足りなかったら追加注文。そういうことにした。


 まわりの客の年代は、意外と幅が広い。高校生から二十代、三十代と、隣のテーブルは中学生の子どもの話をするおばちゃんたちで、その向こう側はおばあちゃんとママと娘の三世代女子会だ。


 話に聞いてた以上に、店内には女性がきわめて多い。男の姿があるとすれば、漏れなくカップルの片割れで、ビミョーに肩身の狭そうな顔をしている。さよ子の対面に座ったおれも、まわりからはカレシ認定されてんのかな。


 しかし、こうやって人混みの中で改めて見てみると、さよ子って、パッと目を惹く美少女だ。ごまかしの利かないショートカットだから、なおさら素のままのキレイさが引き立ってる。横顔のちょっと尖ったあごとか、すんなりした首筋とか、すごくいい。


 ケーキのプレートは、ポット入りの紅茶と凝った模様の取り皿と一緒に、すぐに運ばれてきた。


 さよ子は、ケーキをナイフで半分こして取り皿に分けて、というお行儀のいい気分ではないらしい。自分のほうにプレートを寄せて、そのまま食べ始めた。


「あ、おれもチーズケーキ食べたいんだけど」

「ほしいものは自分で取ってください」

「ちょーっと遠いかな」


「先輩は腕が長いんだから届くでしょ?」

「いや、でも、遠いとこから目の前にフォーク伸ばすの、目ざわりじゃない?」

「べっつにー」

「んじゃ、遠慮なく」


 ひとまずおれは安心する。さよ子の様子、からげんだろうなとは感じるけど、パパが全力で心配するほどの沈み方はしていない。どうにか自力で浮かんできて今ここ、っていう状態なのかな。


 プレートのケーキが半分ほどなくなったころだった。さよ子は、唇の端にラズベリーのムースをくっつけたまま、怒っているような顔をした。


ひと先輩、朱獣珠をここに出してください。言いたいことあるんで」

「朱獣珠? 何で?」

「いいから!」

「こいつ、寝てるよ?」

「それでもいいから出してください。じゃなきゃ、わたしの気が収まらないの!」

「へい」


 おれは、グレーのシャツの襟元から朱獣珠のペンダントを引っ張り出して、首から外してテーブルの上に置いた。ちなみに、シャツの上に羽織ったニットは見事に、ボルドーの柔らかい色味も格子模様のデザインも、さよ子のワンピと被っている。


 さよ子は、おれから受け取った朱獣珠を目の前にぶら下げると、ムッと唇を尖らせて言った。


「約束どおりの展開になりましたよ。キッチリ痛い思いをして差し出しました。これで願いと代償の契約、完了しましたよね。だから、この先、絶対に引っ繰り返したりしないでくださいね」


 朱獣珠は相変わらず、ゆっくりしたリズムで鼓動するだけだ。さよ子の言葉が聞こえてるんだか、聞こえてないんだか。


 さよ子はおれに朱獣珠を突き返した。おれはもとのとおりペンダントを首に掛けながら、顔からも指先からも血の気が引くのを感じていた。


「今のは、あのときの話?」


 いつの間にか、あれはもう十ヶ月以上も前の出来事になっている。地下駐車場での、親父との対決。親父から宝珠を引き離すことに成功した一件。さよ子が、その成功を願ってくれたこと。


 さよ子は、チョコレートケーキを思いっ切り大口で頬張って、わざと行儀悪いふりをするみたいにモゴモゴと言った。


「今のおまえが大事に思ってるものを三つ持っていくって、それが代償の条件だったんです。わたし、顔とか体型には割とコンプレックスが強いんですけど、髪と肌だけは我ながらキレイだなって思ってて、それを持っていかれちゃって」


「髪と、肌も?」

「胸とお尻と内ももと足の甲。普通にしてたら、外から見えないあたりなんですけど。寝込んでた間、ただれたようになっちゃって、べちゃべちゃの炎症が引いてからも、痕が残ってるんです。やけどの痕みたいに」


 だから、プールや海水浴は来なかったのか。花火大会も浴衣ゆかたじゃなくて夏物の和服で、足袋たびまでキッチリ履いてたのは、素足になれなかったから。


「ごめん。ほんと、ごめん」

「先輩が謝る必要ないですってば」

「だけど」


「それでですね、もう一つ持っていかれたのが、あきら先輩です。煥先輩、鈴蘭と付き合うことになっちゃった。朱獣珠に失恋宣告されてたから、絶対に両想いになれないってわかってたのに、吹っ切れることができなくて。結局、今、すっごい大ダメージです」


 願いの代償としての失恋。それに似た話は、古文書にも昔話にも残されていた。


 運命は分岐の可能性に満ちていて、本来なら、さよ子と煥が結ばれることも起こり得ただろう。朱獣珠が奪ったのは、未来がその方向へ分岐し得るチャンスそのものだ。煥の心を操ったとか誘導したとかじゃなくて、作用した相手は運命の一枝。


 さよ子の目に涙が浮かんでいる。何かをめちゃくちゃに壊したい衝動の代わりみたいに、さよ子はレモンパイにフォークを突き立てて、勢いよく口に運ぶ。


 おれは入試直前のバタバタで、具体的に何があったのか、よく知らない。文徳情報によると、鈴蘭の何度目かのアタックに煥がついにOKを出したらしい、ってこと。


「煥先輩、風邪ひいてたんですよ。十日ぐらい前。それで、文徳先輩にうつしちゃうんじゃないかって心配して、体調が悪いのに家に帰らずにいたのを、鈴蘭が気付いてお世話してあげたんだって。わたしも風邪気味で外出やめてたから、全然知らなかった」

「鈴蘭ちゃんが自分の家にあっきーを引き取ったの?」


「いえ、それは煥先輩が全力で拒否したから、バンドメンバーの中で受験生じゃない雄さんに連絡をつけて、雄さんの家まで連れていったそうです。そういう面倒、鈴蘭が見てあげたの」

「なるほど」


 さよ子はフォークを握りしめて眉間にしわを寄せた。涙の表面張力は、そろそろ限界。今にも決壊しそうだ。


「煥先輩が回復してきてからは、お弁当を作って持っていったりして。鈴蘭、料理あんまり上手じゃないのに、すっごい頑張ったみたいで」

「あっきーの胃袋をつかんじゃったわけね。料理が下手なのに頑張ったってあたりも、あっきー的にはグッと来たんじゃないの?」


「わたしも料理下手なのに!」

「いや、そう意気込んで下手アピールされても」


「鈴蘭は確かにかわいいし、わたしが男だったら絶対ほっときませんけど、やっぱり今このタイミングで正直なことを言わせてもらうと、何でわたしじゃなくて鈴蘭を選んだんだーって叫びたくなるんですよ!」

「わかったから叫ばないで」


「ああぁぁぁ、でも鈴蘭のほうがわたしよりずっとかわいい顔してるし」

「さよ子ちゃんも十分に美人だってば」


「鈴蘭は成績がよくてまじめでしっかり者でみんなに頼りにされてて、わたしなんかマヌケでボケ役で」

「さよ子ちゃんがいると場が明るくなるから、いいと思うよ」


「鈴蘭って、高校に入るまでロックとか聴いたことなかったのに、今では瑪都流のメンバーとちゃんと話せるくらい音楽に詳しくなってるんですよ。勉強家すぎる。かなわない」

「そこは知識量の勝負じゃないよ。受験じゃないんだし。鈴蘭ちゃん自身、たまたまロックにハマる素質を持ってただけじゃない?」


「そうかもしれないけど……でも、鈴蘭の何もかもがうらやましいんです」

「どうして? この際、全部言っちゃいなよ」


「わたしの声、甲高くてやかましいですよね。アニメ声っていうか。前からあんまり好きじゃなくて。それに比べたら、鈴蘭のおしとやかな声がわたしにとって理想的すぎて、うらやましくてしょうがない」

「おれはさよ子ちゃんの声、やかましいって感じたことないよ。音域は高いけど、耳ざわりのいい声じゃん」


 さよ子の両目から、とうとう、ぽたぽたと涙が落ち始めた。


「鈴蘭の髪、長くてキレイだし。肌もキレイで、もちもちだし。女子もみんな誉めてるくらいだし。だから、煥先輩もさわってみたくなったんだろうし」


 ごめんって、また繰り返しそうになる。だって、髪も肌も失恋も、本当はおれが背負うべき痛みだったのに。

 でも、さよ子が今ほしい言葉は「ごめん」じゃないよな。


「あっきーを含めて、男はたいてい、好きな子の髪とか肌とか気にしてないよ。無神経かもしんないけど。キレイならキレイでそんなもんだと思うし、女の子がコンプレックスに感じてても、そういうとこも含めて全部いとしいって思うもんだし」


「たぶんそうなんだろうなっていうのはわかってます。特に煥先輩は、髪も肌もファッションも無頓着なほうですし。でも、男目線の話と女の子のコンプレックスって、次元の違うことなんです」

「うん、それもまあ、おれにもわかるよ。姉貴に鍛えられてるしね」


「リアさんは完璧で美女で大人で、わたしとはレベルが違うっていうか。あの海牙さんがまいっちゃうくらいの人だから」

「らぶらぶなんだよねー、あの二人。爆発すりゃいいのに」


「鈴蘭とリアさんのこと考えたら、何でわたしだけーって泣きたくなって。わたし、こんなんじゃ、鈴蘭にもリアさんにも会えない」

「劣等感、覚えちゃってる? 恋がうまくいったかどうかで優劣つけてもしょうがないって思うんだけどな、おれは」


「うまくいく人って、どうしてうまくいくんでしょう? 鈴蘭もリアさんも胸がおっきいから?」

「あー……」

「何でそこはフォローしてくれないんですか!」


 スミマセン。

 でも、女性への免疫があんまりない煥や海牙がうっかり巨乳に視線を持ってかれてんのは事実だもんな。それはもう弁解の余地がない。


 おれはテーブルに身を乗り出して、紙ナプキンで、さよ子の口元のムースとチョコレートを拭った。


「個人的見解なんだけど、胸のサイズは正直、どっちでもいい。ほんっとに、どのくらいの大きさでも全然問題ない」

「嘘。どのくらいの『大きさ』でも、っていう言い方自体、それなりのサイズを期待してるじゃないですか」


「ちっちゃくてもいいって。ボリューミーじゃなくても、太れない体質だとしても、十分に柔らかいし」

「柔らかい、かなぁ? わたし本当に、出るとこまったく出てないですよ」


「いや、何ていうか。女の子をギュッとしたときに男が感じる柔らかさってさ、そんな表面的なもんじゃなくてね。硬くて頑丈な体を持ってない女の子自身には、たぶんわかんないだろうな。柔らかいんだよ?」


 甘い汚れの付いた紙ナプキンを置いて、さよ子の頬の涙を指で拭ってやる。さよ子は何の化粧もしていない。してほしくないなって、ちょっと思う。まあ、化粧したらしたで、やっぱキレイだなとか、現金なことを思っちゃうんだろうけど。


 ぐすぐすしているさよ子の頭をポンと一つ、軽く叩いた。さよ子の手からフォークを奪って、大事そうに残されていたショートケーキのいちごを、クリームごとすくい取る。


「はい、あーん」


 ニコニコしながら苺を差し出してやると、さよ子は膨れっ面をしてから食い付いてきた。タイミングを合わせて、ひょいとフォークを引く。空振りしたさよ子が、ますます膨れっ面になる。


「今の、すっごいムカつくんですけどっ」

「ごめんごめん」


 さよ子は、フォークを持つおれの手をつかんで、今度こそ苺を口の中につかまえた。


 ほらね、この手だよ。細くてしなやかで柔らかい。こういうさりげない柔らかさにね、男はドキッとしちゃうんだ。


 うわー、今まさにデートしてるんだな、おれ。

 そんなことを急に実感した。そしたら、テーブルの向かいにいる女の子が一段とまたかわいく思えて、何か妙にドキドキした。


 変な気分だ。

 ナンパで引っ掛けた相手だったら、悪くないって判定した時点で、人払いして好き放題やっちゃうんだけど。


 今は、どうしてだろう、お手軽なことをしたくない。さよ子が失恋したばっかりだから、っていう理由だけじゃなくて。


 おれが泣きじゃくることしかできなくなったとき、自分だって苦しい思いをしてたはずなのに、さよ子はおれを抱きしめてくれた。あのときの柔らかさとか、ぬくもりとか。壊したくないなって思う。


「さよ子ちゃん、この後、時間ある? 門限、何時だっけ?」

「門限? 今日は先輩と一緒だってパパもわかってるから、連絡すれば、ちょっと遅くても大丈夫ですけど」


 不意に思い浮かんだアイディア。というか、今までどうして思い浮かばなかったのか。


「これ食べた後、うちの母親のとこ、行ってみない?」

「え? お見舞いってことですよね?」

「身構えなくていいよ。最近の母親の様子、教えてなかったよね。けっこう元気なんだよ」


 もともと母親はよく笑う人だったから、表情筋の回復がすごく早くて、笑顔を作れるようになった。調子がいいときは、弱々しくはあるんだけど、笑い声も立てるようになった。


 さよ子と母親、馬が合うんじゃないかなって気がする。根拠はないけど、おれの勘はよく当たるから。会わせてあげたら、二人とも元気になれそうだ。


「お見舞いって、お花とか買っていくほうがいいですか?」

「いや、花よりも果物のほうが喜ぶ。このカフェ、持ち帰り用のゼリーがあったよね。あれ買っていこう」


「なるほど。それでわたし、何て言ってご挨拶すればいいんでしょう?」

「ん? おれのカノジョ候補とか」

「またそんな冗談を」

「半分くらい本気だけど?」

「五十パーセントも冗談が含まれてるんならアウトですー」


 さよ子は、ベーッと舌を出してみせてから、両方の頬にえくぼを刻んだ。

 その瞬間に思った。この子と手をつないで歩きたい、って。


 それから、ああこれは大変だぞって思った。さよ子にはおれのマインドコントロールのチカラが効かないんだもんな。やましい気持ちをきちんと言葉にするっていうのは、すごく大変なことだ。


「さよ子ちゃん」

「何ですか?」

「あーんってするから食べさせて」

「顔にパイ叩き付けるやつ、やってみたいんですけど、ダメですか?」

「ダメ」

「ちぇっ。つまんなーい」


 そう言いながらも、さよ子が笑って差し出してくれたレモンパイは、甘酸っぱくて爽やかだった。ふわふわのメレンゲが、おれの口の中で、しゅわっと溶けた。


 それは何だかとてもくすぐったい味で、おれは思わず笑ってしまった。



【了】



BGM:BUMP OF CHICKEN「プレゼント」

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DISTOPIA EMPEROR―絶対王者は破滅を命ず― 馳月基矢 @icycrescent

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