第4話
「ユキ、美味しい?」
「うん」
後輩君が教えてくれた隠れ家的な居酒屋である。
かまくらのような形の個室で、私とユキは向かい合っている。
飲み物はどちらもノンアルコールだった。
ユキはおじさんもおばさんも下戸なので、たぶん彼も飲めないだろう。そう思って、ノンアルコールのカクテルを注文した。本人もわかっているのか、酒は一滴も飲んだことがないらしい。飲みたいと思ったこともないそうだ。
私は一応飲めるんだけれども、割と酒癖が悪いと評判なのである。ユキの前でそんな醜態を晒せるわけがない。
ユキは一粒一粒丁寧に枝豆を皿に取り出し、それを箸でつまんで食べている。
「ユキ、あのさ……」
「うん」
「あのね、えっと」
「うん」
私が次の言葉を探していても、ユキは決して急かしたりしない。
何も考えていないような顔をして、ただただじっと待ってくれるのだ。
「昔にね、私、ユキに『わたし、ゆきと君が好きだから、大きくなったら結婚して』って言ったよね」
「うん」
「でもさ、あれは……子どもの口約束っていうか……」
「うん」
「だから別に……その……」
勢いよく飛び出した枝豆が皿の上で跳ねてテーブルの上に落ちた。
ユキはそれをやっぱり箸でつまんで口へと運ぶ。
「ユキのことはもちろんいまでも好きだけど、でも、そんなの昔の約束だからさ」
「僕も、好き」
「――へ?」
いま何か聞こえた。
「僕も、好き。ひろ花ちゃんのこと」
「そう……なの?」
「うん」
さらりとそう言い、ユキは皿に盛られた枝豆の山から、一番上の枝豆を取った。そして、やっぱり自分の皿の上に一粒一粒取り出していく。結構な告白をしたと思うんだけど、例えば顔が赤くなっているだとかそんなことも一切なかった。その様子だときっと心拍数だって平常なんだろう。
こっちはもう偉いことになってますけどね?!
「今日、僕のところに36人お客さんが来たんだ」
「へ、へぇ、36人も。すごいじゃない」
「36人は、たくさんの人かな」
「たくさん? たくさんじゃない? だって学校の1クラス分くらいでしょ? たくさんだよ、たくさん」
無名の画家(なのかはわからないけど)の初めての個展のお客さんといえば、36人だって多いんじゃないかと思う。
「それじゃ、結婚しよう」
「――は?」
ユキはきちんと箸を揃え、それを箸置きに置いて、まっすぐに私を見た。
「結婚しよう、ひろ花ちゃん」
「ちょ、ちょちょちょ待ってよ」
「うん」
「それ、本気で言ってるの? ユキ、私と結婚したいの? ていうか、話の流れおかしくない?」
「そうかな」
「ユキ、本当に私が好きなの?」
「うん」
ユキの「うん」は淀みなく発せられた。
知ってる、ユキは嘘をつくような人じゃない。きっと本心なんだ。それもわかってる。
「ユキ、い、いいいいつから私のこと好きなの?」
おかしいなぁ、これ、ノンアルのはずなのに。何だか顔がもうあっつい。
「保育園の時から」
「ほ、保育園から……。でもそれって、私が言ったからでしょ? 好きとか、結婚してとかさ」
「違うよ」
「えぇ? 違うの?」
思わず腰を浮かせてしまう。
私が言ったからじゃないの?
「保育園に入って、初めてのお絵描きの時間」
「――え?」
「母の日の絵だった」
「……そうだっけ?」
「僕は、母さんじゃなくて海坊主の絵が描きたかったんだ」
そういえば、ユキは先生から提示されたテーマ通りに描くのを嫌がる子だった。ものすごく上手だけど、自分の描きたいものしか描かない。進級するにつれ、自分の描きたいものも隅に描くことでどうにか折り合いをつけられるようになったが、年少組の頃はもう何をどう説得しても駄目だった。
「クラスの皆も先生も、駄目だよしか言わなかったけど、ひろ花ちゃんだけは『すごいね』って褒めてくれた」
「……そうだった……かな」
「僕はそれが嬉しかったんだ。ひろ花ちゃんは何を描いても褒めてくれる」
「そりゃあ褒めるよ。だってユキは絵が上手だもん」
「ありがとう」
ユキはそう言うと、にこりと笑った。
「それと、ひろ花ちゃんが言ったんだ」
「―—へ? 何を?」
「『ユキは絵が上手だから、絵描きさんになってよ』って」
「……言った……かなぁ」
野球が上手ければ野球選手、
料理が得意ならコックさん、
絵が上手いなら絵描きさん。
子どもというのは浅はかなもので、ちょっとでも得意なこと、秀でているものがあれば、それが即職に結びつくものと思ってしまうのだ。私なんかは特に短絡的だから、何も考えずにそう言ったのだろう。
「『たくさんの人に絵を見てもらえるような絵描きさんになったら、ちゃんと私のこと迎えに来てね』って」
「それも……言った……かなぁ」
「今日、たくさんの人が見に来てくれた。だから、結婚しよう、ひろ花ちゃん」
「な、成る程。そう繋がるわけね」
さすがユキ。有言実行の男。
「でも……、私で良いの?」
「ひろ花ちゃんが良い」
「でも、私、
「知ってる。お金が貯まったら、僕は北海道に帰るよ」
「そうなの?」
「うん。だから、待ってて」
「待つ?」
「ひろ花ちゃんのこと、迎えに行くから。ちゃんと待ってて」
「わかった。待ってる」
待ってる、という約束だった。
しかし、私は結局待てなかった。
元々遠距離恋愛なんて向いていないのだ。
だから――、
私の方から押し掛けた。
東京に。
この、灼熱地獄に。
これは、私と、少々どころじゃない変わり者の幼馴染みの男の子が夫婦となるまでのお話だ。
――ん? ユキ? ユキですか?
ユキなら相変わらず、絵ばっかり描いてます。畳の上で溶けている私を横目でちらりと見て、私が買ってきたラムネをちびちび飲みながら。
あれから、もう私の絵は描かなくなってしまったけれど。
まぁ、近くにいるからね、仕方ないね。
春夏秋冬の 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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