真夏のパンジーは物思いにふける

有澤いつき

真夏のパンジーは物思いにふける

 暑い夏の日だった。

 旦那は庭先のパンジーに今日も水やりをしている。庭仕事なんててんで興味がなかった人なのに。少なくとも結婚してこの方、パンジーの花壇を作るまでは、あの人はガーデニングのガの字も知らないような人だった。テレビでやっている簡単なガーデニング番組だって見向きもせず、もちろん園芸雑誌だって読まない。花言葉というものも知らない無粋な人だったのに、何がどうしたというのだろう。


 旦那がパンジーの花壇を作ったのは、今から四年前のことだ。


 前触れは特になかったように感じる。ある日の日曜日、突然「ここに花壇を作りたいんだ」と言い出した。

 庭はそこまで大きいわけではない。私が庭の端っこで夏野菜を栽培しているくらいで、それも小規模なものだ。旦那はそれに関して何も言わなかったし、私も好きにやっていた。毎年夏になるとちょっと不格好なキュウリとトマトを収穫して、サラダにして食べるのが風物詩だ。


「どうしたの、突然」

「別に、知り合いから苗をもらったんだ」


 そんな会話を覚えている。四年前の炎天下の夏だ。

 もらったという苗は、白い根がしっかり張っていて植えるのに適した成長をしていた。野菜の栽培ならまだしも、ガーデニングは私もしたことがない。昔頂いたシクラメンは冬の間に枯らしてしまった。だからそれ以降、植物を買って育てることはしていなかったのだが。


「ここに花壇を作りたいんだ」と、旦那はやけにハッキリと告げた。

 場所だけは先に決まっていたように、今なら思える。花壇を作りたい場所だけはもう決まっていて、何を植えるのかを迷っていたのだろうか。もしかしたら苗をもらったのは口実で、植える花を決めたから「もらった」ともっともらしいことを言っているのかもしれない。

 いずれにせよ、異議を挟むつもりはなかった。確かに「もらった」苗をこのまま放置していくのも申し訳が立たない。


「でも、どうやって育てるの? 私はガーデニングなんて詳しくないわよ」

「俺がやる」


「正気?」と、つい本音が漏れていた。途端に旦那は不愉快そうな顔をする。俺では不満なのかと言いたげだ。でもだって、そうだろう。


「あなた、植物に興味なんてないじゃない。畑仕事をしてるわけでもないし、一から育てるなんて……」

「パンジーだ。初心者でも育てやすいと言われた」


 だから大丈夫、と言いたかったのだろうか。苗に名称は書かれていないが、まさかこれから育てる花に嘘を吐く必要もあるまい。パンジーだと言って出された苗は、葉っぱがみっつよっつついた状態で私にはわからなかったけれど。


「ただ水をあげればいいってわけじゃないのよ。肥料とか、それに害虫や病気の対策もしなくちゃいけないんじゃない」

「調べる。本も借りてきた。お前は何も手を出さなくていい」

「でも……」

「俺がやるんだ。お前は一切かかわらなくていい。これなら満足だろう、負担をかけるつもりはない」


 それはその通りなのだけれど、私にはそれが私への負荷を案じての言葉には思えなかった。元々高圧的な物言いをする、不器用な人ではあった。ちょっといかつい身体をしているせいもあって、相手は委縮してしまうだろうなと思うことも。「お前はかかわらなくていい」ということを強調されたのが、なんだかいい気分がしないというか、突き放すように思えたのだ。


「……そう。じゃあ好きにしたら?」


「言われなくても」と返した旦那はどこか安堵しているようにも見えた。


 あれから四回目の夏を迎える。

 今日もセミが輪唱をしていた。ここ数日は鳴き声が一層うるさくなったように感じる。テレビの天気予報は毎日三十度超えを告げているし、セミもおさかんな時期ということだろう。耳障りな音が鼓膜を揺らす。苛立ちに眉をしかめると、額から汗のしずくが滴り落ちた。


 旦那が四年前に作った花壇は意外にも小綺麗にしてあった。そりゃあ、最初の一年はひどいものだった。花壇のスペースを作るためのレンガもうまくはまらなくていびつだし、ところどころ土が零れていた。無理矢理植えたパンジーの苗は間隔も乱雑で、密集した部分に集中放火されたオレンジのパンジーたちはうまく花を咲かせられずにおじゃんとなった。

 一回目の失敗で旦那も学習したらしい。二年目の栽培では園芸ショップで自らパンジーの苗を買い(しかもちょっと高めの苗にしたらしい)、園芸本を熟読してメジャー片手に作業をしていたのを覚えている。ぶつぶつと何か呟きながら植えられたパンジーの苗は、初回に比べれば整然としていた。その年の夏は一面紫色になった花壇ができあがり、旦那はどこか頬を緩ませていたように思える。私も熱中する旦那が少し嬉しかった。


 意外だった。どうせ諦めるだろうと思っていたから。

 でもこちらが驚くほど旦那は花壇に没頭し、パンジーの花を咲かせ続けた。


 パンジーは、色で花言葉が違うと言う。今年はグラデーションに挑戦しているらしく、白とオレンジが太陽にきらきらと照らされていた。「もっと強い黄色を入れても良かったな」と呟いていたのを覚えている。

 オレンジの花言葉は確か、「明るさ」「陽気」。インターネットで気になって調べた。


「パンジーって面白いな。この、しゃくれてる花びらが人間の顔みたいだ」


 三回目の夏、ピンクのパンジーを見て笑った旦那を思い出す。

 パンジーの語源はフランス語の「パンセ」、つまり考えることにあるという。「思考」と意味するその言葉を名前に冠するのも、旦那が言った理由かららしい。パンジーの花が考え込む人の顔に見えるだなんて、私にはとても想像がつかない由来だけど。

 旦那には、何か思う所があったのだろうか。


 その日の夏は、相変わらずの炎天下で。相変わらず、旦那は私に花壇を触らせていない夏でもあった。


「あら……」


 日頃の直射日光が祟ったのだろう。旦那が手入れする花壇のパンジーたちは、一段と元気がないようでくったりとしなびていた。今年は特にうだるような暑さだ。旦那の影響でパンジーについて調べることも増えたのだが、どうにもパンジーは直射日光に当てすぎるとよくないらしい。

 かといって花壇のものを植え替えるわけにもいくまい。私は初心者だし、旦那に「花壇には手を出すな」ときつく言われている。しかし、セミが鳴く地獄のような暑さのなか、パンジーを放置するのは薄情な気がした。


「お水くらいはあげようかしら」


 午後一時。旦那はまだ仕事から帰らない。帰宅してから水やりをするのかもしれないが、乾ききった土と萎れたパンジーを見ては放置するにはしのびない。

 水やりくらいなら許してくれるだろう。私はそう言い聞かせ、物置からジョウロを持ってくる。


 水をたっぷり入れたジョウロは思っていたよりも重かった。両手で運び、花壇の前に立つ。間違っても足を踏み入れて旦那の聖域を汚さぬように、私は外からパンジーに水をやった。ずいぶんと表面の土は乾燥していたようで、たちまち濃い色に変色していく。それもすぐに地中へと吸い込まれていき、まだまだ水分は余剰とはいえないようだった。

 ジョウロの中身はすっかり空っぽだ。もう一度汲みに行くべきだろうか。


「……?」


 そのとき、私はパンジーの間から覗く「ソレ」に気付く。ぽとりと、セミの死骸が木から剥がれ落ちた。それを踏みつけてしまったような悪寒が背筋を駆け抜けていく、ような気がした。


 ああ、何故、何故。

 何故私は旦那のいいつけを守らなかったのだろう。どうして旦那はパンジーなんて育て始めたのだろう。何故、鉢植えではなくて花壇でなければいけなかったのだろう。

 四年前の土曜日までは、パンジーなんて微塵も考えていなかっただろうに。


「――――ッ!!」


 どうしてもっと深く掘らなかったのだろう。どうして地中の奥深くに隠しておかなかったのだろう。それも「彼女」の執念だとでも言うのか。花壇が痩せて、「彼女」が這い出てきたとでも言うのか。

 いろんな何故が脳内をぐるぐるとめぐっていく。セミは鳴く。鳴き続ける。眩暈がするくらい刺激的な夏の声だった。


 ***


 パンジーが彼女の顔に見えたんだ、と後に旦那は告白する。

 物思いにふける人間の顔だと例えられるパンジーは、苦悶にも似た顔を映し出している。人は思う。考える。悩むと眉間に皺が寄り、その表情は決して安らかとは言えなくなる。


 怖かったんだ、と言った。


 オレンジ色のパンジーを植えたところで、その陽気さで相殺することもままならない。「少女の恋」も「思慮深さ」も「信頼」でさえ、たったひとつの「思考」を前には無力だ。パンジーは今日も物思いにふけっている。


 四回目の夏。

 セミの鳴き声がいくらか減った頃、あの花壇は掘り起こされて最早パンジーは一輪も咲いていない。

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