第20話 ~超級危険種~

 視線の先に映るソレは未だわたしたちから離れ続けていて。


 既に小石程度の大きさにしか見えないソレはとても小さな存在に思えてしまう程に滑稽な有様でした。


 元はわたしたちを脅かした海からの脅威だった存在だったのに。


 それでも尚、遠く離れた場所を未だ逃げ続ける大きなおさかな――銛が躰を貫いていると言うのに必死に逃げ続けるサメは。


 その命を。


 一瞬で散らす様を見てしまうことになるだなんて。


 この時のわたしたちには理解できるはずもなく。


 でも、理解は出来ずとも。


 目の前に起きていることは全て現実で。


 手負いのサメを羽虫を潰すかの如く、その異形は現れたのでした。


 サメを中心にして。


 わたしにとってはとても大きく感じたそのサメすらも比較にもならない程に巨大なナニカ。


 遠近法が狂ったと思わせるほどに場違いな存在感が。


 泳ぎ続けるサメの真下から徐々に這い出していて。



 ――それは一本の触手でした。



 視界に映るその全てがうねうねと蠢いていて。見ていて不安になる気持ち悪さ。


 それが何なのか分かるはずもなく。


 気づいた時にはその触手は一瞬であの大きなサメを空中に弾き飛ばし。


 そして、どれだけの長さがあるのかも分からない長い触手をサメの身体に巻き付けていって……。


「な、な、な、な、な…………」


 誰一人として声も上げれない。


 それほどに強大な。そして巨大な異形の姿。


「な、に……あれ…………」


 息をするのも忘れるほどに畏怖し、身体中が震える。


 わたしも。犬耳のお兄さんでさえ恐慌状態に陥ってしまっていて。


 細長い触手をサメに巻いたソレは……ゆっくりとその姿を海面へと浮上させ始めていて。


 誰もがその異形を見て見惚れていた。


 誰もがその異形を見て恐怖に身を委縮させてしまっていた。


 あの異形にとって、わたしたちは羽虫以下の存在でしかないと本能で理解してしまう程に。


 その異形の姿に誰もがその身を囚われてしまっていた。


 このままではわたしたちもあのサメと同じく一瞬で消されてしまう。


 だけど、身体が動かない。


 駄目……。このままじゃ駄目なのに。


 抗えない。自分たちはなんてちっぽけな存在なんだと。


 だから、きっとわたしたちはここで終わる。


 それはわたしだけでなく。


 ロジーくんも。ココちゃんも。


 エリオくんも、アレクくんも、フィーゼちゃんも。


 それに犬耳のお兄さんでさえ思っている紛れもない事実だった。


 だけど、わたしたちは終わらなかった。


 だって、その異形に抗う存在が一つだけいたのだから。


 それは。……その存在は。




『馬鹿者どもが!!!! 死にたくなければ早く逃げるのだ!!!!』




「「「「ッ――――!!」」」」


 かつてその異形と同格の存在すらも敵に回し、全てを灼き滅ぼした一つのつるぎ


 呪いの魔剣――イグニス。


 そんなお父さんイグニスの一喝に。


 我を取り戻したわたしたちは。


 それでももう全てが遅すぎていることに気付けずにいて。


 犬耳のお兄さんが必死に舵を切って小舟が動き出したけれど。


 後ろに見えるその姿は小さくなるどころか逆により大きく姿を現していく。


『超級危険種――クラーケン。大海の覇者と呼ばれる魔物の一匹だ。だが、何故こんな場所に……』


「もしかしてあのおさかなもアレから逃げていたの……?」


『その可能性が高い。だが……奴は我等を未だ視界に捉えていないはずだ。今すぐに逃げれば何とか――――ッ!!』



 未だその全貌が見えていないと言うのに。


 その姿から溢れてくる圧倒的な存在感。



「何だよこれ、何だよこれ……あんなでかい化け物も海の中に棲んでいるっていうのかよ!!!」



 数えるのも馬鹿らしく思えるほどに海面から無数に生えるうごめく触手。


 見上げなければ頭の先が見えない程に……雲へと到達していると錯覚するほどに大きな躰。


 今の私が。そして他のみんなも知る由もない存在。


 魔物の中でも人が絶対に抗えない存在とされる超級危険種――大海の覇者。クラーケン。


 その姿をわたしたちの前に現わして――そして。


 次の瞬間――。



 ドォォォォォォォォォォォォン!!!!!!



 地面が裂けたと錯覚させるほどに大きな音を立てて、クラーケンの姿が海の中にまた消えていったのでした。



「え、いなく、なった? 俺達助かったのか?」


「……ううん。まだだよ。早く……お兄さん!! 急いで逃げ……駄目、間に合わない!!!」


 誰かに言われるまでもなく。


 お父さんイグニスからも言われる前に。


 わたしは気づいた。


 気づいてしまった。


 まだ何も終わっていなかった。



 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。



 超級危険種――クラーケンは確かにわたしたちは眼中にすらなかったんだと思う。


 自分が取り逃がした獲物だけを捕まえたクラーケンはまたすぐに海中へと潜ったのはこの目で見た。


 だけど、その余波が……。


 人が歩くだけで地を這うアリを潰してしまうのと同じで。


 クラーケンの移動そのものが。


 天変地異を起こすかの如く。


 天高く聳える巨大な津波がわたしたちを襲ってきていたんだ!!


 そのことにわたしだけでなく。


 他のみんなもすぐに気づいたのだけど。


「無理だ……。もうこんなの間に合いっこない……。こんなの人に抗える訳ないじゃないか……」


 犬耳のお兄さんがその様子に気づき、青ざめた表情で小舟を漕ぐのを辞めてしまっていて。


 ロジーくんも震えながら泣いていて。


 ココちゃんもわたしにしがみついて震えていた。


 向こうの小舟でもエリオくんとアレクくん、フィーゼちゃんが寄り添って天に祈っている姿が見える。


 その間も巨大な津波は刻一刻とわたしたちを飲み込まんと迫って来ていて。


 常人に抗う術なんて何処にも無かった。


 だから皆絶望してしまって。


 もう駄目なの?


 わたしたちはみんな死んじゃうの?


 どうしたらいいの……。


 このまま諦めるしかないの?


 助けてよ――お父さんイグニス!!!



『――――――――』



 え?


 それは一つの言葉だったけれど。


 お父さんイグニス、それ本当に出来るの?


 それは今のわたしには紛れもない確かな希望で。


 ……分かった。お父さんイグニスのことを信じるよ。


 その言葉を聞いた瞬間。


 わたしの身体から恐怖という感情は全て消え去っていたんだ。


 こんな時にお父さんイグニスが嘘なんてつくはずがない。


 わたしを守ってくれると言ってくれたんだ。


 だから――お願い。


 わたしにもみんなを助ける為にその力を。


 全てを守る為の力をわたしに貸して欲しいんだ!!


『言われずとも。我の力はクーの為にあるのだ。なに、我に任せておけ』




「お兄さん!! それに、ロジーくんとココちゃんも。お願い、今すぐに向こうの小舟に乗り移って!!」


「え、は? 今更なにを」


「いいからお願い!! 説明する時間が無いから。わたしが。憑き人であるわたしがあの津波を灼き払うから!!!」


「クーリアちゃん何を……? ――ッ。ロジー!? 急に引っ張ってどうしたっていうんだ!!」


「いいからクーリアの言うことを聞けよ!! アイツがやるっていってるんだから信じるしかないだろ!!」


「リアお姉ちゃん……?」


 ロジーくんありがとう。


 今は口には出さずに後でいっぱいお礼するからね。


 不安そうな顔をしていたココちゃんも含めて向こうの小舟にわたし以外の全員が乗ったことを確認して。


「がー?」


 ごめんね。がーくんも今は向こうの小舟にお願い。


 これからやることは自分以外守り切れる自信が無いから。


「わたしが叫んだと同時に陸地へと全力で移動をお願い!! でないとみんなを巻き込んでしまうから!!」


「本当に一体なにを……くっ、言う通りにするから絶対に死ぬんじゃねぇぞ!!!」


 えへへ。威圧込みの睨みって効果ばっちりだね。


 絶対にみんなを助けるんだ。


 そしてもう時間が無いから。


 お父さんイグニス――いくよ。



『ああ、任せろ!!』



「来て――イグニス!!!」



 もう想像イメージする必要すらない。


 既にこれはわたしの一部なんだから。


 見なくてもわかる。


 わたしの両手には全てを灼き尽くす魔剣が握られていて。


 その瞬間、大気を焦がすほどの熱量がわたしを中心に生まれ。


 横目にみんなを乗せた小舟が離れていくのを見ながら。


 うん。場所が場所だし、全力で放ってもいいんだよね?


『調整は任せろ。誰も死なせたりさせぬものか』


 えへへ。これ以上安心できる言葉はないよ。


 わたしが乗った小舟が轟々と燃えていく。


 だけど、今はそんなことどうでもよくて。


 左腰に両手で構えた――呪いの魔剣であり、そして炎を司る魔剣でもある大きなつるぎを。


 わたし、怒っているんだからね。


 クラーケンだかなんだか知らないけど。


 わたしたちの邪魔なんて絶対にさせないんだから。


 だから――。



「全てを斬り裂け!!! 業火の鉄槌を汝に与えたまえ!!!!」



『たかが津波ごときが我等を飲み込めると思うなよ?』



 ――大・切・斬。



 渾身の力で横に薙ぎ払った魔剣――イグニスは。


 わたしの今放てる全ての力を乗せた渾身の一撃となり。


 その一撃は。


 目の前に迫っていた地平線まで届きそうな長い長い津波のその全てを一直線に斬り裂き。


 そして――。


 周囲に無数の水蒸気を放ちながら全てを無へと帰したのでした。



 すべては一瞬の出来事で。


 その一瞬に全てを出し切ったわたしは。


 あ、もう限界かも。


 わたしの意識はここまでで。


 どんどん倒れていく自分を見ながら。


 あ、小舟も燃えちゃったんだった。


 今まで立っていられたことが不思議な程に灰となって燃え尽きてしまった小舟を通り過ぎて。


 ドボン――。


 わたしは海の中へと落ちていったのでした。





 ……………………。


 …………。


「――――――ん!」


 うぅ……? なにかが聴こえてくる。


「―――――ゃん!!」


 誰かが呼んでいる声が。


 わたしを呼んでいる声が聴こえる。


「リアお姉ちゃん!!」


「ぅ……。ぁ――――」


 わたしがよく知る声が。


 悲痛な声色でわたしの名前を呼び続けている声が聴こえてきて。


 うっすらと目を開けてみると。


 目の前にはココちゃんの泣き腫らした顔が見えて。


「ココちゃん? えへへ。無事、だったんだね」


「ぁ……。お母さん!! リアお姉ちゃんが。リアお姉ちゃんが目を覚ましたよ!!!」


 あれ。ここは……。


 わたしのお部屋?


 それにわたしベッドに寝かされていて……。


 んん? えっと、状況確認をしてみようかな。


 わたしって海に落ちたよね、確か。


 あれ、何でわたしこんな場所にいるんだろう?


『目を覚ましたようだな』


 あ、お父さんイグニスだ。おはよう? なのかな。


『既にあれから丸二日経っているぞ。だが無事で良かった』


 ん? 今お父さんイグニスが不思議なことを言ったような。


 でも、そんなことを考える暇もなく。


「クーリア!? あぁ、起きたんだね。良かった。本当に良かったよ」


「リアちゃんが目を覚ました!? おい!! 村の奴等全員早く呼んで来い!!!」


「リアお姉ちゃん本当に起きてくれて良かったよぉ」


 え。何!? 何なのこれ!?


 ドタバタとわたしの部屋に入ってきたたくさんの人。


 それに誰もがわたしを見て涙を流していて。


 ココちゃんなんてわたしを渾身の力で抱きしめて泣いちゃってるし。


 あの。ちょっと痛いんだけど。


『仕方あるまい。クーは丸二日眠っていたのだからな。皆気が気でなかったんだろう』


 えーと。やっぱり聞き間違いではないみたいだね。


 わたし二日間も意識を失っていたの!?


 そこからはわたしにとっても。


 獣人さんの村にとっても慌ただしい日々の連続で。



 これらは全部聞いたお話を纏めた結果なんだけど。


 超級危険種――クラーケンの出現により発生した大津波をわたしはお父さんイグニスを使って一瞬で全てを灼き尽くしたみたいで。


 そのこと自体はうっすらとだけどわたしも記憶があるんだけど、


 わたし自身から発生した炎の余波は想像以上だったらしく。


 小舟は灰も残らない程に消え失せちゃって。


 津波から発生していた波とは別にわたしを中心に炎の熱が渦巻いていて。


 海の中に渦が出来上がっちゃってたみたいなんだ。


 そんな危険な状況なのにわたしは気を失ってそのまま海の中に落ちちゃうものだから。


 何とかわたしの炎の余波も津波の余波も受けなかった他のみんなは当然慌てたみたいなんだけど。


 未だ波で船の航路そのものが不安定且つ、そこに渦が出来てしまったせいで。


 どうにかわたしを助けに戻ろうとはしたんだけど、結局戻ることが出来なかったんだって。


 だからみんな絶望しちゃって。


 ココちゃんとフィーゼちゃんなんかわんわん泣いちゃったみたいで。


 他のみんなも悔し涙で溢れちゃっていたらしいんだけど。


 もうすぐで陸地――砂浜に辿り着くって時にココちゃんがある異変に気付いたんだって。


 それは海の中に光る球体。


 そして。


 そこから浮かんでくるわたしの姿。


 聞いてて正直なにそれ!? と思ったんだけど。


 原因と言うか。わたしを助けてくれたのはやっぱりお父さんイグニスだったんだよね。


 わたしが意識を失って海の中に落ちた後も。


 わたしを守ってくれたお父さんイグニス


 そのおかげでわたしは助かることが出来て。


 みんなもわたしを見つけることが出来たんだけどね。


 わたしとしては正直そこでお話は終わっていれば良いお話だなぁって思えたんだよね。



 そんなわたしの新たに出来上がった黒歴史。


 気絶していたから当然わたしは知らなかったんだけど。


 わたし。


 助けられたその時全裸だったみたいなんだよね。


 当然その理由はお父さんイグニスを喚び出した時に全力を使っちゃったせいで。


 小舟だけじゃなく着ていた水着も燃えちゃったんだよね。


 それ自体はわたしの失念で。


 あの時は全力だったから自分の一部が何か判断する余裕もなかったから。


 仕方のないことだったんだけど。


 でもね、でもね。


 ううぅぅぅぅ。見られた。


 みんなにわたしの裸を見られちゃったんだよぉ。


『あー……たぶんだが。一瞬しか見られていなかったと思うぞ。クーの友達である獣人の娘が他の者からクーの裸体をすぐに隠していたからな』


 え。それ慰めてるつもりなのかな。


 うぅぅぅ。お父さんイグニスは何も悪くないって分かってるけど、この気持ちは誰にぶつければいいの!?


 はぁ、はぁ……。


 ともかく。


 そんな痴態を晒したわたしだけど。


 わたしの尊厳は別にして無事救出されたわたしは、急いで村へと運ばれたらしいんだ。


 だけど、この二日間意識が全く戻らずにいて。


 村全体が暗い雰囲気になっちゃってたみたいなんだよね。


 本当に迷惑かけちゃったなぁ。


 でも、そんなことを言うとほぼ全員から怒られちゃって。


 わたしがいたから全員無事だった。


 わたしのおかげで誰一人怪我することなく村へと帰ってくることが出来た。


 そうみんなが言ってくれてね。


 だからわたしはまた泣いちゃったんだ。


 裸は見られちゃうし、みんなの前で何度もわんわん泣いちゃうし。


 もうほんとわたしって何なんだろうね。



 だけど、そっか。


 みんな助かった。


 みんなわたしの前にいてくれる。


 ココちゃんも。ロジーくんも。エリオくんも。


 アレクくんも。フィーゼちゃんも。そして犬耳のお兄さんたちも。


 わたしが。


 わたしとお父さんイグニスが力を合わせて頑張ったから。


 今、みんなが笑っていられるんだ。


『そうだな。だから胸を張っていいんだぞ。クーは頑張った。さすが我の娘だな』


 えへへ。有り難うね。


 それにお父さんイグニスも。


 わたしの大事な大事なお父さんなんだよ。


 親に捨てられて。


 信じていた人から裏切られて何もなかったわたしだけど。


 今はお父さんイグニスがいる。


 わたしのことを見せてくれて。


 困っている時は助けてくれて。


 小言がうるさいと思っちゃうときもあるけど。


 そういったこと全部含めて。


 わたしのお父さんは呪いの魔剣なんだよね。


 だからこれからも一緒にいてね。


 お父さんイグニス――。

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わたしのお父さんは呪いの魔剣なんです 神代かかお @spiralarive

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