エピローグ

「優勝おめでとう」


 居場所の無い更田が外で風景を眺めながら黄昏ていると、笑顔を絶やさない廟が話かける。


「皮肉で言ってんの?」


 そう、ぶっきら棒に言う更田の顔は全体的に腫れており、いくつもの青黒い痣ができていた。彼は総勢十二名から殴られ、そのまま吹っ飛んだ流れでゴールテープを切ったのである。


「本心さ。あの場にいた誰もが勝敗を忘れていた中、君は勝つべくして勝った」


 素直に喜べない。どうせ廟とも別れたら二度と会うことも無さそうなので、この際だから聞きたいことを訊いてみる。


「なぁ、どうして思念体の研究に執着する?」

「病気を治すためさ。思念体は肉体という宝庫を開く鍵だ」

「……どこか体が悪いのか?」

「君になら打ち明けてもいいか……。実は僕EDなんだ」

「……は?」

「だから勃起しないんだよ。これじゃ子孫を残せない、ということは会社も継げない」

「……恥ずかしいなら一緒に病院でバイアグラを貰いに行くか?」

「それだけじゃない。慢性的な痔持ちだし、水虫の上、終いには遺伝子レベルでワキガだ。どれだけ顔と頭が良くて金持ちでも、いや、だからこそ強いコンプレックスになる」

「同じ匂いがするって、そういうことかよ!」


 ダイナアームは脇からの汗を供給して起動する。つまりワキガの人じゃないと装備できず、廟は同じくワキガの更田にスパイシーならぬシンパシーを感じていた。余計なお世話だ。


「だけど思念体なら遺伝子組み換えできる。肉体のカスタマイズだ。夢のようだろ? まぁ実際は課題の山積みだが、その発見した当時の藁に縋る想いは今でも変わらない」

「また強引な実験を続けるのか?」

「そっち方面は不破博士に任せる。僕の研究は思念体そのものよりも、それを介するツールの開発だからね。次は違った角度でのアプローチを試みるよ」

「例えば?」

「まだ人に話せる段階じゃない。ま、楽しみにしてくれ。この大会で光明が見えた。構想が実現した後で、どうするかは君が判断して欲しい」


 次に会う時も敵同士か。なぜか更田は友達として仲良くなるよりも、そっちの方が廟との関係性としては魅力的だと思えた。


「じゃあ、またおれが暴走したら、また廟が止めに来てくれ」

「いいだろう。忘れるなよ? 必ず僕が止めに行く」


  * *


「この度は感謝する、ありがとう。そして謝罪させてくれ。非常に申し訳ないことをした。どうか許して欲しい」


 博士は選抜メンバーを合宿所に集め、真剣な表情で土下座をした。対面する更田は姿勢を崩さず、厳正な面持ちで博士を問い詰める。


「事情は聞いた。でも不可解なことがある。どうして移植したはずの思念体を回収した? 研究や金儲けのためなら辻褄が合わない」

「孫の柊花が目覚めた時点で、儂の目的は達成された。そして協力してくれた神崎君に対し、途端に罪悪感が襲ってきた。その贖罪というわけではないが、儂は出資者に露見しないよう秘密裏に思念体の回収を始めた」


 しかし、思念体を肉体から強制的に出すには、第三段階目による魂の干渉が必要だと後で判明した。それは意識体から思念体を通り、ダイナレッグでエネルギーを変換することが可能なマヌカンでしか成し得ない。


 大会を開いた当初は、本当に思念体のデータを集めることを目的としていた。実際、廟に頼んで思念体だけのチームを作成してもらったのだ。その途中で川北が目覚めたことにより、博士の目的が思念体の回収へと変化する。そして予選の学生達からマヌカンの可能性がありそうな物をリストアップし、選抜メンバーとして特別に起用した。


 まず、原は千光寺と同じく親からの依頼で思念体を移植した者だ。普通なら思念体が主導権を握るも、彼はクソを漏らすという社会的な死で思念体を乗り越えていた。まさに怪我の功名である。


 次に下呂は交通事故、更田は親からの虐待で病院に運び込まれ、二人とも意識不明だったところを治療と称し思念体を移植した。下呂は死の憎悪により思念体を抑えつけるも、怒りを原動力にする更田は思念体に主導権を渡さないまま、長い間ずっと戦い続ける内に共生する。当時の博士の観察からは二人の違いを見分けられず、実験の失敗だと考え放置していた。


 最後に半谷だ。彼女には娘夫婦が研究していた思念体が入った。事故の際に逃げ出し、肉体を探して浮遊していたらしい。後に娘の研究資料を調べることで存在を確認した。


「以上が儂からの説明じゃ。この後は本島に帰り、思念体の存在を公表しようと思う。そうすれば生身の人間から思念体を作ること、移植することは禁忌となり、法律も今より整備されることじゃろう」

「ええっ! そんなこと私は聞いてないですよッ!」


 博士の隣で正座する樋口が狼狽する。博士は見苦しい所を見せたと詫びながら、この後どうするか説明を続けた。


「責任を被るのは儂だけじゃ。樋口君は儂が推薦状を書くから、希望の大学に就職するとよい。また廟君にも火の粉は飛ぶじゃろうが最小限になろう。彼は儂が生身の人間から思念体を作り出していたことを知らん。今でも思念体はデータじゃと思っちょる」

「その生身の人間というのは、川北柊花さんですか?」


 質問したのは下呂だ。彼は静かな怒りに打ち震えていた。だが、誰も責められない。博士は遠い目をして答える。


「そうじゃ。孫を救うために思念体の研究をしたというのに、その意識体が思念体の作成や、性格の調整に適していたとは思わぬかった……」


  * *


「本当に消すのか?」

「言いっこなしや。ホンマにアンタは我儘やな」


 更田達はデータベースサーバの前に来ていた。仲間である思念体との別れを告げるために。思念体が肉体の主導権を握って一定時間が経過すると、もう意識体が肉体に定着した思念体を乗り越えることは不可能なのだ。


「マコちん、オイラのハヤをヨロ乳首!」

「その姿で卑猥なこと言うな!」


 今の半谷は幼女バージョンだが、中身はフロイデという名の男が表出している。その他に川北は関西弁だし、神崎は無口だし、水天宮はオレ様口調だ。思念体が消えた際に後遺症が残らないよう、なるべく負担の少ない状態で待機している。


「なぜオレが鍵なのに嘘を吐いた?」

「気まぐれ」


 この四人は自分が消えるというのに、これから一緒に買い物へ出かけるような気軽さだ。その光景を見ていることしかできない下呂は寂しくなる。


「……このままでも、いいんじゃないかなぁ?」

「でもオイラ、マコちんとセックスできるかというと、ちょっと怖いナリ」

「無理しなくていいわ! てか、こっちから願い下げだ!」


 半谷と更田の漫才を横目に、川北は呆れて下呂を諭す。


「ゲロッパ、いつまでもウチがおったら元の意識はどうなる? 博士が愛した孫や。それが関西弁じゃ不自然やろ? おかしいやろ? こいつにもあった人生を堪能させてくれや」

「でも好きなんだ!」

「はっ、しょーもな。ウチは思念体や。死ぬことに躊躇いなんぞあらへんし、アンタ如きがウチを繋ぎ止められるわけ……なァッ⁉」


 最後まで言わせず、下呂は川北の手を取りキスをする。数秒が経ってから唇を離す。そして川北はタコのように顔を真っ赤にさせた後、表情が一変し盛大に嘔吐した。


「おげええぇぇーーーーッ!」

「マジでぇ⁉ ごめん川北さん! そんなに自分がキモいと思わなかったんだ!」

「ホンマにキモいわ! いきなり何すんねん⁉」

「ここに君がいた証を残したかっただけなんだ!」

「モヒカンがキザたらしいことすな!」

「君がモヒカンにしたんだろ⁉」

「うわーん!」

「ごごご、ごめんって! だから泣かないで!」

「うるさいわアホー。どっか行ってまえー」


 ゴタゴタと騒がしい下呂と川北を見て、水天宮は理解できないというポーズをとる。


「やれやれ、青春だね……」

「羨ましいナリか?」

「まさか。あまりふざけたこと言うと、また壁に減り込ませるよ?」


 水天宮の脅しを気にせず、半谷は四葉のクローバーを差し出す。


「オイラはミカちゃんのこと好いとーよ?」

「その姿で言われてもね……可愛いけど、オレはハヤオとマコと三人でいた時間が楽しかったよ。あんなに笑ったのは生まれて初めてだ」


 つい水天宮は本心を口にした。それを聞いた更田は激しく後悔する。


「……もっと話せば良かった」

「遅くはないよ。オレの意識体と充分に話してくれ」

「約束する。必ず笑わせる」


 三人は肩を組み合う。熊に襲われて命からがら逃げたスリルと、合宿所の屋根でバカ話した思い出を反芻して共有しながら……。

 その隣で、決心した原は神崎に話しかけた。


「神崎」

「何?」

「いやー、その、なんだ? 達者で……じゃなくて、さよならでもなくて……好きだ!」

「ごめんなさい」

「ちょ、ウソウソ待った! 己は好きとか、そういうことを伝えたいんじゃない! ただ、君といると気が楽だった! 君といる時だけ、本当の自分でいられるんだ! ああ、もう、己はバカになりきれない! こんな自分が嫌いだ! どっかで理性に追いつかれる……」


 彼女を引き止められない自己嫌悪に陥る原の口に、そっと神崎は悪戯っぽく人差し指を当てることで黙らせる。


「バカね」

「やっぱ好っきゃねん!」


 なぜか原は関西弁で号泣する。そんな彼の背中を全員で叩く。やっと原が一頻り泣き終った後、神崎はサーバのデータを抹消するスイッチを取り出した。


「もう、いい?」


メンバー達に確認を取ると、泣き腫らした顔の原が真っ先に応える。


「もうーいいーよ!」

「いや、それで伝説的なアニメ作品の終わり方にはならないから」


 下呂が突っ込むと、川北が笑う。川北が笑うと、半谷も水天宮も笑う。それを見て更田も笑う。これから先、どんなに苦しいことが待ち受けていようとも、皆で笑っていよう。ドス黒い泥塗れになろうとも、皆で笑いに変えてしまおう。

 いつか、この日を思い出して笑えるようにしよう。それを信念としよう。


「最後まで笑い転げて行こうぜ!」


  * *


「お買い上げ、ありがとうございます」


 サッシュメントステーションの全国大会が終わった後、神崎束は東京のパン屋でアルバイトをしていた。


「神崎ちゃん、もう今日は上がっていいよ。この後お稽古?」

「はい」

「なら売れ残ったパン持って行きな。お稽古中に食べ」

「毎度おおきに!」


 バイト先の店主は気前がいい。おかげで食費を浮かせることができ、一人暮らしの神崎にとって強い味方である。彼女はパンを貰いつつ、早足で稽古場へと向かう。


 あの大会が終わった後、神崎には様々な恩恵があった。博士のコネを使った高校卒業の資格と、希望大学への入学である。無償の奨学金まで援助するよう要請していたが、その全てを彼女は断った。


 自分の本当にやりたいことを見つけたのである。大学の演劇部に入ることも考えたが、勉強しながらの芸では役に専念できない。四年間は長すぎる。


 もう後には引けない神崎束の行動力は凄まじく、なんと芸能事務所のオーディションに合格した。元々のポテンシャルは秘めていたが、彼女は我が強すぎて何を演じても自分以上にはなれない傾向にあった。その弱点が川北との邂逅によって変化したのである。


 川北柊花の無色透明な感情が、神崎束の心に宿り今でも残り続けている。何も無いのに、とてつもなく綺麗だ。その透明さは水でもあり、氷でもあり、ガラスでもあり、涙でもあり、汗でもあり、光でもあり、イメージすることで彼女は何にでもなることができた。


 まさに無敵状態だ。有名劇団のヒロイン役としても異例の抜擢をされ、初めての仕事に慣れないながらも毎日が充実している。こんなこと昔の自分では考えられなかっただろう。手に届かない夢のまた夢のような話だろう。だが、彼女は知っている。諦めない奴が勝つのだと。かつての仲間達が証明してくれた。


 しかし、たまに思うことがある。自分の夢が叶ったのは川北のおかげなのかと。自分の力を信じられない夜もあったが、もう自分の中に川北の思念はいない。だけど生きている。忘れてはならない。また会いたいと願う。それでも、やはり自分は自分なのだ。ただ自分の心境が変化しただけであり、何を決断するかで大切なのは自分の勇気だろう。


 ありのままでいられないことが嬉しい。変化し続けていく環境と自分が楽しい。だから風の強い日を選び走り続ける。飛べなくても不安じゃない。地面は続く。


「どこへだって好きな場所に行ける」


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誰か俺を止めてくれ! 笹熊美月 @getback81

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