不幸な人

牛屋鈴

遊園地にて

 俺はベンチだ。

 とある遊園地のアイスクリーム屋さんの横に設置されているベンチだ。どんな時でもここから動かず、このアイスクリーム屋さんの前を見守り続け、時にお客さんの尻を預かったりしている。


 その日、とあるお客さんが俺に近づいてきた。俺はそのお客さんの尻を預かる心構えをしたが、何やら様子がおかしい。

 そのお客さんは既に、座っていたのだ。車椅子に。

 そして慣れた手つきで椅子の車輪を回し、俺の真横で停止した。

 俺の真横に位置取ったお客さんは……十代半ばの青年であった。しかし、珍しいことにその眼には深い隈が染みついていた。

 大抵、遊園地に来る青年はとても楽しそうで、溌溂はつらつとした人間ばかりだ。そういった気力を、俺は青年から感じることができなかった。それどころか、青年が放つ雰囲気は、今にも死んでしまいそうな冷たい危うさを孕んでいた。

 青年は、その場から動かない。アイスクリームを買うわけでもなければ、他のアトラクションへ行く素振りもない。

 ただ黙って、俺の真似をするように、アイスクリーム屋さんの前を行き交う別のお客さん達の流れをじっと見つめていた。深い隈が染みついている、暗い眼で。

「……あれ。お前なんでここに……」

 しばらくすると、俺の横のアイスクリーム屋さんの店員がその青年に気付き、声を上げた。

「……げっ。お前ここで働いてるのか」

 どうやら二人は知り合いらしく、青年も声を上げる。しかし、店員のそれとは違い、苦虫を嚙み潰したような声だ。

 店員はそんな青年の態度に気付いていないのか、もしくは承知の上なのか、意気揚々と青年に話しかけた。

「やぁ、お前がこんな所に居るなんて珍しいな。誰と来たんだ?」

「一人だよ。一々分かり切ったことを聞くな」

「そんなに怒るなよ」

 店員が屋台から抜け出て、俺に座る。やめろ、店をサボるな、俺はお客さん専用だぞ。と店員に伝えたかったが、生憎あいにく、俺にそんな機能はなかった。

「俺達、友達だろ?」

「やめろ。お前なんか友達じゃない」

 青年が慣れた口調で店員を突き放す。どうやら幾度となく繰り返されたやり取りらしい。

「それより、屋台の外に出ていいのか」

「いいんだよ。客が来たらまた入ればいい。それで、お前ここに何しに来たんだ?遊びに……じゃないよな。お前の役立たずの足じゃ、一人で乗れるアトラクションなんかないもんな」

 そう言って店員は、意地悪く笑いながら青年の足をつついた。青年は全く笑っていなかった。

 親しさのなせるブラックジョーク……というわけではなさそうだ。

「それで、何で?」

「……幸せそうな人達を見に来たんだ」

 青年はそう答えた。なるほど、だからじっと他のお客さんを眺めていたのだろう。では、それはどうしてだろう?

「何で?」

「……僕は、考えたんだ。どうして僕は幸せになれないんだろうって。家は借金まみれだし、勉強はできないし、顔も悪いし、恋人はおろか友達も居ないし、一人で歩くこともできない。何でこんなにも僕は不幸なのか……」

 青年は、辛い人生を送っているようだ。

「んで、結論は?」

 店員が青年をせっつく。

「僕が不幸で幸せになれない理由。それは、他の人の幸せを喜ぶことができないからなんじゃないかって。僕は今まで、幸せそうな人を見る度にその人を妬んで、憎んできた。でも、そういう感情が僕を幸福から遠ざけているんじゃないかって……それで、他の人幸せを喜べる人になるために、その練習のために」

「……遊園地の客達を眺めていたと。確かに、人の幸せ面拝みたいんならここが一番だな。幸せな奴しかここには来ないから。お前みたいなのを除けば。……それで、どうだ?あいつらの笑顔を祝えそうか?」

 青年は、その問いかけに顔を覆った。

「目が潰れそうだ……っ」

 青年の車椅子が、ぎぃ、と寂しげな音を立てて軋んだ。

「何であいつら、あんなに幸せそうなんだ?馬にのったり、コーヒーカップを回したりするだけで笑えるんだ?わけが分からない。僕一人がこんなに不幸なのに、何であいつらは大勢たくさん揃いも揃って幸せそうなんだ……?理不尽だろう。こんなの……憎い、憎い。あいつらも全員、足が折れてしまえばいい」

 青年が車椅子の車輪を掴む。その手はわなわなと震えていた。車輪も揺れ、真横の俺にごつごつと当たる。

「はぁ……分かってるよ。こんなことを言うから、僕は不幸なんだ。誰も僕に近寄らないんだ……」

 青年が重い溜息を吐く。

「……いやぁ、俺は真逆だと思うなぁ」

 店員が軽い、無責任な口振りで、そんな事を言った。

「……真逆?どういう事だ」

 青年がそれに食い付く。俺は何だか嫌な予感がした。

「この世の中はな、多分、おそらく、幸福の総量が決まってるんだよ。例えば、今から百人の客がそこのアイスクリームを買ったら、百一人目の客はアイスが食べられない。観覧車に百人並んだら、百一人目が乗る頃には閉園だろうな。幸福は有限なんだ。誰かが幸せになる時、誰かは不幸になるんだよ」

 そこで店員が青年に人差し指をびしっと向ける。

「お前はずっと百一人目なんだ。あいつらが幸せなのは、ずっとお前から幸せを奪ってるからなんだよ……そんな奴らの幸せを願っても、お前はますます不幸になるだろう」

「じゃあ、僕はどうすればいい……?」

 青年が、泣きそうな目で訴える。

「決まってるだろ。奪い返すんだ、あいつらの幸せを。あいつらが幸せだと、お前は不幸。ならば逆説的に、あいつらが不幸になればなるほど、お前は幸せになれるんだ」

 それはつまり、他のお客さん達を不幸にしてやろうということか。この遊園地の従業員のくせに、なんという奴だ。俺が動けるベンチならば、こいつをひっくり返してやったものを。

「どうすればあいつらを不幸にできる」

 もう青年は店員が言うことをすっかり信じ込んでいた。

「呪え。ここから目の前を通る奴らを目一杯睨みつけて呪うんだ。あいつらの楽しい気分に水を差してやれ」

「……分かった」

 そして青年は一度、眼を閉じた。次に眼を開けると、その瞳はより一層暗い闇をたたえていた。

 それはベンチである俺ですら、少し身震いをした程だ。

 そして他のお客さん達は、青年の目線に気付く度に、離れて足早にどこかへ行くようになった。

 俺が恐れを感じた程だ。人間のお客さん達は、どれだけ恐ろしく感じただろう。

 お客さん達に水を差すという目的は見事に果たされ、誰も青年に近付かなかった。ひいては真横の俺と、その横のアイスクリーム屋さんにも、誰も近寄らなくなった。

 店員は、言う通りに精一杯呪っている青年を、死にかけの虫けらを嘲笑うかのごとく、くすくすと笑った。

 そしてもう屋台にお客さんが来ないであろうことを確認すると、スマホを取り出し誰かと通話を始めた。

「もしもし?……あぁ、うん。ちょっと早めの休憩時間みたいなもんでさ……それで、今度のデートのことだけど……」

 おそらく、店員はこうして勤務中にサボりたいがため、青年をそそのかしたのだろう。

 青年は、この場で誰よりも楽しそうにしている店員に気付かないほど、呪うことに没頭していた。いくらそんなことをしても、幸せにはなれないというのに。

 誰かが幸せになる時、誰かは不幸になる。なるほど、店員の言葉はある意味では間違ってはいなさそうだ。

 そしてこれこそが、店員が青年を友達と呼び、青年は店員を友達と呼ばない理由なのだろう。

 

 


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不幸な人 牛屋鈴 @0423

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