第4話

 黒い鉄扉が片側だけ、申し訳なさそうにそうっと開く。


「ごめんください」


 質のいい風鈴のような声音に、錠前屋は思わず目を細めた。

 声に遅れて入ってきたのは、大通りに店を構える鍛冶屋の娘だ。


「お嬢さんがこんなところに珍しい」


 居酒屋が気さくに声をかけると、はにかんだ笑みが形の良い唇に乗った。


「今、よろしいかしら」

「どうぞ」


 錠前屋が頷くのを見て、娘はしなやかな動作で背後の人影を招き入れる。


「珍しい鍵が出てきたので、見てもらおうと思って」


 娘の横でついと顔を上げた小さな人影は、赤銅色の眼、錆色の髪。不思議な色をした少年の視線をたどって、錠前屋は隣の紅を見た。


「先代の持ち物だと思うのですが、錠がどこにも見当たらなくて。父に言ったら、こちらにお持ちするのがいいと」


 鍛冶屋の娘は、少年の肩に綺麗な指先を置く。

 紅はぽう、と頬を染めて、錠前屋の袖を握った。

 錠前屋の隣で、居酒屋の主がにやりと顔を覗き込んだ。

 少年は音もなく娘の指先を離れて、紅の前に立つ。紅は恥ずかし気に俯いて、金魚の入った硝子鉢を抱き直した。


「あなたのお作りになった錠前は、私も幾つか持っていますわ」


 少年が躊躇いのない動きで細い指を伸ばし、紅もおずおずと手を差し出した。

 緩やかに、幼い指先がつながり、どこかでかちりと、掛け金の外れる音がした。

 静寂に満ちた空気に居酒屋が視線を巡らせると、鍛冶屋の娘と錠前屋は静かに視線を交わして、やがてどちらともなく微笑んだ。


「ご一緒に出掛けませんか。ちょうど、支度をしていたところなんです」


 晴れやかに娘が笑うと、錠前屋は彼女の隣に立って扉を開けた。黒く切り取られた扉の向こうに、快い青い空が覗いている。


「さあ、紅。支度はいいか?」


 錠前屋の言葉に、紅は金魚鉢を見下ろして、それから、居酒屋の手にそれを預けた。もう片手は、少年の指と結ばれたままだ。


「いってきます」


 紅の軽やかな声に、居酒屋は肩をすくめて手を振った。


「ああ。すまないが、帰るときにそいつを扉に掛けていってくれるか?」


 思い出したというふうに、錠前屋は振り返って蜻蛉錠を指差す。居酒屋は丁度、草履を脱いで上がり口に座り込んだところだった。


「どこにでも行ってこいってんだ。鍵?気にすんな。俺がいてやるよう。それが一番安全だろ?」


 黒い扉が静かに閉じて、番台に置かれた金魚の背びれの音が聞こえた気がする。

 居酒屋は腕を枕に横になり、一人で機嫌よく苦笑した。

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鍵と錠前 中村ハル @halnakamura

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