義弟のことがわからない

無月兄

義弟のことが分からない

 学校帰りに友達と街をぶらつくというのが最近の日課になっていた。特に用があるわけでもなく、一番の目的は時間潰しだ。

 と言っても高校生である私はそこまで財布に余裕があるわけでもなく、ただ店を眺めたり、本屋で立ち読みをしたりといった極力お金のかからない方法をとっている。


 だけどこんなことを始めてから数日が過ぎ、いい加減飽きが来ている。時計を見ると思ったよりも時間は経っていなかった。これは新しく時間を潰すネタを考えた方が良さそうだ。少なくとももうしばらくは家に帰りたくない。

 だけど一緒にいた絵里が言った。


「ねえ、暇ならもう帰る?」


 絵里がここにいるのは完全に私に付き合っての事だ。彼女もいい加減飽きているのが分かる。


「ごめんね。付き合わせちゃって」

「私は別にいいけどさ。いつまでもこんなの続けるわけにはいかないでしょ」


 私がなぜこんなことをしているのか。その理由を知っている絵里は心配そうな顔をする。だけど私はそれに頷くことができなかった。

 結局私が家に帰ったのはこれから一時間ほどたってからだった。

 昨日までと全く同じ時間に、私は家の門をくぐる。これ以上遅くなるわけにもいかず、かといって早く帰りたくもない。

 玄関のドアを開けると、小さい靴がそろえられている。少し前までこの家にはなかったものだ。一歩家の中に入るとパタパタと足音が聞こえ、一人の小さな男の子が出てきた。記憶違いでなければ小学二年生のはずだ。


「おかえりなさい」


 礼儀正しく頭を下げるけど、それ以上私には近寄ってこない。私としても、近寄ってこられても対応に困るからその方が良い。

 私もこの子も、お互いにまだ距離感がつかめていないみたいだ。

 この子の名前は敦。一月ほど前から私の弟になった子だ。





 父が再婚を考えていたことは前々から知っていたし、それに対しては別に反対はしなかった。母が亡くなってからずっと私を男手一つで育ててくれた父には感謝しているし、そういう人がいても良いと思っていた。

 相手の女の人と会った時も、父をとられると言った嫉妬心が沸き上がることもなく、素直に二人の仲を祝福することができた。

 ただ、その人に子供がいるのだけが気になった。その子供と言うのが敦だ。

 そして二人は年が明けてすぐに入籍し、同時に私達四人は同じ家で暮らすこととなった。


 台所に立った私は自分と敦の二人分の夕食を作る。今は二人の親は共に仕事で忙しく、いつも帰ってくるのは夜遅くだ。新しい母はいずれ仕事を辞めて家事に専念するつもりらしいけど、それはもう少し先の話のようだ。

 新婚なのにそれでいいのかと思うけど、本人達はそれをさほど問題には思っていないようで、数少ない顔を合わせた時には二人とも幸せそうになる。

 二人が帰ってくるまで家には私と敦の二人だけ。夕飯を作るのはいつも私の役目だった。


 まだ幼いこの子に出来合いの物ばかりを食べさせるわけにもいかないし、父と二人でいた頃から料理はしていたので作るのは苦にならない。

 問題は敦との接し方がわからない事だ。

 敦は料理が出来上がったのを見ると、お盆の上にそれらを載せて茶の間へと運ぼうとする。だけどバランスが悪いのか、見ていてどうにも危なっかしい。


「私がやるから、テーブルで待ってて」


 強く言ったつもりはなかったのだけど、そう言うと敦はまるで叱られたみたいにしょんぼりとする。そんなに酷い事を言ったのだろうか?

 料理を並べ席に着くと、敦は両手を合わせいただきますと言ってからご飯を食べ始める。お母さんの躾が良いのか、こういうところはしっかりしている。

 だけど食べている途中、時々ちらりちらりと私の方を見てくる。こんなとき何を考えているのか全く分からない。

 言っておくが私は、何もこの子の事が嫌いなわけじゃない。止めたとはいえ、さっきみたいに手伝おうとしてくれたことは嬉しいし、同じ家族になった以上できれば仲良くしたいとも思っている。だけどどうやって接したらいいのかわからなかった。


 このくらいの年の子と話したことなんてないし、ましてや姉弟としての距離感なんてまるで分らない。悩んだ挙句に私のとった行動は、この子となるべく顔を合わせないというものだった。

 我ながら冷たいとは思うけど、接し方がわからない以上一緒にいたって困るだけだ。この子だってよく知りもしない私なんかと一緒にいてもきっと楽しくないだろう。そう思い、連日学校が終わった後は街をぶらつくようになった。この子がお腹を空かせるといけないから夕飯には間に合うように帰るけど、それまでは極力時間をつぶし、食事が終わればさっさと自分の部屋に引っ込むようにしている。

 だけど時間を潰す当ても尽きてきて、この子との距離もギクシャクしたまま毎日が過ぎていき、流石にこれでいいのかと思う。


 この子はどうなのだろう。この子の方から私に積極的に声を掛けたり部屋を訪ねてきたりするようなことは無いけど、それだけに何を思っているのかまるで分らない。そっと目を向けると、ちょうどお互いの目が合った。その途端、驚いたような顔をして目をそらされた。薄々そうじゃないかと思っていたけど、私は嫌われているのだろうか。

 会話の無い中でする食事は、ちっとも美味しくなかった。





「ようやくか」


 翌日、自分の抱えていた気持ちを絵里に話したところ、そんな言葉が返ってきた。


「ようやくって?」

「アンタがそれを相談に来た事。いつ相談に来るかと思ってたけど、全然来ないんだもん」


 絵里は呆れたように言った。


「何で私が相談するって思ったの?」


 事実こうして相談したわけだけど、何だか見透かされているみたいで悔しい。


「ずっと顔に出てたわよ。新しい弟との付き合い方がわからないよ。何とかしてーって」


「別に何とかしてほしいわけじゃないわよ。ただ、絵里のところは姉弟多いから、何かわかるんじゃないかって…」


 うん。絵里の言っていることと何ら変わりない。ただそれを素直に認めるのが嫌だったから少しムキになってしまう。


「一応聞くけど、新しいお母さんとは上手くいってるのよね」

「うん。そっちは別に問題ない」


 顔を合わせる時間が少ないからかもしれないけど、新しいお母さんと話すときは不思議と自然に接することができた。なのにあの子だとどうすれば良いのか分からなくなる。


「前から思ってたけどさ、それってアンタが小さい子が怖いってだけじゃないの?」


 いくらなんでもそれは無い。あの子が私を怖がっているのならともかく、あんな小さな子を怖がる理由がない。だけど絵里は一人で納得したようだった。


「私の親戚にもいたのよね。子供って何考えてるのかわからないって言って、あんまり近づこうとしない人が」


 まるで自分の事を言われているみたいだ。


「でも、それってどうしたら良いのよ」


 仮に私があの子の事を怖がっていたとして、対処法がわからなければ改善のしようが無い。だけど絵里はあっさりと言った。


「話せばいいんじゃないの?」

「だからその話し方がわからないんじゃない」

「当たり前でしょ。良く知りもしない相手との話し方なんて分かるわけないじゃない。そんなのは一緒に過ごしていくうちに分かるもんよ。『小さい子』じゃなくて、ちゃんとその子自身を見れば良いのよ」


 私は果たしてそんな風に思うことができるのだろうか。わからなかったけど、とりあえず今日は学校が終わったらすぐに家に帰ってみようと思った。





 学校から真っ直ぐに家に向かったから、いつもよりずいぶんと早く帰り着いた。あの子、敦はもう帰っているのだろうか。そう思いながら玄関の鍵を開ける。

 見ると小さな靴が一足。どうやらすでに帰ってきているようだ。だけどいつもなら私が帰ってくると一応顔を出すはずなのに、今日は一向に出てこない。いつもと違う時間に帰ってきたので気づいていないのかもしれない。


 とりあえず一度部屋に戻ろうとすると、台所に明かりがついているのが見えた。お菓子でも探しているのだろうか?そう思って覗き込むと、そこには台の上に乗り、包丁を持ってまな板へと向かう敦の姿があった。


「何してるの!」


 敦がどれほど料理に慣れているか知らないけれど、刃物はまだ早すぎる。そう思った私は思わず叫んだ。それに気づいた敦がびっくりして私を見る。


「一人でこんな事したら危ないじゃない!」


 次の瞬間、敦の顔がクシャリと歪む。あ、まずい。そう思った時にはもう手遅れだった。


「ご……ごめんっ……なさい……」


 よほど驚いたのだろう。敦の目からボロボロと涙が零れた。だけど驚いたのは私も同じだ。とっさのこととはいえ、怖がらせるつもりはなかった。せっかくこれからはもう少し話してみようと思ってたというのに、いきなりこれではまともに話すどころじゃない。


「違うの。別に怒ってるわけじゃなくて、でも危ないから料理をする時は誰か大人の人と一緒じゃないと……」


 落ち着かせようにも私もまた慌てていて上手く言葉が出てこない。それでもなんとか宥めようとしていると、まな板の上に置かれたものに気付いた。

 ジャガイモ、人参、玉葱、牛肉、それにカレールーだ。そして私は、今日の夕飯にはカレーを作るつもりだった。冷蔵庫に貼ってある一週間の献立表にも書いてある。


「カレー、一人で作ろうとしてたの?」


 できるだけ怖がらせないように落ち着いた口調で聞いてみる。すると敦は小さく頷いた。


「お姉ちゃん、忙しいんでしょ。いつも帰って来るの遅いし…作るの大変だと思って…」


 それって、私のためって事?

 理由を聞いて、何だか胸の奥が熱くなる。お姉ちゃん。思えばそう呼んでもらったのもずいぶん久しぶりな気がした。

 だけど敦は大きな勘違いをしていた。私が帰ってくるのが遅いのは忙しいからじゃなく、この子と顔を合わせたくなかったからだ。だけどそんな事とても言えない。改めて、自分がとても酷い事をした気分になる。


「カレーは…前に学校で作ったから」


 確かにカレーなら小さい子でも作れるかもしれない。だけどそれも近くで誰かが見ていたらの話だ。一人で包丁を扱うのはまだ早い。


「大丈夫。私、料理好きだから。待ってて。今から美味しいカレーを作るからね」


 そう言って頭を撫でると、敦はようやく少し顔を綻ばせた。

 私のために作ってくれようとしたこと。自分が今までずっと避けてきたこと。その二つが頭の中をぐるぐるとまわって申し訳ない気持ちになる。せめて少しでも美味しいカレーを食べさせてあげよう。そう思って料理にとりかかったのだけど、敦は私をじっと見たまま台所から離れようとしない。


 いったいどうしたというのだろう。そう思ってよく見てみると、敦の視線は私の持っているジャガイモとピーラーへと集中しいていることに気付いた。これは、もしかすると


「皮むき、やってみたいの?」


 そう言うと、敦は顔を高揚させ何度もコクコクと首を縦に振った。


「じゃあ、気を付けてね」


 子供とは言え使うのがピーラーだからめったなことでは怪我なんてしないだろう。そう思っていてもその手つきはたどたどしく、つい目が離せなくなる。これなら自分一人でやった方がずっと早い。だけど何故かそれをやめさせようとは思わなかった。

 いつもの倍の時間をかけて皮むきを終えると、次はそれを切る作業に入る。ここでも敦は目を輝かせながら私を見ていた。


「やりたい?」

「うんっ!」


 料理が好きなのか、もしかするとお手伝いがしたいのかもしれない。思えば敦は普段から積極的にできた料理を運んだり後片付けをしようとしたりしていた。

 なのに私はそんなことにまるで気づかずにいた。敦の事を見ようともしていなかったのから当然かもしれない。


「……ごめんね」


 思わずそんな言葉が漏れる。敦は切るのに夢中で聞こえていないようだった。

 敦はその後もどんどんやってみたいと言ってきて、結局ほとんどを手伝ってもらった。

 危なっかしい場面も何度かあったけど、その度に注意をして、何とかカレーが出来上がる。気が付けばいつもの夕食の時間はとっくに過ぎていた。

 炊き上がったご飯をカレー皿によそい、その上に出来上がったカレーをかける。湯気と共に美味しそうな匂いが広がった。


「ありがとうね。敦のおかげで出来たよ」


 そんなことを言うのは何だか恥ずかしく、口調もぎこちなくなる。それでも、それを聞いた敦は今までで一番の笑顔になった。

 テーブルにつき、いよいよ食べようと思ったその時、ある考えが浮かんだ。


「食べるのちょっとだけ待って」


 そう言って、ポケットからケータイを取り出して敦の方へと向ける。


「写真撮るから笑って」


 敦とカレー両方がうまく入るよう調整し、シャッターを押す。あとで両親に送ろう。敦がカレーを作りましたって。

 写真撮影を終え、今度こそカレーをすくって口へと運ぶ。


「美味しい?」


 見ると敦は、自分が食べるのも忘れたように私を見ながら味の感想を求めていた。


「うん。とっても」


 味が気になるなら自分で食べればいいのに。こういう所はまだよく分からない。だけど今日、ようやく敦の事が少し分かった気がした。

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義弟のことがわからない 無月兄 @tukuyomimutuki

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