第6話 人の子たちの建てる町と塔
その日は杉谷さんと大谷君が休みで、小山君に無理をいって午前中のシフトを入れ、午後から山田MDに手伝ってもらった。
閉店後、早めに帰宅。バベルの塔は駐車スペースが少ないので、山田MDは私の家の庭に車を駐めている。だから、二人の帰り道は同じだ。
店を出て間もなく、
「輸入雑貨の店って業者任せじゃなくて、自分で直接海外行って買い付けてる話聞くけど、それ俺の役割だな。だけど会社がけちだから、費用出してくれそうもない。自腹じゃちょっとな……あれ、あそこいつも混んでるな」
と、彼が声をあげた。
中心部には屋台が多い。その中の一軒に、客足が絶えない焼きうどんの店があった。
「行ってみましょうか」
私が誘った。
小さな屋台で四席しかないので、前の客が食べ終わるのを待つ。
一人帰ると、
「どうぞ」
私は譲った。MDは若く見えるが、私の一年先輩だ。
「悪いな」
すぐに隣の席が空いた。
メニューは焼きうどんだけ。それでも問題ない。味が絶品だからだ。
彼は、三十歳くらいで色白の店主に話しかける。
店主は、これまで博多の焼きうどん屋台のバイトをしてきて、ここの噂を聞いて、自分で始めたという。
話が弾んでくると、MDは自分の名刺を差し出し、
「よかったら、うちの一階で商売してみない? このまま屋台ごと中に入れればいいから。イートインコーナー使えるから、もっと大勢お客さんさばけるはず。大丈夫、バイト雇えばいい。今度店長連れて来るから、そのとき具体的な話をしようよ」
と、独断で決めてしまった。
一週間後、その屋台がそのまま一階の入り口を入ったすぐのところに入ることになった。
MDの読み通り、焼きうどんは人気で、彼のアドバイス通りバイトを雇った。それで店主は、ときどき休憩をとることができるようになった。
それから一月。店のスタッフも慣れてきて、顔なじみのお客さんもできはじめた。売り上げは順調で、業者の人がフランスに買い付けに行くというので、山田MDも同行させてもらうことになった。
その日は日曜というのに、バイト二人が休みで、私と杉谷さんの二人で店を回していた。
午後二時頃、突然、下のほうからポンという何かが破裂したような音が聞こえた。
それからすぐに、
「一階入り口付近で火災が発生しました。係員が誘導しますので、恐れ入りますが店の裏側、倉庫のほうから避難してください」
という火災を告げるアナウンスが流れた。
それで、あの屋台が火元だと気づいた。時間帯からして、店主の食事休憩中にバイトがミスをしたに違いない。バベルの塔は、売り場面積が狭いので、消防法のスプリンクラー設置基準を下回り、もちろん設置していない。ひどい火災になる恐れがある。
テレビで見たデパート火災の再現ドラマが脳裏をよぎる。火災発生からわずか数分で、煙が広がり、脱出ルートが塞がれた。上に取り残された客達は、熱と煙に苦しみながら窓際で救助を待つ。地上を見ているとそれがすぐ近くに見え、飛び降りて命を落としていく。
「店長!」
杉谷さんは青ざめた顔で私を見た。
私は落ち着いて、
「非常階段。お客さんを誘導するんだ」と言った。
私達が行動を起こす前に、眼鏡屋の眼鏡青年が、
「こちらです。外の非常階段から降りてください。普通の階段で下に行かないでください。エレベータもだめです。外です」
と、大声でフロア全体に呼びかけていた。
ゲームコーナーの兄ちゃんは、子供がいるのを放ったまま、真っ先に非常階段のほうに向かった。パティオにいた二人のお客さんも、その兄ちゃんの後に続いた。
「杉谷さん、トイレ見てきて。女子だけじゃなく、男子も」
と私は言って、自分はゲームコーナーの小学生三人を階段に導いた。
それから、眼鏡青年と杉谷さんの三人でフロア全体を調べ、お客さんが残っていないのを確認した。
「よし、降りよう」
まだ一階の煙は届いていなかった。火災の規模がわからず、火事場泥棒が出ないかどうか気になった。
非常階段用のドアを開けると、鉄製の階段だ。一歩踏み出すと驚いた。
ルーフの下は煙で何も見えない。煙は、すでに相当先まで広がっている。
少し先に七階のエステの女性が、ガウンを羽織った若い女性客と並んで降りている。
「階段が熱くなる前に降りないと」
眼鏡青年が言った。
私達は、急いで駆け下りた。
そして、私は初めてポリカのルーフの上に両足で立った。宇宙飛行士が月面に降り立った以来の快挙だ。しかし、透明なポリカの下は黒い煙で充満しているので、高所による恐怖というものがない。
階段は、三階の途中で終わりだ。
二十メートル先に管理棟の四階がある。そのシャッターと通用口の前に、先に逃げた三十名ほどが集まっている。四階より上の店員や客達だ。
私達もそちらに向かった。ルーフのかなり先まで煙が続いている。黒い雲の上を歩いているような気分だ。
そのとき私は気づいた。この街が火事に強いなんて嘘だ。たしかに隣家に火は燃え移らない。だが、煙が上空に逃げないので、ルーフの下は煙地獄と化す。
しかも、バベルの塔は三階より上の窓がないので、上に向かう煙は建物の中にたまり、一階の入り口や二階の窓から猛烈に吹き出すことになる。
おそらく今頃は、上のフロアも煙で充満していることだろう。後少し逃げるのが遅かったら、煙に巻き込まれ命を落としたかもしれない。
危ういところだった。
シャッターを叩いたり、大声で呼びかけたので、通用口が開いた。㈱ポリカーボネイト・タウンの若いスタッフ二人が出てきた。背の高いほうに、
「どうしました?」と聞かれた。
「見ればわかるでしょ。火事ですよ」
パーマ頭のおばさんが答えた。
管理棟にも煙が入り込んでようで、戸口から少し煙が出ている。
「この下は?」
私が聞いた。
「煙が凄いので、このままルーフの上で待ちましょう」
背の低いほうが答えた。
ようやく消防車のサイレンの音が聞こえた。
「これ、消化できないですよね」
杉谷さんが私に言った。
「そうか」
眼鏡青年も彼女の言いたいことに気づいた。
構造上、ルーフより上に放水できない。仮に火災現場付近のポリカのユニットを二、三枚外したところで、窓がないので、外壁に放水することになる。
つまり、消防車による放水は一階と二階に限られ、それより上の火は消し止めることができない。
そのとき、大事なことに気づいた。店の商品はどうなるのだろう。
今更、戻って外に運び出すわけにもいかない。
せめて高額なものだけでも、持ってこればよかった。
ゲームコーナーにいた三人の子供は、ルーフの上に出たことが嬉しいのか、キャーキャーと笑いながら遊んでいる。
私も、これが火事でなければ、きっとポリカの下に展開する街の光景を見て、わくわしたことだろう。
せっかくの機会だ。ルーフの端のほうまで歩いてみよう。すでに何人かはそうしている。
「こちら宮崎警察です。ただいまポリカタウン中心部におきまして、火災が発生しております。ただちにルーフの外側まで避難してください」
「どっちに行けばいいのよ?」
「おーい、こっちだ」
「こちらです。声のするほうまで逃げてください」
透明なポリカの屋根の下は黒い煙に満ちて、街がまったく見えない。叫び声や悲鳴があちこちから聞こえる。煙で死ぬことはないと思うが、視界を塞がれた下の人間は、どこに逃げればいいのかわからず、パニックを起こしているはずだ。
煙は上に逃げることができないので、街の端まで来て、そこから上に上がっている。
目的もなく歩き回りながら、明日からの生活が心配になった。
会社は大丈夫だろうか。火災保険はどうなっているのだ。家は被害を受けたのだろうか。こんなところに住まなければよかった。
南端に近づくと、下のほうから声がした。
「ルーフの上に避難されている方、間もなく梯子車(正式名はしご車)が来ますので、しばらくお待ちください」
その言葉通り、しばらくするとはしご(正式名梯体)の先端部(正式名バスケット)がルーフ(正式名ザ・グレート・ルーフ)の端にかかり、救急隊がルーフに上がって来た。
私はもう少し、屋根裏の散歩者(注:言わずとしれた江戸川乱歩の傑作短編)を楽しみたいので、わざとそこから離れた。
「他にルーフの上に残っておられる方、いらっしゃいますか?」
聞こえない振りをした。
いざとなったら、ルーフの端から飛び降りればいい。そこは濠なので、十二メートルの飛び込みだと思えば何てことない。
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