第3話 実際に住んでみると



 最初は少し暗いように感じた街のトーンも、何度も見学しているうちに自然となれてしまった。


 街の中心には㈱ポリカーボネート・タウンの管理棟があり、そこだけは四階建てで、四階はルーフの上にある。メンテナンス部隊は四階から外に出て、ルーフの点検や清掃などを行う。下側のメンテと違い、普通に歩くだけなので、誰でもできそうだ。これほど安全な高所作業も珍しいが、足元が透明なため、高所恐怖症には辛い。



 中国の山岳地帯にガラスの吊り橋があると聞く。ハンマーで叩いても割れない強度がある。さらに最近では、液晶フィルムが張られ、ヒビが入る映像が流れるタイプも出現した。音まで出るので迫力満点。映像とわかっていても、観光客は腰を抜かす。ヒビだけでなく、鯉が泳いだり、草原になったりするハイテク橋だ。


 そうだ。このルーフにも液晶フィルムを張って、清掃員を驚かせばいい。いや、そんな程度では勿体ない。様々な映像を流し、下にいる人間を楽しませるのだ。


 せめて我が家の上だけでも、対応してほしい。




 管理棟の南側に、二階建ての商業施設ポリカマーケットがある。住宅と異なり高さは10メートル。建物が広いので高所作業車ではメンテできず、作業員が直接屋上に上がる。


 一階のほとんどと二階の一部が、スーパーサワダ・ポリカーボネート・タウン店だ。私は、オープン準備の忙しい三月初旬に引っ越しをしたので、街と家の素晴らしさに気づくのはもう少し経ってからのことになる。



 オープン初日はそこそこ流行ったものの、やはり住民が少ないので、店は暇だった。駐車場が狭いので私は徒歩通勤だ。街の至るところが空き地のため、駐車場は狭くてもいい。



 私も、通勤以外では自動車をよく利用する。


 この街は、道路は少ないが幅が広い。道路が少ないのには理由がある。


 家と家の間を5メートル空けてあり、そこは砂利が敷かれ、砂利道として車が通ることができる。


いわば街中が道路だ。抜け道ばかりだから、渋滞になりにくい。



 車で宮崎市中心部に買い物に出たとき、ポリカのカーポートのある家を見つけた。サイドに柱があり、屋根がカーブしているタイプだ。気になったので、近くに車を停めて、寄ってみた。


 ポリカは最も透明度の高いものだ。ということは、遮熱効果が少なく、グレート・ルーフの補完にはならない。



 不審者に思われたのか、住人の男性が出てきた。


「どうかしました?」


「いや。どうしてカーポートが建っているのか不思議に思って」


「ああそのことですか。よく聞かれるんですけど、デザインが気に入っていたのと、あと物干しがついているじゃないですか」


 二本の柱には、物干し竿をかけるカーポート用収納式物干しがついていた。オプションなのか、自分で用意したDIYなのかはわからない。


「そうですか……」


 変わった御仁もいるものだ。




 四月になると、今年は花粉症の症状が軽いことに気づいた。上空を覆うルーフが花粉の飛散をある程度防いでいるようだ。



 梅雨になると、マスコミがとりあげるようになった。


 傘を差さずに街を歩くリポーターの姿に、移住希望者が増えたはずだ。


 我が家も天気予報をあまり見なくなった。



 息子がハイハイするようになった夏。


 世に誇大広告はあふれている。雨よけに次ぐポリカタウンのセールスポイント<夏涼しい>もその類だと思っていた。なにせ気温を五度以上下げると<期待される>という曖昧な表現なのだから。ところが、これが予想以上に涼しかった。



 これは、ポリカ以外にもいろいろ工夫した結果だ。


 暖かい空気は上に上昇する。この性質を利用して天井裏に換気排熱ファンを設置する家もある。支柱の最上部にも、この排熱ファンが設置され、夏の高温時のみ稼働させている。


 もうひとつ。ルーフを支える支柱の中は空洞で、地中に埋められた配管とつながっている。井戸水が冷たく井戸の中が涼しいように、夏でも地中は気温が低い。気温の低い地中とつながることで、支柱の温度を下げる効果がある。



 これだけのことで、ここまで涼しくはならない。暑さ対策の最大の切り札が、ルーフの上にモノを載せて、下に日陰を作るという原始的な方法だ。


 日なたと日陰の差は地面からの放射熱の違いが大きく、日なたと日陰が隣り合っていれば、空気自体の温度差はそれほどない。この場合は、一平方キロを越えるルーフの下全体の空気が涼しくなるので、かなりの効果だ。


 耐荷重が半端ないので何を載せてもいいようなものだが、作業の点からロールシートが採用された。


 管理棟の四階のシャッター口から、スタッフがロールを(たぶん転がして)運び、目的の場所で広げる。ポリカの周囲のフレームには、シートを固定しやすくする工夫(おそらく突起、穴、隙間の類)が最初から施され、手間がかからない。本格的なアルミの断熱シートではなく、100メートル5000円くらいの薄いものだ。



 住民の意見とその日の気温で、どこにどれだけシートを広げるかが決まる。我が家の場合は、うちのバルコニー以外は街中日陰でいいと答えた。


 梅雨に入る前から、道路や家と家の間の上にシートが敷かれた。


 梅雨の間もシートの面積は徐々に増え、梅雨明け以降は倍増し、日中でも薄暗くなった。


 我が家の周辺は、要望通りバルコニーの上以外はシートが敷かれた。



 ということで、あれが不要になる。


「だから、あれほどエアコン要らないって言ったでしょう」


 と、予想通り妻が文句を言った。


「冬があるだろう」


 私は反論した。


 上からの熱を遮蔽するので、冬はきっと寒い。


「エアコンより灯油使ったほうが安上がりじゃない?」




 吹き抜けリビングのスケルトン階段を上ると、二階の廊下に出る。廊下の突き当たりには極小の茶室、左手に洋室があり、右側は四枚の掃き出しサッシ。サッシの窓の向こうには、ウッドデッキを敷いた広いバルコニーがある。


 よくこのようなシーンでは、解放感あふれるアコーディオン・サッシ(折りたたみ窓)が採用される。窓口を全て開くことができ、ベランダとの一体感は素晴らしいが、掃除が面倒なので普通のものにした。



 せっかくの持ち物だ。有効に利用しない手はない。猛暑日。海パン一丁で出てみた。


 木製のフェンスがあるので、周りの視線は気にならない。


 気温を計ってみると、33度。宮崎市内は38度ということなので、かなり涼しくなっている。


 シートで街の半分が日陰。残った日なたも遮熱ポリカの効果で、ルーフの下全体の空気が熱くないのだ。



 このときのために買ったビーチ・チェア。超巨大な透明ルーフの下、仰向けの姿勢で、こんがりと肌を焼く。


 紫外線100%カットだから安心。ポリカ越しとはいえ、太陽がまぶしいので目を閉じた。



 しばらくうつらうつらし、目を開けると、すぐ上のルーフを、清掃員の男が雑巾がけをしている姿が。ポリカは傷つきやすいので、わざわざ雑巾を使っている。


 人を下から見る機会は少ない。 


 茶髪の若者で、向こうも目を合わせないように気を遣っているのがわかる。


 私もすぐに目を閉じた。素っ裸でなくてよかった。



 妻に聞くと、


「そういえば、今日は屋根上点検清掃の日って回覧にあったような気が。だけど、いちいちそんなことあなたに言う必要ある?」




 夜十時の報道番組が街の特集を組んだ。真夏なのに温度が低く、雨のことを気にせず生活している住人の姿に街の人気は高まり、県外からの移住者が増えた。



 産学協同で設計されたルーフは頑丈で、台風にもびくともしない。


 中心部にいると風は弱く、雨も届かない。台風という経験が前世の出来事のように思えた。


 ルーフの下にいれば雷の直撃を受けない。実験ではマグネチュード8の揺れにも耐えたという。この街はポリカの楯に守られている。



 恐れていた冬が来た。しかし、意外と寒くない。


 透明なルーフは上からの熱を遮るが、地表の熱が上空に逃げるのも防ぐ。それに風が弱まるので、体感温度は以前より暖かいくらいだ。



 春は花粉の被害が少なく、鬱陶しい梅雨も関係なく、夏は涼しく、台風はただの強風、冬も問題ない。一年を通してみるといいことばかりじゃないか。


 人間にとって優しい街は、建物にとってもいいはずだ。雨がないので劣化が遅い。


 これだけメリットがあると、街の人気は鰻登り。余っている土地が無くなり、移住希望者は現在の所有者から高値で買い取る必要がある。



 二年目になると、明らかに観光客が増えた。


 天を覆うポリカーボネイト。それを支える支柱の群れ。軒も庇も屋根もないモダンな箱形住宅が並ぶ。日本には珍しく電柱がない。そこにいるだけで不思議な気分を味わえる。夏涼しく、雨の心配はない。虫も少なく、道は広い。


 一旦、人が集まると、次々に人が押し寄せる。


 そうなると、隣接するゴルフ場まで拡大する話や、駅までの道をポリカで覆う話も出てくる。


最寄り駅の乗降客は数倍に増えた。駅舎の外にアイスの自販機があることだけが取り柄の、どこにでもありそうな駅では勿体ないので、建て直しが議論されている。



 我が社も例外ではない。ポリカ店の売り上げが伸び、この商業機会を逃すまいと社長の鼻息は荒い。


「どこにでもあるスーパーじゃダメだ。観光客向けの高額商品に品揃えを切り替えろ」


 しかし、住民の生活を支えるため、日用品と食品を提供するという市との約束がある。


 そこで、ポリカマーケットの建物自体を、ルーフの上まで増設するよう、市会議員に働きかけた。ポリカマーケットは、㈱ポリカボーネート・タウンの子会社だが、うちの会社も出資している。だからただのテナントではなく、それなりの発言権がある。



「二階建てでいいわけがない。少なくとも十階は欲しい。うちはそのうちの半分をもらう」


 いくら使ったかしらないが、社長の主張は認められ、七階建てのビルが立つことになった。そうなると一から建て直す必要が出てくる。



 メインのスーパーが閉店すると、住民が街の外に買い物に出なくてはいけない。それでは話が違うので、工事期間中、屋外で営業をすることになった。雨が降らないから出来る芸当だ。


 場所はすぐ隣の公園。四軒分の敷地なので、中央に支柱がある。それだけでは足らず、管理棟の駐車場も一部お借りした。


 夜間、商品が盗難に遭わないよう見張る必要がある。余計な警備代を出すような社長ではない。それで24時間営業になった。深夜でも客足は絶えない。間違いなくニュー・ポリカマーケットは24時間営業だ。



 マーケットだけでなく、一般住宅も建て直しが盛んだ。土地の価値が上がり、最初の住人は売却益を手にする。新築は取り壊され、そこに90%の建ぺい率ぎりぎりの二階建てアパートが建つ。すぐに入居者が決まり、それを見た近所の土地所有者は自分もアパートを経営するか、売りに出す衝動にかられる。



 私の妻も、


「ねえ。ここ売ってもっといいところに住まない?」


「買ったばかりなのに」


「今なら高く売れるわよ」


「もう少し待てばもっと高くなるよ」


 売らないための言い訳だったが、嘘ではない。



 噂を聞いた福岡辺りの富裕層が、別荘候補地として検討しているらしい。避暑地ならいくらでもあるが、そういう場所はだいたい交通の不便な高地にあり、緑豊富で虫が多く、冬が寒い。


 雨が降らず、虫が少なく、海が近く、南国なので冬が暖かい。一応、県庁所在地の宮崎市内。すぐ隣にはゴルフ場。大きな建物が建てられないので、却って、手がだしやすい。


 これだけの条件が揃えば、値上がりしないほうがおかしい。 


 だが、私はいくら高騰しようが売るつもりはない。アイデア豊富な今の家が気にいっているのだ。



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